朗読 * 8/6
私はその時、14歳だった。詰襟を着て、ひょろりと背が高い以外は目立つところもない、成績も中の下の、ただの中学生だった。
教室の前から2列目、ほとんど教壇の真正面に坐る私の後ろに、彼女は坐っていた。
彼女は、授業の合間も昼休みも放課後も、暇さえあればいつも本を読んでいて、特定の誰かと親しいと言うこともなく、だが私も含めて話し掛ける誰にもへだてなく答えを返し、やたらと男子に攻撃的な女子や、すでに大人びて、まだそこまでは心の伸び切っていない我々に、すでにどきりとする視線を投げ掛けて来る女子の、そのどちらにも属さず、私から見る彼女は、どこか我々とは違う世界にいるように、常に物静かでぴしりと伸びた背中が印象的な女子だった。
私たち──僕たちのその頃の担任は30歳くらいの独身の国語教師で、女子にはそこそこ人気があったが、男子には割りと嫌われていて、無口と言うよりは陰気な雰囲気と物言いのせいで、僕らは担任にコウモリと言うあだ名をひそかに献上していた。
そのコウモリが、なぜか彼女を、クラス全員にはっきりと分かるほど、そしてクラスのほとんどが眉をひそめるほど、理不尽にいじめていた。
僕の班のある女子は、彼女と体育でグループを組んで課題を一緒にやった縁で彼女と比較的仲が良かったのだが、ある日コウモリに、
「あいつと付き合ってるとロクなことにならんぞ。」
と言われたと、僕たちに向かってぷりぷり怒っていた。
他の時には、彼女が掃除中にうっかり階段から数段落ち、利き腕の手首をひどくひねったためにがっちりテーピングされ、数週間、鉛筆すら持てなかったのに、彼女にだけ教科書を書き写す宿題を特別に出すと言うことをやった。
利き腕が使えない間、彼女は何とかもう片方の手で鉛筆を持ってノートを取っていたのだが、もちろん追いつけず、他の女子たちが彼女にノートを回し、怪我が治る間彼女を助けていた。僕ももちろん、求められれば彼女を助けた。
コウモリはそれをつぶさに見ていながら、せせら笑うような表情を浮かべて、
「階段から落ちて怪我をするような人間はもっと気を引き締めるべきだ。」
とか何とか、よくわからない理屈を言ってその宿題を言い渡し、彼女の斜め後ろに坐っていた副学級委員の女子が、さすがに顔をしかめて、
「でも先生、鉛筆も持てないケガなのに。もっと別のことをさせればいいじゃないですか。」
精一杯嫌悪を示して抗議したが、コウモリは考えを変えず、この1件は僕らが思うよりも早く──女子の情報伝達力を舐めてはいけない──他のクラスにも伝わり、それなりにあった女子人気を、コウモリは僕らの担任だった1年の間にすっかり地に落としてしまった。
彼女はコウモリにはひと言も言い返さず、1週間ほど遅れて──もちろんコウモリは、その遅れを毎日みんなの前で叱った──その宿題を提出したが、点数も何もなく返却された挙句に、ノートのページの最初に、"字が汚いヤツはロクな人間にならない"と赤字で書かれたあったのを、僕はちらりと盗み見た。
僕はそれで、コウモリのことが大嫌いになった。
ある日の授業で、僕らは教科書に載っていた詩の朗読をやらされた。
漢字の苦手な僕は朗読と言うヤツが大嫌いで、読み違えに精一杯気をつけて、途中でつっかえないように心臓をドキドキさせながらただ祈って、30行ばかりのその詩を、30秒で読み終わった。
コウモリは、僕の駆け足の朗読を笑ったが、少なくとも笑い方はそれなりに好意的だった。
そして、僕の後ろに坐る彼女の番になった。彼女はそっと立ち上がり、両手に、習った通りに教科書を乗せ、そして、大きく息を吸い込んだ音が、僕の背中にはっきりと聞こえた。
最初の一語を彼女が発した時、教室の音が失せた。色も失せた。
授業の間に私語がないのは当然だが、その時は、単に誰もが無言だったと言うだけではなく、教室からまるごとすべて音が抜かれたように、僕らの周りには音がなかった。聞こえるのは、静かに詩を読む彼女の声だけだった。
彼女の読むその詩は、今まで僕も含めて他の同級生たちが読んだそれと同じとはまるで思えず、彼女が言葉の間に置く間と、時々彼女が息継ぎでそっと空気を揺する気配と、何もかもを含めて、僕らのいる教室と言う空間そのものが、その詩そのものになった。
僕らは息を詰めて彼女の声に聞き入り、彼女が発音する言葉が、耳を通り越して脳へ直に染み込んでゆく感覚にゆっくりと瞬きをし、そっと盗み見ると、コウモリすら、呆然と彼女を見ていた。
教室は、真っ白だった。壁は古びて少し黄味がかり、詩の中に表わされている無個性な清潔さを表わして、彼女の声と言葉だけが、そこをゆっくりと満たしてゆく。
30行ばかりの詩を、彼女は恐ろしいほどの臨場感を込めて読み上げる。僕らはみんな、その詩の世界の中に引きずり込まれていた。この世界を、不粋な音や呼吸や気配で壊すことを、死ぬほど恐れていた。
14歳だった僕は、その時まで、こんなに心の中も頭の中も真空になるほど何かに引きつけられた経験がなく、突然別世界へ放り込まれたようなこの彼女の詩の朗読は、心臓が止まるほどショックだった。
彼女が最後の行を読み終わり、そこでひとつ息を継いだ。それが終わりの合図だった。僕らは一斉に詰めていた息を吐き出し、そして一斉に彼女を見た。僕は思わず振り向いて、彼女を見た。
彼女は、皆の視線には気づかない風に静かに椅子を引き、そっと腰を下ろす。彼女の頭の高さが皆と揃った途端、僕らは完全に現実に引き戻されていた。
コウモリが言った。
「読むのがゆっくり過ぎる。この詩はそんな風に読むもんじゃない。」
今度は、教室中の視線が、黒板の前のコウモリへ集中する。コウモリは、僕らの視線の厳しさにたじろいだように、はっきりと後ろに肩を引いたが、ふんと肩をそびやかして、
「次。」
と、彼女の後ろの女子を指差した。
この子は、僕らと同じように、淡々とただ字を読んだ。平たい声は、僕の背中に届くのがやっとの音量だった。彼女の朗読の後では、どんな読み方をしても、僕らの脳までには届かなかったろう。この子には少し同情しながら、僕は教科書の字を、朗読と一緒に追っていた。
終わった後で、コウモリが声を張り上げた。
「わかったか、この詩はこういう風に読むもんだ。」
僕は、コウモリはきっと気が狂っているのだと思った。僕でさえわかる彼女の朗読の凄さが、国語教師のコウモリにわからないはずがない。
この教師は、自分の歳の半分の少女をここまで嫌って、この少女を貶めるためなら何でもする大人だと、その時僕は思った。
実はひそかに、将来は教師になろうかと何となく考えていた僕は、この日その考えを頭からすっかり消してしまった。教師がこんな大人なら、僕は絶対こんな教師にも大人にもなりたくない。
僕は彼女を振り返り、コウモリになんかちっとも賛同してないと知らせるために、肩をすくめて見せる。彼女はおどけたように鼻の頭にしわを寄せ、僕に向かって首を振った。
気にしてなんかいないと言う意味だったのか、僕の伝えた意味がわからないと言うことだったのか、僕はよくわからなかったが、いつか今日の彼女みたいに、好きな詩を朗読できればいいと、そう思った。
僕はよく、数学の時間には彼女の方へ振り返り、わからない問題を教えてもらった。英語もだ。僕が何を訊いても、彼女はいつも手を止めて、きちんと僕が分かるまで説明してくれた。
3年になって、僕は彼女とクラスが分かれ、それきりになった。卒業後彼女がどうしたのか、僕は知らない。
僕は今、娘と息子のいる父親になり、時々子どもたちに本を読んで聞かせる。
幼い観客を目の前にして、僕はいつも彼女のあの朗読を思い出す。あんな風に読めるはずもないが、それでも、自分の子どもたちの、柔らかな脳に何か大事なことがきちんと刻み込まれるようにと、そこへ届くようにと、そう思いながら、僕は彼らに向かって本を読む。
彼女のように朗読ができたらとずっと思って来た僕は、同時に、絶対にコウモリのような大人にはならないと決めて、それが叶ったかどうかは、子どもたちがもうちょっと育った時にわかるだろう。
彼女も、自分の子どもたちに本を読んで聞かせているだろうか。あの時のように、世界の音と色を易々と入れ換えて、彼女の声と言葉だけがある世界に、自分の子どもたちを連れてゆくのだろうか。
彼女があの日、教室で僕ら全員に与えた息苦しさを、僕は今も忘れていない。
コウモリよりも年上になってしまった今も、僕はあの日の彼女を鮮やかに思い出して、あの声と間を精一杯真似ながら、我が子たちに向かって本を読む。
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中毒 * 8/14
私は長い間、文章と言うものを書き続けている。
本を読むのは子どもの頃から好きだった。好きだったと言うよりも、それしかすることが思い浮かばなかった。
自分の母語の本が手元にない事態になった時には、辞書すら読んだ。電話帳があれば、きっとそれだって読んだろう。
滅多に本を持たずには外出しない、私はその程度に、活字を読むことが好きだ。
ごく自然に文章を書き始め、なぜこの表現方法を選んだのか、私にもよく理由がわからない。
初めて、自分で何かを形にしたいと思った時に、それをきちんと形として外へ出したのは自作の詩集だった。それが数冊たまった後で、それなりにまとまった文章を、物語の形で書き始めた。
以来私は、頭の中に湧き続ける(内容と質についてはあえて問わない)物語を、ひとりで綴り続けている。
正直なところ粗製濫造としか言い様がないが、恐らく私にとっては、書いてそれをとにかくも形にして外に出すと言う行為が重要なのであって、出されたものの色や形や味と言うものは二の次なのだろう。
どれもが似通っていようが、どれもがつまらなかろうが、どれもが面白くもなかろうが、私にとってはおおよそどうでもよいことと思われる。
完成した形にしてみなければ、良いも悪いもわからない。つまるかつまらないか、書き上げてみなければわからない。そして完成したそれは、もう私の手を離れてしまったものだ。私ではない、私であったものだ。それを面白いつまらないと言うのは、他の人たちだ。私ではない。
書き上げた瞬間の私にとっては、どんなものでも大傑作だ。少なくともその瞬間だけは、私は自分の所業に昂揚していられる。書き上げたのだと言う、ただその一点だけで、私にとってはどんなものも大傑作だ。
次の瞬間には、絞りカスのようになった脳から、書いたことの記憶のほとんどが消え去り、もう次の物語を追い駆け始めている。
私はその程度に無責任に、書き散らし、書き上げて、また書き散らし続けている。そうせずにはいられないのだ。
私が書くものは、その瞬間の私だけが書ける、その時だけのものだ。昨日の私は思いつかず、2週間後の私には思いも寄らない、そんなものだ。一期一会、私が書くものは、どんなつまらないものもすべて、その時だけのものだ。価値はない。だがとても貴重なものだ。
昨日の私が明後日の私より優れているわけではないし、5年前の私が今日の私より劣っているわけでもない。その時の私は今の私とは違い、違う私が書くものに優劣はない。つまるつまらないはあっても、優劣はない。
それでも、振り返って、奇妙に充実した文章を書いていたと思われる頃には思い当たる。恐らくその時の文章の方が洗練され、鋭さもあって、今よりも情熱に溢れていたように思える。そして時には、その頃の文章で、今思うことを書き記せたらと、思う時もないではない。
それでも私は多分、その時に戻りたいとは思わないだろう。今の私には今この瞬間の私にしか書けないことがあるだろうし、あの頃の私にはあの頃の私でなければ書けなかったものがある。ただそれだけのことだ。
私はいつだって私でしかないが、それでも昨日の私と明日の私は、どこか微妙に違う存在であるはずだ。
違うと言うことは、だが成熟したと言うことではなく、私は相変わらず未熟なまま、恐らくいつまでも成熟したと言う感覚など持てないまま、書き続けるだろう。
私の頭の中に物語が溢れ続ける限り、書くと言うことに終わりはなく、私はいつまでもいつまでもこの飢えを抱え込んだまま、いつかもしかして、書き続けるその先で、この飢えが満たされるのかもしれないと思いながら書き続けるのだろう。
ほんとうに望んでいるのは、この飢えが満たされることなどではない。飢えが満たされると、そう思うのは心の一片でだけだ。
私は、手を動かし文字を書き記し、そして何かを表わすと言う行動それ自体に淫している。酒呑みや煙草飲みと同じだ。私は書くことに中毒し、常にその行動に飢えている。書けなくなることを、私は常に恐怖している。
目が見えなくなること、しゃべれなくなること、耳が聞こえなくなること、指や手や腕を失くすこと、足を失くすこと、体の動きを奪われること、物が考えられなくなること、私が、そのどれをいちばん恐れているのかよくわからないが、物を書くことができなくなることは、恐らく容易に私を絶望に叩き込むだろう。
その事態を想像することは、私を恐怖に陥れる。まだ起こらないそのことに、時々私はひとり勝手に恐怖する。
未熟な私は、その架空の恐怖を自分の中で消化できず、こんな風に書き記して外へ垂れ流す。目に見える形にして垂れ流し、それがまだ絵空事であると安心する。
まだそれは起こっていない。私はこうして書いているからだ。私はまだ自分の脳で考え、手指を動かして文字を書き、自分の目でそれを確かめている。
私はまだ、書き続けている。
私が成熟することなどあり得ない。成熟したと感じることなどあり得ない。私は未熟なまま、たどり着かないまま、書き続けるのだ。私は私のまま、たどり着くことなど目的にも目標にもせず、ただ書き続けるのだ。
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ほとんど日記のように、あれこれ思うことを書き散らしながら、数日やる気が起こらずにエディタさえ立ち上げていない。
こんな時もある。
頭の中に常に言葉が渦巻いていて、外へ出せと言う声は聞こえるが、単純に外へ出す作業が億劫だとか、外へ出そうとすると理解できる文章の塊まりにならないとか、そんな時には人との会話すらうまくさばけない。
書くも話すも単なる慣れだ。しない間に技量はどんどん落ちる。3日人と声に出して話さなければ、挨拶さえ反応が鈍る。
書くと言うことが仕事のわけはなし、時には書こうとせずに、何もしていればいい。
好きな音楽を、ただぼんやりと聞いて、音楽を流しながら非生産的なパズルゲームを延々とやって、あるいは特に見たいとも思っていなかった映画や過去のテレビ番組を、ただだらだらと見続ける。延々と、何もしないことをやり続ける。飽きるまで。
実のところ、飽きるのはすぐだ。何もかも惰性で続けて、部屋が暗くなった頃に、1日を無駄にしたことに気づいて、軽く自己嫌悪に陥りもするが、まあこんな時間もたまには必要だと言い訳して、それでも何か得たものがあったろうかと自分の胸の内を覗き込む。
あるようなないような、あったようななかったような、自分が無駄にしたこの1日は、誰かが精一杯生きたかった1日かもしれないが、何にせよ、私の時間を誰かに譲渡することは不可能だ。私が無駄にしたこの時間は、どこまでも私だけのものでしかない。
時間と同じように、命も誰にも分け与えられない。
必死で生きたい誰かに、死にたがりの私のこの命を差し出せたらどんなにいいかと、こう思うのは多分、それが無理だからだろう。
命の分配が実際に可能になった時、私は今と同じような心持ちで、誰かに自分の命を差し出すだろうか。どうだろう。
仮にこの世から1万人(数字は何でもいい)の命と引き換えに、すべての人間を含む生き物が幸せで平和で健やかな人生が歩めると保証されたら、私はその1万人に志願するだろうか。
今、それが無理に決まっている現在、するだろうと私は思っている。だが、実際にそれが可能になって、政府なり国なり何かの組織なりが私たちに向かってそれを頼んだとして、私は手を上げて前へ進み出るだろうか。
どうだろう。
死ぬと言うのは案外と面倒だ。
死ぬ時には、人は死ぬ。何をどうやっても、人は死ぬ。死なない時には、何をどうやっても死なない。
死んでいないと言うことと生きていると言うことは、実は同義ではない。それは同質で等質のものではない。死んでないから生きているわけではない。生きてはいても、死んだも同然と言う状況は、あちこちに転がっているものだ。
書けなくなった時、私は恐らく自分が死んだと感じるだろう。そしてその死を、もっと確実に確かなものにしたいと願うだろうが、実際に実行するかどうかは別の話だ。
私はこんな考えを常に玩び、実際の、現実の死に直面した時の自分のみっともなさを、今から嘲笑っている。私は間違いなく、死を前にして生にしがみつくのだろうし、死にたくない生きたいと、掌を返したように喚くのだろう。
ビルから飛び降りる度胸はない。首を掻き切る度胸もない。死体の始末が大変じゃないかと、もったいをつけて、実際にその通りだろうが、死んでしまえばそんなことは知ったことではない。
死ぬ時には、身分証明書を身に着けておくべきだろうか。あるいは完全に身元不明の、名無しの死体で埋葬されることを願うべきだろうか。どちらがどれだけ手間が掛かるのだろう。
死体の重さを支える場所を、天井近くに見つけなければならない。ロープの縛り方もだ。確実に死ぬのには、案外と準備と手間が掛かる。
死に損なうと、苦しみは倍になる。現実的な苦痛に、恐ろしいほど長い間拘束されることになる。死ねれば良かったのに、死のうとしなければ良かったのに、死に損なうのは、信じ難いほどの苦痛だ。
確実に死にたければ、色々と方法はある。本気で考えれば、果たせないことではない。
長い間こうやって考えながら、私が一向に何も実行に移さないのは、結局のところ私の気持ちなどその程度と言う話で、とりとめなく書き出した後で、こんなところへ話が落ち着くのは、私の脳裏には常にこのことが貼りついている、と言うことでもある。
私はどうしようもなく情けない死にたがり屋だ。死に損ないの苦痛を恐れて、死そのものではなく、生きているゆえの苦しみを死ぬほど恐れて、絶対に実行することのない死を、頭の中でだけ常に望んでいる。
とても大切な誰かが、それができるとして、生きたいから命をくれと言ったら、私はどうするだろう。ああいいともと、すぐさまその手を取るだろうか。
汚物を吐き出すだけの存在の私が役に立てるのならと、私は自分の命を差し出すだろうか。
頭を銃で撃ち抜かれるイメージが常に脳裏から離れないが、それは恐らく、銃が手軽に手に入る環境に暮らしていないからなのだろう。
想像の中ですら、私の臆病さと情けなさぶりは笑止千万だ。
明るい日曜日だと言うのに、私の考えることと言えばこんなことだ。そして私は今、極めて平常な心持ちでいて(と、自分では感じている)、どこかおかしいという自覚はない。
また来週も、私はきっと同じように、とりとめなくこんなことを考えているのだろう。
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鳥 * 8/22
草取りに庭に出る。あちこちに生えている雑草の傍へしゃがみ込み、うつむいて、黙々と草を抜く。
ふと気づくと、そんな私の傍らに鳥が飛び降りて来ていた。
雀よりは大きく、鳩よりは小さい、丸い頭と短い嘴、頭から背中、そして比較的長い尾にくすんだオレンジが掛かり、色と雰囲気を地味にしたインコと言った風情の鳥だった。私が見つめていても逃げようともしない。
鳩のように膨らんだ胸の丸さが見事で、それが鳥を尊大な態度に見せている。実際に、私の傍で堂々としている姿は、確かに尊大と言えなくもなかった。
胸元の白さは驚くほどで、ほとんどぎらぎらしいその白さに、私は雑草を抜く手を止めて目を細める。その私に向かって、鳥は頭を軽く傾けて見せた。
「こんにちは。」
思わず鳥に向かって言うと、鳥は少しの間きょとんとしてから、ちょんちょんと地面と飛び跳ねて私のもっと近くへ寄って来る。そして、雑草が抜かれて嵩が減り、柔らかく掘り返された地面へ短い顔を埋めるようにして、嘴でその黒い土をつつき始めた。
どうやら、掘り返された土の下にいる虫を狙っていたらしかった。すぐに何か小型の甲虫のようなものを見つけ、鳥はそれを食べ始める。
捕食の場面を観察する趣味のない私は、鳥から視線を外し、また雑草抜きに心を戻す。
「ミミズは食べないでね。土を優しくしてくれるから。」
手元へ視線を置いたまま、私はひとり言のように鳥へ言った。
「わかった。」
土に汚れた顔を上げて、私を見上げて、鳥がはっきりとそう答える。私は鳥へまた顔を向け、近頃では鳥も私たちの言葉を解し、私たちの言葉を使えるのかと驚いていた。
「わかったよ。」
私が聞こえなかったと思ったのか、鳥がもう一度言う。意外に耳に心地良い、低い声だった。
「ありがとう。」
鳥にそう言って、
「ありがとう。」
鳥も私にそう言った。虫の捕食を許していることに対してだろうか。私はそれきり黙って、雑草を抜き続けた。鳥はしばらくして飛び立って行った。
私は毎日、雑草を抜きに庭に出る。長くは外へいられないので、1日に抜くのはほんのわずかだ。その私の時間をどこで見ているのか、必ずあの鳥がやって来る。
飛び去る時にはいつも嘴と胸の白毛が土で汚れているのに、やって来る時にはまたぴかぴかになっている。鳥も毛づくろいをするのだろうが、猫や犬のように舐めると言うことができるのだろうかと、私はちらちらと、隣りの鳥を見て考える。大体嘴の辺りは自分ではきれいにできないだろうに、仲間がいるのだろうか。
それにしても、こんな鳥は今まで見たことがない。とは言え、不精者の私は、わざわざ図書館や手元の図鑑で同じ鳥を見つけてみようともしなかった。鳥はただ、私の庭に虫を食べにやって来る鳥であり、私の雑草取りに何となく付き合う隣人のようなものだった。
くすんだオレンジの、素敵な色だがどこか淋しいそれと違って、胸や腹の辺りの白さのぎらぎらしさは、裸眼で見る太陽光のようだ。人間の私の傍へ、怖気づきもせずに近づいて来て虫を獲るのだから、態度が大きいと言えばそう言えた。
私はいつの間にか鳥の来ることを期待して、毎日、洗面器と小さなボールにそれぞれ水を入れ、雑草抜きをする傍へ置いておくようになった。
鳥は時々洗面器の方で水浴びをし、小さなボールから水を飲む。気まぐれに、ふたつのことをひとつの場所でやったりもする。ボールの方は尻尾も頭もはみ出るのに、構わず水浴びをする姿は奇妙に可愛らしい。
そして私たちは、時々おしゃべりもした。
「おまえは空を飛べないんだな。」
「あんまり必要はないわね。」
「なんで草を抜くんだ。」
「せっかく植えた花の栄養を取っちゃうから。」
私の言うことがよくわからない時は、鳥は真っ黒なつぶらな瞳を丸く見開いて、最初の時のように首を傾げる。その姿の愛らしさと声の低さの吊り合わなさに、私はそっと微笑む。私が笑うと鳥も笑う。鳥にも表情があるのだ。
虫を取り、腹が満ち、胃のふくらみが落ち着くと、鳥は淋しいオレンジ色の羽を広げて飛び立つ準備を始める。
「また明日も来るの。」
「多分な。」
「そう、さようなら。」
「さようなら。」
私たちは会うたび同じ挨拶を交わし、鳥は飛び去り、私のその日の草抜きは終わる。
そうしてある日を境いに、ぷつりと鳥はやって来なくなった。
雑草の生える勢いも衰え、太陽のぎらぎらしさはすっかり影を潜め、だから鳥もきっと、もっと暖かいところへ飛んで行ったのだろうと私は思った。
ひとりしゃがんで草を抜くのは、何だかとても淋しい。季節のせいだけでもなく、庭も何となく薄暗い。あの鳥の、周囲のすべてを暴くようなあの胸毛の白さを、私は恋しく思った。
「今度はいつ来るの。」
自分の手元に向かって私はそう言い、鳥のあの声が答えてくれるのを期待する。
草抜きに庭に出る時には、必ず洗面器とボールに水を用意し、庭から上がってもそのままにしておいて、翌日庭へ降りる時に、使われた様子のない水をまたきれいなものに取り替える。私はそれを繰り返している。
鳥はまた戻って来るだろうか。太陽があの毒々しいほど鮮やかな輝きと白さを取り戻す頃に、鳥もまた私の庭に、私の傍らに戻って来るだろうか。
お帰り、と私は言うだろう。鳥は私を覚えているだろうか。あの小首を傾げる仕草で、私を見上げるだろうか。
戻って来る時には、家族を連れて来ればいい。妻だろう鳥と、ここに来ない間に生まれた仔どもの小鳥たちと。そっくりの姿の、大きさの違う鳥たちの群れ。私の庭に降り立ち、虫を探して地面をつつく。私は黙って草を抜き続ける。
じきに、洗面器の水の表面に氷が薄く張る季節になる。息は白くなり、地面は硬く凍り、雑草はすべて茶色に枯れる。そうしたら私はどうしようか。
ほんとうに、どうしよう。
身を寄せて、ひとつの毛玉のボールのようになって眠る鳥たちの姿を想像して、私もそんな風に眠ってしまえたらいいのにと思いながら、すでにかじかむ、泥に汚れた手をこすり合わせ、私は合わせた掌の内側に向かって、はあっと息を吐きかける。その息が、もうかすかに白い。
鳥のあの胸毛の白さとはまったく違うその白さに、私はひと時目を細めて、
「いつ戻って来るの。」
今はここにいない鳥に向かって話し掛ける。
そしてまた、手を離して、地面へ向かって指先を伸ばす。
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家に帰ると、卓袱台の上に書き置きがある。電話の傍にいつも置いてあるいらない紙を大きさを揃えて切ったメモ紙に、一緒に置いてあるボールペンを使って、最初に私の名前が、きちんと宛名として記されていて、最後にはこれを書き終わった日付と時間と、そしてあの人の名前が書いてある。
時々、字を間違えたり、書き方を変えたりで、そこはポールペンで黒く塗り潰され、裏返しても何が書いてあったのかはわからない。
どこへ行く、誰と行く、何時に帰る、電話する、そんな連絡事項だ。単なる同居人の私たちは、特に取り決めたわけでもなく、こんな風に相手に書き置きを残す習慣をいつの間にか始めてしまっていた。
一緒に食事をすることになっているから、外出時の動向を知らせておくのは大切なことだったし、一緒に暮らす相手に対する礼儀だとも私は思っていたから、こうやってあの人に、短く書き置きを残すのはまったく苦痛ではなく、帰った時に誰もいない部屋の中で、そうやって白い紙片が私を待っていると言うのを、実は内心で気に入ってもいた。
ただいまと言って、お帰りと帰って来る。対面であたたかな食事を囲んで、他愛もないことを話しながら一緒に食べる。私たちは恋人同士でもなく、友人ですらなかったが、家賃と光熱費と食費と住む場所を分け合う相手として、互いのことを気に入っていた。
どこか跳ねるようなあの人の字は、美しくはなくてもきれいでしっかりとしていて、どれだけ急いでいる時も丁寧に書かれている。今日の書き置きに記された時刻は、家を飛び出して駅まで走らなければならなかった時間だ。目的の電車には間に合ったのだろうかと、私は胸の内でだけ苦笑した。
今日は帰らないそうだ。恋人と過ごして、明日の昼か夕方には戻る、だから明日の夕食は一緒だと、そう簡潔に記して、字間と行間の、普段よりやや乱れた印象を受けるのは、恋人と過ごす時間にすでに心が飛んでしまっていたせいだろうか。それとも私が、過剰に敏感にそれを嗅ぎ取ってしまうせいか。
私は明日の予定は何もないから、黙ってあの人の帰りを待ち、書き置き通りに帰宅するなら、一緒に夕食を作ることになる。遅くなるようなら、いっそどこかで落ち合って外食としゃれ込もうか。
まだあの人の書き置きを手に、私はふと、明日は午後にでも出掛けてしまおうかと思いつく。用などない。電車の距離に出掛けて、本屋でも映画でも、ひとりぶらついて来ればいい。
出掛けます。帰りは夕方遅くなります。ここに電話します。夕食は一緒に食べましょう。
あの人に宛てて、短く書き記して、壁の時計を見上げて時刻を確かめ、自分の名を書く。その紙片を、ふたりで食事をする卓袱台の上に置いて、私は部屋を出てここを無人にする。
あの人はただいまと、どこか幸せそうな空気をまとって帰って来て、この卓袱台から私の書き置きを取り上げる。読む。ちょっと肩をすくめ、時計を見て時間を確かめ、とりあえずはお茶でも淹れようと、服を着替える前にお湯を沸かしに台所へ行く。そうしてあの人は、私からの電話を待つ。
そんなやり取りを想像して、私は卓袱台にだらしなく肘をつき、膝を崩し、ひとりひっそりと笑う。
そんなことをしたら、きっと残して行く書き置きに、あれこれ下らないことを書き連ねてしまうだろう。何だかひとりで淋しかった、書き置きを残してくれてありがとう、今夜会えるのが楽しみ、そんな風に、自分でもよくわからないことをだらだらと書き流して、読むあの人が困惑するのを百も承知で、びっちりと細かな字で埋まった紙片を、卓袱台のきっちり真ん中に残して行くのだ。
それはすでに、用件を伝えるための書き置きなどではなくて、あの人に宛てた、私からの手紙だ。
ああそうか、あの人が出掛けるたび、私が出掛けるたび、私たちは手紙のやり取りをしているのか。
友人でも恋人同士でもない私たちは、毎日のように手紙を互いに書き送っているのだ。切手も封筒もない、ただ字だけが紙片に乗せられて、互いへ送られる、手紙。
文(ふみ)、と言う言葉を思いついて、私はまたひとりで笑った。
書いて、届けて、読んでくれる人がいることを、とても幸せだと私は思った。またあの人が、私に宛てて、書いて送って読ませてくれるのも幸せだ。
私たちはこうして繋がっている。恋人でも友人でもない私たちは、ただ住居を同じにするというだけの間柄の私たちは、恐らく他の誰よりも親密に、文字で埋まった小さな紙片で繋がり合っている。
私は、台所の仕切り近くに置いてある電話を振り返り、鳴る様子のないそれに、特に取り合うでもない視線を投げ、またあの人の今日の書き置きに顔を向けた。
胸に一度抱いてから、自分の私物を収めている棚の箱のひとつを開け、そこにその紙片を滑り込ませた。
まだほとんど空のその箱は、いつかあの人の書き置きでいっぱいになるだろうか。
閉めた箱のふたの表面を撫で、お茶を淹れるために、私は台所へ爪先を向けた。
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知らない街へ行くと、必ず喫茶店を探した。
紅茶が美味しくて、居心地の良さそうな、そこでしばらく本を読んだり書き物をしたりして過ごせる、そんな場所を見つけるのが好きだった。
住んでいた場所からひと駅奥へ行った、それなりに大きな街の、駅から真っ直ぐ行った、最初の大きな曲がり角の左側にぽつんとあったあの喫茶店、愛想のない外見のまま、店主は強面で無愛想で、けれど見たことも聞いたこともないような紅茶をずらりと揃えて、手作りのケーキが美味しい店だった。
私はそこへ6年ほど通い、遠方へ引っ越してからは行く機会がなく、随分前に店が失くなったことを知った。
今でも、あの店で初めて知った紅茶の名前と味と香りと、そして薄く粉砂糖の掛かったケーキの、手作りの素朴な甘さを鮮やかに思い出す。
喫茶店に気軽に通うことができなくなり(車がなかったり、喫茶店などない土地柄だったり、理由は様々だ)、それでも相変わらずお茶なしでは1日も過ごすことはできず、物を書く時には必ず手元に何かないと駄目だから、結局は自分で紅茶の葉を探し、あるいはスーパーマーケットで適当に箱入りのティーバッグをつかみ、飲めれば何でもいい。紅茶であれば何でもいい。私のお茶飲みなど、常にそんな程度だ。
前にも言ったような気がするが、砂糖は入れない。牛乳だけだ。クリームで我慢した時もあったが、今はもう無理はしないことにしている。紅茶はブラックでは飲まない。牛乳がなければ飲まない。ハーブティーは好みではない。
牛乳をたっぷり入れると、ぬるくなる頃に猫に飲まれてしまうので、マグにはシリコンの蓋をかぶせてある。カフェインと猫は決して混ぜてはいけない。
家だけでお茶を飲むようになって、外出先でお茶を買うことがなくなった。そうなる前に、自宅からすでに淹れたお茶を持って出る。中身はもちろんミルクティーだ。
ある時、コーヒーの類いは外で買うと言う人間と付き合いだしてから、私もそれに習うようになった。飲みたい時に、淹れ立ての熱いお茶が飲めるのは、確かに素敵なことだった。
この人間と付き合い始めてから、ふたりで使う金銭部分は私の管理下にあったが、私は現金をあまり持ち歩かないため、いわゆるポケットに入れて持ち歩く現金は向こうの管理下になり、コーヒーを外で買うイニシアチブは常にあちらの手の中にあった。
「紅茶いらない? コーヒー飲みたいな。」
そう言われれば、そうだねと一緒に店へ行く。コーヒーが買える店は、ほとんどどの曲がり角にもあり(やたらと教会とコーヒーショップの多い街だった)、この街全体が私たちにとっては自宅のキッチンのようなものだった。そんな時に、どうして自分の家でお茶を淹れようなんて思うだろう。
そうして私は、外で歩きながら熱い紅茶を飲むことに慣れ、ポケットから小銭を出して紅茶を買うことに慣れ、そして、自分が飲みたいと思う前に、誰かにそうやって問われることに慣れてしまった。
そんな私の目の前に現れたのが、かのスターバックスだ。そして私は突然カプチーノと恋に落ち、紅茶党でありながら、エスプレッソ系へも心を売ってしまった。私は裏切り者になった。
大抵のところでは、紅茶はティーバッグで出され、まれに葉で出す店もないでもないが、そんなところはごくごく稀だ。その点エスプレッソは、きちんと淹れない限り店ではメニューには載らない(もちろん例外はある)。
私は少しずつ、紅茶ではなく、他の飲み物を外では飲むようになった。
ある時、ある事情で、私はまったく外へ出なくなり、スターバックスへ行くのは、懐ろ具合だけではなく、精神的にひどく贅沢な行為になってしまい、台所で火を使うことさえできなくなってしまった一時期、私は誰かが外から持ち帰ってくれる紅茶やカプチーノで、お茶への飢えをしのいでいた。
紅茶のティーバッグがなくなっても、紅茶を淹れるための牛乳がなくなっても、自分では買いに行けない。そもそも、お茶を淹れるための湯が沸かすために台所へ行くことができない。台所へ行くために、階下への階段を降りることができない。最後には、湯を沸かすということ自体が自分ではできなくなってしまった。
自分の家にいて、私は自分で飲むお茶すら自分で用意できず、スターバックスの営業時間が拡張されたニュースに、私はひとり喜んだものだった。
私は今ひとりになって、自分で飲むお茶は自分で淹れることができる。出掛ける時には大抵紅茶持参で、週末の1日には、よくカフェラテを自分で淹れる。
私だけが思うことだろうが、実のところ味だけなら、恐らくスターバックスのそれよりも美味いと思う。時々改心の出来にひとりでにやにやして、次も同じように出来たらいいなと考える。
自分で淹れたお茶を自分で飲めるのは、私にとっては大きな進歩だ。
月に1度くらいはスターバックスへ行く。ひとりで、自分用のマグを持って、それから書き物のための道具を抱えて、音楽を聞くために携帯が充電されていることとイヤフォンの存在を忘れずに、バスに乗ってスターバックスへ行く。
私は自分ひとりで予定を決め、ひとりで歩き、ひとりでバスの乗り降りをして、ひとりで店に入り、自分で何を飲むか決めて、決めたことをきちんと自分で伝えることができる。伝えた通りに欲しいものが目の前に差し出されれば、それを自分の手で受け取り、自分で決めた席に、自分ひとりで坐り、テーブルの上に道具を広げ、そして終われば自分で後片付けをして、自分ひとりで立ち上がる。また自分でバスに乗り、最寄りの停留所で降り、ひとりで自分の家へ帰る。どこが自分の家かきちんと道順も覚えている。階段を自力で上がり、ドアの開閉もひとりでできる。
私の頭はきちんと動いている。手足もだ。私は今、そうしたければ、自分ひとりでスターバックスへ行って帰ることができる。そうでないなら家にいて、自分でカフェラテを淹れて、自分で楽しむこともできる。
それだけのことだ。私はお茶を淹れて飲むのが好きだ。どこかに出掛けて飲んでもいい。外で買って、歩きながら飲んでもいい。家にいて、自堕落にソファに寝そべって、テーブルに置いたカップに手が届かないことに、ちょっと腹を立てたりもする。私はそうすることができる。自分で。ひとりで。
私はお茶を飲むのがとても好きだ。それを自分でできることを、とてもありがたいと思っている。自分の淹れたお茶を自分で飲めるのは、とても素敵なことだ。
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