やる気が失せると、道具探しを始める癖がある。
昔なら、紙やペンにやたらとこだわってみたりしたのだろう。実際に、書き心地が好みのペンを探して、週末にはよくあちこちの店を歩き回ったものだ。
今ではそれが、エディタ探しに変わり、初めてPCを手に入れた時から数えて、今使っているエディタは一体幾つ目になるだろう。
初めて自分のPCを買った時に、最初にしたことはフォントとワードプロッセッサーのインストールだった。それがなければ、PCでは文章を打てないものと信じ込んでいたからだ。
ろくに下調べもせず、店で眺めてその場で買うと決めたワープロソフトが、後でそれほど悪くはないものだったと知ったのは、インターネットが普及して以降のことだが、今もまだ本棚にはそのソフトが箱ごときちんと残っている。今の私のPCのOSはXPだが、もしかすると今もインストールできるのではないかと、少しだけ考えて実行したいと言う気持ちを時々抑えられなくなる。
その頃はまだ、自分の書いた文章を印刷して本の形にすると言うのが自分の中では当たり前だったから、一応の体裁を整えられる機能がなければならず、そのせいでそれなりのワープロソフトが欲しいと言うのが理由だったが、その後、紙媒体で文章を外へ向けて発表すると言う手段が主流ではなくなり(少なくとも私の周辺では)、その間に生活の変化のせいで私はすっかり書くと言うことから遠ざかってしまった。
わざわざ買ったPCは単なる時間つぶしのゲーム機と化し、しかしその間にあれこれ好き勝手にいじくることは覚え、そうして初めて、ノートパッドやワードパッドと言う、打った文章の体裁を整えることを問わなければ、文章を打ってため込んでおくことだけには十分な代物と出会うことになる。
再び文章を書き始めた時、使うことにしたのはワードパッドだった。
ネット上に自分の文章を放置する間に、同じように文章を書く人たちと知り合い、一体どんなものを使って書いているのかと、そんな話題になる。あれこれ上がる名前を片っ端から調べて自分で試してみた。そうやって模索するのも、楽しみにひとつになった。
書き出しだけ数行書いて保存したきりになっているそんな断片が山ほどたまり、増えれば増えるほど埋もれて忘れてしまうことも少なくない。だから、できれば書きかけのものが埋もれてしまわないような、そんなエディタがないかと探してみた。
そして、保存し忘れてうっかり消えてしまうと言うこともしばしば起こったから、勝手に保存してくれる機能のあるエディタと言うものがあると言うことも探す間に知った。
それから、これはブラウザですでに経験ずみだったが、タブと言うものが非常に便利だと知っていたので、できれば複数文書を同時にタブで表示してくれるものと、そんな風に、私のエディタに対する期待や要望はどんどん膨れ上がって行った。
エディタで探すと、出て来るのはプログラム用のものが多く、単純に日本語をただ打って表示して保存してくれるのに使い勝手の良いもの、と言うのが意外と少ない。
縦書きにしてくれるとか、文章の体裁を整えてくれるとか、検索置き換えが便利だとか、面白そうな機能はたくさんあるが、私のしたいことは、結局はただざかざか何も考えず文章を打って失敗なくきちんと(ファイルサイズの限度などなく)保存してくれることであるので、余計だと思える機能には知らん振りをすることに決めた。
そうして行き着いたのが、テキストエディタではなくてメモソフトだった。
もちろんこのメモソフトも良し悪しがあって、大抵のものは行間や字の大きさを変えることができず、長文にはまったく不向きなものもある。が、中には見た目を変えることもできるものもあるし、何しろ大抵の場合は自動保存機能が普通についている。そして起動が早い。
ワードパッドすらもう起動の間に焦れていた私にとって、アイコンをクリックした瞬間にはもう打つ準備のできているソフトの、どれだけありがたかったことか。
メモソフトにすっかり慣れた頃、ちょっと気まぐれで、エディタ部分が全面表示になり、静かに音楽を流してくれると言うエディタを使ったことがあった。
見た目もきれいで、確かに視界の中に邪魔が入らないと言うのはいい環境だったが、残念ながら打つスピードと字の表示されるスピードに隔たりがあり、私の好みではなかった。打ったつもりの字が、1、2秒(以上)遅れて画面に現れると言うのは、思った以上に苛立つものだ。
バージョンアップでこの辺りは改善されているのかもしれないが、何しろ意外に重いソフトで起動にもそれなりの時間が掛かる(とは言っても十数秒の話だが)だったから、これから先再び使ってみることはないだろう。
今現在私が文章打ちに使っているのはロシア産のテキストエディタだ。日本語表示にして、自動保存や字数カウントやその他欲しい機能を適当に追加して使っている。
長文を読むのには少々難のあるフォントと行間だが、それはブログかどこか、体裁の整う環境へ文章を流し込んでしまえば問題はない。
メモソフトの方は文字通りメモ書きや、ちょっと思いついたことを書きとめておくのに使っている。そして、特に保存する必要はないが、少々長めに打つ予定の文章などを打ったりもしている。
何を使うにせよ、複数の文書が同時に表示できることと、保存の動作が必要ないことは、私にとっては素晴らしいことだ。
さてもうひとつ、PCを使う時に重要なのがキーボードだ。こちらはちょっと調べると、マニアかフェチの域であれこれ語る人たちの話題が山ほど出て来る。
私の方はこの辺りのこだわりはごくごく浅く、引っ掛かりのない、音のうるさくないキーボードが好きだ、と言う程度の話だ。ノートPCのキーボードが好きなのだが、どのノートPCでも同じと言うわけでもない。どれだけ本体を気に入っても、キーボードが気に入らなければ使う気にならない。
デスクトップなら自分の好きにキーボードを選べると思ったのだが、これがまた甘い話と悟ったのは、店に行って話をしても、キーボードの打鍵感についてなど誰もこだわってはいないと思い知った時だった。
箱から出して触らせてもらえないかと頼んだ時の、あの一瞬の間。こちらを眺める目の、はあ?と言う表情。
あの視線に耐え切れない私は、恐らくキーボードの打鍵感など語る資格はないのだろう。
キーボードの打ち心地と言うのは意外と重要で、夏など汗をかいて指先にひっつくのは困るし、こちらが打つのに一瞬遅れて反応を返して来るのも困る。押した感覚が深く、音がうるさいもの個人的に好みでない。
結局、キーボードが気に入らないと言う理由で打つ気が失せたと、サイトを放置する体のいい言い訳にしたりもするのだ。
きちんとキーボードを展示している店を探して出掛け、あれこれ触って悩んでひとつ選んで、使ううちに気に入らなくなってまた次、と言うようなことを繰り返して、今はワイヤレスのキーボードを使っている。
今使っているのは、ぬるぬるとしか表現しようのない打鍵感だがそれなりに気に入っている。表面の字の刻印が意外と長持ちしないらしいのが懸念だが、どの程度の付き合いになるか、じっくり見て行こうと思う。
思いつくと、何か新しいエディタはないかとネットをさまよう。実際にダウンロードしてインストールして、最初に数行打つことにさえ至らないソフトもあるが、探すという行為が私には充分な娯楽のようだ。
いつか大枚はたいて、最高にお気に入りのキーボードを手にするのが私の夢だ。
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週に1度、私はある場所で紅茶と菓子を買う。年齢も性別も人種も様々な人たちがずらりと並び、短く言葉を交わしながら自分の順番を待つその行列に、私もひっそりと加わる。手には持参のマグを抱えて、焼き立てのマフィンやカップケーキの匂いに、今日はどれを選ぼうかと考えながら、自分の番を待つ。
週に1度のこの日、菓子は必ず誰かの手製だ。だから私は、その菓子のために列へ並ぶ。甘いものは大好きでも、自分で作ることしなければ、そんなことが得意な誰かとも暮らしていない私は、誰かの作った菓子が珍しくて、手に取ればたいていまだほのかにあたたかい菓子を、どれにするかと選ぶのを楽しみにしている。
コーヒーや紅茶を売ることが目的ではなく、この場に人たちを集め、彼ら彼女らが関わり合うのを目的としてる場だったから、飲み物も菓子の類いも恐ろしく安く、紙コップをもらえば菓子込みで百円足らず、カップを持参すればさらに半額と言う値段だ。
挙句、10回分に無料の1回分がついた前払いのカードもあって、私はそのカードを財布に入れていて、この日だけはいそいそとカードにすでに使って開けられた穴を眺めながら、ひとり微笑むのを止められない。
世話役の女性たちは、彼女らの息子か孫のような青年たちを適当にこき使って、やたらと大きくて重い、熱湯の入ったポットやコーヒーメーカーをどんどん運ばせる。
コーヒーメーカーと言っても、小奇麗なキッチンにちょこんと置かれているような品ではなく、高さは50cmほど、直径は30cmもありそうな、まさに鎮座ましましてと言うのに相応しい代物だ。
新品のころはぴかぴかのつやつやだったろう本体の銀色すっかりくすんで、しかしそのせいで風格の増したその姿に、私はふと、付喪神と言う言葉を思い出す。
こんなコーヒーメーカーを、私は以前も見たことがあった。
同じように、年齢も性別も様々な人たちが、ただ同じものを好きだと集まる場所でだった。
そこでコーヒーを用意するのは私の父親だった。別に誰かに頼まれたと言うわけでもなく、いつとはなしに父はそれをひとりで勝手に始め、恐らくそれは、コーヒー中毒の彼が自分が飲みたいからと、それがそもそもの動機ではなかったかと私は考える。
コーヒーが置かれるようになって、それに手を出す人たちが増えると、父は今度はそこに菓子も添えるようになった。個別に包装された小さな焼き菓子を、父は自分の行きつけの店で買い求めて、無造作に、けれど奇妙に思いやりのこもった手つきでそこへ置く。
それもきっと、コーヒーを飲む時には甘い菓子が欲しくなる、彼自身のためだったのだろう。
父はあまり他人に対する思いやりと言うものをわかりやすく表現する性質(たち)ではなかったから、まめまめしくどこか楽しげにすら、顔も名前も知らない他人たちのために、頼まれたわけでもなくありがとうといちいち感謝されるわけでもなく、そんなことをする父の背中を、私は何となく微笑ましく、同時に奇妙に落ち着かない気分も一緒に抱きながら眺めていた。
自分が飲みたいから、自分が食べたいから、そういう言い方は、恐らく父の照れ隠しだ。それが彼の第一の動機だったと、私自身否定はしない。だがきっと、それと同じくらい、父にとっては、あの場にいた人たちへコーヒーと甘い菓子を振る舞うと言う優しさの表現が、大事なことだったのだろうと今は思う。
彼は他人からの優しさや思いやりに、照れずに感謝を示す(とは言え、それは家族以外、と言うことになるのだが)人だったが、他人から感謝されないと言って失望するようなことはしなかった。
自分が与えられるなら与え、人が与えてくれるならそれに感謝する(彼の場合、受け取るかどうかは別問題だが)、そんな彼の態度は、その頃の彼の歳に近づきつつある今の私には不思議に年齢よりも幼いもののように思える。
一部の大人の男たちが、案外とその手のことには無頓着だと知ったのは比較的最近だが、人種性別年齢関わらず、微笑んで挨拶することとありがとうと言うことは、かなり容易に人の心をあたたかくするし、とげとげしい気分をやわらげもすると私が学んだのも、実はごく最近のことだ。
やっと自分の番が来ると、私は色だけは濃く出るティーバッグを取り上げて持参のマグへ放り込み、そこへなみなみと湯を注ぐ。湯の温度が少し足りないので、飲み始めるまでの時間を少し長くする。ミルクを注ぐのは飲み始める直前だ。
それから例のカードを、そこにいる女性の誰かに手渡し、ひとつ穴を開けられてから戻してもらうと、時々指先が触れ合ったり、あるいはこちらの顔を既に覚えていて、顔いっぱいに微笑んでくれたりすることもある。それから菓子を選んでひとつ取り上げ、ありがとう、ではまた、と言葉を交わして、私の社会へ戻るための小さなリハビリのひとつが終わる。
こんな風に微笑むことも、人へ言葉を返すこともできなかった私は、ひとりで外どころか部屋から一歩も出ることができず、誰かが焼いてくれたマフィンやケーキの味をすっかり忘れてしまっていた。
自分に向かって誰かが他意なく微笑みかけてくれることなど、想像することすらできないほど私の心の中は荒み切っていて、だから初めて紅茶と菓子のためにここへ立ち寄った時、私は自分に向かって掛けられた言葉をすべて無視し、誰かと目を合わせることさえできなかった。
女性たちのひとりは、その頃の私のことを覚えていて、時々笑い話にしている。
少々不愛想とは言え、ごくごく普通に振る舞っていたつもりだった──ひどい誤解だ──私は、彼女の言葉に最初は驚き、それから苦笑した。羞恥や怒りはまったく湧かず、ああ自分は笑えるようになったのだと、笑う彼女につられて微笑みながら、取り上げたばかりの菓子にかぶりつく。
幸せや優しさや思いやりは、別に大仰でなくてもいい。ささやかで小さな、ごくごく些細なもので構わない。
おはようと言ったら、おはようと返してもらえる。ありがとうと言ったら、どういたしましてと返してもらえる。微笑みかけたら微笑み返してもらえる。そうやって少しずつ、私の1日は明るくなってゆく。
時折、他人の優しさの、ありもしない裏を読み取ってひどい被害妄想に陥る瞬間もあるが、今の私は概ね健やかだ。
他人と真っ当に関わる能力に欠けた私は、その無能さ以前に世界と人を思いやる気持ちに欠け、それを何とか補うために、私は目の前に紅茶と菓子を置いて、精一杯微笑むしかない。
紅茶のあたたかさと菓子の味に感謝し、それを伝え、それを与えてくれる彼女らの底のない優しさに救われているのだと、私は自分の必死の笑みにこめ続ける。
私は血の冷たい人間だが、紅茶と菓子のあたたかさが、それをそっとぬくめてくれる。そのぬくもりのために、週の初めにはもう、紅茶と菓子の甘さを恋しがって日を数えている。
いつかその優しさや思いやりやあたたかさを、誰かに返せるようになればいい。そうすれば私のリハビリは終わるのだ。
菓子を並べる父の、丸まった背中へ送った苦笑を、今の私は自分に向かって送っている。いつか私自身が、そんな風に背中を丸めて、誰かのために何かをするようになれればいい。
その日がいつか来ると信じてはいないが、それでも私は、できるだけ微笑みを浮かべて、ありがとうと言い続けるだろう。それが私にできる唯一だ。
優しさは大きすぎると言うこともないが、小さすぎると言うこともないのだ。
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春の風 * 4/18
今日、芝生の上に、いぬふぐりの花が小さく咲いているのを見た。
バスを降りた帰り道では、場違いに咲くすみれのような、小さな濃い紫の花を見つけた。野生の雑草にしては可憐過ぎる茎と花弁は、誰かがうっかり種を落としたものだろうか。
家に近づくと、小指の爪の半分もなさそうな、淡々しい白い花を見つけ、今日の風の強さが少し気の毒なその姿に、目を細めながら歩き過ぎる。
2軒手前の家の猫が、私の姿に気づくとぴんとふさふさの尻尾を立て、とことこと近づいて来る。
春がやって来たのだ。
この前の、雪もない冬にすっかり甘やかされ、この冬はブーツの調達と雪道にひと苦労だった。歩いても歩いてもバス停に近づけず、往復だけでぐったりする日々が、どうやらほんとうに終わるようだ。
この街は、世界地図を誰かが気まぐれに針の先ででもつついたように、半径十数キロの、北国にしては異様なほど気候の穏やかな地域にある。
車で数分行けば暴風雨なのに、そこできっぱりと見えない柵で仕切られてでもいるかのように、こちらはちょっと風が吹いているだけだったり、少し北へ上がると、もう家から出れないほど雪が積もっていると聞いても、ここはなすったように白く粉雪が舞っているだけだったり、だからこそ、そこそこ人が集まり、それなりに大きな街にもなったのだろう。
特にここ数年は、南にあるはずの別の街々の方が荒れた天気に襲われていて、ニュースを見るたびに少しばかり気が引ける。
わざわざ選んでこの街に住み着いたわけではないが、この辺りだけがこんな風なのだと、この街で生まれ育った人々に言われて、ああそうなのかと、自分の幸運さをありがたく思う。
数日風の強いのに閉口していたが、どうやら春風のようだ。
リスたちが歩道を我が物顔で走り回り、木々の枝の先にはまだ芽吹くものは見えないが、そこもじきに緑であふれるだろう。
春が始まる時はいつも突然だ。昨日は冬の終わりだと思っていたら、今日にはもう春の半ばのように、そんな風にして、この街の春は唐突に始まる。
灰色と枯れた茶色に染まっていた街が、色とりどりになる。花たちは、何もかもを吹き飛ばすように茎を伸ばし、花弁を広げ、色をあふれさせて、やっと肩と背を伸ばして歩けるようになった人間たちを圧倒するのだ。
芝生に生える草花を、すべてまとめて雑草と呼ぶ味気ない人々は、その花々を大切には思わないようだが、雑草と呼びながらそれらを花と数える場所から来た私は、芝生刈り機のエンジンの音があちこちから響き始めると、首を刈られたたんぽぽたちのために、口を閉じてただ心を痛める。
春は、明るく楽しいだけではない。
外へ出始めた動物たちがあちこちで車に轢かれ、即死ならよかったのだがと、血の乾いた毛皮の残る姿を目の端にとらえて、車のない生活が始まってからほとんど高速へ出ることのなくなった我が身を、私はずるくありがたく思う。
自然は決して敵ではない私にとっては、春はただ歓びの季節のはずだが、巡って来た様々な命の在り様が、まざまざと見える季節でもある。
私たちだけが我が物顔に歩き回るだけではあるまいにと思うが、道路を横切るアライグマを避けて歩道を歩く親子を弾き飛ばしてもいいのかと、そう反論されれば黙るしかない。
春に見え始める命には、区別はないはずだが、その重さには確かに違いはある。私が自分の命を比較的軽いと感じると同じ程度に、人々は自分たち以外の生き物の命を、自分たちのものよりも軽いと思うようだ。
体の重さで命の重さを量るのはどうだと、愚かしく真剣に考えたこともあったが、それではますます道の端の草花や体の小さな生き物たち(道路で轢死する羽目になるのはほとんど彼らだ)が軽視されるだけになる。
鳥を捕まえた蛇が、自分の腕をやるから鳥を放してやれと言った僧に、「鳥の命はお前の腕の重さ程度なのか」と反論したという話は、一体いつどこで聞いたものか。
蛇の腹を満たす肉の量と思えば、僧の腕で足りるのかもしれないが、命まるごとひとつと思えば、一体何がどれほどならそれと等しいのだろう。
使える臓器を全部寄付して、残りは廃棄と言う形にでもしてはくれないかと、自分のことを考える。麻酔なしで解体されるのはごめんだが、解体後に生存が無理なら、そのまま放置して廃棄してもらえればあちらもこちらも助かるのにと、真剣に考えるのは世界に私ひとりと言うわけでもあるまい。
命を少しずつ、他の誰かに分けるという技術は、一体いつ生まれるのだろう。削った命が元に戻らないのだとしても、付け足したそれで誰かが少し先へ生きられるのなら、それはそれでいいのではないかと、私は無責任に能天気に考える。
即死にはしない臓器を分け与えると言うことが、恐らくそれにいちばん近い行為だろうが、それができるからと言って私はその考えに飛びつきはしないだろう。実際に少しずつ体を削ると言うことには、単純に恐怖がある。
そうして私は、自分の命を誰かに分け与えたいと思う自分の気持ちが、結局はその程度の、頭の中でもてあそんで悦に入る程度の、単なる自己満足の放言に過ぎないのだと思い知る。
春になればあふれるようにあちこちで生まれて来る猫の子たちを、すべて引き取って世話をしたいと思うのは自由だ。親がなければすぐに死んでしまう子猫たちを、可哀想と思ったところで、すべてを救うのが不可能だと私は知っている。すべてどころか、1匹すら引き取れる状態ではない。
私の命は、子猫1匹と同等だろうか。あるいは、体の重さで、私の命で数十匹の子猫たちが救えるだろうか。救って、そして、どうなるのだろう。
私が死んでも何も変わらないが、私が死ぬことで、変わる何かが未来にはあるのだろうか。あるいは、私が生きて春を迎え続けることで、何か良いことでも起こるのだろうか。
起こるはずだと信じたい私の気持ちは、できれば速やかに廃棄されたいと言う気持ちと矛盾している。
短い春の後には、もっと短い夏がやって来る。突然に秋が始まって同じほど唐突に終わって、他の季節よりも長い冬がまたやって来る。
何が起ころうと、季節はこうして巡り、1年が過ぎてゆく。私は思ったよりも長く生きていて、また次の春を同じように迎えるのだろうと思い込んでいる。
いつかの春に、できたら桜を見たい。今年の、あれはどこのものか、積もった雪の白さに、濃い桃色の神々しいほど映えた満開の桜の、そんなこの世の果てのような場所で、いつか桜を仰ぎ見たい。
どこかで買ったカプチーノの紙コップを手に、ひとりきりか、あるいは誰かと一緒か、桜を眺めて、春の空気を吸いたい。
この街にも、今年も春がやって来る。
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外へ出たら思ったよりも寒かった。風が冷たい。シャツ1枚にするか上着を着るか、出る前に迷って結局上着は着て出て正解だった。
室温と天気の良さにだまされ掛けた土曜の午後、思ったよりも早く切り上がった用のせいでぽっかりと時間が空き、今日は家を出ないつもりだったのに、ふと思いついてばたばたと家を出てしまった。
財布と本、それだけはきちんと持って、私はバス停に向かって歩く。風の冷たさにちょっと肩を縮め、続いていた春の陽気がまた突然どこかへ去ったことを、道路を走り回る小さな生き物たちも恨めしく思っていることだろう。
それでもすでに溢れている緑はそのまま、今はたんぽぽが満開だ。混じって咲く、白や紫や青やピンクの小さな花たち。たんぽぽの黄色には圧倒されていても、私の目には充分に鮮やかだ。
バス停を降りると、目の前はスターバックスだ。車を持たない私には関係ないが、24時間営業と、誇らしく外に書いてある。歩ける距離なら、深夜早朝関わらず顔を出しているかもしれない。
もう家を出た時から、今日はフラペチーノを頼むのだと決めていた。そして風の冷たさに、ちょっと早まった決断だったかと思ったが、スターバックスのために週末の午後、わざわざ出掛けて来ることなど滅多とないのだし、寒いとは言っても零下と言うわけではないからと、私は自分の胸の内に言い聞かせて店の中へ入る。
冷たい飲み物と言えば、麦茶か冷やしたジャズミンティー(もちろん自分で作って冷蔵庫へ入れておく)と決まっている私にとって、外でこんな飲み物を買うのは珍しいことで、ずっと飲んでみたいと思っていた抹茶フラペチーノを、さてきちんとすらすらと注文できるかとちょっと不安になりながら、スターバックスカードをもう片手に持って、レジの前へ立つ。
サイズはと訊かれ、どんな大きさかと尋ね返すと、ミディアムと言いながらカップを見せてくれた。
「ミディアムって、Tall?」
「ううん、Grande。」
「え、じゃあVentiはラージ?」
「そう。」
せっかくスターバックスのサイズに慣れたのだから、ややこしいことは言わないでくれないかと、心の中でだけ考えてから、Ventiと言い掛けたのを私はGrandeと言い直す。
ぶつくさ考えながらも、これが今日初めて生身の人間と交わした会話だったから、私はきちんと外に出て人と関わっていることに内心では満足して、自分の注文を待った。
皆熱いコーヒーやカプチーノを頼んでいる。そうだ、今日は外は寒いのだ。
まあいい、凍死するほどではないし、凍傷の心配はもうしばらく必要ないのだから、半ば凍った飲み物を直に手に持って外へ出ても大丈夫だ。ほとんど剥き出しの液体が、凍って困ることもしばらくない。
肌寒くても、明るい外は確かにもう春だった。
私は7分で店を後にした。
目の前の道路を横切るために、横断歩道へ向かって歩き出す。向かい側にあるバス停から、自分の家へとんぼ帰りだ。
風が相変わらず冷たい。
抹茶フラペチーノの上にたっぷりと乗ったホイップクリームは溶ける様子など一向になく、固いままのそれを、私はストローで時々つつきながら、その冷たいミルク入り抹茶を飲んだ。
手が冷たい。指先が凍えて来る。紙のスリーブをもらってくれば良かったと思ったが、もういつバスが来てもおかしくはない時間だった。店に今から戻るのは少々手遅れだ。
冷たいカップを持つ手を何度も変えて、私は冷えた掌に息を吹き掛けながら、冷たい抹茶フラペチーノを飲む。
何だか、とてもおかしな感じだ。
こたつのある、暖房の充分に効いた部屋で食べるアイスクリームなら、まだ様にもなるような気がした。
ストローをフラペチーノから抜き取り、ぺったりとついたホイップクリームを舐め取る。スターバックスのホイップクリームは、甘くなくて固い。私はそれが気に入っている。
カフェラテやカプチーノなら自分ででも淹れるが、このホイップクリームまで自分で準備するのはちょっと面倒だ。缶入りでごまかして、すぐにふわっと溶けてしまう、出来合いのホイップクリームの、やわやわとした頼りない軽さがコーヒーの中へ溶け切ってしまわないうちに、コーヒーの苦味とクリームの甘さを一緒に味わうのが、私は大好きだ。気をつけないとやけどをするのだけが困りものだが。
飲み物を片手に外を歩くことなど滅多としないから、私は滅多とないことばかりの土曜の午後、バスを待ちながら何となくいい気分だった。
スターバックスへ行く時は、読書か書き物の準備をして行く。30分から1時間程度滞在するのが普通だったから、今日のように、買ったばかりの飲み物を片手に店を出るなど尋常ではなく、寒い日に、冷たい飲み物片手に震えているのがどれだけ様にならない姿かには知らん振りをして、スターバックスのフラペチーノ(種類は結局何でもいい)を飲みながらバスを待っている、と言う自分の、滅多とない振る舞いに、何だかちょっといい気分だった。
最寄りのバス停へ着くと、もう透明なカップの底にはホイップクリームしか残っておらず、そして私は相変わらず寒さに肩を縮めている。
それでも家までの真っ直ぐの道を歩きながら、花や鳥や猫や犬たちに手を振って、私はうきうきと残ったホイップクリームをストローで吸い上げる。
空になったカップの底を、カップを頭の高さへ持ち上げて眺めて、リサイクルに出せるマークが記されていることを確かめると、来週の金曜の朝に、リサイクルの青いプラスチックの箱の中に、ころんと転がるスターバックスのカップがあるだろう眺めを想像して、私はひとりでくすくす笑う。
何が楽しいのかさっぱり分からないまま、愉快な気分のまま、土曜の午後の散歩が終わる。
家に着いたらこのカップを洗って、リサイクルに出す準備をしなければならない。
それが終わったら、熱いチャイを淹れよう。凍えた手を熱くなったマグで温めて、土曜の夜の始まりに、冷たかった抹茶フラペチーノの味を、私は思う存分反芻するのだ。
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書き物をするのに、外に出るのが好きだ。コーヒーショップや小さなカフェ、カフェが閉まった後はバー(騒がしくて下世話なカクテルバーでも想像してもらえれば大体雰囲気は合っている)へ移動して、酒は頼まずに、何かつまめるものとコーヒーか紅茶を頼んで、店の隅の席でノートや本や辞書を広げる。大学の頃の論文書きはいつもそんな風だった。
家にいる時なら、まずは何か飲み物を淹れて、深刻でもなければ締め切りもない、ただの趣味の書き物なら紅茶を1杯、そうではなくて、頭をかきむしりながら書かなければならない類いなら、大きなポットにたっぷりと紅茶を作る。
次は音だ。好きなバンドのCDを繰り返し流すか、あるいは何枚か選んでおいて、CDの入れ替えを気分転換のタイミングにするか、そうでなければもう潔く、繰り返すのは1曲だけにして、1日中書き物が続く限り同じ曲を延々と流し続ける。
PCを普段使いにするようになるまで、当然ながら書き物は手書きだった。紙とペンはこれでなければならないと、何か儀式のように、特に大学の論文書きの時は決まった道具しか使わず、清書の時に読み解くのに苦労する乱れた字をちまちまと走らせる。
PCで清書すると、どんなに下らない論説もそれなりに筋の通った、何か高尚な文章に見えるのがありがたく、紙の上の自分の字はとても読めた代物ではなかったが、PCで清書が済めばそれはともかくもりっぱな"論文"とやらになり、教授のところへ提出してしまえば、私は自分の書いたことをきれいさっぱり忘れてしまう。
あまりに静かだと、私はかえって集中できない性質(たち)で、適度な人込みのざわめきの中にいて、逆にその中で自分を孤独へ追い込むのが好きらしい。
学生の頃、お気に入りの喫茶店があった。夫婦でやっていたその店は、いつも流行りからは少しだけずれたタイプのポップスが流れていて、紅茶の種類が多く、食事も美味しかったから、私はそこへ行けば1時間は居坐ってあれこれと下らない書き物をしていた。
手紙もあれば、小説もあった。批評文のような、そんなものも書いていた。薄く色のついたルーズリーフにB4のシャーペンを滑らせて、右手の小指の下が真っ黒になるのに気づきもせず、私は週末の午後を、一心不乱に紙と文字に向き合って過ごす。ただひたすらに、愉しいだけの時間だった。
外で書き物をするのに、面白いことに、人がいて椅子とテーブルがあるところならどこでもいいかと言うとそうでもなく、何箇所か試したのだが、今の私のいちばんのお気に入りはスターバックスだ。これもどこのスターバックスでも良いわけではなくて、大きなテーブルが、まるで食卓のように置いてあって、同じように書き物や調べ物の作業をする他の客と場所を分け合うような店が一番好みのようだ。
その次は図書館だ。ここは当然ながら、飲み物の持ち込みに気を使う(しっかり蓋の閉まる、倒れても中身のこぼれない携帯マグを持ち歩いている)のが少々欠点だが、当然ながら作業用の机は広々としているし、気分転換に手近にある本に手を伸ばすこともできる。
ただ、今時は普通にネットに繋がっているPCが置いてあって、ついそちらへ気持ちが行ってしまい、結局目当ての作業はしないまま家に帰る、と言うことも時々起こる。
フードコートは気に入らなかった。騒がし過ぎるし、そこにいる人たちと、私の書き物をする時の波長が合わないようだ。食べることではなく、作業をすることがまずは主目的の人たちが多い方が、私の気分もそれに添うらしい。
たかが趣味の雑文書きに、あれこれとうるさいことだ。私自身もそう思う。
食べることが主では気が散るはずなのに、そう言えばもうひとつのお気に入りにマクドナルドがある。
私はファーストフードにはまったく興味がないが、マクドナルドはそこそこエスプレッソ系のメニューに力を入れていて、私のアパートメントからはとにかくもバス1本で10分弱で行ける(もっとも、バス停まで同じくらい歩く)場所にそれぞれ1箇所ずつあり、書き物の雰囲気に添う方はなぜかコーヒーの味が今ひとつで、雰囲気が今ひとつの方はコーヒーの味が好みだ。どちらに行くか、気分次第だがいつも迷う。
雰囲気が好みの方は、仕切りの壁の傍にひとり掛けのテーブルがあり、部屋の隅に近いのでそこへ坐ると少し小さな空間へ閉じこもったような気分になれるのだ。家族向けの場所では、ひとり掛けのテーブルは大抵空いているのがありがたい。
もうひとつの、コーヒーの味が好みの方は、店の規模は半分以下なのにひとり掛けのテーブルがひとつもなく、ひとりで4人掛けを占領することになり、少し忙しい時間だと肩身が狭い。作業を進めてから退散しようと思うのに、気持ちが挫けて中途半端に席を立つことがたまにある。
こんな風に改めて考えると、私は書き物を理由に外に出て、自分の小さな居場所を見つけたいのかもしれない。残念ながら外に見つけるそんな場所は、どれひとつ恒久的なものではないが、何となくいつ行っても私を快く迎えてくれるような、そんな気がする場所なのかもしれない。
私は昔、そんな居場所を"私の場所"と称していたこともあったが、私はいまだ、同じことをしているのかもしれない。
自分の部屋でPCに向かい、何か書こうとエディタを立ち上げる。エディタはできるだけ軽い、起動の早いものだ。ただ文章を打つだけで、余計な装飾はいらない。
時々、思い出したように、何か新しいエディタでも出てはいないかと検索を掛ける。見つけてインストールして試してみても、結局は使わないまま終わるのが常だが、そうやって探す作業が楽しいのだろう。
外に出る時は、かのポメラを持ち出すが、そのうちタブレットや小さなノートPCの類いでも手に入れてみようかと、考えてはいる。恐らくキーボードの感触が気に食わずに考えるだけで終わることが目に見えているが、これもまた考えている時がいちばん楽しい。
今は、Brenda Boykinの"Love is in Town"を繰り返し流して、彼女のCDはどれを買うべきかと考えながらこれを打っている。
結局外には出なかった週末がそろそろ終わりに近づいて、月曜日がやって来る。来週また手を着けたいあれこれのことを思い浮かべて、それが予定だけに終わらないように心の中で祈る。
さあ、6月だ。
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彼は寝そべって本を読み、私は体育坐りの形で膝の上に本を乗せ、同じ部屋で一緒に読書の最中だ。
私は、自分のことを読書家と思ったことはなかったが、冗談でもそんなことを自称しなくて良かったと、読書家と言うよりは活字中毒のような彼の、床に長く伸びて微動だにしない背中をちらりと見て思う。
本の虫と言う、もう少し可愛げのある言い方もあるが、彼の、どこか人間離れした言動を考えると、それはあまり冗談にならないような気がして、私は彼を、対外的には本好きな人だとか読書家だとか、そんな言い方で表現している。
彼は、暇さえあれば本を読んでいる。
幸いに、トイレに持ち込んだり、食事の場で開いたり、そんな行儀の悪いことはしないから安心しているが、屋根と壁に囲われている場所では、ほとんど片時も本を手放さない。
私も元々本を読むのは好きだったから、ふたり同じ部屋にいて一緒に、まったく別々の本を読んでいると言う状態は、最初の頃は気になったものの、そういうものだと慣れてしまえば、好きなように本の読める楽しみの方が勝って、同じ空間にいるのだからそれでいいじゃないかと、今は気にもせずに考えている。
薄いナイロンのかばんを、くるくると小さくまとめてポケットに入れ、彼は時々ひとりで空手で出掛ける。行き先はふたつ先の町の本屋だ。何が特別なわけでもないその本屋へ、私と一緒にこの町に引っ越して来てからも忠犬のように通うのは、恐らく学生時代からの馴染みだからなのだろう。
私にもそんな本屋はあるが、店主と親しげな口を利くような間柄にはなれずなる気もなく、せいぜいがこっそりと、顔なじみになった店員の女性のひとりに、注文を間違えた本を何とか買わずに済むように頭を下げ続ける程度だ。
毎月買っている雑誌を、そろそろ定期購読を申し込もうかと、もう何度も考えた同じことを、ページをめくりながら私はまた考えていた。
彼の背中は相変わらずぴくりとも動かない。
私の方へは裸足の爪先を向けて、同じ部屋にいると言うのに、私のことなど忘れてしまったように、あるいは最初から存在しないのだとでも言うように、彼は読んでいる本の中へ入り込んで、もう呼吸で空気すら揺らさない。
私の友人たちの輪の中へ彼が入って来た時に、最初に言われたことが、
「あの人はすごく変わってるから。」
滅多と口を開かず、積極的に誰かと関わることもせず、ひとりの時──大抵彼はひとりでいた──は目の前をどこともなく凝視しているか本を読んでいるかのどちらかで、拒否のオーラではなかったが、近寄りがたい空気をまとっていたのは事実だった。
私は彼自身にはまったく興味は湧かず、ただどんな本を読んでいるのだろうとそれだけが気になって、後で聞いたところによると、彼の方も、見掛けると必ず本を携えていた私の、その本の中身のことが気になっていたそうだ。
ふた昔前なら、文学青年と呼ばれてそれで終わったのだろう、身綺麗にはしているが飾ると言うことをしない外見と、本には金を惜しまないがそれ以外のことにはまったく興味を示さない態度が、私の友人たちの輪の中では明らかに異質だった。
読書以外に取られるある種の時間を内心惜しみはしても、そのために友情を捨てられるほど高潔でもない私は、ごく一般的な本好きとして、適当に人付き合いを楽しみ、友人とのお茶の時間のために、読みたかった雑誌は今月はぱらりと立ち読みしてすませても平気な人間だった。
幸いに、彼は自分の在り方を他人に押し付けるタイプではなく──単純に、そんな話し合いをする時間が惜しいだけのように思える──、私がごくごく狭く浅く本を読む人間だと知った後もそれに幻滅した様子もなく、せっせとひとり本を読み続けている。
私は、元々の本好きの上に彼に感化され、以前よりも本を読む時間が増えていた。
彼は、本を読む彼の傍で、私が音楽を聴こうとテレビを見ようと一向に邪魔にも思わないらしいが、一心不乱に本を読む彼の背中を眺めていると、何となくその世界の端っこにでもいたいような気分になって、私も結局本を手に取ってしまう。
せめて同じことをしたい。彼はそれと特に求めてはいないが、私はこの不思議な人のいる世界へ少しでも関わっていたくて、夕べ寝る前に読んでいた本の続きのページを開くのだ。
彼は、本をとても丁寧に扱う。読む時には必ずしおりかそれ用のものを手元に引きつけておくし、汚れたままの手で本に触ることなど絶対しない。読み終わればすぐに本棚に戻し、枕元へ積み上げておくのは手に入れた直後の数日だけだ。彼の本は古びたものもあるが、どれもきちんとカバーは掛かったままだし、帯も中の広告も、すべて手に入れた時のままだ。
彼とこうして同じ空間を分け合うようになった最初の頃、今と同じように一緒に本を読んでいて、私は途中でひとり読書を中断したことがあった。
鳴った電話を取るために、慌てて読んでいた本を開いたまま伏せて置き、数分後に電話を終えて自分の位置へ戻って来ると、伏せたはずの本は、読み掛けのページにメモ用紙が挟まれて置かれていた。
私は思わず彼の背中を、半分くらいはにらみつけるように見やったが、彼はやはり今と同じように微動だにせず、自分の読書を続けていた。
その時以来、私は彼に倣って、本を伏せて置くようなことをぴたりとやめた。
私にとっては、それも彼の本の世界に少しでも関わっているためだったのだが、思いついてブックカバーを何枚か縫い、出来の少々怪しい分は自分用にして、残りを彼に渡した。
手持ちの本のサイズをきちんと調べ、大抵のなら覆えるように大きさを変えて何種類か作り、しおり用の紐もつけた。
無地の、地味な色合いの布で、とてもプレゼントと呼べるようなものではなかったが、一応は彼の好みを考えた私の思いやりに報いてくれたものか、彼は黙って微笑んでそれを受け取り、外に持ち出す本にはそのカバーを掛けて使うようになった。
噂以上に偏屈で、時々人間であることが信じられなくなることもあるが、それでも私がこうして彼と同じ部屋で一緒に本を読み続けているのは、彼が私を、本を扱うと同じほど丁寧に扱うからだ。
紙面に絶対折り目も傷もつけないやり方でそっとページをめくる彼の手指が、同じように私に触れる。
頭の中に、一体どれほどの言葉を詰め込んでいるのか、私には想像すらつかない彼は、それを口に出して使うのは得意ではないようだが、耳で聞ける言葉ではなく彼の指先の動きが、何より雄弁に彼の気持ちを物語る。
四隅のどこか折れたページなどひとつもない彼の本たちと同じように、私も彼に大事にされているのだ。
彼の背中が動き、ぱたんと静かに本を閉じた音がして、彼が大きな動作で体を起こして立ち上がった。
私の方を振り向きもせず、彼は黙ってそのまま部屋を出て台所の方へゆく。
読んでいるページから目を離さないまま、私には彼が何をするつもりか分かっていた。思った通り、薬缶に水を汲んでいる音が聞こえて来る。食器の触れ合う音がする。コーヒーを淹れる準備だ。
淹れ立てのコーヒーが私に差し出される時には、もうクリームも砂糖も、正しい量が入っている。彼は私の好みを正確に把握していて、彼のコーヒーを淹れる手つきもまた、本や私を扱うそれと同じに、ひたすらに物静かで丁寧で、そして優しい。
今床に置かれている、彼がさっきまで読んでいた本には、私が作ったあのカバーが掛かっている。表紙がすっぽりと覆われ、何の本を読んでいるのかは分からないが、それは分からなくても良いことなのだと、私はふと思う。
私たちはまだ互いのことを良く知らないし、知ろうと特に努力している気もしないのだが、彼の本棚に整然と並んだ本の、きちんと扱われている様を眺めて、これで充分ではないかと私は考えている。
湯の湧く音を聞きながら、私も台所へ、彼とそこで腕でも組むために行こうかと思いついて、足元へ置いてあるしおりを手に取り、読んでいる途中のページへしっかりと挟み込む。
本だけの置かれた部屋を一度振り返って、私は、本に触れていた手で彼に触れるために、台所へ向かって素足の爪先を滑らせた。
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家に着いてまずするのは、外で着ていたものを脱いで、部屋着に着替えることだ。どこも締めつけることのない、普段着よりもサイズの少し大きい、だらしのない格好になって、私はまずひと息つく。
合うはずのない肩の線を、それでもとりあえず馴染ませようと両手の指先でつまみ上げてから、そのくたりとした感触に、そう言えばこのシャツは元々私自身のものではなかったと、不意に思い出す。
襟ぐりだけはしっかりとした、どこもかしこも私には大きなこの丸首のシャツは、以前一緒に住んでいた男のものだった。
外へ出る時はともかくも、家で中でだけ着るものなら、多少サイズが合わなくても構わないと考えている私は、洗濯の後で混ざり合ってしまった、私と男の衣類を取り分けながら、
「ねえ、このシャツ、ちょっと借りてもいい?」
と、洗い立てのきれいなシャツに着替える振りで、部屋の向こう側にいた男の背中に向かって訊いてみた。
男は私の方へは振り向きもせず、食事をするテーブルに俯き込んで、新聞を読んでいる顔を落としたまま、ああ、と生返事を投げて来る。
男が振り向かないのを確かめてから、私はその場で着ていた自分の、横じまのシャツを脱いで、男の、男が素肌に直接着けるそのシャツを、するすると着けてしまった。
男の体温にぬくめられ、散々水を通して洗われてしまっているシャツは、生地こそしっかりしてはいたけれどすでにくたりを柔らかく、驚くほど素早く私の肌にも馴染んで来る。
それは、とっくに触れ慣れている男の肌の感触とはまた違い、私の体を新たに覆う、もう1枚の皮膚のように、洗剤の匂いとまだ残る男の匂いと、洗濯槽で絡み合う間に移ってしまった私自身の匂いも一緒にごちゃごちゃと、軽く私の体にまとわりついた。
どれだけぞんざいに扱われても、そこだけは新品のようにしっかりとした丸い襟に、私は鼻先を埋めて、漂白剤の匂いもすべて一緒に、胸の奥に深く吸い込んだ。
ちょっと借りるだけのつもりが、男のそのシャツは、そのまま私の部屋着のコレクションの中にとどまり、男は自分のシャツが1枚足りないことになどまったく気づかないように、私がそのシャツを洗っては着続けているのを、面白そうに眺めはしても、咎めることは一度もしなかった。
男の体温になめされ、洗濯の水に叩かれて繊維はほぐされ、それでも陽射しに干されて乾けば真っ白に元通りになる、そのくたりとしたシャツの、体にまつわる具合を私はとても気に入り、なぜ自分の着るシャツは同じ具合にならないのかと洗濯の後で必ず訝しんだ。
シャツがそうなるためには、きっと男の体温が必要だったのだろう。
男の皮膚、男の体の熱さ、そこから流れ出て来る汗、そんなものがシャツの生地をゆっくりと変えてゆく。
男のための、新品のシャツではだめなのだ。男が着て、何度も洗われ、陽にさらされて、眩しいような白さを少しばかり失った頃合いでなければだめなのだ。
男の体に馴染んだそのシャツを、私が奪う。借りると言って、同じ部屋に住んでいるのだから、別に返さなくてもいい。返して欲しければ、男はただ私の部屋着の引き出しを開けて、そこから奪い返せばよかった。ただそれだけだった(もっとも、男は私の衣類がどんな風に分類されしまわれているか、知らなかったかもしれない)。
男はそうしなかった。私は、男にシャツを返さないでいた。
私は今ひとりきりで暮らしている。男はどこか別のところにいる。
思い出と思って、このシャツを引越しの荷造りの中に詰め込んでしまったわけではない。何も考えず、ただ他の、私の服たちと一緒に、まとめて箱の中に入れてしまっただけだ。何も考えず、私はただ作業の手を動かしていただけだった。
新しい部屋で、荷を解き箱を開けて中身を取り出して、以前と同じように分けてしまう時にも、私はそのシャツを手に取った記憶があるのに、
「返さずに持って来ちゃった・・・。」
と思った覚えがない。それほど男のシャツは、もう私のものになってしまっていた。
他人の服を借りること、借りたがること、それは確かに私にとって相手に対する親しみ表現であることは間違いない。
すでにその親しみの感情を失っているはずの男の、このシャツを、けれど私は手離すことができず、だからと言って、それが男へ対する未練かと考えれば、いやそれは違うと、私は即座に首を振るのだ。
私は単に、このシャツを気に入っているだけだ。
男が何度も着て、私が何度も洗って干し、その間にさり気なく私の所有物になってしまったこのシャツを、私はとても気に入っている、ただそれだけのことだった。
男が着てくれなければ、このシャツはこんな風に、私の気に入るように柔らかくはならなかったし、男に奪い返されれば、今私の手にあるはずもない。
買ったばかりの頃に比べれば、もちろん少しばかり柔らかくなっている襟口に鼻先を埋めて、私はもうそこに洗剤と自分の匂いだけを確かめる。男の匂いはない。
男のものだったシャツは、今は私のものになり、そして私は、このシャツがいずれ着古されて、もう捨てるしかなくなる時のことを考える。
男物の下着売り場で、私は自分のサイズを探すだろうか、それとも男のサイズを思い出しながら、それを手に取るのだろうか。
いや、と私はひとり首を振る。新品では意味がない。男が着て、あの皮膚と体温にぬくめられたシャツでなければ私の気に入るはずがない。
それなら、誰か他の、男でも女でもいい、誰かが着たシャツを貸してもらえるなら、譲ってもらえるなら、私は喜んで手を差し出すだろうか。
いや、と私はまた首を振る。
誰のシャツでもいいわけではないのだ。男のシャツだったから、私はあの時このシャツに腕を通し、そして男から奪ったまま、私は今もこのシャツを着ている。
それなら、と私はさらに考える。
次のシャツが必要な時には、男に頼もうか。すでに着てしまっているシャツを、1枚くれないかと、そう頼みに行こうか。
そうしてまた私は、ひとり首を振る。
違う、そうではない。男が着たシャツなら何でもいいわけではない。
あの時の、あの瞬間の男が着ていたシャツだったから、私はこのシャツを欲しいと思ったのだ。私が着たいと思ったシャツは、あの時の男が着ていたシャツだけだ。
あの時の、私が恋していた男が着ていたシャツ。今の男は、あの時の男ではない。だから、私が欲しいのは、今の男が着ているシャツではない。
私はまだ、あの時の男に恋をしている。その男は永遠に喪われ、もう私の恋は叶うことはないが、その形見のように私はこのシャツを大事に着続けるだろう。
あの男はもういない。あの私ももういない。このシャツだけが、あの時の私たちを記憶している。
男から盗んだままになったシャツにまた鼻先を埋め、そうして今度は、私はシャツの生地を噛んだ。傷めないように加減しながら、それでも力を込めて、まるで涙を耐えるために歯を食い縛るように、私は男のシャツに顔を半分埋めている。
私の体温にぬくまったシャツが、肌にぬるくまといつく。
混じる男の体温はなく、私のぬくもりは、今は私ひとりのものだった。
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この間まで、日陰を伝って歩いていたのに、もう日向を求めて歩く向きを変える季節だ。一昨日は、バスを待つ間に読む本のページを繰る指先が、凍えてかじかんでしまった。
あっと言う間に黄色く染まってしまった木の葉は地面に落ち、街路樹は半分くらい裸になっている。天気予報が、地面が凍るから気をつけろと喚いている。
じきに雪が降るだろう。積もるかどうかは分からない。だが雪が降って、本格的に冬がやって来たことを知って、短くなった日を心の底から惜しむ。鬱々と暗い空ばかり眺めて、春を恋う冬の時間がやって来た。
私が今住むアパートメントは、日の差す方向へ窓が大きく取ってあって、板張りの床に、冬の間は1日中長々と日が差す。そこはとてもあたたかい。
夏はこの日差しが朝の間だけわずかに入る角度で意外に涼しく、深く考えて選んだ部屋ではなかったが、1年過ごした後で太陽の動きに気づいて、私はひとり会心の笑みをもらしたものだ。
太陽の光を何より有り難がる育ちの私には 陽射しで家具が傷むとかそんな考えは一片もなく、あるとすれば、本棚の本の背表紙が色褪せるのが気になるかと、その程度のことだ。
実のところ、本の日焼けは少しばかり気にはしているが、取り立てて貴重な本ではなく、読むことにさえ支障がなければいいかと、本棚が窓際からは遠いと言う以外には何の対策も講じてはいない。
とは言え、本が傷む点には、万が一同じ本を手に入れようとすると恐らく大変だと分かっているから、いつも心の端っこに引っ掛かっている。
近頃は、出版から数年で絶版になったり、本屋で手に入らなかったり、そんなことが多いから、本も欲しいと思った時に手に入れないと、後で痛い目に遭うことが多い。
本を乱暴に扱う癖はないから(日焼けだけは仕方ないと放置だが)、普通に扱っていれば読めないほど傷めることはないはずだが、これも近頃は装丁が甘いと言うのかやや雑と言うのか、新しい本に限ってやたらとページが取れてしまったり、背表紙が簡単に折れてしまったり、そんなことが目立つ。
だからと言うわけではないが、近頃は読んでいる本には必ずカバーを掛け、カバーの折り部分を栞にして、絶対に伏せて置いたり、本自体を開き過ぎたりしないように、以前より一層気をつけている。
そんな本を手に、寒がりながら外へ出る。バス停まで、もう白い息を吐きながら歩いて、立ち止まってまだバスの影も形もないことを確かめてから、カバンの中から携えて来た本を取り出す。読み掛けのページを開き、かじかむ指先に白い息を吹き掛けながら、小さな文字を読み進む。
もうじき手袋が必要になるだろう。指の自由がそれなりに利く一重(ひとえ)ではじき足りなくなり、分厚い、握る以外のことはできなくなるしっかりとした手袋のその下に、もう1枚、ごく薄い普通の手袋を着けることになる。
そんな風になると、もうそのまま本のページを繰ることは不可能になり、ページを繰る方の手は、そのたび手袋を取るか、あるいは取ったまま、凍傷にならないことを祈りながら上着のポケットに突っ込んでおくか、どちらかになる。
冬は、外で本を読むにもひと苦労だ。
雪でも降り出せば、もう本を開いておくことはできず、渋々手持ち無沙汰に足踏みしながらバスを待つ。
それでも頭の中は、読み掛けの文字の続きを追っていて、あるいは、以前読んだ本の中身を反芻している。
本がなければ外に出るのに物足りず、カバンがその分軽いと不安になる。
外で読めないのだから必要ないと分かっていても、持ち出さずにはいられない。
二重三重の、もこもこの手袋の指先で、バスの定期すら上手く扱えないのに、何とか本のページをそのまま繰れないかと、私はいつも無駄なことを考えている。
冬の日に、部屋の中の陽だまりで、淹れたばかりの紅茶のカップを傍らに、新たに本棚から取り出した本の、最初のページを開く時の、何とも言えないふわふわとした幸せな気持ち。
それがもう、すでに何十回と読んだ本だろうと、私はいつも同じ幸せな気分を味わう。
白い息を吐きながら、ページを繰るのに苦労する必要もなく、私はあたたかな部屋の中で易々と本の世界に入り込み、素手の掌の上に載せた本の重みにほとんどうっとりとなりながら、舌を焼くほど熱い紅茶の存在をすっかり忘れてしまう。
夏には汗で指先がべとつくこともあるが、冬にはその心配はなく、そして今は部屋から出てゆく必要もなく、素手のまま本の読めることを、窓の外を眺めてありがたく思う。
雪の降り出す前に、存分に本を読んでおこう。
夏にはそればかり求めていた木陰を避けて、陽だまりを見つけて、息の白さが視界に幕を張ったりしない位置に本を開いて、数分後にはやって来るはずのバスの姿が、あそこの横断歩道の向こう側にやって来るまで、私は本の世界に没頭する。
今朝、そうしてバスを待っていた私に運転手が気づかず、素通りして走り去ったが、私もうっかり気づかずそのまま本を読み続けていたのは内緒だ。
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まだ私が、今よりもう少し若かった頃、私は小さな街の小さな会社で運転手として働いていた。
運転手は他にもたくさんいて、私たちは仕事の終わりには客から受け取った金を会社に渡し、そこから歩合として一部を受け取って帰ると言う形で働いていた。
その金のやり取りのすべてをそこでやっていたのが、彼女だった。
家族経営のその会社で、彼女は一体どういう関わりだったのか、ひとり異人種の肩身をやや狭そうに、そして言葉もたまにおぼつかなく、金のことだけは心配いらなかったが、時々こちらとあちらで計算が合わないとお互い理解し合うのに時間が掛かることもあった。
彼女を異人種と言う私も、その頃はまだ移民待ちの外国人で、言葉の慣れは彼女よりはましだったが、私に付き合う客の方の苛立ちは時々はっきりとこちらに伝わった。
1円の間違いも受け入れない彼女は、それでも自分の方が間違っているとなればあっさりと引いて謝るので、彼女が正しい限りに於いて融通の利かない頑固さには時々閉口もしたが、概ね運転手の面々には好かれていたように思う。
彼女の詳しい身の上などまったく知らず、特に誰とも親しくはしなかった私の耳に入って来る彼女の噂話などなく、運転手の幾人かが、彼女の外見をからかって冗談にする場面には何度か行き合わせたが、彼女はその冗談を理解できないものか、或いは端から相手にもしていなかったものか、普段と変わらない笑顔を向けるだけで、怒った顔など見掛けることはなかった。
彼女は仕事の始まりには必ずおはようと言い、仕事の終わりにはさよならありがとうまた明日と、誰にでも言った。仕事の終わりにありがとうなどと言われることに誰も慣れてはいず──私だけではなく、誰も──、最初は誰もその言い方に面食らうのだが、慣れればそれが彼女風の、表現のややつたない彼女なりの、世界に対する感謝の意味なのだと悟って、
「ありがとうって、何が?」
とちょっと意地悪く訊き返す誰もが、3度やっても彼女のありがとうが消えないと分かると、素直に、また明日と返すようになる。
あらゆるものに意思があり、人はそれに対して常に感謝をすべきだと言うのが、彼女の生まれ育ったところではごく当たり前のことなのだと、私はそこで働き始めて随分経ってから彼女から直接聞いたのだが、
「へえ、じゃあそこにある石でも?」
わざと転がっていた石を蹴飛ばしながら訊くと、彼女はその時両手に抱え込んでいたコーヒーのマグから顔を上げて、
「ええそう。」
と真顔で答えたものだ。
私はちょっとの間自分の行いを恥じて、赤くなった顔を慌てて隠した。
私たちは特にこれと言った個人的な話をすることはないまま、それでも何となく互いに好意を抱き合っていたように、私は今も思う。
一生懸命働くのは自分のためだったし、金を稼いで運ぶのは会社のためだったが、その金を直接やり取りする彼女に私の働きぶりを見せることを、私はいつの間にか汗水垂らして働くことの励みにするようになっていた。
仕事始めに、特に必要はなくても会社に寄り、彼女に挨拶だけするようになると、
「あなたの顔を見ると元気が出るの。」
恐らく誰であっても、彼女は同じことを言ったろう。そうと思っても、私は毎朝会社に顔を出し、彼女──もちろん、事務所にいる他の人たちにも──に挨拶をして、彼女が私に微笑み返してくれるのを確かめてから仕事を始める。彼女は笑っておはようと言い、仕事へ出掛ける私に、行ってらっしゃいと笑顔を向ける。手を振る彼女に手を振り返して、私は事務所を出るのだ。
仕事の終わりにまた彼女のところへ戻って、金の受け渡しをする時に、彼女はそれもまた習慣かどうか、丁寧な手つきで金を全部見えるようにこちらに渡し、硬貨を受け取る時には、私はわざと彼女のその広げた掌にいつも触れた。時々冗談に見せて、彼女の指先を握ったりもした。
彼女はただ笑い、顔を赤らめでもしてくれないかと期待する私の気持ちに、気づかないのかただ受け流しているのか、朴念仁の私にとっては、ひどく勇気のいるその特別な行いは、最後までただの冗談に終わった。
日銭稼ぎのその仕事を、もちろん一生するつもりはなく、私はようやく客船乗務員の仕事を得て、その会社から去ることになった。
私には国を出る時に親が決めた婚約者がいて、だが移民をするつもりの私と婚約者は一緒に来る気はなく、一体いつ双方の親に結婚の意志などないと言うべきかと、まれの連絡を取り合うのはいつもその話ばかりの間柄だった。
私の新しい仕事が決まった頃には、実は婚約者には新しい恋人がすでにいて、親たちは知らなかったが私たちの婚約はとっくに破棄状態だった。
だからと言うわけではなかったが、新しい仕事のために会社を辞めると決まった時に、私はひそかに彼女に、待っていてはくれないかと、そう言う心積もりがあった。
言葉つきから、彼女がこの国の生まれでないのは明らかだったし、なら私と同じ移民待ちか、でなければもう移民済みで何の心配もない状態なのか、それすら知らないと言うのに私は内心で彼女と結婚する自分の姿まで思い浮かべていて、今思うなら、若気の至りと言う奴だと苦笑いもできる。
私が仕事を辞めて、客船に乗る仕事に移るのだと言った時、彼女はおめでとうと言って笑ってくれた。そして同時に、もう会えなくなるのねと、淋しそうに言った。
好きだと言う気持ちは伝わっているものと思い込んでいた私は──いや、気持ちは伝わっていたのだと、今も信じている。ただそれは、はっきりと口に出せるほど確かなものではなかったのだ。
私は、この街から去るが、仕事の合間合間には戻って来るから待っていてくれないかと、そう続けて言おうとした気を挫かれてしまった。
何が私を引き止めたのかは分からない。私は彼女を確かに好きだったし、彼女も恐らく私を好きだったろう。それなのにその時、私たちはそれを口にすることができず、私はたださようならと彼女に言い、彼女も私にさようならと言った。彼女は私に手を差し出し、私はその手を握った。別れの握手だった。
今までありがとうと、彼女が言う。また明日、とはもう続かなかった。
私は今でも彼女のことを考える。あれきり、出会った誰かはあっても結婚はしないまま、私はもう家族を持つのは諦めた方がいい年齢になりつつある。
婚約者は、親たちの反対を振り切って駆け落ち状態で恋人と結婚し、その後子どもを生んで別れて、今は3度目の結婚で4人の子持ちだそうだ。
彼女のことは、あれきりどうなったのか分からない。客船に乗るために離れたあの街に、私はあれきり一度も足を向けていない。
彼女もまた、誰かと出会って結婚しただろうか。彼女と同じ顔立ちの子どもたちに囲まれて、その子どもたちに、人には笑顔で挨拶することと、世の中のあらゆるものには魂が宿っていると言うことをあの真顔で教えているのだろうか。
私の手は、今ではずっとかさついて固くなってしまっているが、彼女のあの手もそうだろうか。
硬貨を受け取りながら触れた彼女の、私の指先を包み込むように丸まった掌のあのあたたかさを、私は今でもはっきりと思い出すことができる。
必要だったのは、あのぬくもりと同じほど確かな言葉だった。私はあの時、その言葉を持たなかった。そして今も持たないままだ。
言葉知らずの私は、それでも彼女の言葉つきを真似て、ありがとうまた明日と、虚空に向かって微笑みを向け続ける。どこかでまた彼女に会えた時のために、私はひとりそれを続けるだろう。
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