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30日間好きCPチャレンジより

21 - Cooking/baking / 料理、お菓子作り

 夕飯の献立を考えるのはいつだって苦痛だ。そもそもできる料理が限られているので、それをぐるぐる繰り返すしかなく、それでも何とか変化をつけようと必死で考えると、そもそも考えることに慣れていない頭に痛みがやって来る。今日も億泰は、スーパーの入り口で取ったかごを、周囲の主婦らしい年上の女性たちとまったく同じ仕草で持ち手を腕に掛けて、すでにうんざりした表情で店の中へ足を踏み入れた。
 野菜は、玉ねぎと人参とじゃがいもがあれば何とかなる。兄の形兆が教えてくれたごぼうのささがきできんぴらでも作るかと、そう思ってから、ごぼうの旬は覚えていない億泰は、今の時期にはすぐには見つからないごぼうはどこかと、生鮮品のコーナーをぐるり見渡す。
 そうして、斜め後ろへ向いた視界の中に、辺りからひとつ飛び出した栗色の頭を見つけて、おう、と妙な声をひとり出した。トニオが、手に取ったトマトを真剣な目で眺めているところだった。
 「トーニーオーさん?」
 うっかり変な節をつけて呼ぶと、トニオは首をひねるようにして声の方へ向いて、難しい表情を一瞬で笑顔に変えると、億泰サンと、流暢な日本語で返事をして来る。
 「買い物デスか?」
 にいっと歯を剥き出しにして、持っているかご──まだほとんど空だ──を軽く持ち上げて見せる。億泰はそうしながらトニオのかごの中を覗き込んで、数個入っているトマトの、見事な艶に、またおうっと変な声を立てた。
 「トニオさんは店の買いもん?」
 「ソースを作り過ぎテ、トマトが足りなくなってしまいマシタ。料理人失格ですネ。」
 にこやかに言うのに、口調はやや真に迫っていて、どうやら失格と言うのは本気で言っていることのようだと、億泰にすら伝わる。夕飯の準備すらままならない自分の不手際を冗談にするタイミングが掴めずに、億泰はまるで隠すように買い物かごを自分の後ろへ移して、肩をすくめて見せるだけにした。
 「トニオさんが料理人失格って言ったら、オレなんか何もできねーじゃん。」
 「ワタシのは店のためですカラ。家族のための億泰サンのとは違いますネ。」
 トマトを選ぶ真剣な目はどこかへ引っ込めて、トニオが、今度はひたすら優しい瞳で言う。できるなら、その手で億泰の頭でも撫でそうだった。
 「身近な人のタメにする料理は、いつだってステキなものですヨ。」
 いつも思うことだけれど、教師や先輩に言われても上っ面にしか聞こえないこの手のことが、トニオにこの笑顔で言われると、ひどく億泰の心に迫って来る。形兆に言われる──言われた──時とも違う、決して押し付けがましくも親切ごかしもない、トニオは本心でそう思っているのだと億泰には素直に信じられる、その声音と口調だ。
 億泰は何だか照れくさくなって、けっと言う仕草で左肩の方へ顔を振り、さっきよりもずっと大仰に肩をすくめて見せた。
 「あのオヤジでもなきゃ、オレのクッソまずい料理なんか文句言わずに食ってくんねーもんなー!」
 自虐だけでもない本音で億泰がそう言うと、トニオが苦笑を刷いて、さっきよりももっと優しい表情になる。その表情につられて、億泰はうっかり口を滑らせた。
 「オレ、今度トニオさんとこに、料理習いに行こうかなァ。そしたらオレの作るメシも、もうちょっとマシになるかもなァ。」
 トニオが面食らったような表情を浮かべ、それからひとり首を傾げてから、急に真面目な顔つきになると、
 「──それはイイ考えかもシレません。億泰サンの料理の腕は分かりマせんガ、一緒に料理するのは楽しいデスヨ。」
 「え?マジ?」
 トニオも、形兆のように、しくじると手やら頭やらをお玉やフライ返しで叩くタイプだろうかと、億泰はちょっと身構える。いや、キッチンに手を洗わずに入っただけで激怒する──されたのは仗助だけれど──トニオなら、料理の道具で人の体に触れるなど考えもしないだろうと思い直した。
 それならいいかと、自分で言い出したくせに、やっとトニオの意見に同意して、億泰はもじもじと、
 「・・・なら今度、マジでトニオさんに簡単なんでいいから、何か習いてェなあ。」
 「いいデスよ。」
 トニオが、心から、と言う笑顔でにっこりする。そこにあるトマトよりも真っ赤な億泰の心臓が、肋骨の向こう側でどきんとひと跳ねした。
 「大好きな人トおしゃべりしながら料理スルの、トテモ楽しいデス。億泰サンとならモット楽しいデス。」
 手にしていたトマトをかごの中に入れながら、億泰の方は見ずに、さらりとトニオがそう言った。トニオの言ったことを、億泰はきっと何か日本語の使い方が妙なのだと、そう受け取ったけれど、それでも頬が、トマト以上に真っ赤になるのを止められなかった。
 「じゃア今度。億泰サン、約束デス。」
 トニオがひらひら手を振りながら、レジの方へ去って行く。億泰は体ごと振り返ってトニオへ手を振り返し、棚の向こうにトニオが見えなくなるまで──トニオも、億泰を横顔で見つめたまま──見送って、それから、ふうっとひとり小さくため息をこぼした。
 何だか大きなひと仕事でも終えたみたいに、億泰はぶるぶるっと頭を振って、それからやっと今夜の夕飯へ心を引き戻して、それでもトニオの料理教室へ通うのに、いい日はいつかとすでに考え始めている。
 トニオが眺めていたトマトへふと目を止めて、億泰は考える間もなくそれへ手を伸ばしていた。
 サラダにでもすっか。
 トニオがそうしていた手つきを知らずに真似て、取り上げたトマトへ近々顔を寄せて、億泰の頬が今赤いのは、トマトの赤さを映したせいだけではない。

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