肉親



 10代半ばの少年というのは、こんなにあけっぴろげにがっついているものだろうかと、メシおごって下さいよーと明るく電話してきた仗助を目の前に、承太郎は思う。
 この嫌味のない明るさは、彼の父であり、承太郎の祖父であるジョセフ譲りのものであることは間違いなく、外への現れ方と頻度は違っても、結局根のところで屈託がないのは、ジョセフにも承太郎にも仗助にも共通している、ようするにジョースターの血筋ということなのだろうか。
 自分にもその血が流れているはずなのに、ジョセフにより近いというせいか、仗助の底抜けの明るさと楽天的な態度は、承太郎のそれとは比ぶべくもない。
 仗助の年頃には、素直さのかけらもなく、ジョセフにも面と向かって可愛げがないと言われていた自分は、やはり空条の血の方が強いのかもしれないと、承太郎はそんなことを考えていた。
 スタンド使いがシェフでオーナーだという、トラサルディーというイタリア料理の店へ連れて行かれ、妙に親しげなふうな、今日はふつーの料理がいいっスよと、トニオと名乗ったイタリア人らしいそのシェフへの態度も、仗助ならさらりと受け入れられているようで、ガキのくせにと、もう何度抱いたか知れない感想を、苦笑とともにまだ抱いただけだった。
 スタンドのことは、たとえスタンド使い同士でいても、あまりべらべらとしゃべるなと釘を刺しているせいか、承太郎といると必ず始まる、スタープラチナってすげえんスよねという、承太郎にはひどく面映い自慢の口調も、今日はおとなしめだ。
 料理は、仗助と億泰がそう言っていた通りに見事なもので、まだ子どもの頃に食べた、スージーQのパスタソースの味を思い出して、それから、仗助の母親である東方朋子のために、その連想を封じた。
 「うまいっスよね、承太郎さん。」
 さっきから何度目か、また仗助が言う。ああ、と短く同意を返して、静かに音を立てずにパスタを口に運ぶ承太郎の斜め前で、仗助は、素晴らしくチャーミングなテーブルマナーを披露していた。
 フォークが音を立てるのに一向にかまう素振りも見せず、口の周りをオリーブオイルやソースで存分に汚し、どの皿も、育ち盛りらしい勢いで平らげて、残ったソースはちぎったパンで丁寧に拭い、まるで洗ったようにぴかぴかになった皿をトニオが下げに来るたびに、ごちそーさんと、ふくれた腹を撫でる。食べても食べても物足りないようなその表情は、承太郎にも覚えがあった。
 このくらいの勢いで皿が空になれば、料理人としても気分のいいものだろうなと、仗助に比べればゆっくりなペースで、承太郎も、けれど確実に自分の皿をきれいにしている。
 酒は飲まない承太郎は、トニオが薦めるワインはきっぱりと断って、2杯目のコーヒーをお代わりした。そのコーヒーも、ワインと同じほど長々と香りを楽しみたいくらいに美味かった。
 仗助はその間に、さっさとデザートに取り掛かり、トニオが、おそらくたっぷりと時間を掛けて完璧さをほどこしたティラミスを、ほんの3口で平らげてしまう。
 大男ふたりの晩餐が、それでひとまず終わった。
 「うまかったっスね。」
 その満足げな、眠気のわずかに漂う口調に、承太郎はうっかり苦笑をあらわにした。
 「人のおごりなら、よけいにうまかったろう。」
 年長者らしく、嫌味や皮肉は一切含まないように気をつけながら、承太郎は苦笑に微笑を重ねる。
 「そうっスね。」
 承太郎の気遣いも知らずに、仗助があっさりと答える。間違いなく祖父のジョセフと同じ表情がそこに浮かんで、承太郎はまたうっすらと笑みを刷いた。
 「おまえ、家でおふくろさんと一緒にメシは食わなくてもいいのか。」
 仗助が、子どもっぽくちょっと唇をとがらせた。
 「お袋、今日職員会議とかで遅いんスよ。帰ってひとりでメシ食うなんてわびしいじゃないスか。だったら承太郎さんとメシ食おうかなって。」
 コーヒーをちょっと気取った手つきで飲みながら、仗助がちょっと斜めの方を見る。少し遠くなったその目つきで、巡査をやっていた、今はもういない彼の祖父---東方朋子の父親---のことを思い出しているのだと知れて、承太郎は、ちょっとの間目を伏せた。
 母と、そして仗助の祖父と、3人きりの生活は、承太郎がこの町に来てすぐに、その祖父が悪辣なスタンド使いに殺害されるという悲惨な形で、完全な母子家庭へと変わってしまった。仗助は、それゆえの暗さは微塵も感じさせはしないけれど、自分に近い肉親を亡くすというのがどれほど辛いものか、承太郎はそれを考えるたびに、ひとりで胸を痛めている。
 祖父母は、両親側ともまだ健在で、兄弟のいない承太郎は、まだ親(ちか)しい身内の死というのもに実は出会ったことがなく、自分よりも一回りも年下の、まだ幼いとも言える仗助が、父親のないまま育ち、そしてすでに東方の祖父母を亡くしている---出会ったことのない父親であるジョセフの両親は、もちろん仗助が生まれるずっと前にこの世を旅立っている---という事実を、言葉にも態度にも出さずに、ひどく気の毒なことだと認識していた。
 仗助が、そんな境遇を人から同情してもらいたいと思っているとも思えないから、わざわざ言葉に出して慰めようとは思わない。逆境に決して挫けることがないのもまた、ジョースターの血統でもあった。
 それでも、父親のいない仗助が、ずいぶんと年上の承太郎にこうして馴れ馴れしく懐くのも、数の少ない血の繋がった肉親であるという事実はもちろん、持てなかった兄だとか、あるいは父親に当たる、そんな存在を求めているのだろうと、承太郎でなくてもわかる。
 年上の甥に年下の叔父という、この奇妙な関係に、実のところ自分も慰められているのだと、まだ承太郎は気づいてはいなかったけれど。
 コーヒーをもう1杯もらうかと、承太郎が促したのを珍しく仗助は断って、ふたりはようやく席を立った。
 キッチンから出て来て、日本式に頭を下げるトニオに、仗助がごちそーさんでしたと明るく言って手を振る。承太郎も、ドアをくぐり抜けながら、うまかったと、無愛想にでも一言残すのを忘れない。
 食事の前にいただきますと手を合わせ、食べ終わったらごちそうさまと言って、そして、店を出る時にはまたきちんと、ごちそうさまと言える仗助の態度は、承太郎にはひどく好ましかった。
 母親である朋子の、おおらかできちんと筋の通った躾の態度がうかがえて、浮気だったとは言え、曲がったことの大嫌いなあのジョセフの惚れた女性だけのことはあると、承太郎はまたひとりで微笑む。
 店を出て、車を呼ぶほどの距離でもなく、来た時と同じように、ふたりは肩を並べて歩き出した。
 「億泰があの店、すんげえ気に入ってんですよ。でもあいつ、おやじさんの世話があるから、あんまし出歩けねえし、今度俺、トニオさんに、テイクアウトでもできねえかって聞いてみようかと思ってるんスよ。」
 承太郎は相槌を打つだけで、仗助が、でも料理の賞味期限は15分以内とか言ってるから無理だろうなとか、でもトニオさんも億泰のこと好きっぽいから大丈夫かもとか、億泰のおやじさん連れ出せねえかなとか、いっそ今度康一とかも誘って、みんなでまた行きましょうよとか、勝手にひとりで話をするのを黙って聞いている。
 そうして、いきなり、
 「承太郎さん、いっつもメシ、ホテルでひとりで食ってるんスか。」
と話題の矛先を向けてきた。
 不意を突かれて、けれどうろたえもせずに、ああそうだなと、短く返事を返して、
 「もっとも、腹が減れば食うってだけの話で、うまいと思いながら食ってるわけじゃないがな。忙しければ抜くこともしょっちゅうだしな。」
 「ダメっスよ承太郎さんッ!」
 仗助が、胸を大きく反らすようにしながら、大きな声を出した。
 「規則正しく3食は基本じゃないっスかーッ! 承太郎さん、体デカいんスからよけいちゃんと食べないとッ!」
 こんなガキに正しい食生活の基本を説かれるとは思わなかったぜと、やれやれと承太郎は帽子のつばを、上から掌で押さえた。
 「それはおめーも同じだ仗助。じじいの息子なら、まだまだ伸びるぜ。もっと食ってデカくなれ。」
 自分の上着の腕を思わず掴んでいる仗助の、りっぱなリーゼントの陰になっている額を、承太郎は軽く指先でつついてやった。
 仗助は、途端に口ごもると、いきなり立ち止まって、けれど承太郎の上着を掴んでいる手は離さずに、じいっと承太郎を見上げてきた。それから、自分の足元に視線を落として、少し小さくなった声で言う。
 「・・・俺も、承太郎さんくらいデカくなりますか。」
 妙な照れが声の中にあって、どうしてか赤くなっている仗助の頬の辺りに視線を当てて、承太郎は、精一杯優しい声を出した。
 「おまえなら、おれよりももっとデカくなるかもな。」
 「ほんとに・・・?」
 上目遣いが、いつもよりも仗助をいっそう幼く見せて、血の繋がった父親なら、こんな時に抱きしめてやれるのかもしれないと、まだ16という仗助の年齢を思う。
 「俺、承太郎さんよりデカくなれたらいいなって思うんスけど、でも、ほんとは、もっとチビでガキだったら、承太郎さんに頭撫でてもらえたり、肩車とかしてもらえたりとか、そういうのがあったのかなとかって、なんかそんなふうに思ってて・・・俺、ヘンすか。」
 「おめーの自慢のリーゼントを崩さずにその頭を撫でるのは実際難儀だな。」
 奇妙に真摯な自分の口調に、仗助自身が照れているのだと、その必死さを真っ直ぐに受け止めてやるために、承太郎は少しだけ茶化して応えると、そっと仗助の、自分の腕を掴む指をほどいた。
 「ガキはガキらしく、素直に大人に甘えるもんだ。」
 仗助を息子だと思うには、自分がまだ若すぎる承太郎は、16の時の自分の稚なさを思い出しながら、仗助の肩を自分の方へ抱き寄せてやる。
 緊張を背に走らせて、けれど素直に肩を傾ける仗助は、承太郎の腕の中に、突然小さくなってしまったようにきちんと収まって、自分もこんなことをする柄ではないのだと、承太郎も、仗助と同じほど照れていた。
 それでも、それを態度に出さない程度には、仗助よりも大人な自分に気づいて、成長するというのは、歳を重ねるだけのことではないのだと、年下の叔父を腕の中に見下ろして、不意に思う。
 「メシ、うまかったっスね。」
 「ああ、うまかったな。」
 仗助は、承太郎から離れないまま、ふたりでまた歩き出した。
 「俺、承太郎さんと一緒にメシ食うの、すげえ好きですよ。」
 そうかと、抱き寄せたままの肩を、ぽんぽんと叩いてやる。
 「俺、絶対承太郎さんよりデッカくなって、そしたら今度は、俺が承太郎さんにメシおごりますから!」
 こんなふうに抱き寄せることのできないほど背の伸びた仗助を見上げる時が来たら、それをとても誇らしく思うのかもしれないと、束の間、かりそめに味わう父親の気分が、承太郎の胸をひどく暖かくさせる。
 この町を守ると決めたふたりは、路面に伸びる影をひとつにして、いつもよりもゆっくりと、夜の道を一緒に歩く。


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