父の日



 仗助が電話を掛けてくることは珍しくはないけれど、今回は少々用向きがいつもと違った。
 「承太郎さん、お願いがあるんスけど。」
 お願いというのはいつものことだ。食事をおごれ---と直截に言うわけではないけれど---、どこかへ出て来てくれ、話をしたい、あるいは、ただ会いたい、仗助の物怖じしない態度は、承太郎にはむしろ気楽で、駄目なら駄目と言っても、それをいつまでも根に持つわけではないから、断るのにも大して胸は痛まない。
 今日は何だと続きを促す---揶揄を含めるのは、もちろん忘れない---と、向こうでぷうっと頬をふくらませた気配が、電話を通して伝わってくる。
 「オレがいっつもお願いばっかりしてるみたいじゃないスか。」
 その通りだろうと、苦笑だけを伝えて、わざわざ口にすることはない。仗助のお願いとやらのたびに交わされる、いつものやり取りだ。
 この街で知り合った高校生たちが、基本的に、その年頃にありがちな馴れ馴れしさを、承太郎に対して隠さないのは、この仗助の承太郎に対する態度を見習ったものに違いなく、それを年長者の余裕で笑っている自分を、ずいぶん丸くなったと驚いて同時に、慇懃無礼に接せられないことを、ありがたくも思う。
 変わった人間たちが多いのはともかくも、誰も皆、性根のところでは良い人間なのだろうと、この街に長くいるせいなのか、この街そのものに奇妙な親近感が湧いているのを、承太郎ははっきりと自覚していた。
 だからこそ、一体何がきっかけだったのかはともかく、DIOのどす黒い影響が、この街に及んでいるということに、ひそかに心を痛めている。
 「んーとでスね、承太郎さん、お願いっつーのはその、大したことじゃないんスけど」
 どう切り出そうか、言葉を選んでいるのは、一応承太郎に対する礼儀らしい、要領を得ないしゃべり方で、仗助が何やらぶつぶつ言う。
 昔なら、こんな話し方を電話でされたら、最初の二言で受話器を置いていた---しかも、ガチャンと---ろうなと、ちょっと苦笑して、仗助が本題に入るのを待つために、受話器を耳と肩ではさむと、胸の前に腕を組む。
 「その、車出してもらえませんかってことなんスけど。」
 「車?」
 承太郎が借りている、レンタカーのことだ。
 どこかへ連れて行けということかと、仗助の説明が始まるのを待って、それともこちらから訊いた方が良さそうかと、会話の行き先を探ることにした。
 「遠くじゃないっスよ。杜王町からは出ませんから。」
 だったらバスが、街中を走っている。あるいは、母親の朋子に頼むという手もあるはずだ。なぜ自分なのかと、スタンド絡みのことかと、承太郎は一瞬身構えた。
 承太郎がちょっとの間黙ったのに、仗助が、図々しい頼みに、承太郎が腹を立てかけていると思ったのか、焦ったように言葉を継いだ。
 「承太郎さんにしか頼めないことなんスよッ! 運転手扱いで、厚かましいってのはわかってるんスけど!」
 「どこへ行くんだ。」
 さすがに仗助がかわいそうになって、話を進めてやることにする。ほっとしたように、仗助が、ようやく詳しいことを、また要領悪く話し始めた。
 「トニオさんの店に行きたいんスよ。オレは一緒かどうかわかんないんスけど、億泰が」
 そこでちょっと、仗助が言い淀んで、承太郎が聞いているかどうか、様子を探るように、深く息を吸った気配があった。
 「・・・オヤジさん、連れて行きたいって、言ってて・・・。」
 承太郎は、ちょっと目を見開いて、それから、仗助に見えないことに感謝しながら、遠慮なく眉を寄せた。
 なるほど、確かに承太郎がいちばん適役、というよりも、それしかないだろう頼みだ。
 DIOに肉の芽を埋め込まれ、そのせいで体が崩れてしまい、とても人には見えない---精神も、崩壊してしまっているらしい---億泰の父親に、承太郎は何度か会っている。凶暴性はないとは言え、あの父親を外へ連れ出すというのは、まったく持って無茶だ。
 兄を殺されて、父親---だという記憶が、本人にあるのかどうかすら怪しい---とふたりきりになってしまった億泰が、外に出れない彼を不憫がって、気に入った店へ、せめて食事に連れ出したいという気持ちはよくわかる。
 どの程度のものかはわからないけれど、億泰の手料理ばかり食べている父親も、たまには変わったもの---美味いもの---を食べたいと、思っているかもしれなかった。
 テーブルがふたつしかないトニオの店なら、億泰の父親のために数時間貸切にしたところで、たかが知れている。
 承太郎が運転するなら、車の乗り降りの時にだけ人目に気をつければいい。あるいは、いっそ時間を止めてしまって、承太郎が彼を直に運び込んでしまう、という手もあった。
 仗助本人とは、直接関りのない、けれど承太郎しか引き受けられないだろう頼みだから、ここまで言いにくそうなのかと、案外と礼儀をわきまえているヤツだなと、妙なところに感心してから、承太郎は、やっと寄せていた眉を元の位置に戻した。
 それとも、あの億泰の父親を外に連れ出したいなんて正気かと、承太郎に怒鳴られるとでも思ったのか、仗助の、その年頃らしい子どもっぽさを、可愛らしいと思って、微笑みすら口元に浮かんでくる。
 「で、いつなんだ。」
 「いいんスか! グレートっすよ承太郎さん!」
 勢い込んで、仗助がうれしそうに声を上げる。
 いくら、滅多なことでは心を動かされない---というように振舞っている---とは言っても、そんな頼みを断れるほど、承太郎も冷血漢ではない。
 いきなり弾む仗助の声を、心地良く聞きながら、誰かの喜ぶ顔が見たいと思ったのは、ひどく久しぶりだと気づく。
 「父の日なんスけど。」
 「父の日?」
 「来週の日曜、父の日っスよ。」
 そんなことに縁のない承太郎は、カレンダーに何か書いてあったのに、注意すら払わなかった。
 「そうだったか。」
 「オレにゃ、関係ないっスけどね。」
 ちょっとすねたように言った仗助の口調が気になって、承太郎は受話器を耳から外して、ちょっとの間それを眺めた。
 言ってしまってから、しまったと思ったのかどうか、仗助も黙ってしまっている。
 ここで仗助を叱るのは簡単だったけれど、きついことを言えば、ますます意固地になって反抗するに決まっているから---承太郎にも、覚えのある態度だ---、甥が叔父を諭すのだということを、自分に言い聞かせながら、なるべく中立的な声音を選ぶ。
 「・・・ジジイと、何か予定でも立てたか。」
 話したくなさそうに、むっつりと口をつぐんだのが、見えなくてもわかる。
 屈託のなさと同じほどのこの頑固さは、確かにジョースターのものだと、承太郎は改めて、自分の祖父であるジョセフの、実の息子である仗助と自分の血の繋がりを実感していた。
 「そんなもん、立てるわけないじゃないっスか。」
 「父の日だろう。食事にくらい、誘ってやれ。」
 「・・・ジョースターさんと、今さら何話せって言うんスか・・・。」
 「おれが知るか。ジジイはおれの祖父であって、父親じゃない。ジジイはおまえの父親だ。」
 「わかってますよ、そんなん・・・。」
 仗助の声が小さくなる。
 助け舟を出すタイミングを計って、仕方のないヤツだと、そう思っているぞと声にきちんとこめてから、承太郎は大きく息を吐き出した---ちゃんと、仗助に聞こえるように---後で、自分から譲歩するという態度に出た。
 「ジジイには、おれが言っておいてやる。億泰の分と、おまえの分と、時間が決まったら連絡しろ。送り迎えは必ずしてやるから、心配するな。」
 えーッ、と仗助がふてくされた---ふりだと、承太郎には聞こえた---ように声を上げる。
 あくまで、承太郎が言い出したことだと、仗助はしておきたいらしい。それはそれでかまわない。父子(おやこ)が、もう少し親 (ちか)しくなれるなら、何が誰のせいでも知ったことではない。
 ジョセフは、16年間仗助をほったらかしにしていたことで、罪悪感が先に立って、あれこれしてやりたいと思っていることを実行できず、仗助はいきなり目の前に現われた、半ばぼけかけた老人が、自分の父親だとはなかなか受け入れられず、母親への気兼ねもあって、ジョセフに対する態度は、ひどくよそよそしい。
 仕方のないことだと、双方の気持ちのわかる承太郎は、結局間に立って、しなくてもいい苦労を背負い込むことになる。
 そのつもりでこの街に来たのだとは言え、自分はとても似合わない役目だと、敵のスタンドとやり合う方がよほど楽だと、ちょっと口には出せずに、承太郎は思った。
 「いいな、仗助。」
 年長者の強みで、少しきつく念を押すと、いかにも唇をとがらせたままという声で、仗助が、
 「・・・わかったスよ・・・。」
 承太郎さんが言わせたんですから、しぶしぶですからと、電話越しでもわかるように、ようやく応えた。
 億泰の父親の件を、仗助がもう一度確認してから、ようやく電話が終わる。
 余計なお節介だったかと、電話を切った後で、承太郎は少しの間考え込んだ。ジョセフとのことは、あまり急かずに仗助自身にまかせるべきだったろうかと、そう考えてから、もしかして計られたのだろうかと、いきなり思いつく。
 億泰の父親を口実に、父の日だということを承太郎に思い出させて、ジョセフと仗助の間を取り持たせようと、最初からそういう目論見だったのではないかと、電話中の仗助の声の調子を、全部最初から思い出そうとしてみた。
 まさかと、自分の思いつきを否定して、けれど何しろ仗助はあのジョセフの息子だ。はったりとイカサマにかけては、承太郎さえ舌を巻くあのジョセフの息子だ。してやられたかと、肩を並べたふたりを思い浮かべて、承太郎は、そうだとしても、あのふたりが、父子 (おやこ)として歩み寄れるなら、それでいいじゃないかと、ようやく電話から視線を移動させた。
 そんな、似合いもしないお節介を思わず焼きたくなるほど、仗助を、自分の叔父として、自分の祖父のジョセフの実の息子として好いているのは事実だ。歳の離れた友人だとか、同じスタンド使いであるとか、そういうことを抜きにして、仗助を好ましく思っていて、大事な人間たちが、親しく仲良くしてくれるなら、自分にとってもそれがいちばん良いのだと、案外と俗っぽい自分の本音に気がついて、承太郎はひとり苦笑をもらす。
 ちょっと肩をすくめてから、承太郎は部屋を出るためにドアに足を向けた。これから、ジョセフの部屋を直接訪れて、仗助の計画を伝えておくつもりだった。
 世話の焼ける連中だぜ。
 部屋を出ながら、やれやれと、帽子のつばをちょっと引き下げて、まだ苦笑の張りついたままの口元に、承太郎は気づかない。


戻る