Mint



 カフェドゥ・マゴのウェイトレスが、何のサービスか、支払いの終わった伝票と一緒に、キャンディを置いて去って行った。康一と億泰と仗助と承太郎と、テーブルにいた4人に、それぞれ行き渡るようにと、白い包みにはThank Youと印刷してあって、億泰は明らかに単なるサービスのそれを、ひどく感激してポケットに入れた。
 「ちくしょーッ、ホワイトデーのお返しならいいのによォー!」
 まだ夏にもならないと言うのに、一体何を言っているのかと、仗助が笑う。
 康一は、自分の分をつまみ上げてから、少し頬を染めて、
 「・・・由花子さんに、あげようかな。」
とひとりつぶやいている。
 そのつぶやきを素早く聞きとがめた承太郎は、自分の分は取り上げずに、すでにひとつ取っている康一の前に、するりとキャンディを滑らせた。
 「あ、す、すいません。」
 康一が、小さな肩をいっそう縮めて、けれど断りはせずに、掌にキャンディをふたつ握り込む。
 康一の仕草に、かすかに微笑んでいる承太郎を横目に見て、仗助が康一をからかった。
 「何だよ康一、おめーこれから由花子とデートかァ。」
 「・・・うん、今日はちょっと遅くなっても大丈夫だからって。」
 「なぁんでオレに可愛い彼女がいなくて、おめーにいるんだよォ、康一ィィィ!」
 「じゃあ、億泰、てめー由花子と付き合いてェってのかよォ。」
 「うっせェぞ仗助、オレの好みはなぁ、もちっとおしとやかでオレのこと好きだっつってくれる女の子なんだよォっ!」
 「億泰くんにも、きっといい人が現れるよ、心配しなくてもさぁ。」
 「うっせ康一、てめー康一のクセに彼女いやがって、大体生意気なんだよォッ!」
 「康一に当たんな億泰、女っ気ねーのはおれだって同じだろーが。」
 「てめーは寄ってくる女がちゃんといるだろうがッ! ひとりくらいオレに回しやがれッ!」
 「・・・億泰くん、黙ってればかっこいいのにって、言ってた女の子がいたなあ、そう言えば。」
 椅子から半ば立ち上がって、下らない言い争いが始まってしまったのを、原因になってしまった康一が、とにかく治めようとぼそりと言う。億泰は案の定、康一の言葉に反応して、ぴたりと動きを止めた。
 承太郎が、億泰には気づかれないように、小さく目配せするのを受け取って、康一はゆっくりと椅子から立ち上がりながら、承太郎の方へ軽く頭を下げると、
 「由花子さんが待ってるから、ぼくもう行くよ。じゃあさよなら、承太郎さん、ご馳走さまでした。」
 もらったキャンディを上着のポケットに入れて、まず承太郎に向かって軽く手を振ってから、仗助、億泰の順で声を掛けた康一の後を、億泰が慌てて追おうとする。
 「おい、待ちやがれ康一ッ! どこの子だよ、オレのことカッコイイっつったのはッ! 康一待ちやがれッ!」
 足元に置いてあったカバンを引っつかむと、仗助も承太郎も目に入らないように、億泰はさっさと行ってしまう康一を、必死で追いかけて行った。
 「・・・あいつ、いつでもどこでもうるさいっスね。」
 まるで人ごとのように言った仗助に耐え切れずに、ついに承太郎が軽く吹き出す。
 「おまえらはみんな元気だな。」
 「あ、承太郎さん、おれのこともガキくせーとか思ってんでしょッ、あいつらほどじゃないっスよ。億泰は、おれらの中でもグレートにガキなんスから。」
 おれから見れば、みんな同じだと、喉の奥だけで言って、承太郎はゆっくりと椅子から立ち上がった。


 どこへ行くということもなく、仗助と承太郎は肩を並べて歩き出した。
 億泰はまさか、康一と由花子のデートにまでくっついて行って、物静かな億泰をかっこいいと言った女の子をことを聞き出そうとしているのだろうかとか、あれは康一の口からでまかせに決まっているのにとか、きっと今頃由花子の怒りを買って、スタンド攻撃をされてるに違いないとか、そんな他愛もないことを、承太郎の隣りで話し続ける仗助に、承太郎が静かな相槌を返している。
 それから、話題は、この杜王町に現れた様々なスタンド使いたちのことになり、ふたり揃って少しだけ声をひそめて、鈴美の探している殺人鬼のことを話し合った。
 「まだ何の手がかりもないんスか。」
 「SPWからはまだ何の連絡もない。今はひたすら、何か情報がないか、聞き耳を立てているしかないな。」
 そうっスねと、珍しくしおらしい声を出して、それから、仗助はさっきカフェでもらったキャンディを、小さな包みを破って、口の中に放り込んだ。
 「うげッ!!」
 口を押さえて、奇妙な悲鳴を上げて、仗助が足を止める。
 どうしたと、承太郎が身構える。
 「じょ、承太郎さんッ!」
 「なんだ、敵かッ!」
 素早くスタープラチナを出して、平日の午後、人気のない路上を見回して、どこに何が潜んでいるのか、見極めようとした。
 「ち、違うッ! 敵じゃないッスよッ! このキャンディッ!」
 「なんだ仗助ッ!」
 大男がふたり、ひとりは地面を這い回らんばかりに腰を折り曲げて、もうひとりは、辺りを窺いながら、目の前の連れの心配をしている。
 「・・・こ、これ、ミント・・・ッ」
 まだ覆った掌越しに、仗助が、やっとの思いで情けない声を出した。
 「・・・ミントが、どうした・・・。」
 承太郎は、やっと辺りを窺うのをやめ、警戒態勢を解くと、スタープラチナを消して、かがみ込んでいる仗助の方へ、その長い腕を伸ばす。
 「おれ、ミント、苦手なんスよ。食べると吐いちゃうくらい・・・。」
 仗助と同じ年の頃なら、こんな状況ならすぐに手が出ていたなと思いながら、承太郎はやれやれと、仗助の腕を取って、体を引き上げてやった。
 大袈裟なと思いながら、けれど仗助の眉のしかめ方が尋常ではなく、たかがミント味のキャンディくらいでと、クレイジー・ダイアモンドの突きの激しさを思い出して、承太郎は、笑い出さないようにするのが精一杯だった。
 「嫌いなら口から出せ。捨てればいい話だろう。」
 至極もっともな解決策を、年長者らしい落ち着いた声で提案すると、仗助の眉間のしわが、いっそう深くなる。
 「だめッスよッ! あんな可愛いおねーちゃんがくれたキャンディ、もったいなくて捨てられないッスよ!」
 このクソガキと、一瞬スタープラチナを出して、小さくして、口の中に送り込んで、そのキャンディをいっそ喉に詰めてやろうかと、大人気ない物騒な考えが浮かんだ。
 承太郎は、自分がもう無邪気な失態の許される高校生でないことを、心の底から悔やみながら、掴んだままの仗助の腕を、自分の方へ強く引き寄せる。
 自分が、年相応に成長していることを、しみじみと実感しながら、承太郎はまたやれやれと小さく言った。
 「仗助、こっち向け、口開けろ。」
 口を覆ったままの仗助の掌をどかせて、何をする気かと、少しばかり目を見開いた仗助に、承太郎は遠慮なく、抵抗する間も与えずに、ぐいっと顔を近づけた。
 半分開いた唇の向こう、同じように開いた歯列の間に、舌に乗った溶けかけたキャンディが見えた。白と緑のストライプのキャンディは、確かにミントの匂いがする。承太郎は、それに向かって自分の唇を重ねると、舌を差し入れて、仗助の口の中からそのキャンディを奪った。
 仗助の、硬張った舌に乗った、悲鳴にならない悲鳴が、承太郎の唇にも伝わってきて、時間を止めてからやっても良かったなと、自分の口の中へするりと渡って来たミントのキャンディを、がりがりとかじる。
 「じょじょじょじょじょじょじょ」
 「なんだ、おれもじじいも昔はそう呼ばれていたな。」
 「承太郎さンンンンンッッッ!!!」
 「やかましい。」
 「今、あんた、承太郎さん、おれの、奪って、キャンディ、そんなの」
 突発性言語障害に陥っている仗助を眺めて、承太郎は平然と、がりがりと、仗助から奪ったキャンディをかじり続けている。
 「なんだ、ミントがなくなってよかったろう。吐き気は治まったか。」
 「吐き気は治ったけど、よかったけどよかったけどよかったけど。いやそうじゃなくて承太郎さん。」
 仗助は、まだミントの匂いの残る唇を、指先で触った。
 「く、口から直接取らなくてもよかったじゃないっスかぁ! お、おれと、おれと承太郎さん」
 「口から出したくないと言ったのはおまえだろう。」
 「だけどだけど、ひどいっスよ! 不意打ちって卑怯じゃないっスか。」
 なぜここで卑怯という言葉が出てくるのか、近頃のガキの言葉のセンスはよくわからんと、承太郎はちょっとだけ憮然とする。
 さっきまで仗助と襲っていたキャンディは、承太郎のたくましいあごと奥歯に噛み砕かれて、もう風前の灯だ。
 「子どもが危険だと思った時の親の反応の素速さは、こんなもんじゃねえぞ、仗助。」
 これこそ、康一を見習った口からでまかせだ。もっとも、親というものは、子どものためなら、泥だらけの傷も舐めてやるし、ヘドロの川にでも飛び込む、それは事実だ。承太郎は、もっともらしく言った自分の台詞が、案外とこの場の状況に似合っているような気がして、自分に向かって苦笑した。
 仗助は、ぴしりと承太郎が真顔で言うのに気圧されたのか、やっと黙り込んで、それでもまだ興奮が消えずに頬が赤い。
 「・・・ひどいっスよ、承太郎さん。」
 まだぶつぶつ言いながら、それでも先に歩き出した承太郎の後ろを、足早に追いかけてゆく。
 「おれ、もうガキじゃないっスよ・・・。」
 どこがだと、追ってくる仗助のために、少しだけ歩調をゆるめて、承太郎は、キャンディの最後のかけらを、がりっと思い切り噛み砕いた。
 承太郎さんはやっぱり最強だけど、おれだっていつかと、まだぶつぶつつぶやき続けている仗助に振り返りながら、早く来いと掛ける承太郎の声の息に、爽やかにミントが匂う。


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