スケッチ



 あなたをスケッチしたいんだがと、岸部露伴が言った。
 声にも表情にも、特にこれと言った感情はうかがえず、それはいつものことだと、承太郎も無表情に露伴を見返す。
 おれを、と短く問うと、ええと、はっきり露伴はうなずいた。
 「あなたのような頭身をじかに見れるのはそうあることじゃないから、参考資料としてスケッチしておきたいんだ。」
 「写真じゃあダメなのか。」
 写真は嫌いだけれど、一応そう言ってみる。可能性はすべて追求してみたいのは、研究が日常になって以来の、承太郎の癖だ。
 露伴が真面目な顔で首を振る。
 「写真じゃ意味がない。ぼくは息遣いの感じられる絵を描きたいんだ。すでに静止させられてしまったものには興味がない。」
 仗助と康一から、よく話は聞いていたけれど、その話以上に、自分の興味の対象に異常な執着を示すというのはこのことなのかと、承太郎はちょっと目を見開いた。
 これは一種の偏執狂の類いだろう。向かう方向は違うけれど、それしか目に入らない夢中な状態、というのは、承太郎にも覚えのあることだ。
 わざわざ呼び出されて、ろくに知りもしない人間の家を初めて訪ねて---わかるように人見知りはしないけれど、承太郎はこういうことは基本的に好きではない---みれば、この街に住むスタンド使いの殺人鬼についての情報でも手に入った報告かと、少し期待していたのが外れて、承太郎は顔には出さずにほんのちょっと不機嫌になる。
 岸部露伴は、決して愉快な人間ではない。むしろ、接する人間を片端から不愉快にする天才だ。まだ付き合いの浅い---どころか、道路の水たまり程度だ- --にも関らず、承太郎がすでにそれを察しられる程度に、露伴は自分のその態度を、一向に誰に対しても隠しもしない。むしろ、自分で気づいていない、というのがいちばん正解に近い事実だろう。
 それでも、承太郎は露伴に対して、ある種の、興味に近い好感を抱いている。それはおそらく、露伴のほんものに見える才能と、隠しようもない頭の良さに対するものなのだろう。それに、このあふれるばかりの好奇心の表現は、研究者である自分自身を眺めるようだと、承太郎は思う。
 類は友を呼ぶという、そんなことを思って、長い脚をゆっくりと組み替えた。
 承太郎のそれを、承諾のしるしときちんと読み取って、露伴が、ソファの上、自分のすぐ傍に置いておいた、大きなスケッチブックを取り上げて開く。鉛筆を握って、そうして途端に、表情が変わる。
 その変化に、承太郎は眉を片方だけ少し上げて、ほうと、唇の中でつぶやいた。
 ポーズを取れとも、動くなとも言わない。すでに鬼気迫る目つきで、承太郎と自分の手元を、交互に見ている。低いコーヒーテーブルを間に置いて、坐り心地のいい大きなソファがふたつ、向かい合って置かれたそれに腰を下ろして、ふたりは互いを眺めながら、見ているのは実はもっと別のものだ。
 承太郎は、絵を描くところをじろじろと眺められるのを、露伴が嫌がるタイプかどうかわからず、ひとまず、視線を部屋の中にさまよわせることにした。
 出された紅茶は、きちんと葉でいれられたものとわかる味と香りで、承太郎が触れればそのまま壊れてしまいそうな華奢なティーカップは、確かイタリア製のものではなかったかと、ちょっと自分の手元に目を凝らす。この紅茶をいれたティーポットも、おそらく同じブランドのものなのだろうなと、そんなことまで考える。
 紅茶もコーヒーも、カップに注ぐ前に、ちゃんとカップ自体を温めるに違いない。露伴の出してくれた紅茶の味で、トニオのいれるカプチーノの味を思い出して、アメリカの自宅で、多分ほこりをかぶって、主である承太郎を待っているだろう、キッチンのカプチーノマシンのことを、ちょっと恋しく思った。
 高いものを選ぶのではなくて、好きなものがたまたま値が張る、というタイプだ、と露伴のことを、坐っているソファの表面をちょっと撫でて、分析する。気に入ったものは、必ず手に入れたいと思うだろうし、手に入れたものに合わせて、あれこれ他のものを変えるのも大好きに違いない。壁紙1枚のために、部屋の調度をすべて入れ替えるのに、まったく躊躇がないタイプの人間だ。
 さすが絵を描くだけあって、趣味はいい。この家の中の雰囲気も、この部屋も、長居を、露伴がさせるかどうかはともかく、ゆったりとくつろがせて、落ち着かせてくれるいい雰囲気だと、張っていた緊張の糸が、少しばかりゆるみそうになる。
 承太郎が、脚をもう一度組み替えて、ティーカップを右手から左手に持ち替える間に、露伴はスケッチブックのページを、すでに3枚費やしていた。
 上目に、熱っぽく見つめられるのを、少しばかり面映く感じそうになりながら、何かに熱中している人間というのは、そのまま絵になりそうに美しいものだなと、照れ隠しとは自分で気づかずに承太郎は思う。
 承太郎の方に視線を戻した露伴と、そうと意図はせずに、視線が合う。承太郎の瞳に入る光の加減でも記憶しておこうとするような、そんな鋭い視線を当てられて、承太郎は、うっかり一瞬ひるみかけた。
 露伴は、承太郎のそんな心の動きを、瞳の変化で読み取ったように、また鋭く視線をぶつけてくる。そのまま何も言わずに、またスケッチブックの方へ視線が戻る。
 胸の中を見透かされたような気がして、憮然としている自分に気がついてから、承太郎は、読まれて困ることなんか何も考えてないじゃねえかと、自分に腹を立てかけた。そうして、ふと、見透かされて困るそのことに思い当たって、ほんのちょっと眉を寄せた。
 露伴の、奇妙に情熱的な視線には、見覚えがある。そのせいだ。思い出してしまったものと、思い出してしまったことの両方から、承太郎は、静かに心をそらす努力をする。
 紅茶を飲み終えて、ティーカップを受け皿に戻す。かちりと立てたかすかな音は、露伴の耳には届かなかったらしい。
 一体、何枚描くつもりなのだろうかと思っても、作業を中断されることを何より嫌うのは、この手の人間の常だと、同類としてわかっている承太郎は、一度付き合えば次はちゃんと断れると、そこまで計算してから、やれやれだぜと、胸の中でひとりごちた。
 すまないが、と露伴が、ちょっとせわしい口調で部屋の中を見回し始めた。
 「そこの、その帽子掛け、ドアのそばの、その隣りに立ってもらえないか。」
 部屋の中をぐるりとさまよった露伴の指先が、ようやく廊下へ出るドアを指差して止まる。そこにある、つやつやと黒光りしている、どっしりとした帽子---やコート---掛けにふたり同時に目をやって、承太郎はちょっとだけ迷うように体の動きを止める。
 ここで、腕時計にわざと目をやって、あからさまに時間がないというふりを、することもできた。それをしたから無礼と思われたところで、痛くも痒くもない相手だ。そもそも、ほとんど初対面の人間を家に呼びつけて、いきなりスケッチさせろと言うのと、どっちが失礼かと、そこまで考えてから、結局承太郎は、無言のままソファから立ち上がった。
 いつもそうするように、体の大きさのわりに、承太郎は足音を立てない。部屋の空気をほとんど揺らさない動きで、露伴の言った通りにドアのそばの帽子掛けのところまで歩くと、承太郎のその動作を目で追っていた露伴が、感心したように小さく息をこぼしたのが聞こえた。
 体の大きな人間にありがちな、のろのろとした動きではなく、承太郎は常に機敏に動く。けれど体の大きさが、それだけでどれだけ周囲の人間を威嚇するかわかっているから、音も立てなければ、大きく空気を乱すこともしない。流れるように素早く動いて、その気配を、できるだけ小さくする。
 体の大きさと揃った、手足の長さと、それがバランスよく優美に動くさまに、露伴は見惚れていた。承太郎に目を奪われたのは、その立ち姿の完璧にも思えるバランスと、その体が、驚くほどなめらかに動く様子だったけれど、それをこんな目の前に、しかも観察しろと言わんばかりに示されると、もう勝手に手が動き始める。
 肩の動き、背中の揺れ、軽く曲がった長い足と、こちらに向かってゆるく伸びた手指、露伴は夢中になって、承太郎はそこへたどり着くまでの十秒足らずに、すでに1ページを埋めて、静止した絵は紙の上に、動いている絵は頭の中に、しっかりとおさめて、こちらを向いた承太郎にやっと視線を当てた。
 「ああ、そこに立ったままで・・・手はちゃんと体の横に・・・そのまま真っ直ぐ・・・。」
 承太郎を指差して、さっきまでとは違い、今度はポーズを指示する。
 隣りの帽子掛けと、ほとんど高さの変わらない承太郎の背の高さを、正確にスケッチする。
 正面が終わると、今度は後姿だ。
 「コートを、脱いでもらえるとありがたいんだが。」
 背中を見せた承太郎が、露伴の方へ、肩越しに振り返った。ちょっと首をかしげた後で、外では滅多と脱がない白いコートを、するりと肩から滑り落とす。
 「あ! ゆっくり脱いでくれッ!」
 露伴が声を飛ばす。
 やれやれだぜと、今度こそ聞こえるようにつぶやいてから、承太郎は、露伴によく見えるように、肩を半分そちらに回して、言われた通りにゆっくりとコートを脱ぐ。
 脱いだコートは、これもまたゆっくりとした動作で、帽子掛けに掛けて、それから改めて露伴に背中を向けた。
 薄いタートルネックのシャツが、肩甲骨や背中の筋肉の線を、うっすらとあらわにしている。ややゆったりとしたズボンは、触れれば驚くほど硬いのだろう、脚の筋肉を、あまり見せびらかさないためのものだと、露伴の鋭い視線はすでに悟っていた。
 ほんとうは、今着ている服も全部脱いでほしいくらいだと、露伴はちょっと鉛筆の端を噛んだ。
 後姿の後は、横向きに、そうしてまた、正面を向かせて、露伴のスケッチブックは、すでに半分以上が承太郎で埋められている。
 「マンガしか、絵は描かないのか。」
 ふたりとも無言のままの時間が、スケッチブック5枚分過ぎた辺りで、承太郎が訊いた。
 露伴は手を止めずに、承太郎からの質問を奇妙とも思わない様子で答える。
 「描かないこともないが、今はストーリーを作るのが面白いんだ。絵1枚にも物語はこめられるが、万人に伝えるのはなかなか難しいんでね。」
 「なるほど。」
 質問したくせに、興味の色は薄く、承太郎が相槌を打つ。
 露伴は、承太郎から口を開いたことに心を引かれて、ちょっと挑発するように言ってみた。
 「モデルをしてくれるって言うなら、等身大のあなたを描くのは面白そうだ。」
 わざと、舌なめずりでもしそうな表情を作って、露伴は手を止めて、すくい上げるように承太郎を見つめる。
 相変わらず、これといって感情も現さない承太郎の、何もかもが直線的な顔の造作の中で、そこだけが柔らかく丸い唇に、露伴は視線を当てた。
 「もちろん、描くならヌードで、だが。」
 さあ、どう出る、と露伴は半ば興奮して承太郎の反応を待つ。けれど、露伴の期待---怒り、戸惑い、羞恥、自惚れ---は、あっさりと裏切られた。
 「いい趣味だ。」
 頭も動かさずに、承太郎がそう言った。声の中に、わずかに皮肉がこめられていたのを聞き逃すような露伴ではなく、露伴の才能それ自体をばかにする気はまるでないが、そのアイデアはとてもばかげていると思うと、短い返事の中にきちんとこめている承太郎の、一筋縄では行かないしたたかさ---露伴のそれよりも、もっとストイックで、悔しいけれど洗練されている---に、ちょっと歯噛みする。
 この男をやり込めるのは、そう難しいことではないようだが、今はそんなことに余計なエネルギーを使っている暇はないと、悔しまぎれにそんなことを思いながら、気を取り直して、露伴はまた自分の手元に目を落とす。
 短く言葉のやり取りをした気楽さで、露伴はせわしく白い紙の上に鉛筆を滑らせる手を止めずに、思ったことをそのまま言い足した。
 「でもあなたは、絵で描くよりも彫刻向きだな。筋肉は、立体で表す方がいい。」
 そう言った途端に、承太郎の表情が一瞬で変わった。動揺と言うのか、大きく目を見張って、ちょっと唇の端が下がる。奥歯を噛んでいるのが、頬の線に見て取れた。
 触れられたくないこと、あるいは、思いもかけないことを耳にした時に、よく見る表情だ。自分が一体何を言ったのかと、露伴は思わず鉛筆の手を止める。
 「・・・なにか?」
 さっきの挑発にも乗らなかった承太郎が、一体どうしたのかと、露伴は見逃さないために、今は一点に定まっていない承太郎の視線をとらえて、察しが悪いと思われてもかまうもんかと、膝の上のスケッチブックを支えた手に、知らずに力がこもる。
 露伴の視線を避けるように、承太郎が落ち着きなく瞬きをして、それから、帽子のつばに手を掛けて、足元を見下ろす。
 いや、と顔を上げながら、手の陰で唇が動いているのに、露伴はじっと目を凝らしていた。
 「昔、まるきり同じことを、言われたことがあっただけだ。」
 「誰に?」
 一拍置いて、容赦なく訊く。案の定、承太郎は、少しばかり苦しそうな、傷ついたような表情を浮かべて、そんなことは頼むから訊くなと、似合わない哀願の色を浮かべた瞳で、露伴を見返してくる。
 露伴は、ずるく、そんなことにはまるきり気づかないふりをした。
 「誰に、言われたんですか。」
 好奇心が、強く頭をもたげてくる。絵を描くというのは、その対象の姿をそのまま写し取ることではない。自分の視界に映る姿を、どれほど正確に、その絵を見る人間たちに伝えられるか、つまりは、自分の視ている世界をどれほど表せるかということだ。そのためには、対象を深く知る必要がある。自分なりに、絵に表す対象を理解して、解釈しなければならない。承太郎が一体どんな人間であるのか、他の誰も知らないだろう彼に、露伴はひどく興味が湧いた。
 あの仗助には、身内だから、こんな無防備な表情も見せるのだろうかと、そう思ってから、そうかもしれないけれど、こんな傷ついた顔は見せないはずだと、直感的に思う。自分の弱さをきちんと自覚している人間は、だから隠す術もきちんと知っている。承太郎はその程度にはできた人間だと、露伴は読んでいる。
 承太郎が、やっと苦痛を隠して、能面のように無表情を刷いた。その表情の、皮膚1枚下にひそんでいる悲哀の色の深さに、露伴はつい、熱狂的に手を動かし始めた。
 ほんものの表情だ。ほんものの苦痛だ。とてもリアルで、見ていると、こちらの胸まで痛んできそうな、リアリティ。心を引き裂かれたことのある人間だけにしかわからない、痛みと悲しみ。味わえば、死にたくなるような、苦しみ。目の前のリアルな承太郎に、露伴は、熱に浮かされた視線を注ぐ。
 「誰があなたにそんなことを言ったんですか。」
 一枚、薄皮を剥がしたような承太郎の表情を、露伴は夢中で描き止める。唇は無意識に動いて、もっと承太郎を曝こうとし続ける。
 露伴のような人間は、ある程度は好奇心が満たされない限りは、絶対に執着することをやめないと知っているので、承太郎は言葉を選んで、ほんの少しだけ、自分の内側を露伴に覗かせてやる。ほんの、少しだけだ。そうでなければ、またすぐに血を吹き出してやろうと待ちかまえている、やっと再生した薄い皮膚の下の生々しい傷口が、またぱっくりと口を開けてしまうからだ。
 「・・・古い、友人だ。」
 触れられたくないことだと、あからさまに声にこめて、けれどそれでひるんだり、ためらったりするような露伴ではない。ますます表情を失くす承太郎に、何の同情の念も示さずに、無神経な問いが重なる。
 「誰ですか。」
 露伴にすれば、近寄りがたいと誰もが思う承太郎に、自分と同じ類いの関心を示して、さらにそれを面と向かって口にできた人間が過去にいたのだということに、とても興味があった。しかもその人物は、承太郎にこんな表情をさせるほど、承太郎の心の内側の深くに食い込んでいるということだ。一体どんな人間だったのだろうかと、露伴は承太郎をうかがう。
 またひと色、承太郎を彩るための色が、露伴の中に増えてゆく。古い友人。明らかに傷ついたような承太郎の表情。承太郎を描きたいと言い、けれどきっと彫刻の方がいいだろうと、そう言った、誰か。
 承太郎の胸の内に、そこまで踏み込んでから、何か、とても深い想いがそこにあるように感じられて、露伴は、一瞬、自分の強引な質問を、少しだけ恥じそうになった。
 そんな露伴の心を動きを読み取ったように、承太郎が静かに切り返してきた。
 「スタンドを使えば、いくらでも読めるだろう。」
 自分の無礼は棚に上げて、露伴は侮辱されたと思って、むっとする。
 気のせいか、承太郎がうっすら笑っているように見えて、露伴はさらに腹を立てた。
 「絵を描くということ自体と、ぼくのスタンドの能力は、何も関係もない。あなたのことをマンガのネタにするつもりならともかく、絵に描いてみたいだけのあなたを読むなんてこと、ぼくには必要ないね。」
 早口に言うと、声に怒りがあらわになった。侮辱されることには耐えられない。
 さっきまで、承太郎に口を割らせようとしていた必死さを忘れたように、露伴は、踏みつけにされそうになった自分のプライドを守ることに、一瞬で心のすべてを傾ける。
 別に、何もかもをスタンドに頼ってるわけじゃない。スタンドを持つ前から、人を分析して、心の中まで読むのは得意だったんだ。
 承太郎に、してやられたとは気づかずに、露伴は少し乱暴に、鉛筆の先を紙に押しつけて、描かれる線が少し荒くなるのに、心の中で舌打ちをする。
 それでも、さらに2枚描き終わる頃には心も落ち着いて、承太郎に執拗に質問していたことすら、もう覚えてもいなかった。
 承太郎も、また黙って描くことに集中し始めた露伴を見て、ようやく表情を元に戻すと、何事もなかったかのように、静かにそこに立っている。
 スケッチブックは、そろそろ終わりのページに近いように見えた。
 露伴が、スケッチブックも鉛筆も抱えたまま、ソファから突然立ち上がる。これで終わるのかと思って、ちょっと肩の力を抜きかけた承太郎の目の前にやって来ると、そのままそこでまた鉛筆を動かし始める。
 腕の長さ半分の距離を置いて、その位置から見える自分を立ったままで描き写している露伴を、承太郎は、ようやく呆れたように見下ろした。
 無言のままさらに3枚、そうして、露伴はようやく、音を立ててスケッチブックを閉じた。
 「紅茶をいれ直そう。すっかり夢中になってしまった。」
 そのままドアを開け、承太郎に、満足しきった笑顔を向ける。
 承太郎で埋め尽くしたスケッチブックを小脇に抱えて、体半分部屋から出たところで、露伴が、承太郎の方は見ずに、ぼそりと言った。
 「あなたの、その古い友人とやらの話は、いつか別の時にゆっくり聞かせてもらおう。ぼくはあきらめが悪いタチでね。」
 露伴の真剣な横顔が、ドアの向こうに消えた。
 肩が大きく上下するほど、大袈裟なため息を、部屋の外には聞こえないようにこぼして、承太郎はやれやれだぜと帽子のつばに手をやる。
 帽子のつばの陰で、またさっきの、ひどく悲しげな表情を浮かべてから、承太郎は、それを拭い去るように、無理に笑った。
 「次が、あればな。」
 意趣返しのつもりで、ひとりつぶやいていた。


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