案内人


(1)

 そよ風が吹いていた。
 長身の男がふたり。
 ひとりは、白いボアの、角のようなものが2本小さく突き出ている、まるで防寒用のようなぶ厚い帽子をかぶっていて、爪先立ちで、やや猫背気味に、その背の高さにも関らず斜めに人を見上げるように顔を傾けるのは、そういう癖なのだろうか。
 もうひとりは、まるで鉄骨でも入っているかのように、その大きな背を真っ直ぐに伸ばして、星の模様がいたるところについた長いコートと、同じ色の、光るつばの硬そうな帽子をかぶっている。
 星の男の方がやや背は高く、けれど胸板は、猫背の男の方が厚い。
 ふたりは、これが初めての出会いだったけれど、まるで古くからの知己のように、初めましてという挨拶もなく、かと言って、親しげに握手を交わすでもなく、星の男は、いつもの、人の心の奥底まで射抜いて、すべてを見抜くような鋭い視線を崩さずに、両手は、しっかりとコートのポケットに差し入れられたままだ。
 猫背の男は、幾多の修羅場をくぐり抜けて来たのか、星の男の視線にひるむこともなく、穏やかさはなかったけれど、ただ静かに、その突き刺すような視線を黙って受け止めている。
 ふたりとも、実際の歳よりもはるかに若く見えて、互いの年齢を計り合うけれど、正しい答えはなかなか出ずに、案外と同じ年頃だとは、互いに知ることはない。
 「中で、徐倫を、守ってくれたそうだな。」
 星の男が、苦々しげというふうでもなく、けれどできうる限りの感謝を込めているという口調でもなく、淡々と、目の前の論文を読み上げるように、猫背の男に向かって言った。
 「守ったかどうかは、微妙なところだな。エンポリオに頼まれて、手を貸したはした。アンタを救うためだと、彼女が必死だったからだ。」
 「知っている。」
 誰に聞いたと、そういうふうには言わずに、星の男が、へたをすれば尊大に見える仕草で、ゆっくりとうなずいた。
 男と女の違いはあるけれど、星の男と徐倫は、とてもよく似ている。猫背の男は、思わず、その頬の線や鼻筋や、何よりも瞳の色と強さを見つめて、そこに徐倫の、とても大人びて逞しくなった表情を重ねていた。
 このふたりにあるのは、意志だ。意志の強さと、自ら運命を切り開こうとする、凄まじいまでの情熱、星の男と徐倫が親子だということを、似通った外見からよりも何よりも、今星の男が全身から発しているそれらに感じて、猫背の男は、すっと目を細める。
 自分が、奪われて、失ったままだったものだ。そして、最後に、徐倫が与えてくれたもの。懐かしさに、猫背の男は、少しばかり口元をゆるめて、ゆっくりと大きな掌を、閉じて、開いた。
 「あれは、ずいぶんとひとりでよくやった。仲間を得て、絶望に挫けずに、最後まで、よく闘った。」
 星の男が、感慨深げに目を伏せる。長い睫毛が見せる表情まで、この親子はそっくりだ。
 「・・・礼を、言うべきなのだろうな、おれは。」
 徐倫に対してと言って、父親として照れているのか、それとも、娘を守った目の前の猫背の男に対してなのか、帽子のつばに隠れた目元の表情では読めず、ずいぶんとまわりくどい喋り方をする男だと、猫背の男は、少しばかり肩をすくめる。
 よくは似ている親子だけれど、何もかもがわかりやすくストレートな徐倫の、これが父親かと、また認識が少し改まる。
 「ここに来たら、抱きしめてやればいい。アンタが、とても大切だったようだ。死ぬような目に遭って、一度もへこたれなかった。」
 まさか自分に向かって、こんな男が礼を言うなんて、面倒くさくて仕方ないと、猫背の男は話をはぐらかすために、徐倫の方へ話を振る。娘を誉められて不愉快になる父親はいない。もっとも、ここに来る、というのが、歓迎すべきことかどうかは別として。
 けれど星の男は、娘がいずれ近いうちにここにやって来るだろうということは、すでに予測しているのか、猫背の男が言ったことに、そんなことはないと反駁はせず、そうだなとでも言いたげに、娘のそれよりもふっくらと厚い唇を、少しばかり引き締めた。
 「決して諦めないのが、ジョースターの血だ。」
 「神父がずっと恐れていた、ジョースターの血か?」
 「そうだ。」
 声を少し張り上げて、星の男が顔を上げる。けれどそれは、その名に対する誇りからではなく、その血のために起こってしまったすべてのことに対して、憤っているように聞こえた。背は伸びても、まだ子どもめいていた娘をこんなことに巻き込んで、挙句、スタンドという余計な能力を発現させなければならなかった、父親としての苦悩。こちらに真っ直ぐに向いた視線に、そんなものが見えるような気がして、猫背の男は、血の繋がりというのはとても厄介なものだと、自分のことと重ねて思う。
 徐倫は、父親の予想をはるかに超えて、そして、父親から受け継いだ誇り高い血に恥じないその強い意志で、たどり着くべきところへたどり着き、そして、為すべきことを為した。
 それは、ジョースターの血を継ぐスタンド使いとして、当然のことだったのだと、そう思う半分と、そうではなく、もっと平凡で穏やかな人生もあったはずだと、娘を思う父親としてだけの気持ちが半分、どちらが正しいとも見極められずに、星の男は、そんな弱さを抱えてしまった自分の内側を覗き込んで、ひとであることとスタンド使いではあることは、決して同じ次元のことではないのだと、その分裂した世界に自分の娘を引きずりこんでしまった結果を、どこかで深く悔いている。
 こんなことがなければ、おそらく、徐倫は、薄情な父親を一生憎むだけで終わったろう。けれどスタンドなどというものに関らずに、平凡に生きられたはずだ。同じスタンド使いとして、その生きにくさを味わって初めて、徐倫は、父親の苦しみを理解した。スタンド使いは、スタンド使いと引かれ合う。そんなふうにしてしか、わかり合うことのできなかった親子の姿は、やはりどこか奇妙で歪んでいて、普通の人間として生きることのできなかった自分の人生の失敗を、星の男は、苦く噛みしめる。
 それでも、その失敗がなければ、何もかもが最初から、救いすらなかったのかもしれないと、あの神父が繰り返していた、運命と言うものを、思う。
 あまりにも長く続いた因縁に、これでやっと終止符が打たれたのかと、どれほどのことを、自分の娘が、ひとりきりで、あの閉鎖された空間で得た仲間たちと一緒に、成し遂げたのかと、星の男は、ようやくうっすらと笑った。
 「あの神父は、オレの、双子の兄だったのだそうだ。」
 猫背の男は、自分の肩の後ろに手をやった。
 「どういう意味かはオレにはわからんが、星のアザが、ここにある。アンタも、それを感じているんだろう。」
 星の男が、また鋭く猫背の男を見つめて、それから、何か考えるように、ひどくゆっくり瞬きをした。
 「あの子にも、徐倫にも確か、同じアザがあったな。神父の肩にもあったはずだ。なぜ、敵対するものたちの肩に、同じアザがある? 経過は違っても、求めていた結果は同じことだったということか。」
 「それは違う。」
 きっぱりと、語尾を切り捨てるように、星の男が言った。
 「あの神父の、親友だったという、このことの何もかもの始まりだった男が、おれの先祖の体を奪った。おれは、その男を倒したが、その男の意志だけは、ジョースターの血と同じように、あちこちに受け継がれてしまった。君たちはただ、それに巻き込まれてしまったに過ぎない。」
 そして、と星の男は、少し苦しげに、言葉を継いだ。
 「おれも、巻き込まれた、そのひとりだ。」
 それから、娘の徐倫もと、付け加えた唇が、震えていた。
 猫背の男は、少しの間黙って、星の男が言ったことを考えていた。そうして、兄である神父の言っていた運命と言う言葉を思い出して、何もかも、この星のアザが始まりだったのかと、それが自分---と神父---の肩に浮き出たことの意味深さに、長い間封印されていた、ひとりの少女の顔を思い浮かべた。
 猫背の男の顔の周りに、小さな雲が集まり始める。そうして、ふたりの頭上から、柔らかな雨が降り始めた。
 「徐倫は、とてもいい子だ。」
 「ああ。」
 雨音にまぎれてそう言うと、星の男は、さして嬉しそうでもなく、言葉短に相槌を打つ。
 「よくやった。」
 「ああ。」
 「アンタは、あの子の父親だ。」
 「・・・ああ。」
 「オレの運命が、徐倫に結びつけられていたというのなら、オレはそれを、心から誇りに思う。」
 星の男は、わずかに肩を揺すって、頭上を見上げて、頬や口元に雨を受けた。
 濡れた頬を流れるのが、もしかして涙なのだろうかと、猫背の男は、顔を元の位置に戻した星の男に向かって、言葉を続ける。
 「オレはアンタを知らない。けれど、徐倫のことは知っている。オレと徐倫が、運命で結びついているなら、オレとアンタも、同じように結びつけられている。オレは、そのことを恨むようなことはしない。アンタがオレの運命の一部なら、オレはそれごと、自分の運命を誇らしく思うだけだ。」
 少しずつ、言葉に力がみなぎってきて、珍しく饒舌に、猫背の男が掌を上に向けて、降る雨をそこにためるように、そして、濡れた唇を一度舐める。
 「クソったれな人生だったが、少なくとも、オレは、徐倫に救われた。あの神父に結びつけられていたオレの運命を、オレのこの手に取り戻してくれたのは、彼女だ。」
 猫背の男は、自分の言葉を示すように、星の男の目の前で、ゆっくりと拳を作った。
 救うことのできなかった少女---恋人であり、妹でもあった、美しい少女---の、悲しい死に顔を思い浮かべながら、猫背の男は、自分の死に顔はとても満足そうだったに違いないと、不意に思う。
 徐倫に救われたということは、徐倫の父親である星の男に救われたということでもあると、そこまでは言わずに、絶望の中で生き続けるよりも、残る希望のために誇り高く死ぬ運命もまた、命を賭けて求められて然るべきだと、わずかな希望を常に信じることで力を得てきたふたりの男は、くぐり抜けてきた同じ運命のトンネルを、今は肩越しに振り返るだけだ。
 星の男が、帽子のつばを、下に引いた。いっそう深くなった陰に、目元の表情が隠され、もう、ぽたぽたとそのつばから滴る雨の雫の向こうに、頬や口元の線が見えるだけだ。
 とても深く魅かれた、徐倫の強さが、この星の男からそっくりそのまま受け継がれたものなのだと、改めて思いながら、猫背の男は、落ちてくる雨粒を数えるように視線を流して、どこか拭いきれない淋しさを背負っているように見える星の男に、励ますつもりでもなく、ただ、徐倫を通して自分たちは繋がっているのだと、星の男は、ひとりではない---それはつまり、猫背の男も、ひとりではないということだ---のだと、そう伝えるために、言葉を探す。
 顔の傍に漂っていた雲が、少しずつ小さく薄くなり始めていた。
 「雨は、いつかはやむ。オレが自分の力を使わなくても、雨は、いつかは降り止む。」
 眉から流れた雨が、目の傍を通って、頬からあごを伝って、そして、足元に落ちた。猫背の男は、その音を聞いた。
 帽子の陰で、星の男の瞳が、動いたような、気がした。
 「・・・ああ、そうだな。」
 雨に濡れた唇が動く。
 ふたりの男は、それきり黙って、視線を交わし続けていた。
 雨はまだやまず、他に音も聞こえない。ふたりきり、降る雨に柔らかく濡れながら、何かを待っている。来るかどうかさえ定かではないそれを、ふたりは黙って待ち続けている。


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