不良



 外での全校集会なんて、面倒くさいだけだ。
 風の吹く、埃っぽいグラウンドで、校長だか教頭だか2年の学年主任だかが、延々と何やらしゃべり散らしているのに、キーワードらしき言葉だけを耳に引っ掛け、花京院はもう何度目か、目元をこする。地面から吹き上がる細かい塵が、長い睫毛の辺りに引っ掛かって、ざりざりする。
 身長順に並んだ、学年のクラス順の、同じ制服を来た生徒たちの、多分上から見れば、まるで蟻のような眺め。見れば、関心すると同時に寒気もするだろう。気持ち悪いと、自分の連想に吐き気を覚えて、花京院は気分を変えるために、こっそりと辺りを見回した。
 クラスの列のいちばん後ろに立って、少し視線を流せば、3年生の列の並びが視界の端に引っ掛かる。
 数人、他のクラスよりも生徒の少ない承太郎のクラスは、承太郎の身長のせいもあって、とてもよく目立つ。
 やや斜めにこちらに向いた承太郎の右肩の辺りに視線を据えて、退屈さを隠しもしないその横顔に、ちょっとだけ苦笑をもらした。
 ハイエロファントを這わせれば、退屈しのぎに話しかけられるなと思いながら、けれど妙に無防備な承太郎の姿を見ていたくて、花京院は、もう自分の正面など見る気もせず、承太郎だけを見ている。
 神妙なふりだけはきちんとしている他の生徒たちと違って、承太郎は片手をズボンのポケットに突っ込んで、右足は軽く前に出している。当然、あの学生帽もちゃんと頭の上だ。目立つことこの上ない。普通ならだらけた態度と、体育教師辺りの鉄拳がすかさず飛んでくるところなのだろうけれど、噂では、教師の2、3人を病院送りののちに退職や転校に追い込んだことがあるとかで、校長じきじきに、空条承太郎には一切触れるなと教師一同に厳重に言い渡されているらしい。
 どこまでがほんとうかなどと、承太郎に訊くような野暮はしないけれど、口さがない連中は、いくらでも花京院に承太郎の噂を運んできてくれる。
 ふーん、そうなんだ。そんなことがあったのか。へえ。いやあ、びっくりだなあ。知らなかったなあ。面白いこともあるものだね。
 どう相槌を打つかは、その場次第で、花京院の淡白な反応に、たいていはそれきりで終わるし、聞いた話を笑い話として話題にすることはあっても、わざわざ事の真偽を承太郎に確かめようとしたことはない。
 自分が正しいと思ったことのためには、承太郎は容赦はないけれど、無駄で無意味な暴力はふるわないと、花京院自身が身を持って知っている。
 承太郎が、いわゆる不良としてどれほど恐れられているのかは、同じ学校に通い始めてから知った。その承太郎と、平然と一緒にいる下級生ということで、好むと好まざるに関らず、花京院自身も、すっかり有名人になってしまっている。
 目立たない存在であることを標榜していた花京院には、非常に迷惑な話なのだけれど、当の原因の張本人は、腹くくれと、それについてそう一言言っただけだった。
 やれやれと、承太郎の口癖を真似して、まだ花京院は飽かずに承太郎を眺めている。
 裾のやけに長い制服に覆われた、まるで大きな壁のような背中が、実際にどれだけ硬くて、そのくせしなやかなのか、知っているのは自分だけだと思うと、勝手に頬に血が上がる。背中だけではない、肩や胸や腰や脚や、それから、掌と腕と、額やあごや唇や、承太郎全部、噂などではまるきり知ることのできない、生身の、空条承太郎、それを、花京院はとてもよく知っている。
 とてもよく、と自分で思ってから、いつの間にか視界にいる承太郎の上着を、空想の中で脱がせていた。脱げば、重くてどさりと床に落ちる、あの長い上着。それから、二の腕が剥き出しのシャツは、薄くて、あまり現実的な用を為していないように思えるけれど、口出しはしない。自分以外の誰かが、それに触れることはないように思えたし、触れれば、ほとんどじかに、皮膚の温かさを感じることができるので。
 ぶ厚い筋肉。骨の形のくっきりと浮いた、背中のうねり。自分よりも20kgは重い体重の分が、ほとんどすべて筋肉だろうと素直に信じられるのは、自分の躯ですみずみまで確かめたからだ。
 自分だって、けして貧弱ではないのにと、花京院は無意識に自分の二の腕に触れる。人並み以上に硬い筋肉が、制服の下に盛り上がるのを確かめて、けれど残念ながら、承太郎のそれにははるか及ばないことを、ほんの少し悔しく思った。
 いつの間にか退屈な話は終わっていて、解散と、張り上げられた声に我に帰ると、目の前にいた大量の蟻もどきたちは、ばらばらと校舎に向かって歩き出していた。
 舞い上げられた埃をよけながら、花京院は、無意識に承太郎のいた方向へ足を向けていた。
 こんな時にさっさと歩くはずもない承太郎は、3年生の下駄箱のある玄関へ、のろのろと向かっている。生徒の波に邪魔されて、そのはみ出すような広い肩幅を、見失わないだけで精一杯だったけれど、走れば目立つだけだと、花京院はわざと歩調を周囲に合わせる。
 玄関に入ると、下駄箱から入った狭い廊下は、ラッシュアワーの通勤電車の如くに混んでいた。外の明るさのせいで、校舎の中の暗さに一瞬目が馴れず、瞬きの間に承太郎を、並んだ下駄箱の間に見失って、花京院は慌てて小走りに、廊下の方へ上がる。
 その花京院の後ろから、ぬっと承太郎が現れた。
 「じょ、承太郎っ。」
 小声で振り向いた花京院に、承太郎がにやっと笑いかけた。
 後ろから追っていたのを知っていたらしい。なら、さっさと声を掛ければいいのにと、花京院は少しだけ唇をとがらせて、承太郎の隣りに並んだ。
 ぺちゃくちゃとさえずる生徒たちの波の中、前へ進む以外に身動きもできない混雑の隙に、承太郎の手が、花京院の手に触れる。触れたのは、偶然だったのかもしれない。けれど、指先が動いて、花京院の指を取って絡めようとしたのは、偶然ではなかった。
 手を握るところまでは行かずに、普段から使い馴れてはいない小指が、動きにくそうに、けれどしっかりと花京院の小指を絡めに来る。誰もふたりを見ていない。まるで、子どもが指切りでもするように、制服の陰で、承太郎がその小指にゆっくりと力を込めた。
 花京院は、少しうつむいて、心臓が早鐘を打つ音が、絡んだ小指から伝わらないかと心配しながら、承太郎に応えるように、自分の小指にも力を入れる。
 その指が、軽く自分を引っ張るのに従うと、ごく自然に、前へ進み続けている人波の、いちばん後ろへ次第に下がってゆく。
 手が熱いと、そう言ってやろうと顔を上げた瞬間、承太郎の腕に引かれて、階段下の暗がりへ、引きずり込まれていた。
 前を歩いていた生徒たちは、いつの間にか1mも先を歩いていたから、今頃振り返ったところで、承太郎と花京院がどこへ消えたかなど、詮索すらしないだろう。
 階段を上がってゆく足音や、廊下を歩いてゆく足音が、まだ聞こえるというのに、承太郎の唇はせっかちに花京院のそれに重なってきて、絡んだ指はほどかないまま、片腕だけでしっかりと抱き寄せられて、花京院は身をよじることすら諦めた。
 長く深く重なる唇のために、承太郎の首に腕を回して、背伸びをして体重を掛ける。そのくらいではびくともしない承太郎の肩や背中に嫉妬しながら、さっきまで見ているだけだった承太郎に、今はじかに触れているのだと思うと、全身を巡る血の音が、滝のようにも聞こえる。
 外で浴びた埃のせいで、少しざらつく気のする頬や、制服の肩や襟の辺りや、けれど何よりも強烈に、承太郎の生身の匂いが、花京院の全身を包んでいる。その中に溺れながら、体の力が抜けてゆくのを、伸びた爪先だけで踏みとどまろうとしていた。
 校内なのに、誰かに見つかるかもしれないのに、早く教室に戻らないとと、理性的な人間のふりをしているだけの台詞が、胸の中に次々に湧いてくる。その声に従う気には到底なれず、ようやく承太郎が唇をほどいても、花京院は、承太郎の首に回した腕を下ろさなかった。
 「・・・おれのこと、見てやがったな。」
 不敵な笑みを刷いて、承太郎が、花京院の耳元で、声をひそめる。
 「君の帽子に、見惚れてたんだ・・・。」
 上がりっ放しだったかかとを床に下ろして、花京院は、つるつると光る帽子のつばのこちら側に、熱っぽい自分の表情が映っているのを、まるで夢の中のことのように見上げた。
 「うそつきやがれ。」
 決めつけた口調が、とても耳に心地良くて、その声をもっと聞きたいということと、唇を重ねたいという自分のふたつの願望が両立しないことを、花京院は不当だと憤りたくなる。
 承太郎が、軽くあごを上げて、見せつけるようなゆっくりとした仕草で、誰の前でも滅多と脱ぐことのない学生帽を、花京院のために取り去った。前髪がぱらりと額に落ちて、普段はあまり眺める機会のない広い額と眉の辺りの表情が、いきなりあわらになる。
 「・・・承太郎・・・」
 自分の声が、どれほど扇情的か気づきもせず、花京院は目を細めて、帽子のない承太郎を見上げている。
 承太郎は、脱いだ帽子を花京院の頭に乗せると、つばをぐいっと下に引き下げて、花京院の目線を隠してしまった。
 「見えない、承太郎」
 とがめるようにそう言って、帽子を持ち上げようとした花京院の腕を素早く取ると、今度は体をかがめて、階段下の狭い空間へ、すっぽりとふたりの体を隠す。
 花京院がが立ち上がる高さすらない、三角形の薄闇の中で、花京院の背中を壁に押しつけて、少し乱暴に唇をまた重ねる。
 狭い空間で、不自然に手足を折り曲げて、それだけしか知らないように、互いの舌や唇を舐め合っている。
 花京院は、眺めている間、ずっとそうしたかったように、承太郎の上着の中へ手を滑り込ませ、薄いシャツ越しに、承太郎の筋肉や骨の形をなぞった。腰や脇腹や背中や、想像していた時よりも、もっと熱く自分の掌に吸いつくような、じかの承太郎に触れて、いつの間にか吐息がもれていた。
 動くうちに、承太郎が乗せた帽子がずれ、花京院の肩に落ち、そのまま床を転がって、ふたりが息を殺して抱き合っている薄闇の空間を抜け出した。
 誰かが廊下から覗けば、そこに帽子が落ちていることに気づくだろう。
 今はまだ、放り出されたままの承太郎の学生帽だけが、そこからふたりを見ている。
 またろくでもない噂が流れるかもしれないと、沸騰する頭の隅で思いながら、さっき絡んだ小指と同じ強さで、承太郎の舌を絡め取りながら、それでもかまわないと、花京院は溶け合うように、承太郎の体に両腕を回した。


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