Charms


 明るいと言ってためらうのを、かまわずに引き寄せた。
 確かにまだ午後遅く、夕方の薄暗さはまだ遠く、こんなことを始めるには、少しばかり慎みのない時間ではあった。
 外はきっと、空が青く、けれど空気はわずかに湿り始めていて、昼間の熱が、薄れつつある、どこか奇妙な瞬間に、彩られつつある頃に違いない。
 そんな空気や光が、花京院の躯を染めるところを想像して、承太郎は、それを明るいところで見たいと思った。
 カーテンを引き、薄暗さ──うっすらと、明るさがひと色減った、というだけだったけれど──でにせものの闇を引き寄せて、そこで、花京院の服を剥ぎ取ってゆく。
 自分のことなどどうでもよく、少しずつあらわになる花京院の膚に、視線も何もかもとらわれて、鎖骨の辺りに鼻先を埋めて、承太郎はそこで深呼吸をした。
 掌を重ねる。指を絡めて握り合って、それだけで充分だと言う気分を味わいながら、同時に、もちろんそれだけで足りるわけもなく、まだためらいを消せない花京院は、すっかりすべてを剥ぎ取られた裸を、承太郎の胸の中に隠すように、肩や手足を縮めている。
 抱きしめて、両腕の輪の中に背中を抱き寄せて、胸や肩や腹が触れる。
 承太郎に比べれば、薄く小さく見える体だったけれど、普通の人ごみに紛れれば、頭半分常に高く、肩の広さも胸の厚さも、いつも掌に確かな手応えを返して来る。抱きしめても抱きしめても、かさが減ることはなく、承太郎の腕の中で、いつもよりも存在感の増す、花京院の躯だった。
 その躯を抱き込んで、自分の、かさばる躯で包み込んで、離したくないと、膚の熱さに言わせる。
 承太郎の肩にあごを乗せ、花京院が、照れたように笑った。
 触れている躯は、もう昂ぶっている。花京院のそれは、承太郎が触れたせいだ。承太郎のそれは、花京院が触れる必要もなく、ただそこで背を見せていただけだと言うのに、欲しいと思えば抑えも利かず、どれほど抱き合っても、足りると言うことがないように思えた。
 どこかを、必ず触れ合わせていなければ、我慢ができない。
 指先でもいい、肩でもいい、額や頬でも、どこでも良かった。ただ、花京院と触れ合っていられるなら、それで良かった。それが、必要だった。
 時折ふと、冷静になる。これは一体なんだと、立ち止まって考えようとする。
 一体いつから、承太郎の朝は花京院なしにはなく、夜もまた、花京院なしにはありえなくなってしまったのだろう。
 会えない時間を、すべて把握していたいとか、自分の預かり知らぬところで、花京院が誰かと笑い合っているのがいやだとか、そんな風には決して思わないのに、朝と夜に、誰にも邪魔されない時間がないと、ひどく機嫌が悪くなる。
 不機嫌をあらわにはしないけれど、このまま一生会えなかったらどうするんだと、埒もないことを考える。
 今日は雨だとか、どこかの路地で猫の親子を見かけたとか、電車の中で誰かがStingを聞いていたとか、そんな下らないことを、気も使わずに口にしてしまえるのは、お互いだけだったから、ことに承太郎は、花京院以外の誰とも口を聞かずに1日過ごしてしまっても平気だったから、1日の終わりには、頭の中に、花京院に伝えたいささやかなことが、いっぱいに詰まっていることになる。
 ささやかに言葉を尽くした後で、今度は、呼吸だけの会話が始まる。
 わずかなささやきと、後は、つぶやきにすらならない、ただ吐く息の音だけが、ふたりの会話のすべてになる。
 そうやって、言葉で交わした会話と、躯で交わした会話と、どちらも同じほど大事だったから、ごく自然にふたりは──ことに、承太郎は──、他に特別親しい友人も作らず、一緒に巣離れした鳥の兄弟が、丸くふくらんだ互いの羽の中にくちばしを差し込んで、どちらがどちらと見分けもつかないひとかたまりの羽のボールになってぬくもりを分け合うのに似て、その小さな熱の殻の中に、手足を縮めて閉じこもっている。
 裸の花京院を見るのが、承太郎は好きだった。
 滅多と、何もかもを見せてはくれないし、羞恥も含めて、慎ましいということを何よりも大事にする性質(たち)らしかったから、時には少しばかり無理強いをし──今も、ちょうどそうだ──て、見下ろせる位置に、花京院を置こうとする。
 いつも冷たい手が、承太郎に触れる。その冷たさを気にして、指先でそっと触れて、承太郎の体温にぬくまってから、ようやく掌をあてがって来る。指の長いその手に包まれて、ややぎこちなく扱われながら、手が冷たいのは、心があたたかいからだと、そんな下らないことを思い出す。花京院に限っては、それは真実のように、承太郎には思えた。
 爬虫類の腹のように、ひんやりとした滑らかな掌、それが、承太郎に触れて、滑る。その掌に、まるで鱗があるような、そんな気がして、そうして、自分の全身も鱗に覆われているのだと、そんなことを考え始める。
 色も形も手触りも違う鱗は、触れれば、どこかが引っ掛かる。それが、くすぐったいように、奇妙に気持ち良く、これで長い尻尾でも生えていれば、それでまた花京院を抱き寄せられるのにと、思いながら、花京院の腰の辺りを撫でる。
 羽の生えた鳥ではなくて、鱗のある、体の冷たい爬虫類が2匹、そこだけ白く光る腹をこすり合わせて、隠そうとしても隠せずに、感情そのままに動きくねる長い尻尾を視界の端にとらえながら、少しずつ熱くなる体の中の血に、今では首筋も胸元も真っ赤だ。
 首筋をこすり合わせると、血の流れる音が、互いの膚に伝わる。ざわざわと、ざわめくようなその音は、背骨の辺りに轟く、身内の融けた溶岩が、あふれてふたりを押し流そうとしている音にも聞こえた。
 裸になれば、ひともまたけものと変わらず、小難しいことはすべて置き去りにして、ただ欲しいという気持ちに素直に従うことしか、この世界に意味はないように思えてくる。
 ひとりでもかまわない。それでも、ふたりならなおいい。それが花京院なら、いちばんいい。花京院以外の誰かと、笑い合っている自分が、承太郎にはもう想像すらできない。
 好きだとか惚れているとか、もうそんなことすらわざわざ考えることもなく、承太郎の世界は、花京院にだけ繋がっている。花京院だけに満たされて、そこに小指があると同じように、花京院が在ることが、もう承太郎のすべてだった。
 酸素のようだ。それがなければ、生きてはいけない。ふたりでいなければ、呼吸もできない。それでも、ふたり一緒に息を止めるなら、それはそれでかまわないと、いっそう強く花京院を抱きしめて、承太郎は思う。
 座って、正面から抱き合う形に落ち着いた後で、承太郎は不意に、花京院の両腕を取って、後ろへ押し倒した。
 承太郎が突然、少しばかり乱暴になるのは、そう珍しいことではなかった──怪我をさせるようなことは、決してしない──から、花京院はなんだいと小さくつぶやいて、承太郎の胸の下に、素直に組み敷かれた。
 両手首がシーツに縫いつけられて、それから、承太郎が膝の間に躯を割り込んでくる。腿の内側に触れる、承太郎の形と熱に、花京院は知らずに肩をすくませていた。
 それが触れて、張りつめた敏感な皮膚と湿った熱が重なる。重なって、承太郎がゆっくりと動き始める。
 胸を開いて、両脚を広げた無防備な姿勢で、承太郎に見下ろされて、花京院は、承太郎の動きにそそのかされながら、羞恥にひと色、濃く首筋を染めた。そうして、その羞恥によりいっそうそそられて、気がつけば、自分に躯をこすりつけている承太郎に向かって、腰を揺すっている。
 普段は、そんな風な触れ合い方はしないから、躯が、勝手に承太郎に応え始めていた。手指や唇ではなく、承太郎のそれにじかに触れられて、そうしてこすり上げられて、花京院は、そんな気もなく承太郎をそそる、ひどく甘い声をふりこぼしている。
 手は相変わらず自由にはさせずに、承太郎は、花京院を煽り続けた。押しつけて、こすり上げて、時折、もっと躯を近く寄せるために、片膝の上に花京院の脚を乗せ、さらに強く揺すぶって、そうしてより近く触れ合うと、花京院の声がいっそう高くなる。かすれて、今にも息を止めそうに、ぜいぜいと胸が上下している。その胸は、汗──承太郎のと、交じり合った──で濡れて、火に炙られたように、真っ赤だ。
 開いたままの唇の中に、慄え続ける緋い舌が見える。同じほど赤く染まった目元が、潤んであふれて、ついに、涙を落とした。承太郎は、必死で自分を引き止めながら、そんな花京院を見つめている。
 閉じることも忘れた唇の端が、唾液で濡れて、声はなく、喉で叫ぶ花京院のその唇の奥へ向かって、承太郎は、逆らうこともできずに、躯を寄せて行った。
 花京院。鼻先の触れ合う近さで小さく呼ぶと、潤んだ瞳が、空ろに承太郎を見つめ返してくる。
 こぼれた涙の後を追うように、また唾液が、細く唇の端から垂れた。
 躯をこすり合わせる動きを続けながら、承太郎は、頬を合わせるように、花京院と首筋を重ねた。頬が触れ、こんな時にもなぜかそこは冷たい耳朶が触れ、そうして、合わさった目尻に、花京院の涙が触れる。顔の向きをずらし、承太郎は、伸ばした舌先に、その涙を舐めた。
 食べてしまう代わりだと、胸の中でひとりごちる。それから、頬を下へ滑らせて、ついでのように、こぼれた唾液の跡も、舌先でなぞった。
 こうして触れ合ううちに、いつか、皮膚が溶けてしまうだろうか。熱に浮かされたふたりの躯が、骨すら形を失くして、ふたりはいつか、ひとつになれるだろうか。
 まるで、中毒だ。花京院なしには、もう呼吸すらできない。
 手を離す気はさらさらなく、承太郎は、胸を重ねて、半開きの花京院の唇に、自分の濡れた唇を重ねて行った。
 皮膚が溶け、骨も融け、肉の形を失くしたふたつの体が、床の上に流れる液体に変わる。そこに交じり合い、広がり、奇妙な色の染みになって、もう、分かたれることを心配する必要はない。
 そうなればいいと、承太郎は思った。
 躯の境である皮膚をこすり合わせて、体液を奪い合って、ひとであることを忘れて、永遠に貪っていたい。羽のある鳥でも、鱗の生えたトカゲでも、何でもいい。いつかひとつになれるなら、ひとであることをやめることなど、何でもないことのように思える。
 好きだでも、惚れているでも、そんなきれいな言葉ではなく、ただひたすらに、花京院が欲しい。
 食っちまいてえ。
 声にはせずに、唇だけを開いて、承太郎は、こっそりと花京院の膚に歯を立てた。汗を舐めて、その下の肉の歯応えを想像しながら、歯列を弾き返すだろうその弾力に、躯の中心を貫かれたような気がして、軽く声を立てて、花京院の脚の間に果ててゆく。
 花京院の上に体を乗せて、そこで呼吸を整える。それから、目の前の頬に、歯を立てる代わりに、これ以上はないほど、優しい口づけを落とした。涙の残る花京院の頬は、血と同じ味がした。


* 2009/2/22 承花オンリ無料配布。

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