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クリスマスで外はずいぶんと騒がしいようだったけれど、それを避けるように家に閉じこもったまま、ふたりのいる部屋は静かだった。食料とコーヒーと紅茶はたっぷりとあったから、買い物にすら出る必要はなく、互いにあたたかな飲み物を目の前に、花京院は床に寝そべって本を読み、承太郎はエレキギターを抱えて、アンプには繋がずに弦を弾いている。
「いつも思うんだが。」
花京院が、本から顔を上げて、肩へ首をねじ曲げて承太郎へ声を掛ける。
「弦が切れて指を切りそうだな。」
「弦替えの時に締め過ぎて何回かやったぞ。」
承太郎も、手を止めて花京院の方へ顔を向けた。
「いやそうじゃなくて、弾いてる時にだ。」
花京院の言葉に思案するように、承太郎が太くて形のいい眉を少し上げた。
「触るのも怖いな、僕は。」
死にそうな怪我は気にもせずに戦いの中へ突っ込んでゆく花京院が、承太郎のそれよりは細い、そして形の良い眉をわずかに寄せた。
床から体を起こし、本には栞を挟んで、承太郎の方へ這い寄る。承太郎が握っているネックの背の方へ指先を伸ばし、承太郎の手ごと、そこへ触れた。
「僕は、君が弾いてるのを見るのだけ、好きだ。」
ギターにも、ギターを弾く人間たちにも、基本的に興味はない。承太郎が弾くから美しいと思えるのだと、そう思いながら、どこかギターのネックと似て優美な、承太郎の手首の辺りへ視線を這わせ、花京院は知らずに小さく微笑んでいた。
「来い。」
不意に承太郎が、花京院の腕を掴んで自分の方へ引いた。ほとんど床に倒れ込みそうに強く、突然開いた承太郎とギターの間に引きずり込まれて、そこに坐るように、承太郎の大きな手に促されていた。
あぐらをかいた承太郎の膝の上に乗る形で、そうして、不本意ながら胸元にエレキギターを抱え込む形で、花京院は承太郎に抱かれて、おそるおそる両腕を伸ばし、承太郎に倣ってギターに触れる。
思ったよりも大きくて重さのあるそれは、けれど案外と薄くて、そうしてそうやって作られているものなのかどうか、胸や腕にきれいに添う。ぎこちない自分の姿勢を少し恥ずかしがりながら、それでもギターと承太郎の両方に挟まれて逃げることもできない。
「指、置いてみろ。」
承太郎の肩が、花京院の肩を後ろからつついて来る。壊れ物のように、そっとネックを握り、承太郎の邪魔にならないように、指板に指先を乗せた。
ひんやりと触れる弦は、つるつるとしていてぎざぎざしていて、これがどうやったら、あんなきれいな音──承太郎の、弾く音──を出すのだろうかと、花京院は訝しげに考える。
背中と胸を合わせる形は、別に物珍しくもないけれど、今日は目の前にギターがあるせいか、普段と少しばかり勝手が違う。戸惑いを消せないまま、花京院はもう一方の手で、弦を弾(はじ)いてみた。
やはり承太郎のような音は出ず、がっかりしたのを、背後の承太郎が素早く読み取ったのか、花京院の手に、それぞれ自分の手を重ねて、じゃらんと弾き下ろした音は、いつもの承太郎の音に似ていた。
弦のふるえが指先に伝わる。それが腕に流れつたい、時には脳を慄わせるのだろうと、こうしていると花京院にも理解できた。自分が絵を描くのと同じだ。筆の滑る感触が、脳髄の襞に伝わる、あの感覚。承太郎も自分と同じだと、その時初めて理解する。
だから君はギターを弾くのか。
口にはしなかったのに、承太郎が、頭上で微笑んだ気配があった。こうしていると、きっと何もかも伝わり合ってしまうのだ。
傷跡のある背中は、そこだけ皮膚が薄くなっているように見えて、承太郎に触れられると、いつも内臓や骨に直接触れられているような、そんな気分になる。今はそこから、承太郎の体温がいっそう強く伝わって来て、思考も血の流れも、自分の中に流れ込んで来るような気がした。
手と手が重なり、背中と胸が重なり、そうして、ゆっくりと呼吸も重なってゆく。ほどける自分の体が、承太郎の方へ伸びて絡みつき、そうして承太郎とひとつになってしまう、錯覚。腹に当たるギターの固い感触と重さが、ようやく花京院を現実に引き止めている。
僕は、君のギターになれるだろうか。
あるいは君は、僕にとっての絵のような存在になるのだろうか。
抱き合っているだけで、意識が遠のく。承太郎のそれを交じり合い、どこからどこまでが自分で承太郎が見極めもつかず、そうして、このままでもいいと、すべてをその意識空間に投げ込んでしまいたくなる。
ギターと花京院を一緒に抱えて、なお余る承太郎の長い手足の中に収まって、花京院は頭の中で、今の自分たちの姿を線でなぞり、宙に浮かぶ架空のキャンバスに、どんな色を塗ろうかと考えていた。
背中の傷跡から伝わる承太郎の体温が、腹の傷跡へ伝わる。内臓へ直接触れる行為がなくても、承太郎と繋がっているという感覚に満たされて、それでも、週末の昼間から夢見心地がまずいと、花京院は自分でギターの弦をうるさく弾き鳴らした。
花京院の子どもっぽい仕草に、承太郎がちょっと驚いて花京院から手を放し、どうしたと言いたげに、頭のてっぺんにあごを乗せて来る。
「指くらい切れても、きっと大丈夫だ。」
花京院がそう言ったのを、けれど承太郎は真意をつかみ損ねたらしい。戸惑った空気が2拍分流れて、そうして、承太郎が指板の上に揃えた人差し指と中指を滑らせた。
あの、きゅっと言う、神経のとろけそうな音が立つ。ギターに興味のない花京院が、とても好きな音だ。承太郎が指先を元の位置に滑らせて、また同じ音を立てた。
自分に何が起こっても、自分がどんな風になっても、承太郎は変わらずそばにいてくれるだろうと、花京院は思った。腹の傷跡も背中の傷跡も、気にはしている風でも、それも花京院の一部だと受け入れている承太郎は、きっとこれからも静かに花京院のそばにいるのだろう。
クリスマスと言う日に、恋人たちが騒がしく恋を交わしているらしい日に、ふたりは静かに一緒にいた。特別な日とも思わず、ただふたり一緒にいられることを、それこそが特別なことだと考えながら、静かに時間を過ごしている。
ねだるように承太郎の鎖骨にうなじをすりつけると、もう一度花京院のために、承太郎が、弦の上に指先を滑らせて行った。