違い・差がある2人@お題場

趣味


 街の反対側に、ひとり出掛けた帰りに、曲がる道を間違えて入り込んだ、小さな家ばかりの並ぶその辺りは、承太郎には馴染みのない通りだった。
 あまり手入れが良いとは言えない小さな前庭に、大きな犬と半裸の子どもたちが跳ね回り、親らしい女たちは、玄関前のポーチにだらしなく腰を下ろして、大きな声で笑い合っている。
 道に停められた車はどれも古く、あちこちに錆が浮いている。承太郎が乗っている、日本製のSUVは、ここではとても場違いだ。
 早く通り抜けてしまおうとは思っても、狭い道に子どもたちが遊んでいたりして、うっかりスピードも出せない。道の半分は駐車された車で埋まってもいるから、前方に注意しながら、承太郎は元いた通りへ戻るために、どこかで左へ曲がれないかと、別の通りを探していた。
 そうして、右へゆるく曲がるその道を進んでいる時に、1軒の家の前で、ガレージセールが行われているのを見た。
 良い天気の続くようになったこの頃には、毎週末、大通りの曲がり角に、手製のポスターが貼られ看板が立つ。個人的な不用品を、自宅の前で売るのだ。日時と住所の記されたそんなものに、今まで注意を払ったことすらなかったけれど、その家の前を通り掛かる辺りで、黄色い表紙の雑誌が、箱一杯に置いてあるのが目に入って、承太郎は思わずブレーキを踏む。
 幸いに、あまり人は集まっていずに、その家の前にうまく場所があったので、承太郎はそこに車を停め、そばかすだらけの肩や背中を剥き出しにした、店番らしい女へかすかな会釈をして、その箱へ真っ直ぐに歩いて行った。
 思った通り、ナショナルジオグラフィックだ。上の数冊は、表紙に見覚えがある。長いコートの裾に気をつけてしゃがみ込み、承太郎は中に指先を差し込んで、雑誌の日付を確かめ始めた。
 乱雑にそこへ入れられたそれは、一体誰のものだったのか、中ほどの日付は20年近くも前のものだ。どれも日付はばらばらで、定期的に読んでいたのではなくて、気が向いた時に買っていたというところか。
 箱ごと持って帰って、1冊1冊取り出して眺めて楽しむということもできたけれど、残念ながら大学時代からの分が、自分の書斎にずらりと揃っている。別に、同じものを持っていても構わなかったし、たまには懐かしい記事を読み返すのも面白そうだったけれど、それが終わった後で、これを捨ててしまわなければならないということに耐えられそうになかったので、承太郎は名残り惜しさを隠さずに、箱から視線を外さずに立ち上がった。
 店番の女は、東洋人の顔立ち---けれど、明らかに混血である---の、背高い承太郎の、この季節には似合わない長いコート姿を、自分のタンクトップとこっそり見比べている。週末だと言うのに、ぴかぴかに磨かれた承太郎の革靴もまた、腿まで剥き出しの、サンダル履きの女の素足とは好対照だ。
 立ち去ろうかと、女の方へ視線を流したその端に、別の箱が引っ掛かる。
 スーパーマーケットからもらって来たのだろうか、トマトの絵が描かれたその箱には、TVガイドと同じ大きさの雑誌が入っていた。
 TVガイドだと、思ったからそこへ足を向けたのだ。
 箱の縁からあふれそうになっているそれは、けれど目当てのTVガイドではなく、リーダーズ・ダイジェストだった。承太郎は、上からうっかり眉をしかめた。
 ごく個人的には、ひまつぶしにさえ、手に取りたくはない類いの雑誌だ。とてもアメリカ的な、とても偽善の匂いのする、無個性な字の連なり。それでも、ふと興味を引かれて、また地面に向かってしゃがみ込む。
 これも同じく、見れば日付はばらばらで、古いものはさっきのよりさらに古い。箱いっぱいのそれは、一体何十冊あるのか。日付順に並べれば、表紙の変わりようが面白そうだと、学者らしいことを思う。
 あの男が、この世界から隔絶されて、あの刑務所にずっと閉じ込められていた間だ。中では、一体どんなことをして、終わることのない時間をやり過ごしていたのだろうか。
 記憶を失くしていたというあの男が好んで読むのは、TVガイドばかりだけれど、それの新しいものはあまり好きではないようで、エンポリオが携えて来た古いものばかりを、繰り返し繰り返し読んでいる。
 これなら読むかもしれないと、ふと思いついた。
 わかりやすく要約された記事のまとまり。刑務所の外で起きていたことが、まるでそのことのためのように、ここに溜め込まれている。
 これは全部でいくらかと訊ねるために、承太郎は立ち上がりながら、女の方へ首を回した。


 箱は思ったよりも大きくて重く、助手席から引きずり出して玄関まで運ぶのに、少しばかり時間が掛かった。
 スタープラチナにドアを開けさせ、革靴の底が乱暴に床を蹴るのに構わず、そのまま居間へ入る。
 足音に驚いたらしいウェザーが、3人掛けのソファから体を起こして、こちらを見ていた。
 承太郎ひとりには大きすぎるこの家には、たまに泊まりに来る徐倫のために彼女の部屋があり、それから、いたこともない客のための部屋があるけれど、ウェザーはいつもこのソファにいる。長い間、私物というものを持たない生活をしていた彼は、わずかな着替えを承太郎の部屋の隅に置いて、承太郎と一緒に過ごす夜以外は、ずっとここにいた。
 他に彼の持ち物と言えば、例のエンポリオが持って来た---ウェザーのためにだ---、古いTVガイドだけだ。
 そのウェザーの足元に、抱えて帰ったダンボールの箱を下ろして、また承太郎は背を伸ばす。
 「ガレージセールで見つけた。読みたいなら好きに読めばいい。」
 また読み返していたらしいTVガイドを置いて、ウェザーが箱を覗き込む。そうして、承太郎と同じような無表情を崩しもせずに、その中へ手を差し込む。
 「アンタも読むのか。」
 ウェザーが承太郎を見上げて訊くのに、承太郎は、ああともいいやとも言わず、ただわずかに肩をすくめて見せた。
 取り上げた1冊を、もう中を開いて読み始めている。あれは、確か日付は2003年と書いてなかったか。承太郎は、ウェザーが興味を示したらしいことに満足して、コートを脱ぎながら、居間と続きのキッチンへ向かう。
 飲むかとは訊ねないまま、コーヒーをふたり分、機械にセットし始めた。
 「お袋が昔、読んでたんだ。」
 箱の中をあれこれと探っているのが、向けたままの背中に聞こえる。
 コーヒーメーカーに水を注ぎ入れながら、承太郎はわざと振り向かなかった。
 全部取り出して、日付順に並べて読んだ方がいいのではないかと、そう思ったけれど、わざわざ口には出さない。ウェザーが好きなようにすればいいのだ。まるでその時をつまみ上げるように、取り出した時間を、掌の上に広げて読んでもいい。以前読んだものをまた、違う気分で読み返すのもいい。あるいは、時間の流れをきちんと追いかけて、自分が今いる時点に、たどり着こうとしても構わない。
 爪先立ちの足音がかすかにして、片手に、たった今読み始めたらしいリーダーズダイジェストを持ったまま、ウェザーが承太郎の後ろに立った。
 キッチンカウンターに雑誌を置きながら、もう一方の手が、承太郎の肩に乗る。
 丸首のシャツの襟を、親指で肩の方へ寄せながら、ウェザーが、承太郎の首の根の辺りに唇を落とす。
 雑誌を置いて空いた手が、腰へ回ってくる。
 素直に抱き寄せられながら、承太郎は、ウェザーの唇が触れているのが、星のアザのない方だということを気にしてた。
 「ありがとう。」
 膚に触れたままで、ウェザーがつぶやく。
 肩に乗ったウェザーの手に、自分の手を重ねて、唇に触れるために、そちら側に首を回す。
 今夜は、書斎のナショナルジオグラフィックを何冊か抜き出して来て、ウェザーの隣りで読みふけろうと、承太郎は思った。
 コーヒーの香りの満ちてくるキッチンで、ふたりは、触れるだけの接吻を続けている。


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