違い・差がある2人@お題場

目線


 校庭の隅で、それなりに賑わう昼休みの人ごみを逃れて、植えられた高低さまざまな木の陰にいた。
 屋上で、承太郎が開いた昼食は、ホリィのお手製だというイタリア系だとかいうミートボールと、炒めたピーマンのつけ合わせと、色とりどりのフルーツサラダ、承太郎はもちろん、それを全部きれいにたいらげた。花京院の方は、これは自分が詰めた---毎日そうだ---、卵焼きと小魚と大豆を甘くからめたやつと、それからほうれんそうのおひたし、たれを漬けて焼いたかどうかした、大きな鶏肉も見えた。卵焼きひと切れと、鶏肉のひとかけらが、ホリィのミートボール3つに化け、育ち盛りの食欲は、それでひとまず夕方まではおさまるだろうと、希望的観測とともに、ふたりの昼休みは半分終わる。
 そこで煙草を喫ってもよかったのだけれど、何となく地面が恋しくなって、承太郎は、下へ行かねえかと、ゆっくりと立ち上がった。
 問い掛けの形なのは、花京院に対する礼儀だけれど、ほぼ決定に等しいことはいつものことだ。花京院も、あえて逆らうこともせずに、空になった弁当箱を丁寧に包み直してかばんに入れて、それはそのまま置いて、承太郎の隣りに立ち上がる。
 「どうしてわざわざ、見つかるような場所で喫うのか、理解に苦しむな。」
 「文句があるなら、言いに来りゃいい話だ。」
 すでに手にはマルボロを握り込みながら、承太郎が、花京院に横顔を見せたまま言う。
 隠れているというのは、単なるポーズで、2m近い長身は、どこへいようと一目瞭然だ。こそこそしているのだとあからさまにするのは、それを禁止だという大人たちに対する礼儀なのだそうだ。承太郎の表現する礼儀というのは、花京院の学んだそれとはずいぶんと違うものだけれど、今では花京院も、承太郎と必ず組で数えられてしまうのにも、慣れっこになってしまっていた。不良の空条承太郎の連れの、不良ではないけれど要注意人物の花京院典明というわけだ。
 ピアスも、裾の長い制服も、どちらも校則違反であることは百も承知で、結局のところ花京院は、悪びれないという態度で、申し訳ありませんが、僕は僕のやり方を変えるつもりはありませんと、教師たちに表明していることになる。親たちは無論、何も言わない。そもそも、花京院と顔を合わせる時間も少ない彼らだ。
 成績が良いことが、停学や退学を云々されない、唯一の理由なのだろう。それをありがたいことに、承太郎は基本的に好き勝手に振舞っているし、花京院も、柔らかく我を通している。
 それでも、未成年の喫煙はどうかと、そう思っている花京院だった。
 「僕が文句を言ってるのが、君には聞こえてないらしいな。僕の身長がこれで止まったら、君の煙草のせいだぞ。」
 煙草を取り出しかけた手の動きを止めて、承太郎が、左隣りいる花京院を、いつもの角度で見下ろす。あごを、肩口にくっつけるようにしなければ、とらえられない目線だ。それでも、体を折り曲げずにすむだけ、花京院は長身の部類に入るのだ。
 ふんと、あごを振って、顔の位置を元に戻してから、承太郎は、葉陰から降りこぼれる陽射しを見上げるように、ついと胸を反らす。
 「そばで喫わなきゃ文句はねえか。」
 上を向いたまま言うと、一体何のことだと、花京院が形の良い眉を寄せたのが、視界の端に見えた。
 上着の胸ポケットに、取り出していた煙草を乱暴に戻すと、承太郎は校庭と道路を区切る金網のフェンスに手を掛け、そのまま昇り始めた。丈夫ではあっても、誰かの体重を支える- --しかも承太郎だ---ことには馴れていないフェンスが、頼りなく揺れる。なびきながら、上へ向かう承太郎の制服の裾を、花京院はぽかんと眺めている。
 「おい、承太郎ッ!」
 やっと声が出た頃には、承太郎はもうフェンスを上を軽々とまたいで、舗道に、とんと飛び降りるところだった。
 体が浮いた拍子に、ふわりと落ちかけた帽子を、素速くスタープラチナが受け止める。何もかも、そつというものがない男だと、心の底では感心しながら、花京院は吊り上げた眉を元には戻さない。
 「校内じゃねえからな、校則違反でもねえぜ。」
 揶揄するように言って、改めて取り出した煙草を、承太郎は唇に挟んだ。
 白っぽい薄緑の金網のフェンスは、斜めに走る線でふたりの間を遮っている。隔てられて、やけに奇妙な眺めだと、花京院は、承太郎の唇を見上げていた。
 届かない距離ではないというのに、地面に埋められたフェンスの土台の幅だけ近寄れないというのは、何だか不思議なことのように思えた。
 花京院に左肩を向けて、承太郎は、煙草に火をつけようと、ズボンのポケットに手を入れる。
 ない。指先に触れるものが、ない。ポケットの底にも、ない。
 落とさないように、煙草のフィルターを軽く噛んで、今度は別のポケットを探る。上着の胸を叩く。落としたなら、音がしたはずだと、足元に目を落とす。
 そこで、くくっと、小さく笑う花京院の声が聞こえた。
 「君が探してるのは、これかい。」
 花京院の背後で、ハイエロファントグリーンが、承太郎の探している赤いライターを、高々とかざしていた。フェンス越しに、承太郎は、それを帽子のつばの陰から見上げた。
 「花京院、てめぇ・・・。」
 いつの間にと、そう思った時に、知らずにフィルターを噛みしめていた。
 「君に煙草を喫ってほしくないと思えば、こういう方法もあるってことだ、承太郎。」
 今度は、花京院がいたずらっぽく笑う。
 「・・・やれやれだぜ。」
 唇から外した煙草は、フィルターにがっちりと歯型がついている。それを見て花京院が、首をかしげて苦笑をこぼす。
 金網が作るひし型に、花京院は手の先を差し込んだ。手の甲を丸めても、指までしか入らない。そのままで、承太郎に向かって、人差し指と中指を動かして見せる。
 「貸せ、承太郎。」
 その伸びた指先に、承太郎は、素直に持っていた煙草を渡した。
 するりと指と煙草がフェンスをくぐり抜け、いつの間にかハイエロファントは消えて、赤いライターは花京院が手にしている。
 噛み跡のついたフィルターを、花京院は、慣れない仕草で、そっと唇に挟んだ。
 「吸わねえと、火は点かねえぜ。」
 知っているかもとは思いながら、ライターの石を弾く親指のぎこちなさに、承太郎は思わず、フェンスに手を掛けて、額を寄せていた。
 うつむいて、掌に囲んだ火に顔を近づけて、色の薄い花京院の唇が、オレンジ色の火に照り映える。それを上から眺めて、承太郎は、伏せられたまつ毛と唇が、一緒にかすかに震えているのを見逃さない。
 似合わねえなと、思った唇の端に、微笑が浮かんでいた。
 ようやく赤く火の点いた煙草を、しかめた表情で花京院は唇から離す。吸い込まずにはすんだ煙を、薄く吐き出しながら、舌の奥に残る味を拭うように、思わず手の甲で唇を覆っていた。
 指に挟んだ煙草を、フェンスから差し出すと、承太郎は、受け取る代わりに親指の辺りをつかんで引き寄せて、そのままそこへ唇を近づけた。指の腹に、かすかに、唇の際が触れた。
 吸い込んだ煙の匂いの中に、何か別の香りを嗅ぎ分けたような気がしたけれど、気のせいだったかもしれない。
 ライターも差し出して返す花京院は、煙草の匂いに顔をしかめて見せながら、その時鳴った昼休み終了のチャイムに、横顔で振り返った。
 校舎の中へ駆けてゆく無数の背中を眺めて、けれどその場から動く気配は見せない。
 「授業に遅れるぜ。」
 わざとゆっくりと煙を吐き出して、承太郎は平たい声で言った。
 「君はどうせ、さぼるつもりなんだろう。」
 くわえた煙草に手を添えたまま、承太郎は肩をすくめてそれに応える。
 「校則違反ついでだ。」
 承太郎を見上げて、花京院が笑う。
 つられたように、承太郎も微笑んだ。
 フェンスに寄り掛かって、肩の位置を下ろし、花京院の高さに、目線を揃えた。
 相変わらず金網に区切られて遮られていたけれど、重なった視線で笑みを交わして、ふたりはしばらくそのまま見つめ合っていた。


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