言葉遣い
「昔、小学生の頃に、お使いに行かされてだしの素と味の素を間違えて買って帰ったことがあった。」「味の素なんざ使ったことがねえな。」
「君のところはホリィさんが台所を守ってるじゃないか。大体、使わないったって、使わないのは君じゃなくてホリィさんじゃないか。」
「やかましい。味噌汁にだしの素なんざ手抜きもいいところじゃねえか。」
「ウチは共働きだし、中学から夕食の準備は僕の分担だったんだ。そのくらい大目に見てくれ。」
「弁当も自分で作ってたクチか。」
「ああ、木曜日にはもう何を入れたらいいのかわからなくなる。月曜日が、別の意味で憂鬱だったな。」
「昼までの日は天国だな。」
「そういう日は、事前に言っておくと、母がお金を置いて行ってくれるんだ。2百円とか5百円とか。近所のパン屋で菓子パンを買うのが楽しみだった。」
「うちは滅多と外食もねえな。」
「ホリィさんは料理好きに見えるが。」
「おう。基本和風だ。たまにおばあちゃん直伝らしいパスタやらパイやら出て来るがな。今は手入れが面倒って言ってあんまり出番がないが、手製パスタの機械も台所にあるぜ。」
「すごいな。自家製のスパゲッティーなんて、考えただけで腹が減る。」
「おばあちゃんが年に何度かでっかい鍋でトマトソースを作る。それを瓶詰めして送ってくれることがある。残念ながら味付けがあっちなんで、ホリィが醤油やら入れて使うんだがな。」
「しょうゆ? スパゲッティーソースに醤油?」
「おう、カレーの仕上げにも入れるぜ。ジジイはあの匂いが苦手らしいが、隠し味に入れた分は、気づかずに美味い美味いって食いやがる。」
「カレーには僕の家も入れるな。父さんが好きなんだ。ひき肉派で、じゃがいもゴロゴロ系の母とは好みが合わないんだが。」
「てめーはどっちの味方なんだ。」
「・・・実を言うと、たまに母さんが夜勤で、父さんが食事に連れ出してくれることがあったんだが、その時に行く喫茶店の、ほとんどルーだけみたいなカレーが大好きだったんだ。給食のカレーは苦手だった。」
「おれは給食の時間だけは楽しみだったがな。」
「君はそうだろう。見た目からして欠食児童だ。」
「やかましい。」
「しかし、同じものを食べて育ってるはずなのに、どうやったらそんなにデカくなれるんだ承太郎。」
「ジジイに訊け。まあ訊いても、ジジイのジジイに訊けって言われるだろうけどな。」
「まあ少なくとも、君の先祖が米と味噌汁で成長したわけじゃないことだけは確かだ。」
「ジジイがアメリカの大学に行け行けうるせーが、食事だけは閉口しそうだな。」
「味噌も醤油もない生活は考えられないな。」
「だしの素もねえぞ。」
「うるさいな、そこから離れろ承太郎。」
「日本人なら米の飯に玉ねぎと油あげの入った味噌汁だな。」
「玉ねぎ! おい、味噌汁にたまねぎなんて冒涜もいいところじゃないか! 豆腐とわかめに決まってるだろう。」
「わかめは、酢の物ならいいが、味噌汁の実にはパスだ。口ん中で滑るのが好きじゃねえ。」
「僕は玉ねぎの方をパスさせてもらう。あの甘みが味噌とは全然合わない。白味噌と玉ねぎの組み合わせを想像してみろ。ほとんどおやつじゃないか。」
「じゃあ、じゃがいもはどうだ。」
「ありだな。僕は好きだ。油あげと一緒ならもっといい。」
「・・・あのモソモソしたのが苦手だ。さつま芋も同様。」
「なんだ君わがままだな。じゃあ里芋ならいいだろう。」
「里芋ならいっそトン汁の方が潔いな。もっとも、ホリィが作るとごぼうがでかくてぶ厚くで食うのに苦労するんだが。」
「トン汁? ぶた汁のことか。ごぼうのささがきは得意だぞ。きんぴらはしょっちゅう作ってたんだ。しかし君、じゃがいもやさつまいもがいやなら、さつまいもご飯も食べられないのか。」
「おう、悪いが嫌いだ。理由は同じく。メシと一緒に食ってモソモソするのは最低だろう。しかもあの甘いのが米の甘味と殺し合ってどうしようもなくなる。」
「引き立て合って、の間違いじゃないか承太郎。ということはまさか、栗ご飯もだめだって言うんじゃないだろうな。」
「栗なんざ甘栗で充分だ。」
「なんてことだ。秋に栗をひとつひとつ皮を向いて、日本酒を少し入れて一緒に炊くんだ。あんな美味いものが他にあるとは思えない。」
「・・・ひとりで食え。栗の皮むきは手伝わねえぞ。」
「あれは大変なんだぞ承太郎。栗の皮が固くてただでさえ大変なのに、それが剥けたと思ったらもっとしぶとい渋皮だ。渋皮煮を発明したのは日本人の偉大な知恵だな。」
「渋皮煮なら食ってやってもいい。」
「君に食べさせる栗はない。日曜の昼から夕方まで一生懸命山のような栗を皮むきして、そうしたら日曜の夜と月曜の昼は栗ご飯だ。味噌汁は豆腐と油あげだな。」
「味噌は合わせか。」
「ウチはずっとそうだな。赤でも白でもない。どっちも好きだが、自分で作るなら合わせだな。」
「雑煮はどうだ。」
「餅は焼いてすまし汁だ。父が好きだから、魚のミンチ入りで。」
「ウチは味噌汁で煮る派だな。」
「合わせか?」
「おう。」
「・・・正月は忘れずに君のところに年始の挨拶に行こう。」
「栗きんとんはねえぞ。」
「作って持って行くさ。君のためじゃないぞ、息子が嫌いでおせちも好きに作れないホリィさんのためだ。」
「栗きんとんなら食ってやる。」
「なんだ君、さつまいもも栗も好きじゃないって言ったじゃないか。」
「飯と一緒はいやなだけだ。」
「君はほんとうにわがままだな。ホリィさんの苦労が偲ばれる。」
「料理当番は日替わりだな。」
「そうだな、どうやらその方がよさそうだ。事前に、苦手なものは冷蔵庫にでもメモを貼っておけばいい。」
「毎日玉ねぎの味噌汁にしてやる。」
「毎日さつまいもご飯にじゃがいもの入った味噌汁を作ってやる。」
「・・・カレーにするか。」
「スパゲッティーでも僕は構わないぞ。」
「おばあちゃんのソースが山ほどあるしな。手作りパスタの道具もついでにおれが持って行くか。」
「醤油も忘れずに。」
「だしの素もな。」
「もういい黙れ承太郎。」
「それなら台所が広い家じゃねえとな。」
「君が料理をするなら当然そうだろう。」
「男ふたりだ、1週間で面倒になって外食ばっかりになるかもな。」
「美味い店を見つけるのも、それはそれで楽しそうじゃないか。」
「てめーが親父さんと一緒に行った店とかな。」
「ああ、久しぶりに行ってみたいな。君がいやじゃなければ、今度一緒に行こう。」
「じゃあおれと一緒に屋台でラーメンでも食うか。」
「ああすまない承太郎、ウチは門限が7時なんだ。屋台にはちょっと間に合わないな。」
「じゃあ昼メシにラーメンと餃子か。」
「チャーハンもいいな。実はまだ、ラーメンとチャーハンを一緒に食べたことがない。」
「ラーメンならおれでも作れるな。」
「じゃあ僕がチャーハンを作ろう。」
「餃子はどうする。」
「・・・一緒に作ればいいだろう。」
「・・・うまそうだな。」
「一緒に暮らし始めたら、という先の話だぞ承太郎。」
「先じゃねえ。」
「・・・・・・まあ、そうだな。」
「じゃがいもの味噌汁くらいなら我慢してやる。だからとっとと大学受かってこっちに来い。」
「無事に受かったら、君の手製スパゲッティーで祝ってくれればいい。」
「おう、醤油でもだしの素でも何でも入れてやる。」
「電話じゃあエメラルド・スプラッシュが使えないのがとても残念だ承太郎。」
「だしの素の何が悪い。」
「手抜きだって言ったのは君じゃないか。」
「てめーが作るなら何でも食ってやる。」
「言うことがコロコロ変わる君なんか大嫌いだ。」
「そうか、おれはてめーが好きだ。玉ねぎ入りの味噌汁と同じくらい好きだぜ。」
「・・・でも、玉ねぎ入り味噌汁を一生あきらめるほどじゃないだろう。」
「じゃがいも派に転向してやってもいいぜ。」
「そうか、じゃあいつかじゃがいもがゴロゴロのカレーを、君が作って食べさせてくれ。」
「おう、いくらでも作ってやる。覚悟しとけ。」
「・・・今、深い墓穴を掘ったような気がするよ。」
「てめーと一緒なら墓穴の深さも気にならねえな。」
「じゃあ墓穴の底で、僕はきんぴらでも作ろう。おやつは栗きんとんだ。」
「味噌汁は各自作るってのはどうだ。」
「・・・ああ、いい案だ。具はそれぞれが入れればいい。」
「てめーの分にはだしの素を忘れるなよ花京院。」
「だからもういい承太郎!」