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家族

 数年ぶりの帰省だった。
 巧みにSPWの使いっ走りになることを避けた承太郎は大学院に進み、素直に大学を卒業した花京院は、在学中の活動そのまま、流れるようにSPW財団への就職は決定事項とされ、互いに時々チームを組んだり別々に行動したり、けれど忙しいのは双方変わらずに、今年やっと数年ぶりの帰国に揃ってこぎつけたところだった。
 アメリカでなら、妙齢の男ふたりの同居など、誰もひそひそするほど珍しいことではない。大学卒業したてと院生のどちらもまだ懐ろのおぼつかない頃に、家賃と生活費の割り勘はよくあることだ。
 ジョセフを含めたごく親しい身内以外に、単なる同居ではないと大っぴらにする気はなく、ふたりは単なる同居人と言う体で一緒に暮らし、けれど日本の花京院の家族はそれが単なる外向きのことと知っていて、そのせいで、承太郎と花京院対花京院の家族と言う形に、何となくの気まずい雰囲気が、すでに高校時代から漂っていた。
 空条家ではもうふたり目の息子同様の扱いとは言え、久しぶりの帰国で実家をまるきり無視するわけには行かず、花京院は渋々空港から真っ直ぐに自分の家へ向かった。
 「電話するよ。君からだと色々と面倒だから。」
 承太郎から、あるいは空条側からとわかると、途端に調子の沈む花京院の母親の声を遠くに思い出して、承太郎はおうとうなずいて、スーツケースを引きずって去って行く花京院を見送った。それが、4日前のことだった。


 「承太郎、コーヒーでも飲みに行こう!」
 花京院の尖った声が、電話の向こうから響く。
 ホリィと顔を突き合せて、承太郎も実家滞在にすでに飽き始めていたけれど、花京院はその比ではないらしい。。
 親に顔を見せるのは単なるご機嫌取りだと言っていたのは、ほとんど本音だったともちろん承太郎は知っている。元々密な付き合いのある家族ではない。仕事に忙しい両親に、どちらかと言えば放っておかれてばかりだった花京院は、気の置けない承太郎との暮らしにすっかり慣れて、むしろ実家で肩身が狭いようだった。
 気兼ねせずに思う存分話したいから、むしろドトールの方がいい。そう早口に言う花京院に反対はせず承太郎は電話を切った。高校の頃にたまに寄った喫茶店にしなかったのは、何かよほど他の誰にも聞かれたくない話があるらしい。財布だけを上着のポケットに入れ、承太郎は指定されたドトールに向かって家を出た。
 寒い。日本の冬は、家の中が寒いのだと言うことをすっかり忘れていた。空っ風を正面から浴びて、寒さの根が何となく違うのだと思いながら、駅前へ足を急がせる。出掛けにホリィが巻いてくれたマフラーにすっかり鼻先まで埋めて、承太郎は自分の吐く白い息を浴びながら歩いた。
 店に着くと、花京院はもうコーヒーカップを前に中にいて、承太郎の姿を認めるとすぐに立ち上がり、2階へ行くと身振りで示して、コートとコーヒーを抱えて階段の方へ消えて行く。
 なるほど、居心地が悪いどころの話ではないらしい。承太郎はさっさとコーヒーを買い、花京院の後を追った。
 席に着いて、やっとマフラーを取り、上着を脱ぎ、鼻が赤いだろうことを気にしながら花京院の前へ坐る。隅のテーブルに窓を背にして、前かがみに腕を組んで、花京院の眉間には見事なしわが刻まれていた。
 「色々と、難儀そうだな。」
 「大したことじゃない。」
 口調と表情がまったく一致しない。煙草をやめたことを後悔しながら、ちょっと手持ち無沙汰に、承太郎は小さな椅子の中に無理矢理体を伸ばす。
 「またおれのせいか。」
 不良と言う評判は、残念ながら息子の恋人に相応しいとは、あまり親は思わないものだ。高校の後にアメリカへ飛び、ここでは突然姿を消したも同然の承太郎にその汚名を晴らすチャンスがないまま、花京院の両親の頭の中では、あの不良学生と言うレッテルが一向に貼り直される様子はない。自業自得ではあるけれど、ただでさえあれこれと障害の多いふたりのことに、余計なけちが最初の最初についたものだ。
 「僕のところの家族の不仲が、全部君のせいだと思わない方がいい。」
 否定しながら、口調に棘がある。さて、これは完全なる否定か、あるいは否定に見せかけた皮肉か、どっちだろうと承太郎は迷った。
 カップの傍に両腕を組んで、うろうろと首を回して店の中を眺め回しながら、花京院は珍しく神経質に体を揺すり続けている。承太郎は自分のカップの傍に手を置いて、そうとは意識せずに、かつかつと指先を鳴らしていた。
 「で、何だ。」
 促されて、すくうように上目で承太郎を見て、花京院は下唇を湿した。
 「・・・こたつが出てたんだ。」
 「あ?」
 「こたつが出てたんだ。居間に。テレビの前に。小学校以来見たことがなくて、てっきり処分したんだと思ってたんだ。それなのに、僕に何も言わずに──」
 「ちょっと待て花京院。筋道立てて最初から話せ。なんでこたつごときでてめーがそんなに不機嫌になる。」
 「こたつだぞ承太郎! 母さんが、家が散らかるからもう使わないって、そう言って怒って片付けたんだ。僕も父さんも反対したのに、ものすごい怒り方で、僕らどうしようもなかったんだ。それ以来我が家はこたつ禁止で、冬に家に帰ると誰もいなくて、ストーブはマッチが危ないって僕ひとりじゃ点けられなくて、それなのに今さらこたつだぞ承太郎! しかも新しいのじゃない、その片付けて永遠に使わないって母さんが宣言したこたつが、居間に出てるんだぞ!」
 承太郎には、まったく話が見えなかった。
 花京院の母親が、家の中がこたつのせいで片付かないと、ある日怒ってこたつを片付けてしまった。もう絶対に使わないと宣言して。花京院はそのこたつをずっと恋しがっていた。もう会えないんだと思っていたら、久しぶりに帰った家にそれが出ていて、親たちは何もなかったようにそれを使っている。それがとても気に食わない。
 つまりそういうことなのか。
 花京院の話を頭の中でまとめて、承太郎は少しの間、自分の要約がどこか間違っているに違いないと思った。たかがこたつじゃねえか。親がそれを久しぶりに出して使って何が悪い。
 考えても考えても、花京院の不機嫌の理由がわからない。今では自分が住んでいるわけではない家で、親たちが何をしようと勝手だ。せいぜい月に1度電話を掛け合って無事を確認する程度の間柄で、こたつを出すの出さないのと、いちいち花京院の親が連絡して来るわけがないと、当の息子である花京院がわからないわけがない。
 それから花京院は、むちゃくちゃな順番でそのこたつについて語り始めた。
 テレビの真正面の席には座布団が置いてあって、母親がいればそこは彼女の席なのだそうだ。母親が不在の時は父親が坐る。花京院がひとりでない限り、花京院はそこには坐れない。花京院の両親は、こたつの角を囲むように坐って、そこで食事を取ることもあり──これも花京院がいた頃は、行儀が悪いと厳禁だったらしい──、そんな家族の団欒で、花京院は果てしもない疎外感の空気に耐えられない。
 自分が一緒にいた頃は、滅多と笑い合いさえしなかった両親が、今は花京院を欠いて淋しがるどころか、ふたりの生活に慣れ切って、花京院を積極的に中に含もうとはしないらしい。それは花京院がそう感じることであって、実際には違うのかもしれない。
 承太郎が知る花京院の両親は、親の愛情をわかりやすく示すタイプには見えず、アメリカで暮らし、承太郎やジョセフと近くあるせいで、大袈裟な感情表現に慣れ切った花京院が、日本人の両親の控え目な愛情表現をきちんとくみ取れないだけではないかと、承太郎はちらりと思った。思っただけで口には出さず、黙って花京院のこたつ話を聞いている。
 小学生の時にこたつは片付けられてしまい、それ以後は、鍵っ子だった花京院は学校から帰っても火の気のない家で遅い親の帰りをひとり待たなくてはならず、冬は宿題をする手がかじかんで大変だった。家の中を常に片付けていれば、母親の怒りもいずれ解けてこたつが戻って来るかと思っていたけれど、一度言ったことはまず翻さない母親は、それ以後こたつなど存在したこともない素振りで、花京院も中学に進む頃にはさすがにこたつとの再会を諦めたらしい。
 それで、初めて承太郎の家で冬を過ごした時、こたつにしがみついて離れなかったわけだと、承太郎はようやく合点の行く思いだった。
 結局のところ、ぶつ切りでやたらと時系の前後する話を繋げてみると、いつの間にか自分抜きで両親がそれなりに仲良くなってしまい、しかもそれを隠そうともせず、家の中でひとりぼっちなのがたまらないと、花京院の話はそういうことらしかった。
 こたつの出現が花京院の両親の距離を縮めたのか、距離が近づいたからこたつで仲良く団欒ができるようになったのか。それでもまさか、承太郎の両親のように目のやり場に困るようなことはないのではないかと思ったけれど、それを花京院にわざわざ問い質すのはさすがに残酷に思えて、承太郎はすっかり冷えたコーヒーをがぶりと飲む。
 いかにも気が滅入ると言う表情で、花京院は頬杖をついてため息を吐いた。
 「仲が悪いよりマシじゃねえのか。」
 「ああ、もちろんそうだとも。」
 言葉の上っ面だけで同意を示して、花京院が首を振る。コーヒーをいかにもまずそうに飲んで、承太郎に横顔を向けた。
 承太郎は、どうしても湧いて来る苦笑を隠し切れず、コーヒーを飲む振りで顔を隠す。
 きっとこれは、承太郎とふたりで暮らし始めて以来、ひとりぼっちなど味わったことがなく、久しぶりにぽつんと置き去りにされてそれが我慢できないのだろうと思った。花京院が両親が冷たいとこぼすのは、それをすっかり忘れていたからだ。
 それを指摘してみてもよかった。けれどきっと花京院は同意はしないだろうし、余計に不興を買うだけだと、今ではそんなこともきちんと予測できるようになった承太郎は、ぬるくなったコーヒーをひと口だけカップの底に残し、花京院の機嫌を伺うように後ろの窓に映るその後ろ姿をちらりと見る。
 承太郎のカップを見やってから、花京院は残っていた自分のコーヒーを飲み干し、それから、どこか諦めたような、呆れたような、複雑な笑みを淡くこぼして、もう一度小さくため息をついた。
 「・・・君の言う通りだな。仲が悪いのを嘆くならともかく、両親が仲良くなってるなら、それには少なくとも感謝すべきだな。」
 頬杖のまま言うと、余計に棒読み台詞めいて聞こえたけれど、ともかくも花京院は、そこでやっと今回の愚痴を打ち切った。


 冬とも思えず空は青く澄んでいて、余計に吐く息の白さが目に痛い。承太郎は店の外で、立ち去る前に手にしていたマフラーを、花京院の方へ差し出した。
 「巻いて行け。」
 え、と戸惑うのに構わず、ホリィの手つきを思い出しながら、さっさと首に巻いてやる。あごの先がきちんと埋まるようにしてやると、花京院は照れたように肩をすくめてから、ありがとう、と小さく言った。
 「今日はわざわざありがとう。来週には会えるのに、呼び出して悪かった。」
 「別にいい。どうせおれも暇だ。」
 嘘ではない。花京院がいないと、どう時間を潰していいかわからない。
 店の入り口を少しよけて、ふたりは道路の端で立ち止まり、向き合ったまま、別れの言葉を探している。
 「多分僕は──」
 コートのポケットに両手を突っ込み、寒そうに首を縮めて、花京院はそこで一度言葉を切った。続きを、承太郎は辛抱強く待つ。
 「仲良くしてる両親を見ると、君と一緒にいられない自分が嫌になるんだろうな。」
 なるほど、そこへ話が落ち着いたか。
 充分に小声だったから、傍を通って行った歩行者には聞こえなかったに違いない。承太郎は、首元を撫でる冬の風になぜか不意に親しみを覚えて、久しぶりの日本の空気を、初めて胸いっぱいに吸い込もうとする。
 「来週には君のところへ行くよ。ホリィさんによろしく。」
 「おう。」
 肩を回そうとした花京院に、急いで言葉を継ぐ。
 「そっちの親御さんにも、よろしくな。」
 花京院が、驚いた顔で、承太郎のマフラーの下から大きく息を吐く。白い靄のように、紗がふたりの間を数瞬薄く遮った。
 「・・・ああ、ちゃんと伝えるよ。」
 会った時とは真逆の、どこか清々した笑顔でそう言い、花京院は後ろに白く息をたなびかせながら去って行く。きっかり20秒、その後姿を眺めてから、承太郎もくるりと体を回した。
 歩きながら背中を丸めて、承太郎は考えている。アメリカの自分たちのアパートメントに、こたつを置く余裕はあるだろうか。あまり小さくては、ふたり揃って足が入れられない。どこで手に入れよう。あちらかこちらか。どうするにしても、まずは来週花京院と相談してからだ。
 自分の爪先に視線を落として、冬の風を肩で切りながら、ひとつだけ、もう決めてしまっていることがあった。
 テレビの真正面の席は、花京院のものだ。
 異議なし、と小さく声に出してつぶやいて、承太郎は冬の道を、跳ねるように家路を急ぐ。

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