Fusion



 さっきまで絡みつかせていた手足を解いて、本体たちは、さっきようやく眠りに落ちた。
 花京院や承太郎の寝息よりももっとひそやかに、ハイエロファントグリーンが姿を現す。普通の人間には決して聞こえることのない、何かスタンドのささやきのようなものが、湿った空気をわずかに震わせると、それに呼ばれたように、スタープラチナがのそりと承太郎の中から抜け出てくる。
 本体たちは、昼間の疲れも手伝って--もちろん、それだけではない---か、ぐっすりと眠り込んでいるようだった。
 そうでなければ、スタンドがこんなふうに、本体の意思を離れて姿を現すということは、滅多とない。
 発現してからの時間の長いハイエロファントの方が、こんな時にはそれが当然のように、スタープラチナを促して、自分の方へ来いと腕を引く。
 承太郎からあまり離れられないスタープラチナは、本体たちが眠っている狭いベッドを離れ、距離を気にしながら、ベッドとベッドの間の床にふわりと立ったハイエロファントのそばへ寄った。
 花京院の姿をそのまま写し取ったようなハイエロファントは、体つきも本体そのまま、スタープラチナの半分ほどしかない厚さと幅のその姿を、まるで交ぜ合せるように、スタープラチナの方へ重ねてゆく。柄の大きな承太郎よりも、さらに一回り大きなスタープラチナの体に、その姿はすっかり覆われてしまう。
 本体がしばしばそうするように、ハイエロファントとスタープラチナは、腕を伸ばして互いを抱いた。
 スタープラチナの大きな青い手が、ハイエロファントの、きらきらと翠に光る体の表面を撫でる。ごつごつと、そこだけは武骨なプロテクターの辺りでは、少しばかり残念そうに指先が戸惑って、瞳のない、昆虫のそれのような楕円の目の辺りで、その手の動きが止まった。
 瞳も唇もあるスタープラチナに比べれば、ハイエロファントの表情は見た目にはとても現われにくく、それでもスタープラチナは、自分を見上げるハイエロファントのあごの角度や首の伸び具合に、今ではちゃんとした意味を見出せるようになっていた。
 本体とは切り離された、ちゃんとしたひとつの自我を得ていたのは、ハイエロファントの方がずっと先だ。本体である花京院が、それに気がついているのかどうか、ハイエロファントは知らない。ハイエロファントの自我は、花京院に逆らうためのものではなく、むしろ、花京院とより強く結びつくための意志の、別の形のようなものだったから、少なくとも今まで、どこかで齟齬をきたしたことはない。その自我によって、ハイエロファントは、花京院がこうして眠っている時には、ひとり自由に動くことができるようになった。もっとも、その自由は、もっぱら無防備に眠っている花京院を見守るということに使われるばかりだったけれど。
 少なくとも、今までは。
 スタープラチナに、もっと近く触れるために、ハイエロファントがそう思った通りに、指先と掌を包んでいたプロテクターが消える。剥き出しになった手は、体の他の部分と同じように翠に光り、けれど人の手---花京院の手---とは違って、爪のようなものはない。
 承太郎のそれよりも大きな、形はそっくりなスタープラチナの手が、ハイエロファントの手を取った。
 ハイエロファントがスタープラチナに触れる。花京院が承太郎に触れている時の感触を思い出しながら、承太郎のスタンドであるスタープラチナに触れる。そっくりだとも思えれば、似ていないような気もする。花京院からじかに流れ込んでくるいろいろな感覚を、自分から切り離すことはできずに、けれどスタープラチナだけを感じたくて、ハイエロファントは目を細めたつもりで、わずかにもっと高く、スタープラチナに向かってあごを突き上げた。
 スタープラチナは、こうして承太郎の意思に関わらず姿を現していながら、いまだ自我の部分は、ハイエロファントに比べれば至って曖昧模糊としたもので、その自我らしきものも、ハイエロファントのより強い自我に引き寄せられたものであり、そして何より、本体である承太郎の、花京院に魅かれているという隠れた気持ちの現れである部分が強く、花京院からほぼ完全に独立した自我を持つハイエロファントに比べれば、スタープラチナは、承太郎と影のように繋がった、承太郎の一部であるまさしく分身だった。
 いつもの荒々しさはどこにもなく、スタープラチナが穏やかに触れた部分から、少しずつハイエロファントのプロテクターが消えてゆく。ひとつひとつ、まるで溶けるように、跡形もなく消えてゆく。翠に光る全身が、現れ始めていた。
 体温も湿りもないその表面は、加工された金属のなめらかさに似ていて、その上を、スタープラチナの指先---承太郎の皮膚と、そっくりの感触だ---が、いとおしむように滑ってゆく。
 いちばん最後に、口元を覆っていたプロテクターが、ようやく消えた。
 そこもまた、人の唇というよりは、切って開かれたような裂け目が、言葉を発することはないまま、半ば開いて、スタープラチナへ何か伝えるように動いている。
 その裂け目へ、スタープラチナが、ひと色青の濃い自分の唇を、承太郎たちがいつもそうするように重ねて行った。
 ハイエロファントのその唇---のようなもの---の中には、歯列もなければ舌も見当たらない。それが、花京院の精神の現れということなら素直に納得できるような、己れを表現する術をほとんど持たない、ハイエロファントの姿だった。
 それでも今は、全身を覆うプロテクターを外し、剥き出しの体をスタープラチナに寄せて、ただの切れ目のような唇を、スタープラチナの首筋に滑らせている。
 本体たちが、夜になればひっそりと、けれど少しばかり騒々しく行うそのやり方を真似て、スタープラチナとハイエロファントは、互いの体に手指を滑らせて、何度も唇を重ねた。スタープラチナが、ハイエロファントの胸や腹の辺りを舐める。歯を立てる時には気をつけなければ、花京院が目を覚ます。
 スタンドたちは、音も気配も消して、本体たちの知らないところで、いつの間にか、互いだけで抱き合うそんなことを始めて、けれど完全に、本体たちを写してしまうことはできない。所詮真似でしかないことなら、そうする必要はないようにも思えたから、できないということに焦れることはなかった。
 きっと、強く望めば、完全に本体を模した体を得て、彼らのやり方をそのままにすることもできるのだろうけれど、それは彼らが人だからだと、ハイエロファントは思いながら、スタープラチナの太い首に両腕を巻いた。
 すでに、ふたりの指先の境界は消えている。プロテクターのない、完全に剥き出しのハイエロファントの体は、あちこちが、スタープラチナの薄青い膚の上に、翠の光になって融け始めている。
 花京院が承太郎に魅かれ始めていたのに、最初に気がついたのは、花京院自身でもなければ、承太郎でもなかった。承太郎に向ける花京院の視線で、じかに外の世界を見ていたハイエロファントが、そのいちばん最初のひとりだった。
 自分の気持ちを名付けられずに、ひとり困惑していた花京院の迷いも悩みも、すべてハイエロファントに伝わって、スタンドとして本体である花京院と繋がっていれば、そうなることが必然であるように、いつの間にか、承太郎と重なるスタープラチナに、ハイエロファントも同じような視線を向け始めていた。
 花京院が生まれた時から、すでにそこにいたハイエロファントに比べれば、発現したばかりのスタープラチナは、何も知らない赤ん坊のようでもあり、だからこそ、ハイエロファントの視線の意味を解しても、そこから目をそむけることもせず、花京院が承太郎に魅かれ、承太郎が花京院に魅かれたその感情の流れのまま、素直に、ハイエロファントへ寄り添ってくる。
 どこまで理解しているものかと思いながら、できるけれどあまり表情を現すことのないスタープラチナに、スタンドも自我が持てるのだと教えながら、ハイエロファントもまた、スタンドだからこそできることを、スタープラチナと一緒にいることで学んでいる。
 重なった唇が、輪郭を失くして、陽射しにぬくまった海の色をそこに現す。深くて鮮やかな翠と、静かな、けれど熱をはらんだ薄青と、融け交じるふたりの体は、色を重ねて、ひとつになり始めていた。
 どちらがどちらを包み込むわけではなく、ただ、輪郭を消したふたつの体は、そこから繋がり合い、融け合い、互いの色を失わないまま、けれど新しい色をそこに生んで、形ももう定かではない、海を切り取ったような不定形の輝くひとつのものになる。
 乱れたベッドで眠っている本体たちが、まだ手や足を触れ合わせたまま、時折互いの腕の中で寝返りを打つ。自分たちのスタンドに、何が起こっているのか知らないまま、健康な眠りを貪っている。
 ハイエロファントとスタープラチナは、もうそれぞれの視界を失っていた。ふたりは、ひとつの視界で世界を見ている。感覚もすべて、ふたりそれぞれのものではなく、もうひとつに合わさった、何かとても複雑なものだ。
 人の形ではなく、それは、青緑に染まった空気の固まりのように見えて、そうして、完全に融け合わさってしまったふたりは、そこで一緒に微笑んだ。表情のないはずのハイエロファントは、スタープラチナの唇や瞳の感覚を借りて、自我のあまりないスタープラチナは、ハイエロファントの明確な自我を通して、ふたりは、確かにひとつだった。
 完全には人の形を持てないスタンドは、こうして、ひとつになる。文字通り、体を繋げて融け合わせて、その中で、自我と感覚さえひとつにして、皮膚という境界に隔てられた本体の不自由さを、どこかで笑いながら、けれど本体のようには熱を生み出せないことを、心---というものが、スタンドにもあるならば- --の中では、少しばかり残念がりながら、完全に空気に交じってしまうまで、そうして、ひとつのままで在る。
 こうして融け合うことも、あるいは本体の望みの実体化したことなのかもしれない。どれほど自我を確立させようと、分身であることからは逃れられない、逃れることなど望んでいないハイエロファントは、抑圧されたものなど何も見当たらない承太郎の心の内側を、融け合ったスタープラチナの内側でまた見つけながら、自分の中に---つまり花京院の中に---湧くかすかな嫉妬の澱のようなものを、スタープラチナと同化することで浄化する。
 自分の中に自我が生まれたのも、自分の存在ゆえに、花京院があまりにも長い間苦しまなければならなかったからなのだと、そう気づいてしまった悲しさを思い出しながら、自分の腕の感覚を探して、スタープラチナを抱いた。
 抱き返された感覚に、眠りのような安堵を覚えて、ハイエロファントは、スタープラチナの瞳と唇の感覚を通して、スタープラチナに微笑みかけた。
 本体が目覚めるまで、こうして融け合っていられる。本体たちが抱く、互いへの深い想いゆえと、それとは切り離された、自分たちだけの想いゆえに、ハイエロファントとスタープラチナは、空気を薄く染めて、そこに漂い続けている。
 朝までの時間をもっと引き延ばせたらと、そう願いながら、融け合ったそこに、ひととき唇の感覚を取り戻して、ハイエロファントはスタープラチナに口づけた。


戻る