ひらがなおだい@Air.


好き好き (すきすき)


 屋上の指定席で、承太郎は煙草を吸いながら、花京院はプリントの裏に鉛筆を走らせながら、ヘッドフォンをふたりで分け合って、承太郎のウォークマンを聴いている。中身のテープは、花京院が自分で録った、StingとPoliceのごちゃまぜだ。
 承太郎が、時々花京院の手元を覗き込む。花京院が描いているのは、承太郎の膝から下だ。
 承太郎は、花京院の描く絵が好きだと言う。どうやら単なるお世辞ではなく、ほんとうに花京院の線が好みらしく、何枚か暇つぶしに描いた落書きのようなスケッチを、奪って行ったことがある。
 花京院は、承太郎の声が好きだ。ギターを弾いている時や、レコードやテープをかけている時に、それに合わせて小さく歌う承太郎の声が、花京院はとても好きだった。
 君はギターが弾けていいなと言うと、てめーは絵が描けるじゃねえかと、即座に返って来る。
 「でも僕は、絵よりも音楽の方が好きなんだ。」
 「ひねくれたヤローだな。」
 ぽかぽかとあたたかな陽射しを浴びて、大学受験の近い季節とも思えないのどかさで、ふたりは次の授業をさぼることに、口にはせずに同意し合っている。
 テープはまだ、A面を再生し終わらない。
 「ギターなんぞ、誰でも弾ける。絵を描く方がよっぽど面倒だ。」
 その間もずっと動き続けている花京院の手元を眺めて、承太郎が、やや乱暴な口調に、花京院の描く絵への賞賛をちゃんと込めて言う。
 ようするにそれは、ないものねだりと言うのか、隣りの芝は青く見えるというやつか、絵を描くなどということを思いもしない承太郎が、絵を描く花京院をうらやましがっているという、ただそれだけのことだ。
 「僕には音楽の素養はないからな。聴くのはいいが、自分で演奏するなんて、考えたこともない。」
 承太郎の父親である貞夫のことを思い出しながら、花京院はそう言った。
 プロのミュージシャンである父親を持つ承太郎と違って、花京院の両親は、まったく芸術には興味を示さない。子どもの頃に習字を習い、同じように筆を使うという流れで絵を描き始めた時も、絵を習いたいと花京院が言い出すまで、両親は花京院のしていることに、関心のある素振りすら見せなかった。
 花京院の生まれる前に亡くなった母方の祖父という人が、文学好きで芝居好きだったと言うから、きっとその血を引いているのかもしれない。けれどその祖父の趣味人ぶりは、花京院の家では、どちらかと言えば役立たず的に評されることが多い。そういう家だから、花京院に絵を習わせてくれたことだけで、充分奇跡だった。
 それでも、仕事に忙しい両親は、ひとりっ子で鍵っ子の花京院に、欲しいと言ったものは大抵何も言わずに買い与えてくれ、おかげで花京院の部屋は、本とゲームとビデオの、ちょっとした要塞だ。
 近頃は、その自分の城よりも、承太郎の部屋の方が居心地がいいのは、貞夫からのお下がりだという、大きなステレオのせいだ。
 少しだけ残念なことに、そのステレオでStingのレコードを聴くためには、承太郎のコレクションを、1、2時間まず聴かされるという苦行に耐えなければならない。承太郎が大好きなうるさい音楽が、花京院はあまり好きではない。承太郎もそのことを知っているけれど、花京院が、少なくとも承太郎の趣味に嫌悪の言動を示さないのに気を良くしているらしい。承太郎も、代わりにこうしてStingを一緒に聴いてくれるから、これでおあいこだと、花京院は思っている。
 お互いの音楽の趣味を披露し合った最初、世間的に見れば趣味が良いとは言いがたいヘビーメタルとやらを聴く承太郎が、花京院の聴くStingとPoliceに、下らねえというような台詞を吐いたことがある。
 よくあることだ。自分が好きでないから、嫌いだし消えてしまえばいいと、そう素直に口に出したというだけの話だ。承太郎の好きなヘビーメタルに比べれば、Stingなんて軟弱でつまらなくて面白みがない、というのが理由だったけれど、珍しく花京院は、その場で承太郎に、ぴしりと言い返した。
 君がそのヘビーメタルとやらを好きなのと同じように、僕もStingが好きなんだぞ承太郎。
 静かに、けれどきっぱりと---怒りを込めて---言い返されて、黙り込んだ後で、悪かったと素直に言ったそれきり、承太郎は二度とそんなことは言わなかった。他人の趣味に口出しするのは非常に趣味の悪いことだと、ちゃんと悟ったらしい。
 承太郎の音楽の趣味はともかくも、承太郎の、筋が通れば途端に素直になるそんなところが好きだったし、そんな承太郎が好きだと言えば、うるさいヘビーメタルも、たまには聴いてみようかという気にもなる。Judas Priestの最初の2、3枚は、ちょっとプログレっぽくて、実は少しだけいいなと思っている。
 持っている本を互いに貸し借りし、レコードやテープを持ち寄り合い、花京院の録ったビデオを一緒に見る。承太郎の指は、ゲームのコントローラーには向かないようだし、ギターは眺めているだけでいいと、花京院は思う。
 さまざまに似ていて、さまざまに似ていないふたりだった。きちんと数え上げれば、似ているところよりも、似ていないところの方が多いように思える。
 それなのに、それとも、だからこそか、花京院は、承太郎が好きだった。
 承太郎は、花京院が何を言っても何をしても、軽蔑の素振りを見せない。
 ガンダムを全話、自分でビデオに録ってあると言っても、すげえな見せろと言っただけで、気持ち悪いなんて一言も言わなかったし、うる星やつらのサクラのフィギュアが欲しいと告白した時も、ああそうかと言っただけだったし、ドーベルマン刑事について熱く語った時は、コーヒーをいれて最後まで付き合ってくれた。
 こんなふうに、相手の反応を気にせずにあれこれと話ができるのは、承太郎が初めてだ。
 Stingを受け入れてしまった承太郎には、もうこの世に存在する何もかも、大した違いはないのかもしれない。
 花京院を、ただそういう人間なのだと、そのまま受け入れてくれる誰かが現れると、考えたこともなかった。
 テープは、いつの間にかB面に替わっている。承太郎はもう何本目か、ゆっくり煙草を喫い続けている。その横顔を、絵を描く手を止めて、花京院はそっと盗み見た。
 承太郎、と、音楽を妨げない声で、呼んだ。
 何だと、承太郎が花京院を見る。それに、思わず微笑みかける。
 「僕は、君のことが、とても好きだ。」
 突然何を言うかと、帽子のつばの下で、承太郎の深緑の目が、ちょっとだけ細まった。その後で、口元に、花京院の微笑を写して、とても優しい表情が浮かんだ。
 「おれも、てめーのことが好きだぜ花京院。」
 花京院は、思わずもっと深く微笑んだ。
 承太郎はまだ、花京院の言った言葉の、ほんとうの意味を知らない。まだ、知らせるつもりはない。一生、知らせないままかもしれない。
 けれどいつか、ほんとうのことを言うのだろうと、花京院は思う。承太郎ならきっと、軽蔑したりはしない。それだけは確かだ。
 何もかもを、承太郎に向かって、開き切っている。何もかもを明け渡したくて、急ぎ過ぎてしまわないように、自分を押し留めるのに、花京院は必死だ。
 好きなものも嫌いなものもその理由も、全部、承太郎に聞いて欲しかった。
 承太郎をどれほど好きか、なぜ好きなのか、そうして、毎日、恋が深くなる一方だということも、すべて告げてしまいたい。
 出会ったその日から、花京院はずっと恋に落ち続けている。
 友情の好きと、恋の好きと、何がどう違うのか、まだきちんとは理解できない稚なさで、花京院はまっすぐに承太郎を求めている。
 承太郎のいる世界は、とても明るく、花京院は、その世界にずっとい続けたかった。
 絵を描く作業に戻り、今度、ギターの弾き方を教えてくれと承太郎に言おうかと、ふと思う。
 それから、承太郎の弾くギターが好きなのは、指板の上を流れるように動く承太郎の指先を見るのがとても好きだからなのだと、唐突に気づいた。気づいて、染まった頬のまま、またひとり微笑んでいた。


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