必然

 いつそんなことに気づいたのか、もう記憶は定かではない。
 不自然に、けれど自然に始まって、今では生まれた時からの習慣のように、視線か仕草か表情か、花京院は承太郎の心の動きを読み取って、微笑みながら両腕を広げる。
 抱きしめられると安心する、だから抱きしめられたいのだと、そう気づいたきっかけは何だったろうか。
 花京院の上に、ほとんど寝そべるようにして、力を抜いて体を伸ばす。背中と頭の後ろに、花京院の掌が添う。腕が作った輪の中に収まって、承太郎も軽く花京院を抱き返す。花京院の手が動いて、背中や髪を撫でる。甘やかされているという、少し稚ない感覚に、頬が時折赤らむのを、見られないためにことさら強く、花京院の肩口や胸に顔を押しつける。
 混血のせいで、普通よりは厚みの大きい自分の体に、きちんと回る長さの腕。普通よりは重い自分の体に、押し潰される心配のない、しっかりとした体。そして何より、承太郎を抱きしめることにためらいのない、花京院の気持ち。
 誰かに抱きしめられるのは、ただひたすらに心地良い。胸や背中を重ねて、首筋や肩や腕に、自分のそれではない呼吸が当たる。伝わり合う体温と、繋がる呼吸と、そうして重なる鼓動。
 生まれる時も死ぬ時も、そして結局は皮膚に包まれたひとの体は永遠に孤(ひと)りのものなのだと言う究極の孤独を、噛みしめずにはいられない承太郎は、まるで花京院のぬくもりを奪うようにして、花京院に抱きしめられながらそれでも抱き返す腕はおざなりではなく、何か内心憑かれたようにそこへひたり込む。
 誰の体も同じようにあたたかいはずなのに、欲しいぬくもりは花京院のそれだけなのだと、気づいたのはいつだったろうか。
 女の体はひたすらに柔らかい。際限もなく沈み込んでゆく感触は、懐かしさはあってもいとおしさは湧かず、何より彼女らの体は、承太郎には小さ過ぎるし脆過ぎる。少し力を入れただけで、たやすく折れてしまいそうな彼女らの腕や胸の辺りは、恐ろしくて触れられない。あの腕は、承太郎を抱き返す充分な長さはないし、受け止めるだけの強さもなさそうに思えた。
 そうやって消去法で選んだわけではなかったけれど、突きつめて考えてゆけば、花京院に抱きしめられたいと思うのは当然だったのだと、承太郎はそう思うだけだ。
 たとえば、手を繋ぐとか指を絡ませるとか、そんなことよりも簡単にできることだったから、そんな風に始まったことだった。
 感謝や安堵やある種の親愛──最初は、単なる親しみだと思っていた──を伝えるのに、相手を抱きしめるのはわかりやすくて手軽な表現だったし、非日常の中に突然放り込まれて、戸惑いの中で常に張り切っている緊張感に全身を飲み込まれそうになる時、安心して触れられる他人の体は、確かに安らぎだった。
 抱きしめると言う行為は、たとえばジョセフやポルナレフ──アヴドルでさえ──にはごく自然の表現ではあったけれど、それにまったく慣れない日本人のふたりは、抱きしめたり抱きしめられたりだけではなくて、互いに抱きしめ合うことを、互いの間にだけ許して、それは多分、言葉や育ちだけではなくて、甘え過ぎず甘やかし過ぎずに、ちょうどふたりの求めるものが似たようなところにあったから、ごく自然にそうなったことのように思えた。
 恐怖や淋しさや、言葉にはできない物悲しさのようなものを、抱きしめ合えば簡単に伝えられた。他の誰に知られたくなくても、互いに知られるのだけは平気だった。弱味を見せたと自己嫌悪に陥ることもなく、相手がそれにつけ込むと、警戒する必要もない。言い交わしたこともないまま、知らずに成り立っていた信頼関係だった。
 互いの腕と胸。ぬくもり。まれに肩にあごを乗せ合って、笑いながら泣いていたこともある。ひとつにはなれない体がふたつ、けれどこれ以上ないほど近く寄り添って、体温と鼓動を重ねて、何かの慰撫のために背中を撫でる。慰め合うこともあれば、慰められるだけ、慰めるだけの時もある。
 そうやって、貸し借りはいつの間にか解消されているふたりの間で、いつの頃からか、承太郎が花京院の腕を求める回数が多くなって行った。花京院が、それに気づいているのかどうか、求めれば確実に与えられる承太郎の腕に安心しているのか、不公平だと不平を言うこともなく、承太郎が求めるまま、花京院はいつもにっこりと両腕を開く。
 抱きしめられて、鼓動の中に、聞こえない言葉が混じることがある。
 君の方が、いつだって大変だからな。
 聞こえない言葉は、それ以上を説明することはない。承太郎が混血であるとか、どこへ行っても隠れようもない長身だとか、見かけで誤解されるとか、あるいは、スタンド使いだからなのか、花京院は承太郎に、同情したり気の毒がったりはせず、それでも承太郎が空条承太郎と言う存在であると言うだけでつきまとう様々な屈託を、これもふたりの親(ちか)しさゆえなのか、そうと聞かされもせずにさらりと悟って、さり気なく気遣いで癒そうとしてくれているように、承太郎には思えた。
 花京院には花京院自身の鬱屈がある。それでも、花京院ほどは人の心の機微に聡くはない承太郎には、花京院の押し隠した心のひだの深さと多さのすべてに思い及ぶことは到底できず、花京院にはっきりと求められた時、あるいは、運良くそう悟れた時に、花京院に向かって胸を開く。長い腕を伸ばして、その中に花京院を抱き込んで、ひとつにはなれないふたりは、けれど決してひとりではないのだとそう伝えるために、承太郎は花京院を抱きしめる。
 残念ながら、ふたりは確かに孤独だった。それでも、ふたりは一緒に孤独だった。それぞれの孤独を抱えて、けれど同じ孤独を分け合って、少なくとも抱き合える腕を持って、抱き合える時間を一緒に持てるふたりだった。
 君に出会わなかったら、どうなっていたんだろうな。
 承太郎を抱きしめて、髪を撫でながら花京院が言う。
 おれひとりだったら、どうなってたんだろうな。
 その問いに、承太郎は問いで答える。
 互いが互いに出会えたのは、幸福であり、必然だった。出会わなければならなかったふたりだった。
 花京院が、承太郎を抱きしめる。自分をこうして求める誰かがいることが幸せだとでも言うように、かすかな微笑みを浮かべて、花京院は承太郎を抱きしめる。
 承太郎は、花京院に抱かれて、花京院を抱き返す。抱きしめてくれる誰かと、出会えたことの幸せを噛みしめて、礼を返すように、承太郎は花京院を力をこめて抱き返す。
 求めて、求められて、同じ次元で求め合えることはとても幸福だと、ふたりは思い知っている。
 こんなに、パズルのピースのようにきちんと重なり合う体は、どこを探してもない。腕の長さも胸の厚みも、互いのために作られたように、そんな風にぴったりなふたりだった。
 承太郎の重みに、文句を言うこともせず、花京院の掌が、休まずに承太郎の髪を撫でている。
 自分に添ったままの花京院の体温に感謝しながら、まるで眠りに落ちるように目を閉じて、承太郎は胸の中でだけ感謝の言葉を口にした。いつかそれを、真っ直ぐに目を見たまま、花京院に伝えようと思いながら。

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