殻の中


 交じっている西欧人の血のせいか、すでに大人の体に育ち切っている承太郎とは違って、花京院はまだ成長の余地を残しているように見えて、それが、体中に残った傷跡と相俟って、彼を時折、ひどくはかなく見せることがある。
 どこも全部、余すところなく肉厚な承太郎の体に比べれば、胸も腹も腰も薄い。とは言え、同級生達の中に入れば、身長も、肩幅も、胸囲も、日本人の少年の標準を上回っているのがわかる。規格外の承太郎と並んでいさえしなければ、りっぱにたくましい部類に入る体躯だった。
 長い手足や、形の良い首筋から胸元にかけての線---学生服の高い襟に、常にきっちりと隠されているから、知っているのは承太郎くらいのものだろう-- -や、物静かな体の動きや、そんなものが、花京院の存在をひどく希薄なものにしていて、だから実際以上に華奢に見えるのだと、承太郎も同じ錯覚に陥ることがある。
 エジプトへ向かった一行の中では、大男ばかりに囲まれて、女や子どもと接する時にだけ、花京院の背の高さを思い出し、普段はうっかりと、自分の傍に引き寄せておくために腕を伸ばしかけてから、ああ、こいつは守られる必要なんかない男だったと、その手をポケットに突っ込んで、自分の勘違いをごまかしていた。
 女や子どもたちとは、明らかに、承太郎に対する目線の位置が違う。
 弱いもの、自分よりも体の小さなものは守らなければならないと、真っ当な保守性を幼い頃に叩き込まれた承太郎には、すでに見事に育ちつつあった自分の体を盾に誰かを守るということは、しっかりと条件反射になっていて、けれど思春期の反抗期に入ってからは、わざとそんな自分の反応に反発して、まずはわかりやすく母親のホリィに対して暴言を吐くという態度に始まって、自分の外見だけにに魅かれて群がる少女たちを怒鳴り散らして追い払うという態度になり、それがそれなりに身についた頃には、売られたケンカは必ず買って、倍にして返す札付きの不良ということに、世間の評判は落ち着いてしまっていた。
 気がつけば、隣りを歩く友人というものはいなくなって、そうなれば、誰かを守るという反応も、必要なくなっていた。
 誰かが自分の傍にいれば---彼ら彼女らは、ほぼ間違いなく承太郎より体が小さかったので---、無条件に守ろうと体が動くのを偽善だと感じるのが、思春期特有の潔癖症ゆえだと、もちろん不安定真っ只中の承太郎本人が気づくわけもなく、手間が省けて助かるぜとうそぶくのが、強がりだと、もちろん自覚があるわけもなかった。
 花京院はちょうど、承太郎の体が勝手に反応するぎりぎりの辺りにいて、決して彼を弱々しいとか、体が小さいとか、そんなふうに認識しているわけではなくて、あの奇妙に薄い気配が、実際よりも彼を頼りないふうに見せるのだと気づいたのは、一体いつの頃だったろうか。
 殺気を放てば、相手は確実にひるむ。それだけの凄みと威圧感を、隠し持っている。
 そこに立っているだけなら、やけにひょろりとした少年だと、誰もがそうやって花京院を侮る。力はなさそうだ、弱そうだ、目立つこともない彼に、一体何ができると、周囲はそこで詮索をやめて、それだけの価値はなさそうだと、花京院と深くは関らない。そして敵なら、本体である花京院本人の外見の印象と、花京院のスタンドが近距離パワー型ではないから、その能力の高さを見誤って、勝手に油断という墓穴を掘ってくれる。
 相手の油断につけ込むのがひどくうまいなと、抱いた感想をうっかり口にしたら、
 「価値のない人間だと判断されて、相手にされないのがいちばんありがたい。」
 冗談でもなさそうに、薄い笑いを浮かべて、花京院はそう言った。
 外見のせいで、どう努力しても人の中に溶け込むということができない承太郎は、周囲が自分に下す勝手な評価に心底うんざりしていて、だったらもっと誤解させてやれと、勝手なことを喚き立てる彼らを、こちらから馬鹿にしてやるために、わざと目立つ格好をして、目立つ行動を取ることを選んだ。学生服の裾をやけに長くして、襟に鎖をつけて、絶対に帽子を脱がないと、彼らのためにとてもわかりやすく行動する。そして、そのわかりやすい誇張や強調の部分だけしか見ない彼らを相手にするのを一切やめることで、承太郎は彼らの愚かさを、口には出さずに嘲笑した。
 承太郎のその意図を、見抜ける人間も周囲にはおらず---ホリィと、父親の貞夫を除いて---、自分のことをわからない連中と付き合うのは時間の無駄だと、いっそう頑なに、自分で選んだ孤独を守る。


 にこやかに微笑んで、きちんと的確に自己主張をするなら、花京院はとても目立つ男だ。外見と内面の釣り合いが完璧で、自信の度合いと実際の言動が完璧に一致し、驚くほど聡明で、そして怖ろしいほど大胆だった。
 常にうっすらと浮かべていた、よそゆきの笑みが口元から消えると、そこに現れたのは、飾り気のない無邪気さで、それは、承太郎がうっかり玲瓏と描写しそうになった彼の凛々しさを一向に損なうこともなく、大人びた彼がうっすらと見せる、年相応の稚なさは、健やかさのあかしのように、承太郎の目には映る。
 それなら、あの、張りついたような微笑を浮かべていた間、彼は健やかではなかったのだろうかと、彼の内側を不躾けに覗き込むような、そんな疑問が湧いた。
 彼は、人の心をよく読む。他人に対する用心深さは並みではなく、花京院が承太郎たちにあっさりと心を開いたのは、ただ一点、スタンド使いという共通点ゆえだった。
 スタンドを持っていることが、持たない人間たちの間で、どれほどの苦痛だったのか、それを、あの張りついたにせものの笑みが示している。
 自分よりも年上の、人生における経験の深い男たちに囲まれ---それは、承太郎も同様に---、彼らに臆することなく、けれど礼を失することもなく、他の仲間たちから見れば、子どもと言ってもいいほど若い彼は、実力の程をきちんと示して足場を固めると、静かに、引き際をよく見極めた自己主張を始めた。
 その切り替えは、驚くほど見事で、黙ってそこへ立っているだけかと思うと、次の瞬間には非常に説得力のある主張を、きちんと皆に向かって通している。誰かの意見が、自分のそれよりも優れていると見れば、あっけないほどあっさりと身を引く。喧々囂々と意見を戦わせるのが常らしいポルナレフは、その花京院の引き方を馬鹿にされたようだと感じるのか、言い争いに発展しそうになった---主には、ポルナレフのせいで---のを、ジョセフがなだめたことも、1度や2度ではない。
 今では、花京院の態度はそういうものなのだと、ポルナレフも理解しているのか、相変わらずぶつぶつと文句を言うことはあっても、喧嘩を吹っかけるような口振りは控えるようになった。
 結局はポルナレフも、ずっと年下の花京院に対して、敬意を払い始めたということだ。
 体の大きさというものが、単純に仲間内での立ち位置に影響する男ばかりの集団の中で、一番年下のくせに一番背の高い承太郎は、常にそうであったように、ごく自然に誰からも一目置かれる立場にあったし、花京院はと言えば、一番若いことと背の高さ---低さ---が重なって、けれど嫌がる素振りも見せずに、下っ端の立場に収まっている。
 その位置に不満を表さないのは、花京院の、年には似合わない聡明さのせいでもあったろうし、あるいは極めて日本人的に、年若い人間が下へつくのは、至極当然のことだと思ってもいたのかもしれない。それでも一番の理由は、花京院が、自分の位置がどこであろうと、彼自身の価値には何の関係もないと、そう知っているからなのだろう。
 旅が進むにつれ、猪突猛進のポルナレフと、微妙な下っ端争いをしているように見えるけれど、そこへポルナレフが完全に落ちては行かないのは、これもまた、花京院の、誰であれ年上の人間は尊敬すべきだという、日本人的態度のせいに他ならない。
 自分を、どちらかと言えば日本人だと自覚している承太郎だったけれど、花京院と一緒にいると、それが少しずつ薄れていくような気がする。
 椅子に座るのは一番最後、分け合う時には一番小さいものに手を出し、ひとり部屋がいいと口にしたことなど一度もない。そんな花京院の態度を、それはそういうものだと仲間たちは受け止めていて、いわゆる遠慮だとか気遣いだとか、そう気づけるのは、日本人として育った承太郎だけだ。
 疲れねえかと、訊いたことがあった。
 何がだい?と、とぼけている様子はなく、花京院は微笑んで首をかしげた。
 育ち方なのか躾の結果なのか、花京院は、ごく自然に人に気遣いを表して、控え目でいることが苦痛ではない類いの人間らしい。自分には絶対できないことだと無言で感心して、承太郎はそれ以上問うのをやめた。


 生まれつきのスタンド使いというものが、一体どんなものなのか、承太郎には想像もつかない。目立つために生まれて来たような承太郎にとっては、人と異なることがまたひとつ増えたと言って、別に大した違いはない。
 それが、承太郎の強さだ。
 花京院の靭さは、あれは、世界と自分を隔てる壁のぶ厚さだ。スタンド使いの孤独で全身を鎧って、普通の人間には見えないそれを、身内にひそませて、けれどあれが、ひどく美しい翠色に輝いていることが、承太郎にはひどく意味深く思える。
 「部屋の隅で膝を抱えてるうちに、どんどん自分が小さくなって行くような気がすることはないか? そうやって、僕は誰にも見えなくなるんだと、そう思っていたことがある。誰にも見えなければいいと、そう思っていたことがある。」
 いつかの夜に、互いに眠れないまま、ベッドの間の距離を縮めるように、シーツの端へ体を寄せながら、そんなことを言ったことがある。何か意見を言うでもなく、ただそうかと、話を聞いていただけだったけれど、薄暗い部屋の見慣れない天井を見上げる花京院の横顔が、ひどく淋しそうに見えたのに、胸が痛んだことは覚えている。
 敷布の中に真っ直ぐに包まれた体が、きちんと盛り上がっているのにやけに儚く見えて、ハイエロファントグリーンが花京院のスタンドであることに、承太郎はその時深く納得していた。
 気配を隠してひそむ、狭く暗いところが好きで、そして、表情らしいものもなければ、感情を表す術も持たないらしいハイエロファントグリーンは、まさしく花京院そのものだ。承太郎の知る花京院は、そんな男ではないけれど、花京院が拒む世界が知っている花京院は、まさしくハイエロファントそのものだろう。
 「誰も僕に気づかないといい。そうすれば僕は、見つからないようになんて、よけいな気を使わなくてすむ。」
 スタンド使いであることが、それほど孤独を強いるものなどと、承太郎は思ったこともない。
 それはきっと、幸せなことなのだろう。
 花京院を不幸だと思ったわけではなく、ただそれはそうというだけのことだと、自分の幸運さを自覚して、承太郎はその夜、なかなか眠れずに花京院のことばかりを考えていた。
 あの翠の輝きは、隠れたい潜みたいというハイエロファントの行動とは一致せず、それはつまり、あれは花京院という人間の、隠せない輝きだということだ。
 内側に翠の光を満たした、鎧い続けた孤独から抜け出そうとしているように見える花京院という男は、承太郎とはあまりにかけ離れていて、ただ一点スタンド使いという共通点だけでの繋がりは、あまりに頼りない気がした。
 それなのに、日本語が通じるということ以上に、思考が繋がっているように感じるのはなぜなのだろうか。
 花京院の、あえて語ることはしない内側が、透けて見えるような気がするのは、なぜなのだろうか。
 承太郎のそばにいても、承太郎の力など微塵も必要とはしない彼の、その肩に腕を伸ばしてしまいそうになるのは、なぜなのだろうか。
 その必要があるから今は一緒にいるのだという事実が、淋しいものに思えるのは、なぜなのだろうか。
 わからないことだらけだ。
 花京院は、まだ抜け出せない孤独を、いつか承太郎と分け合いたいと思うだろうか。考えてから、下らないとため息をついた。
 身じろぎもせずに眠る花京院の横顔を眺めて、承太郎は、名づけることのできない気持ちをひとり持て余していた。
 その夜見た夢を、承太郎は憶えていない。


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