見せない顔



 正面を向いてくれることはほとんどなくて、いつだって背中に覆いかぶさる形になる。
 こっちを向いてくれと言えば、あごを肩先に埋めるくらいのことはするけれど、肩ごとこちらに体を回すことなど、滅多とない。
 広い背中、盛り上がった肩、肩甲骨の形がくっきりと見えるから、よけいに胸がぶ厚く見える。そうなれば、背が丸まって見えてもおかしくないと言うのに、ことさら胸を張る姿勢のせいか、承太郎はいつだって、どこから見ても偉丈夫だ。
 その背に胸を合わせてゆく時には、いつだって、少しだけ気持ちがひるむ。
 承太郎ほどは厚くはない、承太郎ほどは広くはない、その体を重ねて、もっと近く触れ合うために、花京院は前へ向かって両手を滑らせる。
 首に、両腕を巻きつける。胸に触れて、首筋とあごを掌で包んで、それから、ピアスを着けた耳朶を、全部口の中へ入れる。承太郎が、息を止める。
 舐めて、唇で耳朶を挟んで、それから、そこで名前を呼んだ。
 うるせぇと、いつもの悪態が、けれどいつもよりも小さな声で、わざとそちら側の耳を遠ざけるようにねじ曲げたその首に、今度はそっと噛みつく。髪の生え際に鼻先を埋めて、しばらくの間、そうしてじっとしていることにする。
 承太郎。また呼んだ。今度は応えない。それでも、体が逃げることはない。
 触れていた手を離して、胸も少し浮かせる。肩の筋肉に軽く歯を立てて、そこから背中へ向かって滑り落としながら、今度は承太郎の腹の辺りを両腕で抱いた。
 開いた膝の間に、承太郎を抱き寄せる形で、けれど花京院にそんな姿勢で体を預けるなど、承太郎が正気で思いつくはずもなく、その正気を早く失してくれるように、掌を、みぞおちから撫で上げた。
 唇を噛んだのが、見なくても花京院にはわかる。ふっくらと厚い、紅い唇に、皓い歯が食い込む。唇は白くなり、そこから耐えていた声がもれ始める頃には、いっそう濃く、血の色を上げている。
 見なくても、それが、花京院にははっきりと見える。
 花京院から逃れようとしているのか、それとも、躯が勝手にそう動くのか、あごを胸元に引きつけ、少し丸まった承太郎の背中には、くっきりと骨の形が浮かんでいる。ごつごつとしたその手触りを、今は手指ではなくて、自分の頬で撫でて、うなじ辺りの、ひときわくっきり高い骨のそばに、花京院はまたそっと歯を立てる。
 そのまま皮膚を食い破って、肉と血をすすりたい。剥き出しになった骨に、直に噛みつきたい。そうやって、承太郎と、もっと近くなりたい。
 けれどそれはかなわない。かなっても、きっとできないだろう。承太郎の血を、見たいけれど見たくない。
 代わりにと、思うわけではなく、そこもはっきりと形のわかる肋骨を両の指先で全部撫でてから、花京院は承太郎の腿近くへ触れた。
 承太郎。また呼んだ。今度ははっきりと、目の前の背中と肩が揺れた。
 自分が触れているせいで、自分が、こんな声で呼ぶせいで、包むように触れる指先に、かすかな湿りが伝わる。脈打つような、熱の形。両手でなければ扱えないから、両腕を承太郎の腰に巻きつけて、そうして、もっと胸を近づけた。胸だけではなくて、腹も、脚も、全部だ。
 熱い皮膚が触れて、こすれる。承太郎がまた躯を揺する。少しばかりはしたなく自分に触れる花京院の掌に、まるでもっととこすりつけるように、無意識に腰が揺れている。承太郎はそれに気づいて、悔しそうに、また唇を噛む。
 そんなことをしても、結局はその唇をほどいて、声をふりこぼすことになる。昨日よりも今日よりも明日、声はもっと、素直さを剥き出しにする。
 「んなモン、こすりつけてんなてめー。」
 花京院の膝を、不意に承太郎が押さえた。
 腰の辺りに、花京院のそれが当たっている。承太郎が触れてはくれない──まだ──から、勝手に欲しがって、承太郎の、そこはやけに細い腰の骨に沿って、すっかり勃ち上がっている。
 触ってくれと言っても、そうしてくれないのはわかっているから、無理強いはしない。承太郎が、ほとんど意識を飛ばしてそこへ手を伸ばして来るのは、もう少し後だ。
 別にこんなことやそんなことが好きなわけではないと、言い訳がどんどん増えてゆくその理由に、承太郎は気づかない振りをしている。だから花京院も、決して気づいてはいないという芝居に、最後まで付き合う気でいた。
 君が欲しい。言葉だけでなくて、躯で伝える。いつだって、殴り飛ばされる覚悟だ。
 てめーが欲しい。言葉はない。そんなことを、承太郎が素直に言うはずもない。けれど躯は、本人よりも何倍も素直に、花京院の掌に応えてくれる。
 君は、案外とおしゃべりだな。昼間、軽口の合間に、こっそりと差し込んだ。煙草に火をつけかけていた承太郎は、ライターの火を覆った掌から、目元だけ覗かせて、そこに怪訝な色を浮かべた。夜、ふたりきりの時にしか見せない笑みで、唇の端をわずかに上げて見せた。一瞬で頬を染めたのは、あれは火のせいではなかった。
 掌と指先を動かして、こんなことに慣れているわけはないから、承太郎の息遣いに耳をすませて、皮膚が波打つのを、全身で感じながら、承太郎を追い詰める。追い詰めて、また逃がす。逃げるのをまた追い駆けて、追い詰めて、また放す。それを、承太郎の背が反って伸びて、自分の方へ寄り掛かって来るまで、執拗に繰り返す。その頃には、承太郎の長い腕が、花京院の首に回って、もっと近く引き寄せることさえし始める。
 そうすればもう、承太郎は花京院のものだ。
 躯の向きを変えたそうに肩をねじるけれど、今はそれを許さない。
 自分だけ、こんな風に乱れるのは不公平だと、花京院の、開いた脚の間に手を伸ばして来る。本気でそうしようと思えば、花京院の手を振り払うことなど雑作もないはずだけれど、そこまではしない。けれど花京院の脚や肩に触れて、まるでしがみつくように、そこに指先を食い込ませる。
 目の前で、承太郎の背が反って、踊る。
 両手の中で跳ねるそれと同じに、承太郎が揺れる。汗の浮いた背と胸が、濡れて滑る。花京院の掌の中と、同じ音を立て始める。
 天井に向かってあごを突き上げて、承太郎が叫んだ。声はなかったけれど、その悲鳴のような声を、花京院は確かに聞いた。
 承太郎のその声にそそられて、思わず唇を湿し、その唇を、目の前の星の痣に押し当てた。平たい舌先も押しつけて、そうして、そこをい切り噛んだ。
 掌の中に、ぬるりと熱がほとばしる。丸めた指にそれを受け止めて、濡れた自分の指を今すぐ舐めたい衝動に、花京院は必死で耐える。
 強情さのかけらもなく、今はすっかり躯を開いた承太郎が、花京院の胸の中を滑り落ちかける。それを両腕の中に抱き止めると、承太郎が、自分から花京院を抱き寄せにかかる。
 体を傾けて上向いて、形のよい唇を開いて、花京院を誘っている。最初にはあれほど見せるのを嫌がる、こんな時の表情が、今はこんなに近い。承太郎の呼吸の熱さに、花京院は逆らえない。もっと別の熱さを直に味わう前に、動く唇と舌に向かって、花京院は自分の唇を落として行った。


* 立太さん宅花承絵チャにて即興。ありがとうございます。

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