こたつでみかん

 こたつの角を囲う形に、ふたりですっぽりそこへ納まって、テレビは退屈な正月番組を、BGMの代わりに流している。
 承太郎は大きな体を縮めて、肩近くまでこたつ布団を引き上げ、そこへあごを埋めていた。ホリィは何をしているのか、ずっと台所から鼻歌が聞こえている。花京院はうつむいて、丁寧にみかんの皮を剥いていた。
 途中で切れずにきちんと1枚のまま、みかんから外の厚い皮をきちんと剥き、中身を半分に割ってから、端からひと房ずつ取ってゆく。爪の先で、みかんの実は傷めないように、丁寧に丁寧に、気の遠くなるような細やかさで、房の丸みを覆っている白い筋を全部取る。剥いた皮の中へそれを置いて、それから房の、丸くへこんだ辺を歯先で軽く噛み取り、袋の口でも開けるようにそこを切り取った後で、房を覆う薄皮を両側から剥いて剥がすと、飛び出すように出て来たつやつやと橙色の中身を、まずは承太郎へ差し出すのだ。
 承太郎は自分の手は一切汚さず、花京院が、缶詰かと思うほどきちんと皮を剥いたみかんの実だけを、口の中に受け取る。舌先で軽くつぶすと、果汁があふれて、喉の奥を酸味が焼いた。そして、飲み込む直前に、ふと鼻先に、あるとも知れない花京院の指先の、生身のひとらしい匂いが、ふっと立って神経をすっと撫でてゆく。
 ふた房目は、同じようにしてから、花京院が自分で食べた。
 そうやって交互に、奇数のみかんは承太郎へ、偶数のみかんは自分の口へ、花京院はまるで、その作業に没頭しているように、大半は自分の手元に視線を落としたまま、飽きもせずにみかんの皮を剥き続ける。
 承太郎の着ている半纏は、どう見ても大きさがぎりぎりだけれど、花京院が着ている、承太郎の替えの半纏は、少しばかり肩が余って袖も長い。そのせいなのかどうか、花京院はあまりこたつには頓着せず、ただ、みかんの房から剥ぎ取った白い筋が、こたつ布団の膝の上に落ちたりしないようにと、それだけを気にしている。
 果物の皮を剥くのがあまり好きでない承太郎は、りんごや梨は皮ごとかぶりつく──アメリカ育ちのホリィもそうだ──し、みかんの類いは歯先で外の皮をこそげ取るようにして剥ぎ取り、出て来た中身にそのままかぶりつく。垂れた果汁は構わず舐め取る。父の貞夫は、花京院と同じようなみかんの食べ方をするけれど、ここまで丁寧には薄皮を取ったりはしない。外の皮をきれいに剥くのは、日本人のやり方なのかと、花京院のこんな時にも優雅に動く手先を見て、承太郎は考える。
 最初のひとつは案外と早くなくなり、もうひとつ?と花京院が、次のみかんを承太郎の目線の高さに、掌の上に乗せて見せる。ああ、とうなずくだけで、またきれいに皮の剥かれたみかんの実が、承太郎の口元へ運ばれる。
 正月と言って、空条家はホリィが台所を切り盛りするようになってから──つまり、承太郎が生まれた時から──は、いわゆるおせちと言うものはなく、まるごと焼いた鳥やハムや、それで作ったスープがクリスマスから並び、正月の2日には家の中はもう普通に戻ってしまう。家の外は正月気分で、いわゆる年越しそばも雑煮も7日まで続く正月も七草粥も、承太郎にはあまり縁がない。
 花京院宅と言えば、母親が看護婦とかで、これも正月含めた祝日が世間並みに過ごせるわけもなく、母親から習ったささやかなおせち料理を作るのは花京院で、それも豪勢にと言うわけには行かないから、形だけ年越しそばと雑煮は作り、主には海外出張がなく運良く家にいる父親とふたりで、ごくごく普通に静かに過ごすのが恒例だそうだ。
 花京院が、自分が作ったと言う黒豆ときんとんと田作りをおすそ分けに、小鉢に人数分盛られたそれの傍らに、クリスマスの残りのローストチキンと、それの骨で作った野菜たっぷりのスープが、一体ここはどこの国の正月かと思う様子にこたつの上に並べられ、そうして過ぎた、承太郎と花京院の、空条宅での1月2日だった。
 ふたつめのみかんの、最後のひと房は奇数だった。薄皮を取り去り、指先で軽くつまんだそれが承太郎の方へ差し出され、それに向かって口を開く前に、
 「来年は、何か一緒に作るか。」
と、承太郎は突然言う。
 「何かって?」
 承太郎の唇にもっと近くみかんの実を寄せながら、花京院が軽く首をかしげる。
 「きんとんくらいならおれにも作れそうじゃねえか。」
 「じゃあ僕は、スープの作り方をホリィさんに習おうか。」
 「てめーの作った雑煮も食いてえ。」
 「君にならケンカにならなくていいな。」
 「ケンカ?」
 「よそもの同士が結婚すると、雑煮の作り方でケンカになったりするんだそうだ。具とか使う味噌や餅の焼き方が、それぞれの家で違うんだそうだ。」
 「おれたちはよそもの同士過ぎてちょうどいいじゃねえか。」
 「ああ、そうだな。」
 花京院が笑う。
 そもそも雑煮に縁のない承太郎は、雑煮の作り方でケンカになると言うのがよくわからず、もしかすると、花京院の両親が、結婚したての正月にそんなケンカをしたのだろうかと、その辺りまで想像した。
 結婚したばかりで初々しいふたりが、台所で、そんなつまらない──本人たちには大問題だ──ケンカをする。それでも、向き合って一緒に雑煮を食べる頃には機嫌が直って、楽しい正月を、ふたりきりで初めて過ごす。
 ふたりきり、と思ってから、承太郎はちょっとだけ肩をすくめた。
 まだ承太郎が差し出したみかんを食べないので、花京院がそれを承太郎の唇に押し付けて来た。唇に触れただけで、甘酸っぱい味がする。不意に衝動的に、承太郎は唇を大きく開いて、花京院の指先ごと、みかんを口の中へ入れた。
 皮を剥いて、果汁でかすかに濡れた指先は、実よりも強くみかんの香りが染み付いて、思わずそれごと噛んでしまいそうになるのを、承太郎は必死で止める。気づかない振りで舐めると、確かにそこもみかんの味がした。
 「おい、食べるのはみかんだけにしてくれ。」
 怒った口調で、けれど照れているのが笑っている目元に表れた。
 おせちの作り方と、そしてみかんの皮の剥き方も、ちょっと花京院に倣ってみようかと、気まぐれに考えてから、やっと放した花京院の指が自分の唇の間から去り、また次のみかんへ伸びるのに、承太郎は目を凝らしていた。
 「もうひとつ食べるかい。」
 もう自分の手元に目を落としたまま、花京院が訊く。
 「おう。」
 答えながら、あぐらを少しだけゆるめて、すぐ傍にあるはずの、これもあぐらの花京院の膝へ、こつんと自分の膝を当てた。
 赤くて温かなこたつの薄明かりの中で、それきり無言のまま、膝のつつき合いをしばらくする。うつむいた花京院の頬が、うっすら赤く染まっていた。みかんの甘酸っぱい香りがいっそう強く立って、承太郎はそれにこっそり頬を赤らめた。
 花京院の形のいい爪の先が、承太郎のために、丁寧に房の白い筋を取り続けている。

☆ 絵チャにて即興。
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