放課後のラムネ



 だらだらと歩く放課後の通学路を、ちょっと右にそれたのはそれほど珍しいことではなく、そうと言い合わしたわけでもなくふたりが目指すのは、そんなところで客が来るのかと心配になる、小さな駄菓子屋だ。
 車がぎりぎり通れるだろうかと思う狭い道に向かって店を開けて、なるほどたまに、数台乱暴に停められた自転車を見掛けることもあるけれど、ふたりが店を覗く時は、たいてい中に人影はない。
 いかにも古びていて、それでも清潔に明るい店の中で、子どもの心をそそるような鮮やかな色彩に、いつだってふたりはするりと目を奪われて、掌いっぱいに買ったところで百円にも満たないような他愛もない駄菓子を、花京院は満面の笑みを浮かべて、承太郎はなぜか学校で見せる以上に無愛想に買い、店番をしている自分たちの祖母のような女性のしわばんだ掌に、夏の今ではやや汗ばんだようにぬるく湿った硬貨を乗せて、軽く頭を下げて店を出る。
 今日はひときわ暑い日だったから、口の中にぱさつく駄菓子ではなくて、氷水の中に沈んだラムネのびんを承太郎が指差し、花京院も同じようにと思った時に、承太郎があと声を上げた。
 「・・・金がねえ。」
 ポケットを探り、どうやら紙幣を忘れて来ていたのか、今朝煙草を買った時の釣り分しかないと言う。ラムネ1本分の半分の金額だった。
 「気にしなくていい、とりあえず僕が払おう。」
 「金の貸し借りはしねえ主義だ。」
 タオルでラムネのびんの水気を拭き取ったきり、どうするのかと、それでもにこにことふたりを眺めて待っている女性に向かって、承太郎が長い人差し指をはっきりと立てて見せた。
 「1本でいい。ふたりで分ける。」
 承太郎が勝手にそう決めるのにちょっと顔をしかめて、けれどこれ以上彼女を待たせる気にもならない──そして、彼女の目の前で、下らない言い争いもしたくない──花京院は、承太郎が差し出した小銭を受け取り、自分の小銭をそれに足して、いつものように彼女に受け渡す。
 「ありがとうね。」
 彼女は、いつもよりもいっそううれしそうに微笑みを深くして、口をふさいでいるビー玉を落として開けたラムネのびんを、花京院に優しい手つきで渡してくれた。
 つられて微笑み返すと、花京院はちょっとだけ深く会釈をし、先に店を出た承太郎を追う。
 まだ陽のまぶしい道路に出たところで、ラムネを差し出した。
 「てめーが先に飲め。」
 「半分ずつって決めたのは君だぞ承太郎。」
 「やかましい、てめーが先だ。」
 いつもの強引さで言うのは、けれど気遣いだとわかっているから、花京院はそれ以上は逆らわずに、素直にラムネのびんに口をつけた。
 しゅわしゅわと音を立てて跳ねる泡が、唇の内側から喉の奥へ滑る。痛いようなその刺激に、花京院はぎゅっと目をつぶって、数瞬空を仰いだ姿勢のままでいる。
 気温の高さと炭酸の冷たさが、一瞬花京院を別の世界に運んで行った。
 そうしている間にも、すでに手の中で結露に湿り始めているラムネのびんを、花京院はやっと承太郎に向けた。
 承太郎の大きな手が、そのままラムネのびんを握り割ってしまいそうに見えた。
 炭酸の泡の刺激のせいで忘れていたことを思い出したのは、承太郎が喉を鳴らして最初のひと口を飲み込んでしまった後だった。
 「ああすまない、口を拭かなかった。」
 「なにが?」
 言いながら、承太郎がまたひと口あおる。
 あごの形の良さのせいで、よけいに太く見える首の線が、大きく上下した。
 「いや、びんの口を、渡す前にちゃんと拭かなかった。」
 「おれは病原菌か。」
 「いや違う、僕が拭かなかったという話だ。君のことを言ってるんじゃない。」
 半分ずつと言ったくせに、三口目を飲み込んでようやく、承太郎からラムネが返って来る。もちろん、差し出す前に口を拭き取る気配などあるわけがない。
 「妙なところに気を回しやがる。」
 「親のしつけでね。」
 少し怒ったように言う承太郎をいなすために、花京院はわざと微笑みを作った。
 うそではない。けれど完全にほんとうでもない。今まで、誰かと回し飲みをするような機会がなかったというだけの話だ。
 自分のものは自分のもの、それだけを気にしていればよかったのに、承太郎はやすやすとそこへ踏み込んで来る。踏み込んで来るだけではなくて、まるで当然の顔をして、花京院のものも自分のものも、ごちゃごちゃと混ぜてしまう。
 一体どれが自分のものか、どれが承太郎のものだったか、どんどんわからなくなる混沌が、けれど不愉快でないことを、花京院はもう不思議とも感じない。
 たった今、花京院のごく自然に身についてしまっている他人行儀さに、少しばかり傷ついたに違いない承太郎の腹立ちすら、心配ではなく、ただひたすらに微笑ましいだけだ。
 自分の中に、まるですっぽりとはまり込むように大きな全身ごと入り込んでしまっている承太郎を感じながら、そうして圧迫される自分ではなく、むしろ承太郎を受け入れた分だけ大きく広がりつつある自分を、花京院は初めて自覚していた。
 友達というのは、こういうものなのかと考えて、本や物語の中にだけいたはずのその存在が、今自分の目の前に現実にいるのだという思いが、胃の中の炭酸のように、静かに静かに満ち始めていた。
 そうかと思って、試されるようにそのまま受け取ったラムネのびんに、花京院は、少しだけ戸惑いながら唇を近づける。
 喉をそらして、抜けるように青い、高い空を仰ぎ見る。視界の端に、承太郎の帽子が引っ掛かる。まぶしさに目を細めて、花京院はごくごくとラムネを飲んだ。
 承太郎と、ふたりで一緒に買って、ふたりで分け合うラムネだ。びんの緑色に、陽の光が白く弾ける。びんの中で、泡も弾け続けている。
 胸を通り過ぎる炭酸が、ぱちぱちと音を立てているような気がした。
 からんと、びんの中で転がったビー玉が鳴る。涼やかなその音を写して、花京院は承太郎に向かって、爽やかに微笑んでいた。


* 2009/11/21 絵チャにて即興

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