夢の中へ

 承太郎が、持っているCDのケースの中身を確かめる作業をしている傍で、花京院は、自分の持っているCDの中身を、全部PCに移す作業をしているところだった。
 たまたま手に取ったCDの、ジャケットと中身が一致せず、聞きたいCDがすぐに見つからないのにムカっ腹を立てた承太郎が、自分の分のCDを全部棚から出し、片端から開けて、中身とジャケットが一致しているかどうか、確かめ始めて1時間近く経っている。
 最初の、その聞きたい1枚はまだ見つからないらしく、承太郎のこめかみには、そろそろ青筋が定着し始めていた。
 花京院は、承太郎が取り出したCDを時々手に取って眺めているうちに、そのうちやろうと考え始めて、もう1年以上になる、手持ちのCDの中身をPCにコピーしておくという作業に、唐突に手を着けることに決めて、何となくふたり揃って無言で手を動かしている、そんな日曜の午後だ。
 「やっぱり何だか味気ないな。」
 突然花京院が、モニタに向かったまま、背後の承太郎に話しかけると、承太郎も手元から視線は動かしもせず、
 「何がだ。」
とあまり心も込めずに返事をする。
 「テープに落とすのとは全然違うじゃないか。落としながら聞く必要がないなんて、何だか卑怯な気がするよ。」
 「MP3なんざ吐き気がする。」
 「最近のスピーカーは音がいいから、PCで聞いても案外音がいいのが怖いな。僕らどんどん無精になってゆく。」
 数分も掛からずに、1枚分のアルバムがきちんとフォルダにされてハードドライブの中に収まり、これでわざわざCD自体をいちいち取り出さなくても、いつでも作業中に好きな曲を聴ける。その手軽さに驚嘆しながら、同時に、花京院はその手間の掛かからなさを、何となく申し訳ないと思った。
 昔、学生の頃は、新しいアルバムを手に入れるたび、まずはテープに落とすのが儀式のようなもので、ステレオの前にほとんど正座して、録音される間聞き入ったものだった。
 音楽を聴くというのは、以前はアルバムを1枚聴き通すことだったように思うけれど、今では見境なく集めた曲を、適当に流しておくことに変わってしまったようだ。
 あまり好きではない曲は、手軽に先送りできる。1曲だけ聴きたければ、プレイヤーが延々繰り返してくれる。わざわざお気に入りを集めたテープを、苦労して作らなくても、こうやってPCにコピーしておけば、好きな曲だけ選んで、順番にでもランダムでも好きなように再生してくれる。
 花京院の手元には──承太郎も同様──ラジオから録った音源や、あちこちのアルバムから集めて自分で編集したテープや、1曲だけがAB両面に入っているテープが、まだ何本もある。
 花京院たちが高校生の頃は、親の理解によってはやっとウォークマンに手が届くかという頃で、今のように、小学生すら携帯を持ち歩くのが当然という風潮には、子を持つ親の身ではないだけに、正直めまいがする。
 「彼らは、レコードの音なんか聴いたこともないんだろうな。」
 「今年入った1年生に、"カセットテープ? 親父が持ってたかな"とか抜かしがやったのがいたぞ。アナログの音の良さも知らねえくせに何抜かすかと思ったが、黙って知らん振りした。」
 「すごいじゃないか承太郎、君もずいぶん大人になったな。」
 「やかましい。」
 花京院といれば高校の頃とちっとも変わらない承太郎も、1歩外に出れば、それなりに名の通った学者の貌をきっちりと面にかぶせて、血の気の多い中身は相変わらずでも、それを隠すのは確かにうまくなっていた。
 「仕方ないさ、僕らだってきっと、10も上の人たちにはきっと忌々しがられたんだ。行くところに行けば輸入盤が山ほど手に入るし、ラジオでだって気軽に聴けるじゃないかって。僕ら世代の洋楽好きと、上の人たちの洋楽ファンは意味合いが全然違う。あの人たちは、ほんとうに苦労して音源や情報を手に入れてたんだ。」
 「今はネットで欲しいものはすぐに見つかるからな。」
 「そうだよ、僕らちっとも雑誌を読まなくなったじゃないか。時代は変わるんだ承太郎。誰も時間を止められない。」
 肩越しに振り向いてそう言ってから、一瞬花京院は視線を泳がせて、
 「・・・君にだって無理だ。」
と付け加えた。
 まだ黙々とCDのケースを開いては閉じる作業を続けながら、承太郎がふんと、一応相槌らしい反応を返す。
 「いいさ、僕らだってネットやら何やら、便利さの恩恵に預かってるんだ。文句を言う筋合いじゃない。」
 「文句なんざ言ってるわけじゃねえ。」
 はいはいと、相手にせずに、花京院は振り向かずに肩の上で手を振って見せる。
 承太郎と一緒に買った、Led Zeppelinの2度目のボックスセットの1枚目をCDトレイに乗せて、最初のボックスセットは承太郎が自分で買ったものだったから、それを貸してくれと言うために、花京院は椅子を回して承太郎の方へ体全部で振り向いた。
 目の前に迫る承太郎の丸まった背中から、不機嫌のオーラが立ち上っているのが見えて、やれやれと、承太郎の口癖を胸の中でだけ真似て、軽く椅子から立ち上がる。
 「まだ見つからないのかい? 休憩するならコーヒーでも淹れよう。」
 「おう。」
 また顔も上げずに承太郎がうなずく。
 「探してるのはどのアルバムなんだ?」
 「Riverdogsのプロモの非売品のライブ音源のヤツだ。」
 「ああアレか。」
 淀みなく承太郎がすらすらと口にするそれは、知っているという人も、ファンだという人も、承太郎以外には花京院はまだ出会ったことがない、承太郎のお気に入りの1枚だ。
 何しろ1990年にそのアルバムに出会って、アメリカのジョセフにまで頼んで手に入れようとしたのに、ニューヨークでもボストンでも見つからず、そもそもバンドの名前すらほとんど通じず、西海岸にはその頃まだあまり縁のなかったジョセフの探索の手はそこまでは届かないまま、機会のあるごとに承太郎が探し続けていた1枚だった。
 少し抑え気味の濃いピンクに、飛び散るようなデザインで黒くバンド名が書いてあるだけのジャケットには、確かに非売品と記してあって、バンドがプロモーションのためにあちこちのラジオ局で演奏した音源を集めたものだった。
 きちんとレコーディングされたアルバムよりももちろん音は少し荒く、けれど声もギターの音も気持ち良く伸びていて、楽しそうに演奏するメンバーの様子に、20(はたち)直前の承太郎は惚れ込んだのだそうだ。
 そして数年前、気まぐれでバンド名をネット検索に掛けてみたら、小さなファンの集まりにたどりついた。そこで当然その非売品のアルバムの話題を見つけ、皆がどうやって手に入れたと情報を交換しているのを読んだ次の瞬間、承太郎はアメリカの、どことも知れない町で、ほとんど手売りに近く、珍しいけれどあまり欲しがる人もいない類いの音源を好んで扱っている男を見つけて連絡を取り、2週間後には、承太郎が10年以上探し続けていたアルバムが、小さな小さな小包であっさりと届いた。
 ジャケットも中身のCDも、記憶にある通りだと感動しながら、同時に、あれほど焦がれて実物を目にするのはもう不可能かもと思っていたアルバムがオンラインで45分で見つかり、たった2週間で海を越えて届いたという21世紀の現実に、承太郎は少しばかり憤りも感じだのだと言う。
 ありがたいと思う気持ちと、弾むほどうれしい気持ちと、そして同時に、こんなに簡単に手に入れてしまって良かったのかと、今では最初のアルバムは廃盤になって、けれど根強いファンに支えられながら、同じ名前とほぼ同じメンバーで細々と続いているのだと知ったバンドに、承太郎は申し訳ないとも思ったのだそうだ。
 その戸惑いにも似た憤りは、イギリスのアマゾン──言うまでもなく、南米のアマゾンではなく、大手のネット通販のアマゾンだ──では、あまりに長く続く人気──メジャーレーベルの目に留まるほどではない、というのが悲しいところだけれど──に目を付けたのか、廃盤のファーストとその非売品のプロモがダブルアルバムの形で売られているのを発見した時には、どうやらわかりやすい怒りに変わったらしい。
 その晩、いかに資本主義にどっぷりと浸かった世の中の一部の目が曇って腐っているか、承太郎は酔っ払いながら延々と、花京院の知らないあれこれのバンドの名前と彼らに起こったことを例に挙げて語り続けた。
 花京院は、承太郎の気の済むまで、つまり早朝までその怒りと憤りと様々な形の愛情に満ちた愚痴に付き合い、承太郎をやっとベッドに送り込んだ後で、汚れたグラスや転がったビールやウィスキーのびんを、黙ってひとりで片付けた。
 翌日、二日酔いの承太郎は、花京院の淹れた濃い目のコーヒーを飲みながら、Riverdogsのファーストに聞き入って、前日の様子が嘘のように静かに、彼らの音に耳を傾けていた。花京院も一緒に、承太郎とそのアルバムを聴いた。
 そんないわくつきのアルバムだから、承太郎はこんなに必死になって探しているのも無理はない。
 今まで頑固にテープで聴いていたのだけれど、そろそろラジカセやウォークマンの新製品も数が少なくなり、カセットテープも買うのが難しくなり始め、承太郎はやっと頭を切り替えて、好むと好まざるに関わらず、音楽をただのデータをして扱うしかないと結論したらしい。花京院はとっくの昔にその結論にたどり着いていたけれど、今日の今日まで作業が面倒くさくて放っていた。それに、PCのメモリ増設も必要だった。
 PCにCDの中身を全部写す、これは承太郎の下準備だ。床に坐り込んだ承太郎の周りを、ぐるりと囲んで小さな塀のようになっているCDの山を見て、花京院は知らずに微笑んでいた。
 この集中力はいわゆる学者気質なのか、実験のような手つきで、慎重に丁寧にケースを扱う。自分も同じように扱われていることに、花京院はふと今さらな好感を抱く。承太郎は、じっと背中を見つめられていることにも気づかないように、一心不乱にCDを手に取り、ケースを開け、中身を確かめては自分の周りの山に加える、という作業に、相変わらず飽きる様子もない。
 そうして突然、
 「あった!」
と声が上がり、承太郎の背筋がぴんと伸びた。
 「なんでこんなところに入ってやがる。」
 忌々しそうに、けれどどこか弾んだ声音で言う手元には、何やら直視すると呪われそうな絵の、物騒に見えるアルバムがある。Destructionと書かれているのが多分バンドの名前なのだろう。どこのバンドだったっけと、禍々しいジャケットからちょっと視線をずらして花京院は考えた。
 「良かったじゃないか、見つかって。」
 そこから取り出したCDを、これまで以上に丁寧な手つきで元々のケースに入れ、そして肩越しにこちらを向いた承太郎の、まだ浮かない顔に、花京院はうっかり首を傾げる。
 「何だ、まだPCに取り込むのがいやなのかい。」
 花京院の分が終わったら承太郎の番だ。そのために、おととい花京院がハードドライブをの容量を増やしたばかりだ。
 気持ちは分かるが、いい加減時代に逆行するのもバカらしいじゃないかと、数日前承太郎とこのことについて話し合った時に言った科白を、花京院はまた繰り返すつもりで唇をゆるめる。
 それより一瞬早く、承太郎がぼそりと言う。
 「こいつのCDはどこだ。」
 今は空になった、そのDestructionのアルバムのケースを花京院の方へ見せながら、まだ半分残る未確認のCDへ視線を移して、承太郎の声がうつろに響く。
 「・・・ああ・・・。」
 探しものはまだ続くらしい。
 花京院は今度こそしっかりと立ち上がり、お気の毒さまと言うように、承太郎の肩をぽんぽんと叩いた。
 「コーヒーを淹れるよ。」
 「・・・おう。」
 少し気弱になった承太郎の声に苦笑を渡して、花京院は部屋を出てキッチンへ向かう。
 自分の分のCDの取り込みが終わったら、承太郎の探しものに付き合おうと決めて、恐らく承太郎の音楽の趣味は永遠に理解できなくても、彼が傾ける情熱はいとおしいと、いつも以上に思う。
 そんな君が好きだと、部屋のドアに向かって、花京院はもう一度微笑んだ。

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