君に恋する5のお題@裏庭工房

目を閉じれば君が


 長い長い悪夢の1日が終わり、朝日の中に、DIOの体が、灰となって散ってゆく。
 承太郎は、その灰の流れゆく先を、それが光の中に完全に消えてしまうまで、飽きもせずに見送っていた。
 確実に、悪魔がついえ去ったことをその目で確かめたくて、承太郎は、いつまでも、次第に明るくなる景色の中、まるで闇そのもの---DIOが、永遠と引き換えに、縛りつけられていた---のように、黒い制服の背を伸ばしている。
 その背は、切り裂かれ、埃に白く汚れ、ひどくこすったように、引きちぎれた部分も見える。かつてはDIOだった灰を散り飛ばしてゆく風に、長い上着の裾がなぶられ、承太郎は、踏みしめている地面へ、あごを引いて視線を落とす。
 DIOの体を横たえた地面には、もうひとすくいの灰すら残らずに、澄み切った空からあふれ出す光の中、きらきらと輝くのは、もう甦ることのない、DIOの残骸であるはずだった。
 承太郎は、上目遣いに空の方を見上げて、眩しさに目を細めてから、学生帽の固いつばに、つっと指先を滑らせる。
 手の作った陰の下で、昨日のことを思い出していた。
 5人と1匹で乗り込んだDIOの館で、敵は4人、そしてDIO。
 大したサイコ野郎どもだったぜ。
 やれやれと、口ぐせをつぶやいてから、動いた唇をたしなめるように、奥歯を噛んだ。
 朝日を見ることができたのは、3人。DIOからの輸血で蘇生した、祖父であるジョセフと、重傷でSPWへ保護されたポルナレフ、そして、DIOに最期の一撃を叩き込んだ承太郎。アヴドゥルとイギーは館の中で命を落とし、花京院は、給水塔に縫いつけられるように、流れ落ちる水の中に、腹に空いた穴から滴る血を溶け込ませて、そこで息を止めていた。
 大量に血を失った体は、水を吸って濡れていて、承太郎のそれとは、少し形も色も違う学生服が、抱き上げた腕に、凍るほど冷たかった。
 この旅の間にすっかり見慣れてしまった、血に汚れたあごや頬や、動き回るうちに乱れた髪や、意志の強さを示す吊り上がり気味の眉や、そして、眠っているだけなら、わずかに揺れるはずの長いまつ毛は、微動だにせず、涼やかなその目が、承太郎のために開かれることはなかった。
 叩きつけられていた給水塔から、花京院を引きずり下ろし、その、血と水に濡れた体を抱いて、地面へ降りた。固い路面に横たえた体に力はなく、皮膚の色は、紙のような平たい白で、血の気のない紫の唇に指で触れてから、承太郎は、花京院の腹に空いた穴に、そっと掌を乗せた。
 最期に交わした言葉は何だったかと、呼吸のためにも、言葉のためにも、もう動かないだろう唇を見下ろして、思い出そうとする。
 抱いた体は、こんなに軽かったかと、頼りなく腕の中に収まって、名前を呼ぼうとして、舌が喉の奥に張りついた。
 血の温度さえすでになく、即死だったのだろうか、それとも苦しんで逝ったのかと、見た目よりも広い肩を、つかんで揺すぶりたくなる。
 なぜだろう、一緒に来ると言い出した時に、こんなことになるとは、想像すらしなかった。旅を終えれば、また不良学生に戻る承太郎と、そしておそらく、そのままおかしな具合で始まった友情を続けるだろう花京院と、それ以外のことを、考えたことすらなかった。
 こんな結末か。
 喉の奥で、承太郎はうなった。
 悪夢の後で、明けた朝が眩しければ眩しいほど、胸の奥がどす黒く濁る。もっとましな終わり方があったのではないかと、そればかりを考える。
 花京院典明は死亡。
 SPWの輸送車の中で、はっきりとそう聞いた。自分で確かめたよりも、もっと確実に、機械から流れるその声が、承太郎を叩きのめした。
 あの声が、自分の名を呼ぶことはもうない。そうと言う前に、こちらの意図を悟って巧みに操る、翠に輝くスタンドも消えた。
 てめーは、おれを何度助けてくれた・・・?
 過ぎてしまえばあっという間だった、危険な旅の間に、奇妙な形に成り立った信頼関係を誰よりも歓迎していたのは、承太郎自身だった。
 承太郎の背を見つめて、危険が迫れば確実な支えとなるために、彼は、いつもそこにいた。
 今背中が薄寒いのは、そのせいだ。
 花京院。
 こうと、最初からさだめられていたのか。
 100年も前からの因縁など、彼には何も関係なかったというのに。
 旅が終われば、先を急ぐ必要もなく、語り合いたいこともあったのだと、承太郎は、また奥歯を噛んだ。
 互いのことを、ろくに知らないままだったことに、今改めて思い当たる。それでも、今まで出逢った誰よりも親(ちか)しい相手だったのだと、何よりもそれを伝えたかったのだと、けれどそれはもうかわない。
 終わったのだと、承太郎は、空に向かってあごを突き上げるように、痛いほど喉を伸ばした。眩しさにもかまわずに目を大きく見開いて、定まらない視線を泳がせる。視界のどこかに、いつの間にか見慣れていた、いつもこちらを落ち着かせてくれていた穏やかな笑顔が見えることはないかと、それを探す自分を、未練がましいとも、今は思わない。
 女々しいという、何より嫌う態度を今だけは自分に許して、承太郎は、伸ばしていた喉を前に折る。
 学生帽のつばを、ぐいっと引き下ろしながら、まるで祈るように目を閉じた。
 「やれやれだぜ・・・花京院。」
 承太郎。
 閉じたまぶたの裏の薄闇で、花京院が、応えるように微笑んでいた。
 その幻と、ほんのわずかの間別れを惜しみたくて、承太郎はすぐに目を開けるのをやめる。
 目を閉じて、そこから、滅多と流すことのない涙が、すうっとあふれるのを、承太郎は止めようとはしなかった。


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