Love, Hate, Love



 ぬるい躯をまだ離せずに、しわだらけのシーツの上で、胸や肩を重ねて、時折思い出したように、触れるだけの接吻をする。
 上にいる承太郎は、体の重さを気にしてか、花京院と足を絡めながら、けれどすぐにほどいては、また絡めるということを繰り返している。
 さっきまで、ふたりは無言で抱き合っていた。吐く息の音だけ聞きながら、何度も形を変えて、少しばかり無理な姿勢に体を折り曲げて、そうしなければならない理由など何もなく、まるで淫らさを競い合うように、無茶な抱き合い方をしていた。
 承太郎が、何度目か躯の位置を変えようとした時に、
 「・・・がっつくなよ、承太郎。」
 少し怒ったようにそう言ってやると、それを揶揄だと正しく聞き取った承太郎は、そこで体の動きを止めて、
 「やかましい。」
 短く言い捨てて、口づけで花京院を黙らせた。
 それから後は、そんな憎まれ口も出ないほど、乱暴に押し潰されて、承太郎がやっと終わった時には、膝が胸にくっつくほど近く、抱きすくめられていた。
 その程度では、傷つく心配もないほど、承太郎に馴染んでしまっている躯は、今もまだ承太郎の形にうずいていて、明日無事に歩けるかなと、花京院は少しだけ心配になる。
 汗に湿った、長い前髪に噛みつくように唇を滑らせて、それから頬や首筋を撫でに来る。花京院をまだ離さずに、承太郎は名残りを惜しんでいた。
 花京院は、何度も大きく息を吐きながら、承太郎の掌の中で、軽く顔を振る。承太郎の唇がくすぐったくて、瞬きでそれを知らせながら、首を縮めるけれど、承太郎は一向に構う様子もない。
 唇が触れる合間に、承太郎が、花京院を見下ろす。そうとは意識していないのだろう、ひどく熱っぽい瞳だ。濃い深緑色に、淡く金色が交じる。その色を、こんな間近に見るたびに、花京院は息苦しくなる。
 口から、喉の奥に何か突っ込まれたように、水に溺れるというのはこんな感じだろうかと、呼吸のために喉を伸ばして、花京院は思う。
 伸ばしたその喉に、まるで誘われたように、承太郎が唇を落としてきた。
 まだ熱っぽい膚の下が、それだけでぞくりと慄える。その手に乗ってたまるかと、理性を手元に引き寄せて、代わりに、承太郎の肩を押し返した。
 どけと、そう言葉に出される前に、素直に承太郎が花京院の上から離れて、ようやく隣りに横たわる。
 そうして初めて、花京院はゆっくりと体を起こして、上掛けにくるまった膝を、胸元に引き寄せた。
 承太郎は、花京院の隣りに長々と横たわって、さり気ない風を装って寝返りを打つと、目の前に近づいた花京院の腰に腕を回そうとする。腹と腿のすき間に、わざわざ腕を滑り込ませて、そうして、またさっきのように花京院に抱きついて、少しでも近く多く触れていようとするように、ずっと肩を滑らせた。
 花京院は、もう逆らわずに、承太郎のその腕をどけようとはしなかった。
 自分の裸の腰の辺りに、ちょうど承太郎の息がかかるのを少し気にしながら、けれどそれも今さら恥ずかしがることでもないと、膝を覆う上掛けを、もう少ししっかり引き寄せるだけにとどめる。
 熱かった膚は、ようやく冷え始めていた。
 承太郎を見下ろして、そして、承太郎が、そこから、横目に自分を見上げているのに気づく。少し細まった瞳が、けれど相変わらず金色の光をたたえていて、不思議な熱心さで花京院を見つめている。その視線に悪酔いしそうだと、ふと感じた眩暈に、花京院は乱れた前髪の奥で短く瞬きをした。
 承太郎の腕にいっそう力がこもって、その腕の存在の確かさが、腹の辺りに奇妙に重い。ひどいひきつれの傷跡の前を横切る腕は、その傷跡の原因の拳とは何の関係もなく、けれどこの腹に空いた大きな穴を、向こうの風景まで間違いなく眺めたのは、きっと承太郎ただひとりだ。
 血まみれに砕けた腹の内側を覗かれたのだと思うと、何だか変な気分になった。
 自分の躯の内側をじかに知っている承太郎は、自分の知らない自分を知っているのだ。どれほど努力したところで、自分の躯の内側なんて、なかなか知れるものでもないし、第一、知りたいとも思わない。それなのに承太郎は、もっともっと奥を目指すように、機会さえあれば、そうしたがる。内側に入り込んで、触れて、開いて、さらけ出してしまおうとするように、何もかもを全部見たがる。どうしてだろうと、花京院は思った。
 他人に対する執着やこだわりには、縁がない。いや、なかった、というべきなのか。
 承太郎が、自分に執着する理由がわからない分、花京院は、自分が承太郎に執着する理由ははっきりしていると思っている。それでも、自分自身に対してきちんと説明しようとすれば、それはいつも曖昧模糊として、結局は何が何だかわからないまま放置されることになる。
 どうして、君なんだろう。どうして、僕なんだろう。
 何か、特別な理由があるとしたら、それはきっと承太郎自身だ。承太郎だから。承太郎だったから。承太郎でなければならなかったから。だから花京院は、こんなにも承太郎に魅かれている。春になれば桜が咲くというくらい、それははっきりとしていて、もうずっと定まっていたことに違いなかった。
 自分を見上げる承太郎を、視線をそらさずに見返していた花京院は、突然薄笑いを浮かべる。ちょっと驚いた承太郎が、一度瞳の位置をずらして、また花京院を横目に見た。
 「承太郎。」
 呼びかけると、腹に回っていた腕が、少しゆるんだ。
 「なんだ。」
 「知ってるか。君は、僕を絞め殺しそうな目で、時々僕を見る。」
 承太郎は何も言わずに、花京院の言葉を吟味するように、また瞳を動かした。
 否定はしていない、けれど肯定もしかねると、そんな表情が、少し熱の引いたその瞳に浮かんで、花京院にはっきりと指摘されてしまった気恥ずかしさも、ちらりと見えたような気がした。
 花京院は、承太郎の腕の中で体を回して、承太郎の方へ向きを変える。
 正面から合わせた視線を、今外そうとしたのは、承太郎の方だった。
 「君が、わざわざそんな目で見るような価値があるって、僕に認めてるのが驚きだよ。」
 怪訝そうに細められた後で、傷ついた色を刷く承太郎の瞳は、とても表情豊かだ。こんな、少し気弱げにすら見える承太郎の瞳の色を知っているのは、花京院だけかもしれない。
 あまり品の良くない優越感を味わってから、花京院はまた薄く微笑んだ。
 「そんな価値、僕にはないよ。」
 言い切ってしまうと、自分が常にそんなことを考えているのだと、とてもはっきりする。自分を傷つけるために言い草でもなければ、悪い冗談でもない。それはただ、事実だ。自分にそんな価値はない。自分は、誰にとっても、重要であるわけがない。そんなことはありえない。淡々と述べる事実には、感情の交じらない真実がある。
 花京院は、微笑みを消さなかった。
 承太郎が、静かに腹を立てているのがわかった。
 「・・・てめーの価値を決めるのはおれだ。てめーじゃねえ。」
 低めた声に、凄みがこもる。花京院はひるまずに、微笑みを保った。
 承太郎にとっての真実と、花京院にとっての真実と、残念ながら一致するとは限らない。どちらが正しいと、証明する手立てが、ないわけでもない。
 どうしてか、心のどこかが、冷えて渇いている。干乾びたそれは、きっと心の残骸でしかないのだろう。自分のどこかが、決定的に傷ついているのだと、生まれた時から不良品だったのだと、そう思って、一体どれほど経つだろう。スタンドの存在はあるいは、単なる言い訳に過ぎなかったのかもしれない。僕は元々、とても無意味な存在だった。無駄な存在だった。生まれて来ない方が良かった。それなのに君は、どうして僕を引き止めたんだろう。どうしてあのまま、逝かせてくれなかったんだろう。どうして君は、僕なんかを選んだんだろう。欠点だらけで、ひどい欠陥品の僕を。
 比べるつもりはない。比べることさえできない。そのくらいばかげた比較だ。承太郎は、何もかもが完璧に見える人間だ。その強さも、鋭さも、聡明さも、冷たささえ、思慮深さの裏返しなのだと、花京院は知っている。承太郎に魅かれる理由はわかる。誰だって承太郎に魅かれる。承太郎に魅かれない人間がいるわけがない。
 それなのにどうして、承太郎は自分を選んだんだろうと、花京院はまた思う。
 自分で見出せない価値が、かけらほどでも存在するとは、どうしても思えない。
 それとも、あんまり僕がみじめだから、同情してくれたんだろうか。君は、とても優しいから。
 ぴしりと、胸の中で、何かがひび割れる音がした。ああ痛いなと、そう思った時に、必死で浮かべていた笑みが消えて、口元がひどく歪んだことに、花京院は気づかなかった。
 承太郎の首に、両方の掌を乗せる。親指を交叉させて、しっかりと全部の指先を押しつける。
 わずかに眉を動かして、承太郎が、けれどやめろとも言わずに、ただ花京院を見返していた。
 承太郎の唇が、何か言うのを待った。待ちながら、少しずつ指先に力をこめた。
 気管を押し潰すように、承太郎と躯を繋げていた時の圧迫感を思い出しながら、何だか似ていると、そう思って、掌と指で絞める。
 案外力のいることだと、そんなことに感心して、花京院は両腕に力を入れた。
 喉の骨の硬さを掌に味あわせていると、少し頬の辺りを歪めて耐えていた承太郎が、静かに持ち上げた手を、花京院の手に添える。止める気かと、実はそれを心待ちにしていた花京院は、一瞬体を固くする。
 けれど承太郎の手は、自分の首を絞める花京院の手を優しく撫でるように触れて、それから、承太郎は、花京院に向かってうっすらと笑った。
 花京院は、逃げるように手を引いた。承太郎の上に馬乗りになったまま、その手をどこへやるべきかわからず、握りしめて、見下ろす。
 「おれを殺しててめーが楽になるなら、遠慮なくやれ。てめーがそうしたいなら遠慮はするな。」
 花京院の震える手を取って、承太郎がまた自分の首に導こうとする。花京院は慌ててその手を振り払って、承太郎を殴ろうとして、途中で思い直して止めた。
 声がかすれたのが、泣いているせいだと気づかないまま、八つ当たりに承太郎をなじる言葉を吐き出しながら、花京院は自分が何をしているのか、よくわからなかった。
 「そんなこと、できるわけがないだろう。君が死んだら、僕が困るじゃないか。君が死んだりしたら、僕が生きてる意味が失くなるじゃないか。」
 とても下らないことをわめいている。自分を、とてもみっともない人間だと思いながら、承太郎に引き寄せられるまま、その胸に肩を落とした。
 喉をあえがせて泣く花京院の、乱れた髪を撫でながら、承太郎の腕が背中に回って、そして、花京院をあやしにかかる。
 自分の指の跡が赤く浮き出ている承太郎の首筋に、花京院は濡れた頬をすりつけた。
 この心地良さを失いたくはない。けれど、自分が独占してもいいのだと、いつまでも確信できない。自分の弱さと醜さを心底嫌悪しながら、それでも、生かされてしまったことには何か意味があるに違いないと、思い込もうとする。自分を生き返らせた、承太郎のために。
 「救いようのねえバカだなてめーは。」
 承太郎が、わざと茶化すように言った。
 「僕がばかなのは、僕のせいじゃない。」
 じゃあ何のせいだとは訊かずに、少しの間の後で、承太郎がひどく深い声で、その後を引き取った。
 「・・・ああ、そうだな、てめーのせいじゃねえな。」
 その間の意味を考えながら、花京院は止まらない自分の涙を持て余している。
 呆れもせずに自分の背中を抱いたままの承太郎の腕に、今だけは安堵して、それでも何かに怯えるように、花京院は承太郎にしがみついた。


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