Love Is Blind



 コーヒーをいれて、ドアをきちんとしめて、ふたりともトイレまですませて、
 「よし。」
と、承太郎が言った。
 花京院は、ちゃんとステレオから良い位置に置かれたテーブルのそばに坐って、承太郎が、いつもよりもずっと丁寧な手つきでCDをケースから取り出すのを見ている。
 セピア色っぽいジャケットはとても小さくて、承太郎の手の中にすっぽりと収まってしまう。その小ささにも、ここ1、2年すっかり慣れてしまっていた。
 承太郎も花京院も、ずいぶんとCDの普及には個人的には反対したけれど、もうレコードでは、ほとんどどんなアルバムが買えなくなってしまった今、今度はこの手軽さに馴れて、レコードの扱いが面倒だという、少しばかり堕落した音楽ファンに成り下がっていることに、ふたりともたまに、罪悪感を抱く。
 花京院が最初のCDプレイヤーを手に入れたのは、1年半ほど前だ。承太郎は、父親である空条貞夫の買った何台目かを、高校時代にすでに譲り受けていた。
 とは言え、その出番が増えたのは、ここ2年ほどのことで、やっぱりアナログだよなとふたりでうなずき合って、いまだレコードを頑固に置き続けている輸入盤の店の常連であることは、決してやめる気はない。
 初めてCDでアルバムを買って、その包みがコートのポケットにすっぽりと入ってしまった時の小さな失望感を、ふたりはまだしっかりと覚えているからだ。
 「大体、汚いんだよな、レコードで発売はしないとか、CDの方がボーナストラックが入ってるとか。」
 「仕方ねえな、それが商売ってやつだ。」
 「大人はズルいよ。」
 「・・・おれたちももう、ガキじゃねえな。」
 ちょっと唇をとがらせた花京院を振り返って、行くぞ、と承太郎が言って、CDプレイヤーの再生ボタンを押した。
 横に長い、黒い画面に、オレンジ色のデジタル数字が出る。1と出て、その横に時間を示す数字が始まって、そうして、曲が始まる。
 うるさすぎないギターの音が、耳にやわらかくて、そこにかぶさる声は、太くて伸びやかで、けれど引っかいたような声質が、どこか切ないような湿りを帯びていて、アメリカのバンドだとしても、少なくとも西海岸の方ではなさそうだと、花京院は小さなテーブルの上を指先で叩きながら、思った。
 地味かもしれないけれど、いい曲だ。ギターの音はいい具合にリズム隊と絡んで、ソロではきっちりと主張をしているけれど、曲の良さは損なわない。
 ハードロック好きの承太郎の耳に引っ掛かったというのは、少しばかり不思議な音だったけれど、長く聴き続けることのできそうな、とても質の良いアルバムだと思って、花京院は目の前の承太郎の肩をつつくと、CDのケースを見せてくれと指先で示す。
 振り返った承太郎が、手の中で遊ばせていたケースを、肩越しに花京院に手渡して、もう何度も聴いているに違いないのに、またステレオの方に向き直って、流れる音の中に戻ってゆく。
 アメリカのどこかの砂漠なのだろうか、丘らしい流線を背景に、男が3人写っている。大きなバイクが2台置かれ、男のひとりは、3台目にまたがったままだ。派手さなどどこにもない。色も構図も、メンバーたちさえも、ハードロックのむやみに華やかな、あるいは攻撃的な印象は、拭ったようにない。3人ともが髪が長いことだけが、彼らの演る音楽の傾向を示している。
 すぐに人目を引くような要素はどこにも見当たらず、出てくる音も決して派手ではなく、それでも、心魅かれる音だった。激しく感情を吐き出すわけではなく、どちらかと言えば、訥々と不器用に語っているような、そんな歌い方が好感が持てた。
 4拍子の間に、腕の攣りそうなほど音を詰め込むやり方ではなく、むしろぎりぎりまで間引いてしまったような、そのくせ、音が薄いという印象はなく、ギターがうるさいという印象も、もちろんない。
 好みではないのに、好きだと思える音だった。
 このところ、承太郎がやけに気に入って、このアルバムの話ばかりしていたのもうなずける。
 メンバーの誰がどうのというのは、花京院にはよくわからない話だったけれど、このギタリストは、アメリカでやたらと売れてしまったバンドをあっさりを脱退して、まったく無名のこのバンドに入ったのだと、承太郎が熱っぽく語っていたのを思い出していた。
 その話で、どれだけうるさいギターを弾くかと思っていただけに、きちんと曲の中に落ち着いている、むしろおとなしく聞こえるギターの音色が意外だった。
 ジャケットをまた見返して、3人の真ん中、正面でひとり目立つように写真に写っている男が歌っているのだろうか、それともこれが件のギタリストだろうかと、アルバムが再生し終わるまで、承太郎に声を掛けるのは控えることにする。
 曲数を示す数字が10になって、それから、音もなく演奏が終わる。
 振り返った承太郎が差し出した手に、そっとケースを返して、花京院は、機械から取り出したCDをしまう承太郎の、少し丸まった背中を眺めていた。
 「そのジャケット、誰がそのギタリストなんだい?」
 「真ん中のだ。ヴィヴィアン・キャンベル。」
 名前を---どうせ興味のない花京院は、何度聞こうと覚えはしないけれど---言いながら、振り向いてジャケットのその男とやらを、承太郎の指先が指し示す。
 「どこのバンドにいたって言ったっけ?」
 これももう、何度もすでに聞いたことだったけれど、承太郎はこんな話ができるのが単純にうれしいらしく、花京院の方を向いて、楽しそうに口を開いた。
 「ジョン・サイクスもニール・マーレイも脱けたWhitesnakeに入って、エイドリアン・ヴァンデンバーグと一緒にギター弾いてたんだ。レコーディングはやってねえ。」
 「じゃあ、やたらと売れたっていうアルバムは、このギタリストが弾いてるわけじゃないのか。」
 「違う、入ったのはアルバムが仕上がった後だ。プロモとツアーに参加して、バカ売れした後に、毎度の理由で脱退したわけだな。エイドリアン・ヴァンデンバーグの方は、アルバムからシングルカットされた曲だけ弾いてるぜ。」
 「そのエイドリアンって、Whitesnakeの前はどこにいたんだっけ。」
 「Vandenberg。」
 「は?」
 「てめーの名前がバンドの名前ってわけだ。」
 「・・・欧米人の自己主張の強さにはついていけないな。」
 花京院は、あからさまに眉を寄せて見せた。
 「珍しいこっちゃねえ。Van Halenもラストネームだしな。そういや、これもオランダ系の名前だな。」
 「え?」
 「エイドリアンもオランダ人だ。」
 ポリスとスティング、後はせいぜいイギリス産の、同じような音のグループしか自分では聴かない花京院には、英語以外の言語の話は、宇宙の話に等しい。
 「ヴィヴィアンは北アイルランド出身、デイヴィッド・カヴァーデールはイギリス人だ。それにオランダ人のエイドリアンで、アメリカツアーは査証が大変だったろうな。」
 英伊日混血の承太郎が、ひとりで笑った。
 「査証以前に、言葉の問題の方が深刻っぽいけどな。彼らはスタンドで会話できるわけじゃないだろう。」
 エジプトへの旅の仲間たちのことを思い出して、花京院は本気で言ったのだけれど、承太郎はそれを冗談だと思ったらしく、笑ったような困ったような顔をして、テーブルの上のコーヒーを取り上げると、一口すすった。
 「じゃあ、そのVandenberg聞かせてくれよ。アルバム、持ってるんだろう。」
 「どれにする、3枚ある。」
 「・・・とりあえずファーストからかな。」
 ちょっとだけうんざりしたのを、表情には出さずに答えて、3枚目まで聞かされるのかなと、花京院はちょっぴりこわくなる。
 承太郎は、それに気づく様子もなく、上機嫌な仕草で、ずらりと並んだコレクションから、ほとんど迷いもせずに目当てを抜き出し、派手なのか地味なのかよくわからないデザインのジャケットから、レコードを取り出す。
 かさかさと、レコードの入った白いビニールの音を、やけに懐かしく聞きながら、花京院は再生が始まるのを待った。
 コーヒーのお代わりが欲しかったけれど、アルバム1枚分くらいなら我慢しようと、ほとんど空のマグからは手を離さずに、流れてきた音に耳を澄ませる。
 悪くはない。洗練されていないし、やけにもったりしたリズム隊は好みではなかったけれど、素直な歌声には好感が持てた。ギターの音も、好みかどうかはともかく、やけに耳に引っ掛かるフレーズがあって、才能があることだけはわかる。
 けれど、曲が進むにつれ、どうしてもひとつだけ、我慢ならないことが出て来た。
 とうとう4曲目に、花京院は、素直に根を上げることにした。
 「承太郎・・・このドラム・・・。」
 「・・・言うな。」
 花京院が最後まで言う前に、承太郎が低く止める。なるほど、誰もが思うことなのかと、少し安心して、また曲の方へ戻る。なるべく、ドラムの音は聞かないようにして。
 「・・・このまま、3枚目まで叩いてるのかい。」
 「才能ねえのは、本人も自覚あったらしいぜ。責めてやるな。」
 「80年代初期だろう? オランダじゃあ仕方がなかったのかな。」
 ここでしか言えないだろう物騒な台詞を、花京院がうっかり口にする。承太郎もそれを咎めもせず、ジャケットを引っくり返して、発売年を調べている。
 「82年だな。84年に3枚目が出て、その後でボーカルが脱退した。クビだったって聞いたがな。」
 「ええええええ、クビにするならドラムじゃないのか!」
 「おれが知るか。」
 「君がスタープラチナに叩かせた方が、よっぽどマシな音なんじゃないのか。」
 「ならてめーがハイエロファントに歌わせろ。」
 「・・・ポルナレフにギターでも弾かせて、ジョースターさんにベースを頼むかい。」
 承太郎はしばらくの間、花京院を見つめていたけれど、一体どういうことになるか、頭の中で考えていたらしく、いやそうに唇の端をゆっくりと歪めた。
 その間にも、曲は流れ続けていて、ポップすぎない音を案外と花京院は気に入って、けれどドラムの音だけには、我慢がならないままだった。
 「オランダなんて、チューリップと風車くらいしかイメージ浮かばないなあ。」
 話を変えるために、わざと自分の貧困な想像力を話題にして、花京院は空のマグを口元に運びかけてから、もうコーヒーがないことを思い出す。
 「平均身長が世界一じゃなかったか。」
 「君が行っても普通ってわけか。」
 195cmの承太郎に向かって、178cmの花京院は目を細めて、ため息をついて見せた。
 「エイドリアンは194cmだぜ。」
 「君と並んだら壁だな。」
 「・・・やかましい。」
 濃い深緑の目が笑っている。花京院の身長コンプレックス---承太郎のそばにいる時にだけ、発生する---のことをからかうつもりだとわかって、花京院は見えるように唇をとがらせた。
 「売春が合法で、同性間の結婚も合法だったろう。」
 「余計なことばっかりよく知ってるな承太郎。」
 下手くそなドラムの話から、一体どうしてそんな話になったんだろうと思いながら、コーヒーがないのに、また少しいらいらする。
 家に帰ったら、耳直しにポリスの1枚目を聞こうと心に決めて、花京院は、Vandenbergとやらの2枚目に進む前にコーヒーのお代わりを言い出すタイミングを計り出した。
 「でも、売春はともかく、同性愛うんぬんなんて、ラディカルな国だなあ。」
 「ナチスに侵攻されて支配されてた反動じゃねえか。戦後すぐに同性間の結婚と認めたとか何とか、どこかで読んだな。」
 「ナチスか・・・あれ、でもドイツのバンドがナチスの制服着てひんしゅく買ったって言ってなかったか?」
 「ああ、Acceptの話か。あれは自虐ジョークだってわからねえ方がバカだな。大体、わざわざホモセクシュアルのふりしてる連中がナチスの制服着た段階で、ブラックジョークだってわからねえって方がどうかしてやがる。」
 いつもの話の流れだ。
 承太郎に話をさせると、どんどん話がずれて、けれど結局は、花京院の知らない、どこかのハードロックのバンドの話に戻ってくる。
 そう言えば、承太郎いわく、Acceptとやらは、ハードロックなのではなく、パワーメタルとかいうらしい。何度か聞かされた、いかにもクラシックも好きだと言いたげなギターの音を思い出す。少なくとも、インテリジェンスな音だったなと、とても奇怪な声のボーカルに、思わず笑い出しそうになったことは忘れることにした。
 VandenbergをBGMに、承太郎がまだオランダとドイツのハードロックの話を続けている。
 熱心に動く承太郎の、ふっくらとした唇の輪郭をじっと眺めながら、話の内容はともかく、その唇の動き方はとても可愛らしいと思って、そんな承太郎も、承太郎の趣味の一部も、とても好きだと、花京院は思わずひとり微笑んでいた。


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