Loving You


 風邪をこじらせて、数日寝込んでいた花京院が、やっと本調子に戻って、外に何か食べに行きたいと言い出した。
 断る理由はなかったし、何より、くたりと熱に溶かされたように、いつ見ても高熱にせいの眠気の中に引きずり込まれていた花京院が、何事もなかったような顔色で、食欲を取り戻したらしいのが、承太郎には単純にうれしかった。
 出て行った先は、車で5分ほどの、イタリアンレストランだった。
 以前にもふたりで来たことがある。近頃行ったことがなかったなと言ったら、花京院は素直に同意して、ふたり揃ってくだけた服装のまま、薄暗い店内に足を踏み入れる。
 ワインを頼んでもいいかと、花京院が訊いた。珍しいことだ。花京院が酒を飲むのは、年に数回程度、しかも正月だのクリスマスだの、そんな人付き合いのある時だけだ。
 いいじゃねえか。ハーフボトルでいいのか。ちょっとはにかんだように微笑んで、花京院が承太郎の言葉にうなずく。特別に美味いワインが欲しいというわけではない。やがてやって来たウェイターに、花京院のための白のハウスワインのハーフボトルと承太郎自身にはまずコーヒーを頼んで、それから、本格的にメニューに取り掛かる。ウェイターが、なめらかに言い立ててくれた今日のおすすめという奴は、ひとまず単語だけ聞き取って、頭の隅に入れておく。ふたりはしばらくの間、真剣にメニューを見下ろして、無言でいた。
 君も飲めばいいのに。ウェイターが、グラスをふたつ持って戻って来たのに、手を振って断った承太郎に、花京院が言う。花京院はもう、やって来た白ワインのグラスを手に、ご機嫌なのを隠さない。
 運転手はおれだからな。無事に家に帰りたかったら、おとなしくてめーだけで飲んでろ。口振りはともかくも、承太郎はひたすら優しく微笑んで、ゆっくりとワインを味わっている花京院を、これもまたご機嫌に眺めている。
 美味いなこれ。グラスを回して、テーブルに肘をついて頬杖をつき、どこかまだまどろんだような口調で、花京院が言う。ワインが気に入ったのなら何よりだと、承太郎は思う。
 やがて、ふたりの前にサラダがやって来て、ようやく花京院はグラスから手を離し、チーズのたっぷりとかかったそれに、ひどくうれしそうに笑った。
 花京院のグラスは、すでに2杯目だ。いつもなら、酔いが出るような量ではないけれど、風邪を引いている間、ほとんど胃は空っぽだったし、薬も飲んでいたから、今日は酔いが回るのが早いらしい。すでに目元が、うっすらと赤く染まっている。
 マナーに従って、なるべく食器の音をさせずに、ふたりは行儀良くサラダを平らげる。サラダが終わる頃には、花京院の2杯目のグラスはすでに半分になり、ウェイターが、じっと観察していたようなタイミングで、ふたりのパスタを運んで来た。
 承太郎の前には、海の幸とオリーブオイルのリングィーネ、花京院の前には、ほかほかとまだ湯気の立つ、鶏肉入りのフェトチーネだ。
 美味そうだな、承太郎。
 今日の花京院は、とてもよくしゃべる。半分はすでに回っている酔いのせいだろう。弾むような花京院の口調に、承太郎はつられたように、ずっと微笑んでいる。
 ウェイターが、その場でチーズの塊まりを削り、胡椒を引いて、花京院がそう頼んだように、パスタの上にたっぷりとかけて、ごゆっくりと言って、去って行った。
 まだ時間が早いせいで、あまり人のいない店内に、それでもキッチンの騒がしさが伝わって来て、それを顔を上げて眺めては、花京院がまた笑う。どうしても微笑むのをやめられないという、ゆるみ切った口元を、承太郎も微笑みながら見ている。
 食べながら、ワインのことは忘れず、2杯目もそろそろ空に近い。ボトルには、もう1杯分だけ残っている。
 承太郎が、グラスとボトルの両方に残ったワインの量を、目で確かめていた時に、花京院が不意にフォークを動かしていた手を止め、店の天井へ視線を向けて、辺りを見回し始めた。
 どうした。花京院の視線は追わずに、花京院の目元に視線を当てて、訊いた。この曲、知ってるだろう。花京院が承太郎を見て、天井近くのどこかスピーカーがあるのだろう辺りを指差して、言う。
 オペラだ。知っている曲だけれど、名前はわからない。花京院は、どこか呆然としたような表情で、食事のことはすっかり忘れたよう---けれど片手は、しっかりとワインのグラスに添えて---に、音のする方へ首を伸ばして、半ば口を開けたまま、優雅に流れる女声に、聴き入っている。
 承太郎も、花京院に合わせてフォークを皿に置くと、コーヒーに手を伸ばし、空間の、どことも知れない辺りへ視線を流して、そこに音符が飛んでいるのだとでも言いたげな花京院の横顔を、ただじっと見ている。
 そうして、突然、花京院の頬に、涙が流れ落ちるのを見た。
 どうして、こんなに、美しいんだろうな、承太郎。よく伸びる深い高音に、ゆっくりと瞬きしながら、花京院がつぶやく。自分が泣いていることに気がついていないのか、頬を拭おうともしない。
 薄暗い店の中で、花京院の所作に気づく誰もいないらしいことを、承太郎は少しだけありがたいと思いながら、ボトルに残っていたワインを全部、花京院のグラスに注いだ。
 曲が終わっても、数秒花京院はまだ向こうへ行ったまま、どこか何もないところに視線を据えて、承太郎と一緒にいるこのテーブルへは戻って来なかった。
 もっと飲め。冷めちまうぞ。先に食事を再開した承太郎にそう言われて、ようやく花京院は椅子に座り直して、またワインを一口飲んだ。
 世の中が、美しいものだけであふれていればいいと、思わないか承太郎。まだ夢うつつのように、微笑を浮かべて花京院が言う。濡れた頬にやっと気づいたように、ナプキンで、恥ずかしがる様子もなく、涙を拭いながら、布越しにどこか照れたような笑い声が立つ。そう思うが、うまくは行かねえもんだな。貝柱を口に運びながら応えると、そうだなと、またワイングラスを回して、花京院が言う。
 イタリアンレストランで、流れるオペラを聞きながら、酔った花京院が泣いた。世界中が仰天するような出来事だけれど、承太郎は何も言わず、黙々とけれど楽しいまま食事をすませて、何事もなかったように、ふたりは一緒に席を立った。
 代金を払う前に、ワインが1本欲しいと言い出した花京院に、ウェイターが、さっき飲んだのと同じワインをボトルで持って来てくれて、それを手に、ふたりは店を出た。
 花京院は赤い顔をして、小さな声で何か歌っている。きっとStingだろう。どの曲だかはわからない。承太郎は、ただ黙って、花京院の膝に手を乗せていた。
 「コルク抜きは、どこにあったかな。」
 ふたりが一緒に暮らす部屋に戻ると、花京院はどこか危なっかしい足取りでキッチンへ行き、ごそごそと引き出しを引っかき回し始める。
 「まだ飲む気か。」
 「だめなのか。」
 即座に反応が返って来るのに、承太郎はもう苦笑しかしない。
 花京院のためにコルク抜きを、引き出しのいちばん奥に探し出して、ボトルの口のプラスティックを剥がし、コルクを壊さないように開けてやる。ワイングラスはないから、背の低い小さなグラスに注いでやって、手渡されてうれしそうに両手でそれを抱える花京院を、ひとまずリビングのソファに連れてゆく。
 4杯目は早かった。花京院の行動を、今では少々危ぶんでいる承太郎の腕をすり抜けて、次のためにキッチンへ行き、なみなみとグラスを満たして、花京院は隣りの部屋へ消えた。コンピューターだのステレオだのが置いてある部屋だ。じきに、やや大きめの音量で、Stingの声が聞こえ始める。CDをかけているのだろう。ここにいる限りは、酔っ払ってけがをしたりする心配はないはずだ。様子を見に行くことはやめて、承太郎はテレビをつけた。
 熱がひどくて、ずっと寝てばかりいたから、きっと憂さ晴らしがしたいのだろう。ただ横になって、気分の悪さをやり過ごすのに必死だっただろう数日を、承太郎は思い出している。食べたものは全部吐いたし、水さえ胃が痛むと、飲みたがらなかったから、無理にスポーツ飲料を飲ませて、とにかく何もさせずに、ただ寝ろと、それだけの数日だった。
 滅多と病気などしないふたりだから、あんなふうに弱れば、どこか心が挫ける。弱い自分を見つけて、気が滅入る。弱るのは、体だけで充分だ。
 何か見るものでもあるかと、チャンネルを変えながら、部屋の中からけたたましい笑い声が聞こえるのに、苦笑をこぼして軽く首を振る。ご機嫌どころの話ではない。感情の針が、アルコールで振り切れたらしい。この音量は、この時間には少々近所迷惑だ。やっと花京院の様子を見るために、承太郎は、テレビを消してソファから立ち上がった。
 「おい、大丈夫か。」
 笑いを混ぜて、部屋を覗く。コンピューターの前に座って、椅子の上で体を揺らしている花京院が見えた。CDに合わせて、一緒に歌いながら、合間にけらけらと笑っている。モニタの前に置いてある空のグラスに、承太郎はちらりと視線を流した。
 「承太郎!」
 椅子を回して、勢いよく立ち上がった花京院が、承太郎の方へ、飛ぶような勢いでやって来る。
 驚いたことに、そのまま胸をぶつけるように承太郎に抱きつくと、花京院の方から唇をねだって来た。吐く息がひどく酒臭くて、けれどそれはあまり不快ではなく、求められるままに舌を差し出してやると、中に引き込まれて、軽く噛まれた。
 「承太郎。」
 自分の体重で、承太郎を床の方へ引き寄せようとして来る。どこまでも柔らかく動く体が、まるで猫のそれだ。酔っている。完全に酔っ払っている。普段なら、こうなるのに、もうボトル半分は必要なはずなのに、体が弱っているせいだと、花京院を抱きしめて、そう誘われるままに、承太郎は花京院と一緒に床に膝を落とした。
 「承太郎。承太郎。承太郎。承太郎。」
 Stingの曲に合わせるように、花京院が呼ぶ。背中を撫でてやりながら、花京院を床に横たえ、首に巻いた両腕を離さない花京院に、承太郎も引きずられる形になる。
 部屋は狭かったけれど、ふたりが手足を縮めれば、寝転がるのに支障はない。天井からの明かりが、煌々と酔った花京院を照らして、流れるのはStingだ。
 「承太郎。」
 酔った花京院の声は、ひどく甘かった。本来なら、このまま花京院を抱き上げて、ベッドに連れて行って寝かしつけるべきなのだろう。けれど熱を出している間、同じベッドにすら寝ていなかったから、承太郎にしてみれば、これはとても抗い切れる誘いではなく、後に起こるだろうことには目をつぶって、そのまま床で、花京院を抱きしめた。
 体を持ち上げて、自分から口づけを誘って来る。こんな花京院は初めてだ。唇が外れた一瞬に、承太郎の名を呼ぶことをやめず、まだ時々けらけらと笑いながら、触れる承太郎の掌に、声を隠すこともしない。
 「承太郎。」
 鎖骨のくぼみに舌を這わせている承太郎を、また花京院が呼んだ。そして、その後に、また続きがあった。
 「好きだ。」
 顔を上げて、あごの線越しに、花京院を見た。
 目元も頬も赤い。首筋も胸元も、まだらに赤い。酔いが言わせた言葉に違いなかったけれど、花京院の、滅多と表すこともない本音であることにも間違いがない。
 「花京院。」
 熱い頬に手を添えると、その承太郎の手に、自分の掌を重ねてくる。
 「ずっと君が欲しかった。ずっと、君が欲しかった。」
 さっきまでの、たがが外れたような笑いは今はなく、震える唇が、見る見るうちに潤んでくる目と、連動している。
 「花京院。」
 唇の震えを止めようと、また口づける。触れるだけのつもりが、花京院がまた、舌先を奪いに来る。唇を重ねたまま、承太郎は、手早く花京院の下肢を剥き出しにした。その手の動きを助けるために、花京院は軽く腰を持ち上げ、じたばたと蹴る動きで、自分でジーンズから足を抜いた。
 「好きだ承太郎。」
 タイトルは思い出せないけれど、今流れているのは、花京院がいちばん好きだというStingの曲だ。酔いと音楽と承太郎と、何もかもが花京院の中で交ざり合い、いつも鎧っている殻の中へ入り込み、花京院の、傷つきやすくて柔らかい、小さな小さな剥き出しの魂の核に触れているような、そんな感触があった。
 承太郎は、ゆっくりと開いた花京院の膝の間に割り込みながら、あごの先を触れさせて、訊いた。
 「おれのことが好きか、花京院。」
 一瞬の間の後で、花京院ががくがくと首を前に折る。
 目尻から、涙があふれるのが見えた。
 出会って10年以上だ。こうなるまでには人並み以上の時間が掛かったけれど、互いに慣れてしまえば、互いの気持ちをわざわざ口にするなど、滅多としない。それはそうに決まっていると、互いに思うからだ。言葉よりも、手指や唇や瞳の表情が、何もかもを雄弁に語ってくれるようになる。それはつまり、大人になるということだったけれど、同時に、そこに在る情熱を、わかりやすく相手に注ぎかけることはしなくなるということでもある。
 酔っ払った花京院を抱きながら、流れる涙を親指の指で拭い、承太郎は、両手で花京院の頭を抱え込んだ。そうして、ぎりぎりに触れ合わない距離に顔を近づけて、低くささやいた。
 「愛してると言え、花京院。」
 花京院が、息を飲んで、軽く目を見開いた。酔ってはいても、承太郎の言葉は理解できるらしい。応えてくれないなら、それはそれでいいと、承太郎は思う。
 ひくっと、喉を鳴らして、花京院が顔をゆがめた。涙がまたこぼれた後で、やっとしぼり出したというようなかすれた声で、花京院が応えた。
 「愛してる承太郎。」
 思ったよりも素直な反応に、承太郎の方が驚いた。好きだとすら、滅多と聞かなくなったというのに、まさかほんとうに、そう言うとは思わなかった。
 「愛してるんだ、承太郎。どうしていいかわからないくらいに、君が好きで、愛してるんだ承太郎。」
 承太郎の首にしがみついてきて、そこで泣き始めた花京院の背中を抱いて、頬や首筋に接吻する。
 風邪と禁欲と酔いと、いろんなもののせいだ。素面のいつもの花京院が、一生この言葉を承太郎に言わないとしても、それを悲しがる必要はないと、そう思いながら、承太郎は花京院の腕をゆるめさて、手を取って、自分の背中へ回させた。
 「おれもだ、花京院。」
 承太郎も、そう言ったことはない。わざわざ口にする必要がないと、そう思っていたからだ。心が通じ合っている、通じ合い過ぎているふたりは、しばしば言葉では足らないことに焦れて、互いのわかり合っている部分に、依存しようとしてしまう。それでも、言わなければ、告げなければならないこともあるのだ。それが、どんなに言葉足らずであろうと。
 「愛してるぜ、花京院。」
 口づけたすきに、花京院の指先が背中から腰を滑り落ちて、もどかしげに、承太郎に触れた。
 ふたりの感情の針は、とっくに振り切れている。花京院は酒と音楽に酔い、承太郎は花京院に酔っている。花京院が、剥き出しの下肢に自分を導こうとしているのに、承太郎は逆らわなかった。
 曲げた膝を持ち上げ、承太郎を抱き寄せて、花京院は、自分から承太郎に繋がっていこうとする。息を止めては吐き出し、その合間に、また承太郎を呼ぶ。承太郎は、花京院の動きを助けながら、愛していると、もう一度言った。
 性急な動きに、けれど思ったよりもなめらかに触れ始めた躯を、承太郎はもう少し深く繋げた。酔いのせいか、いつもよりも楽に入り込めたその中が、熱い。病み上がりの花京院に、無理をさせない方がいいと、理性が理解しているけれど、躯はもう、花京院しか感じていない。両腕の中に、絞め殺しそうに抱きしめて、ゆっくりと用心できたのは、最初の数瞬だけだった。
 承太郎が動くと、花京院が声を上げる。今日はもう、声を抑える余裕もないらしい。大きく開いた口の中で、舌が動いているのが、はっきりと見えた。
 押し込まれて、引きずり出されるようなリズムの合間に、花京院は途切れ途切れに承太郎の名を呼び、愛していると繰り返した。酔いのせいか感情の昂ぶりかそれともただ痛みのせいか、そうしながら花京院は泣き続け、承太郎は、飽きずにそれを舐め取り続ける。
 揺れる手足が体を打つ。手指を重ねて絡めて、花京院の声が惜しくて、時折触れる唇は、ほんの一瞬しか重ねない。
 あまり長引かせることができずに、承太郎が終わってしまっても、花京院は承太郎を自分の上から離さなかった。
 触れ合ったふたりの腹の間でぬるいているのは、いつの間にか花京院が吐き出したそれだ。それに羞恥を感じる余裕もまだないのか、花京院はむしろさらに近く承太郎に胸や腹をこすりつけるように、背中を床から浮かせてくる。
 「もう少しこのままでいてくれ承太郎。」
 承太郎を抱きしめて、早口に言った。承太郎は、汗の吹き出した体を花京院の上に伸ばして、そこでおとなしく弾む息を治め始めた。
 自分の体の重さを気にしながら、けれどそのまま、承太郎はしばらくの間憩っていた。花京院の、皮膚と筋肉と骨を隔てたそこで力強く打つ心臓の音を、自分の胸に感じて、冷えてゆく皮膚が、やはりふたりを隔てていることを、ほんの少し悲しいと、いつも思うように思う。
 気がつくと、花京院の腕がゆるみ、体をねじって動けば、素直にほどけて床に滑り落ちてゆく。
 「花京院。」
 返事はない。
 汗に汚れた---それだけではないけれど---体を、くたりと床に伸ばして、花京院は眠ってしまっている。承太郎は、ようやく自由になった身を起こし、脱いだ服を集めて、花京院の体を覆った。
 抱き上げて、ベッドに運んでゆく気にはまだならず、承太郎はジーンズのポケットから煙草と携帯灰皿を取り出すと、片膝だけ胸に引き寄せて、そこでゆっくりと火をつけた。
 レストランは禁煙だし、車の中でも吸わないから、何時間かぶりの煙草だ。煙が、肺を直撃して、少し疲れた体の中をめぐる。煙を吐き出しながら、承太郎は、床に手足を伸ばして眠る花京院を、横目に見下ろした。
 目が覚めた時に、何を言ったか何をしたか、憶えているという保証はない。憶えているなら、死ぬほど恥ずかしがって、二度とそのことを話題にはしたがらないだろう。憶えていないなら、それでもいいと、承太郎は知らずに薄く笑っていた。
 Stingは、いつの間にか終わっている。花京院をベッドに運んだ後で、同じCDをひとりで聞き直そうかと、ふと思う。
 思って、花京院に向かって体を傾け、頬の辺りへ近づいて行った。そこでまた、同じことを、ゆっくりとささやいた。
 「・・・愛してるぜ、花京院。」
 ワインはまだ半分以上残っている。残りは、自分が飲んだ方が良さそうだと、屈託なく見える花京院の寝顔に向かって、承太郎はまた微笑んでいた。


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