こころ



 承太郎の、かさばるぶ厚い体を、精一杯自分の下に敷き込んで、とても不様だとそんなことを時折考えながら、また承太郎の唇に触れた。
 背中を伸ばして、17cmの身長差を埋めるために、少し必死に伸び上がって、承太郎へ向かってかがみ込めば、いつもは自分の頬に触れる長いピアスが、今は承太郎の頬骨に触れている。
 花京院は、素直に目を閉じた承太郎にならって、自分のピアスのわずかに揺れる動きを横目に見てから、目を閉じた。
 硬い、平たい胸が重なるのに、心臓の位置はなかなかうまく重ならず、そうして、承太郎の鼓動をじかに感じたいと思うのに、その位置を探ることができずに、花京院はひとり焦れていた。自分ではできないことをハイエロファント・グリーンにさせるのが、幼い頃からの習慣だったけれど、こんな時にはスタンドを使わないという暗黙の了解があるから、気配も姿も消すことのできるハイエロファントを、今はきっちりと自分の中にひそめている。
 好きなら触れたいと思うのが当然だと、言葉の上だけで理解していた時には、そうなった実際の、滑稽なほどの醜悪さなど想像もできず、慣れたふりができるほど大人でもなく、自分から誘ったという気負いのせいで、途中で白旗を上げるという醜態は晒さずにすんだけれど、諦めなかったのは自分のプライドの高さだと思いたがっているのは、半ば現実逃避だ。あまりに特殊な状況に、何もかもが、承太郎へのいとしさのせいだと素直に認めるには、花京院はまだ若すぎた。
 若気の至りだと言えるのは、もう少し大人になってからなのだと、また成人には多少間のある今、自分の幼さをこんなことで思い知りながら、その幼さゆえに、後で言い訳のできるずるさは自覚して、一体承太郎は、心の底で何を考えているのだろうかと、躯を繋げても見えることはない承太郎の胸の内を、花京院は推し量ろうとする。
 殴られても文句は言えないと覚悟していたのに、あっさりと承諾したのは、承太郎にも人並みの好奇心があったということなのか。それが、自分への好意の表れだと解釈するほど厚かましくはなれず、あるいは、特殊な趣味の持ち主である---と承太郎が考える---自分への、妙な同情のつもりかと、自虐的に考えてもみる。
 同性同士であることに、承太郎が屈託がないとも思えない。花京院の方はと言えば、自分の性癖をうんぬんすることはとりあえず忘れて、承太郎に魅かれているのだと自覚した時の、世界が突然光り輝き始めたような心の昂揚だけを大事にしようと、とっくに心に決めていた。
 友人というものにすら執着のなかった以前を思えば、友だちを飛び越えて、あっさりと仲間になり、そうして、それなしでは自分の存在すら危うくなるような、そんな誰かが自分の隣りに常にいるという状態は、異常ですらある。
 そして花京院は、その異常な事態に、ひどく浮かれている。
 何を考えているかわからないと、周囲の誰もがそう言う自分が、微笑みを浮かべて、しかもそれは作りものではなく、できることなら承太郎の視線のすべてを独占したいと、俗っぽいことを考えて、眠れない夜を過ごすことがある。自分が、こんなにも陳腐で平凡で、凡庸と額に書いておきたいような人間なのだと、思ったことすらなかった。
 ハイエロファントのせいで、自分の特殊さは幼い頃に自覚したけれど、だからこそ、自分のごく普通の部分には目が届かずに、こうなって初めて、自分も他の誰彼と同じに、誰かを愛しいと思って胸を焦がせる人間だったのかと、それは、初めてハイエロファントを友だちと呼んだ時よりも、大きな衝撃だった。
 承太郎の大きな歩幅に合わせて肩を並べて歩けば、地面に影が伸びる。主たちと違ってそれは、色も形もよく似ていて、簡単にひとつに繋がった。影と同じように、承太郎と繋がれたらと、そう思ったのはいつのことだったのだろうか。


 承太郎がちょっと肩を揺すってから、どこか苦々しげな表情で、取り出した煙草を唇にはさむ。胸の辺りと腰の辺りを両手で叩くのは、ライターを探している仕草なのだと、煙草を喫う人間と付き合いのなかった花京院も、今は知っている。
 まるで帽子のつばを炙るような勢いの火が、かちりと音を立てて、承太郎の指先から上がった。
 けれど、煙草の先に赤い火が灯る前に、強い横風にさらわれて、その火は消えてしまった。承太郎が盛大に舌打ちをして、手の中のライターをにらみつける。煙草を喫うというのは大人の習慣のはずだけれど、承太郎のそんな様子は、存外子どもっぽく、花京院はうっかり薄く微笑を浮かべてそれを見守った。
 今度はしっかりと、大きな両手で火を囲い、それでも風の強さには勝てずに、煙草にはなかなか火が点かない。ついに風に右肩を向け、ねじった体の向こう側で、上着の胸元を持ち上げ、その陰に風を避けようとする。それを見取って花京院は、承太郎がうつむくよりも早く、自分の両手を承太郎の顔の前に差し出した。
 何の下心もないと、それがほんとうかどうかはともかくも、無垢な仕草で、ライターを持つ承太郎の手に、自分の両手を添える。
 握り込めば、ひどく迫力のある拳をつくる硬い骨張った手が、一瞬、花京院のその動きに戸惑ったように、指へ繋がる線を固くした。
 そうして並べば、承太郎の手はとても大きく、花京院はその手に見惚れた目の動きを悟られないように、承太郎に向かって、真っ直ぐに微笑みかける。
 ようやく承太郎が、4つ並んで重なった掌に向かって、そこに守られた火を確かめながら、煙草の先を突き出してくる。
 煙草が落ちないように気をつけながら、息を吸い込むのが、喉の動きに見て取れた。長い睫毛が伏せられて、その陰に、濃い深緑色の瞳はすっかり隠れてしまう。風から火を守るためだけの仕草が、それだけではないように思えて、承太郎を見つめたまま、花京院はうっすらと頬を染めながら、目を細めていた。
 ようやく煙草に火が点いて、承太郎は体を起こすと、ありがとうと言葉は使わずに、あごの先を花京院に向かって軽く振る。名残りを惜しみながら、花京院は自分の手を引き戻した。
 何となくまだ向かい合ったまま、承太郎は胸いっぱいに、いかにも美味そうに煙を吸い込み、花京院は、そんな承太郎を、飽きもせずに見つめ続けている。
 承太郎の唇の間にある煙草のフィルターを、うらやましいと思った。唾液に湿り、舌先が触れることもあるのだろう。煙草を喫う承太郎の、舌の動きを想像しながら、うっかり花京院も、自分の舌を動かしていた。
 承太郎の指が触れ、唇が触れている。その肺を満たす煙を、何もかも、花京院はうらやましいと思ってから、そうではなくて、妬ましいのだと、頭の中で言い直していた。
 花京院の、穏やかではない表情に気がついたのか、承太郎がなんだと、怪訝そうに訊いた。
 別にと、承太郎の指に挟まれた煙草から視線を外して、花京院は、さり気なく無表情を刷いた。
 突き上げるような欲情にさらわれないために、体の横で、静かに拳を握りしめる。掌だけではなくて、皮膚のすべてを重ねたいと思う、まるで発情期の犬か何かのようなそれが欲情だと、素直に認めた自分に驚いたのは、ずっと後のことだった。


 一向にやわらぐ様子もない承太郎の躯を、それでも何とか押し開きながら、互いに不器用に協力し合いながら、躯を繋ぐ。
 そうしたいと言ったのは花京院だったから、承太郎はそれに異を唱えなかったという態度で、花京院に対して、何の感想も口にはせずに、軽く眉を寄せる程度で、声を上げることもしない。
 こんな時にはいっそう慎み深くなる花京院は、声はおろか言葉を発することも滅多となく、ふたりの交歓は、不様で不器用で滑稽なわりに、厳粛な色合いが強かった。
 充分ではないのを承知の知識を総動員して、承太郎を置き去りにすることを第一の恐怖にして、花京院は、必死になる自分を、けれど心のどこかで嗤っている。
 こんなふうに誰かに執着するのは、いちばん自分らしくないことだと、自分のことを嗤っている。
 これが、恋なのかどうかすら確かではないまま、それでも、承太郎に触れたいという気持ちは止められずに、稚なさの暴走だと言い訳のできるずるさを嫌悪して、一体承太郎はいつ、もうおれに触るなと、冷たい軽蔑ばかりの眼差しで言うつもりなのか。
 そうされなければ、断ち切れない想いだと自覚するたびに、花京院は、目の奥がひどく痛くなる。
 こうやって、皮膚を重ねて、粘膜をこすり合わせて、互いの体液を舐め取るように、戸惑いながら舌先を差し出して、生殖が目的でもなければ、恋の成就という意味合いもない---ことになっている---こんな行為の行き着く先を、花京院は想像することができない。
 いつか終わるものだと、それだけはわかっているけれど、それが終わるのは、承太郎がそう望んだ時だけだと、一向に熱の醒める様子もない自分の胸の内を覗き込んで、その昏い深さに、花京院は眩暈を覚えた。
 底もないような、熱さと狭さばかりの承太郎の内側と、それはどこか似ていて、それでも、自分の躯を使って埋められるそことは違い、花京院の胸の中は、時間とともに削れてえぐれてゆくだけだ。
 繋がりを深くするために、割り開いた承太郎の脚の間に、もっと強く押し込んで、そうして、胸を重ねた。
 承太郎の声を聞きたいと思って、あごの線に頬をすりつけるようにすると、承太郎の長い腕が、引き寄せるように背中に回ってくる。
 長い、折りたたんでも持て余し気味の承太郎の手足を、邪魔だと思った。
 それがなければ、抱きしめられることもできないけれど、抱きしめたいという自分の欲望だけに忠実になるなら、承太郎の手足は邪魔だと思った。
 それがなければ、もっと近く、承太郎を抱きしめられるような気がして、もっと深く、そこへ入り込めるような気がして、手足へ向かう血液と体温が必要なくなれば、承太郎の躯はもっと熱くなって、もっとやわらかく自分を受け入れてくれるような気がした。
 ごろりと、転がるしかできない、手足のない承太郎なら、もっと素直に愛せるような気がした。
 そんなことを考えつく自分を、殺したいほど憎んで、そうして、目の前の承太郎を、もっといとしいと思う。
 いとしいから、躯を繋げることを思いついて、思いついてしまったから、こうして承太郎を汚(けが) しているのだということが許せなくて、こんな自分を、承太郎はいつ憎み始めるだろうかと、花京院は、それを心待ちにしている。
 承太郎の腕を拒むように、花京院は、軽く体を浮かせた。
 躯は深く繋がったまま、もう離れてしまうことを拒むように、熱も皮膚も、融けてひとつになってしまっているようだ。
 承太郎の腕が、また花京院に伸びてきた。
 長い指が、垂れた前髪を軽くかき上げてそうして、両手に頬をはさみ込んで、自分の方へ引き寄せる。花京院は、素直に承太郎の上に、また体を伏せた。
 煙草を喫いつける時と同じ動きで、厚い唇がうっすらと開く。その中に、まるで欲しがるように動く舌が見える。
 今だけは、自分が承太郎を欲しがっているように、承太郎も自分を欲しがっているのだと、誤解することを自分に許して、花京院は、濡れた舌を承太郎に向かって差し出した。
 頬に触れる大きな手が熱くて、承太郎の熱に、すべてを包まれたまま、花京院は、もう自分を引き止めることもできずに、成り行きのまま、体の力を抜いた。
 重なったままの唇の中で、絡め取られた舌を奪い返しながら、承太郎と呼んだけれど、それは声にはならなかった。


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