午睡

 砂漠を渡るのは案外と骨が折れる。延々と同じ風景が続き、暑さもあって、思うよりも疲労が溜まる。集中力が途切れる頃に運転を交代するにせよ、そもそも運転手はジョセフかポルナレフに限られ、ふたりの疲労が限界に達すれば、好むと好まざるに関わらず、車を止めて長い休憩を取るか、通りがかった町で夜を過ごすか、決めるのは大抵ジョセフの一声だ。
 その日は陽射しのいちばん強い午後早く、ポルナレフが根を上げ、ジョセフも昨日の疲れが残っているのか、すぐに運転を代わるとは言わず、少しばかり車を止めて、休憩を取ることにした。
 狭い車の中に大男ばかり5人、休憩だとジョセフが言った途端に、承太郎はドアを蹴るようにして外に出て、やっと縮めていた手足を伸ばす。SPWの用意してくれたジープは、乗り心地は悪くはなかったけれど、それは砂漠を長時間狭い車内──これは車のせいではなく、承太郎たちの特大サイズのせいだ──に詰め込まれて走っているのではなければ、だ。
 外は暑い。けれど車の中にそのまま坐っているよりははるかにましだ。承太郎は硬張った体を伸ばすために、車から少し離れて歩き回った。
 太陽はほとんど承太郎たちの真上だ。車の影はほとんど線のようなもので、承太郎は車から離れ過ぎないように注意しながら、周囲を窺って、せめて足を伸ばして坐れるくらいの日陰はないかと辺りを見回す。見つかるのは、せいぜいが太陽に焼かれた岩だ。小さく舌打ちをして帽子のつばを引き下げたところで、さくりと足音が後ろに近づく。
 「相変わらずの暑さだな。」
 花京院が、承太郎に倣ったのか、他の面子に気を使ったのか、これも暑い中を降りて来て、承太郎の隣りに立つ。
 「車の中の方がマシじゃねえのか。」
 「もう遅い。後部座席は全部ポルナレフのだ。」
 肩越しに振り返れば、後部座席を全部占領しているらしいポルナレフの革靴が窓から飛び出し、運転席と助手席のジョセフとアヴドゥルは、揃ってシートを後ろに倒して、疲れたように目を閉じているのが見えた。
 「やれやれだぜ。」
 「仕方がない。僕らは運転するわけにも行かないんだし。」
 できないわけではないけれど、正式の免許など持っているはずもないふたりが運転していて、地元の警察と面倒になる時間もない。皆が無理をしているのも、先を急ぐ旅だからだ。
 「暑さは誰にでも平等だがな。」
 承太郎はまだ諦めきれず、視界の端に日陰の切れ端を探している。
 「こういう気候では、むしろきっちり肌を隠した方が涼しいと言えば涼しいが、制服だと、特に君みたいに真っ黒だと大変そうだな。」
 緑色の制服の花京院が、承太郎へ上向いて笑う。砂漠へ入る前にアヴドゥルが手に入れてくれた、実は女性用なのではないかと思う長いスカーフを頭から首に巻いて、視界がぼやけそうなほどの暑さだと言うのに、奇妙に爽やかに見える花京院の立ち姿だった。
 「車の下にでももぐり込むか。」
 忌々しげに、けれど意外と本気の声で承太郎は言う。花京院は首を傾げ、一応後ろを振り向いて車を眺めてから、
 「エンジンの下は、多分今僕らが立ってるここより熱いぞ。火傷するか、制服を焦がすのがオチだ。やめておけ承太郎。」
 冷静に花京院にそう言われ、ちっと、今度こそ車の中にも聞こえそうな大きな音を立てて舌打ちして、承太郎は腹いせに足元の砂を蹴る。
 苛立っているのは、疲れのせいだけではなく、この慣れない暑さのせいだけでもなく、どこが終点ともわからない、いつそこへ着くともわからないこの旅のせいだ。
 花京院が、承太郎の背中を見ながら、小さく苦笑した声が聞こえた。
 「承太郎。」
 制服の袖が軽く引っ張られる。何だと肩をいからせるように振り向くと、花京院が微笑んだまま、承太郎の腕を取って車の方へ引っ張る。
 「何だ。」
 「暑いんだろう?」
 子どもをなだめるような言い方──思わず、ホリィを思い出していた──で、花京院は車の後ろのタイヤの傍へ、膝を伸ばして坐り込む。そうしながら承太郎の腕は引いたまま、自分の隣りへ坐るように促した。
 砂は熱い。それでも、きっちりと着込んでいる制服のせいでやや熱は遠ざけられ、皮膚に届くまでに多少の時間は掛かる。
 「ほら。」
 花京院がさらに承太郎の肩を引いて、自分の膝を承太郎にやや強引に貸した形にして、そうして、横になった承太郎の上へ軽くかがみ込むように姿勢を整えながら、ほどいたスカーフが、ふわりと承太郎の顔や首や胸元を、テントのように軽く覆う。手早く作られた薄いささやかな日陰が、承太郎の肌をするりと撫でて行った。
 「君も疲れてるんだろう? 寝てしまってもいい、出発の前にはきちんと起こす。」
 そうとははっきりと出さずに、けれど声にいたわりがにじんでいた。ホリィのために、先を急ぎながら思うように行かない苛立ちと、日々積もってゆく疲れと、どれほど気強く立ち回っても、承太郎は所詮ただの高校生だ。まだ子ども扱いされてもおかしくないのだと、同じ高校生の花京院には伝わるのか、こうやって花京院に気遣われて、それを情けないと思うより先に、言葉にも態度にも出さず、承太郎は感謝した。
 「あまり快適じゃないだろうが、そこらに横になるよりはましだろう。君を完全に覆うほど身長がなくて申し訳ないが。」
 上から自分を覗き込む花京院は、ひたすらに優しさだけに満ちていて、日に焼けた額や鼻の先、そして乾いて皮膚が傷み始めている唇──承太郎も同じだ──が、見慣れない角度に見えて、こんな風に見下ろされると、人はひどく素直に、あるいは弱気になってしまうのだと、承太郎は初めて知る。
 「てめーが暑いじゃねえか。」
 「君ほどじゃない。君の方が太陽に近いからな。」
 花京院が目を細めて、おかしそうに笑った。スカーフの小さなテントが、それに合わせて、花京院と承太郎の顔の回りで揺れた。
 やがて、花京院がもう少し承太郎の方へ肩を落として来て、ほとんど承太郎の耳元で、秘密を打ち明けるように声をひそめる。
 「僕はいつも、君の日陰の中にいるからな。今日くらいは、僕がやってもいいだろう。」
 ひくりと眉の端が上がって、それを隠すために、承太郎は慌てて帽子を自分の顔の上に乗せる仕草をした。
 気づいてやがったのか。
 わざと返事はせず、それきり承太郎は口をつぐんで、もう少し花京院の腹の近くに頭を近寄せる。合わせた腿の上に耳を乗せ、ほとんど後ろ頭が花京院の腹につくくらいに体の位置を収めて、こんな時でさえきれいに磨かれた花京院の革靴の爪先越しに、延々と続く砂漠の風景を目の前に見る。
 そうして、花京院にそう言われた通りに、承太郎は静かに瞬きをした。
 そうと意識して始めたわけではなかった。恐らく、最初はただ面白がっていただけだろうと思う。地面に伸びた自分の影に、花京院がすっぽりと収まってしまうのが単純に面白かったのだ。そのうち、暑さが厳しくなるにつれ、一行の中ではいちばん小柄で華奢に見える──見えるだけだ──花京院をアヴドゥルが心配し始め、それに便乗した形で、さり気なく花京院が自分の影に入る位置へ立つようになった。日陰はどんどん貴重なものになり、そうなれば、承太郎は常に花京院の傍に立っていることになる。
 気づいてなどいないと思っていたのに、これではまるで自分が花京院のスタンドみたいだと、そうひとりで思っていたのも、もしかしてすべて見透かされていたのかと、承太郎は内心赤面する思いで、花京院の方には今は背を向け、ゆらゆらと熱波に揺れる空気の流れを眺めていた。
 暑さは変わることなく、こんな場所で眠れるはずもなかったけれど、それでも、自分のためにしつらえられた心ばかりの日陰の中で、承太郎は、眠る直前のような瞬きをゆるゆると繰り返し、自分の頭上で花京院が静かに呼吸をするその気配を、スカーフの揺れに感じている。
 大丈夫だ、とかすかな、息を吐くような声が聞こえた。花京院の手が承太郎の髪をそっと撫で、不思議にその手は、ひやりと承太郎の熱を吸い取り、次第に穏やかになってゆく自分の内側を抱きかかえるように、承太郎はいつの間にか長い手足を軽く縮めている。
 こんな場所では、人の体温の方が心地良いのだ。
 幼い仕草で、花京院の膝に頬をこすりつけると、子どもの頃に抱きしめられたホリィのぬくもりを思い出して、この旅の無事を改めて祈りながら、承太郎はもう一度繰り返した瞬きのきり、眠りには落ちない直前のまどろみに、次第にたゆたって行った。

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