停電の夜



 何の変哲もない夕刻、夕食が終わり、コーヒーにするかと、承太郎がコーヒーメーカーのスイッチを入れた瞬間、家中のすべての明かりが消えた。
 突然の暗闇に、カーテンの隙間から差し込む明かりもなく、停電だと悟ったはいいけれど、消えてしまったのは明かりだけではない。温風の出るストーブも、テレビも、もちろんコーヒーメーカーも、何もかもだ。
 こういう時にはためらわずに、花京院はハイエロファント・グリーンを素早く呼び出すと、その発光するスタンドをほどいて自分の回りにただよわせ、緊急灯代わりにする。その薄明かりで、キッチンからやっと承太郎が花京院のそばにやって来た。
 大きく舌打ちをしてから、
 「コーヒーも飲めねえな。」
 「ガスは使わない方がいい。元栓はもう閉めてあるんだろう。」
 「だな。」
 暗いキッチンを振り返って承太郎がうなずく。
 「とりあえず電気が元に戻るのを待とう。食事が終わった後でよかった。」
 「それだけは僥倖か。」
 あまり深くは考えず、ふたりは肩を並べてソファに坐る。
 ハイエロファントの発光分だけでは、ものの輪郭がとりあえず見えるという程度で、これで本を読んだりということは不可能だ。
 坐って待つ以外にできることもない。
 「皿くらいなら洗えるぜ。」
 「湯が使えないぞ承太郎。」
 「・・・・・・だな。」
 ボイラーの電源のことを忘れていた。承太郎は、またひとつ大きく舌を打つ。
 皿洗いの湯がないということは、風呂の湯も出ないということだ。少しずつ、できないことのリストが長くなってゆき、ふたりは少しばかり心配をし始めた。
 暗闇の中で何もできず、ただひたすら待つばかりだ。心配だけではない。少しずつ退屈にもなって来る。
 外が少し騒がしい。なかなか終わらない停電に、しびれを切らした人たちが外に出て様子を見ているようだ。それに参加してもよかったけれど、確実に下がり始めている部屋の温度よりも、外はもっと寒いはずだったから、ふたりは顔を見合して、ソファに坐ったままでいる。
 「寒いな。」
 「・・・おう、寒いな。」
 スタンドで自分たちを温めるというわけには行かない。そうなれば、ひとりきりではないことに深く感謝して、互いの体温に頼るのがいちばんだ。
 「毛布を持って来よう。」
 ごく現実的な意見を、花京院は口にした。
 その意見を至極真面目に受け止めた後で、立ち上がった花京院を引き止めるようにその手を引いて、承太郎がぼそりと行った。
 「このまま一緒にベッドに行っちまうって手もあるな。」
 承太郎の言った意味を正確に聞き取って、花京院はきちんと手加減したエメラルド・スプラッシュを、あごの辺りに軽く叩き込んだ。


 「あったまるならアレがいちばん手っ取り早えじゃねえか。」
 花京院とハイエロファンとが運んで来たぶ厚い毛布に、花京院と一緒にくるまりながら、承太郎は痛むあごを撫でさすっている。
 「時間もつぶせるぜ。」
 毛布の中で、ぴったりと体を寄せる。
 「そんな時間つぶしに付き合ったら僕の体が保たない。明日も仕事なんだぞ。」
 合わせた肩や腕から、ふたり分の体温が、ゆっくりと毛布の中に満ちてゆく。その中に、ふたりはなるべく体を縮めて収まろうとする。まだ部屋の中は真っ暗なまま、ストーブはもうことりとも音を立てない、ただの金属の箱に成り下がっていた。
 「第一、いつ風呂に入れるかもわからないのに、君とアレなんかできるもんか。」
 「風呂さえ確保できたらヤッてもいいのか。」
 この軽口も、きっと時間つぶしのつもりなのだろうと思った。
 「やるもんか。」
 乗ってやれば親切だとわかっていて、エメラルド・スプラッシュをいつでも出せるように指先を動かしながら、花京院はすっぱりを可能性を切り捨ててやった。
 毛布の中は温まり始めていたけれど、ふたりはそのまましばらく黙り込んで、体を寄せたまま何も言わなかった。
 人たちは諦めてしまったのか、外も今は静かだ。花京院は、まるで慰めるように、承太郎の肩に頭を乗せる。
 「・・・電気がないだけで何もできなくなってしまうもんだな。」
 「旅の間もずっとそうだったじゃねえか。もう忘れたのか。」
 「忘れるもんか。月明かりで無理矢理本だって読んだんだ。あの時は、日の出で起きて、日の入りで寝る生活だったな。」
 「ねえならねえで、人間案外すぐに慣れるもんだ。」
 「便利さに甘やかされてると思い知るのにちょうどいい。とりあえず停電が終わったら、まず熱いコーヒーが飲みたいな。」
 「ドリップで淹れてやる。」
 「ああいいな。」
 「冷蔵庫の中身が腐る前に停電が終わりゃいいがな。」
 「夏じゃないから大丈夫だろう。冷凍庫の方が心配だ。」
 「ああそうだな。」
 いつの間にか、そんな必要もないのに、互いに耳元に唇を寄せるようにささやき合っている。額と額が触れ合って、今では肩と腕だけではなくて、腰の辺りや足の一部も触れ合っていた。
 毛布に、こうしてふたりでくるまっている限りはあたたかい。そのぬくもりを逃さないように、ふたりの体はもっと近く寄った。
 承太郎の腕が肩に回り、花京院は、承太郎の背中に両腕を回す。近頃、こんなにゆっくりと抱き合った記憶がない。
 そのことに気づいて、花京院は、承太郎の今では煙草の匂いのすっかり失せてしまった肩口の辺りに、ごりごりと額をこすりつける。
 「君とこんな風に話すのは、久しぶりだな。」
 眉を持ち上げるように動かした気配が、暗闇の中でもきちんと伝わる。花京院は、いっそう近く額を寄せた。
 「・・・そうだったな。」
 便利さに慣れて、その中で流されてしまうだけではない。人同士が向き合うことすら、時折便利さが忘れさせてしまう。
 テレビもない、ゲームもできない、本を読むことすら困難な、冷え切ってゆく真っ暗な部屋の中で、よりどころは互いだけだ。
 君がいてくれてよかった。花京院は、口には出さずに、胸の中でひとりごちる。
 ひとりでは、寒さと静けさに、きっと耐えられない。こんなに穏やかに、光が戻るのを待つことはできないだろう。
 ひとりではないというのは、そういうことだ。
 ふたりのためにずっと薄明かりの役を果たしているハイエロファントをちらりと見て、スタンドに──少なくとも、花京院の知る限り──体温がないことの意味を、花京院は今深く思い知っている。
 スタンドを人扱いするのは自由だ。それでも、スタンドは人ではない。人なしでスタンドは存在し得ない。自分がひとりではないという意味は、人としての体温を持つ誰かと一緒にいるということだと、改めて思いながら、花京院は毛布の中から手を伸ばし、思わず承太郎の頭を撫でた。
 「トランプでもやるかい。」
 「ふたりでババ抜きか。」
 「七並べでもいいじゃないか。」
 笑い合う肩の揺れが、毛布の中に伝わる。そこにぬくまる空気を震わせて、そしてそれが、まるで何かのスイッチを入れたとでも言うように、不意に世界が明るくなる。
 あ、とふたりで声を出し、天井から煌々と降る明かりに同時に目を細め、
 「・・・まずはコーヒーだな。」
 「ストーブのスイッチも入れてくれないか。」
 「次の停電に備えて、石油ストーブ買うってのはどうだ。」
 「君が石油を入れる役をしてくれるって言うなら大歓迎だ。」
 「・・・ったくてめーは。」
 承太郎が、これが今夜は何度目なのか、また大きく舌を打つ。
 忌々しげな口調とは裏腹に、まだ優しい仕草で花京院を抱きしめたまま、くるまった毛布から離れようとはしない。
 「・・・停電はもう終わってるんだぞ承太郎。」
 「やかましい。」
 今では気恥ずかしいほど明るく感じる部屋の中で、ハイエロファントはいつもの無表情で宙に浮き、毛布の中で抱き合ったままのふたりを見下ろしている。


* 2009/11/21 絵チャにて即興

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