無垢の恋


 珍しく、着ていたものを全部脱いで、薄い毛布の下に、ふたりで一緒に丸まっていたのに、その毛布はふたりの動きにつれてずれてしまい、今はきっと床の上だ。
 躯を隠すものは何もなくて、開いた膝の内側や、背骨ばかりの目立つ背中や、そこだけは歳相応に、薄く華奢に見える腰の辺りが、窓から入る明かりに照らされて、恥ずかしがる程度にはあからさまに、手足を絡めたふたりの姿が青白く浮かんでいる。
 承太郎が、むやみに唇を押しつけてくるのに、花京院は、むしろそれを誘い込むように舌を伸ばして、ふたりの濡れた唇は、間に閉じ込められた熱気に、もっと湿りを増してくる。口づけの合間に急いで呼吸をして、それすらも時間が惜しいと言いたげに、4本の腕は、忙しなく動き続けていた。
 背中や肩を滑り、肩甲骨の動きを、何度も掌に確かめながら、花京院は知らずに腰の辺りを、ベッドから浮かす。それを押さえ込むように、承太郎の下腹の辺りが動いて、そのたびにベッドがひどくきしんだ音を立てた。
 膝が、しわだらけのシーツにくっつくほど、両脚を開いて、その間に、承太郎が躯の重みを預けている。どこもぶ厚い承太郎の体の、そこだけは削いだように薄い腰の線を、花京院は、腿の内側で何度も撫でた。
 汗が滑る。荒い呼吸を、もう隠す羞恥心もなく、ふたりは、まるで相手の呼吸を奪うためのように、互いの唇や舌に噛みついている。湿った掌は、肌から生まれる熱を、かけらほども逃すまいと、胸や首筋に何度も添えられて、その下を力強く流れる血の音に励まされるように、またふたりは飽きもせずに唇を重ねた。
 張りつめて、先を急ぎたがる躯を、重ねて、一緒に揺らす。うねる全身を合わせて、抱え込んだ頭を引き寄せ、汗に濡れた髪を指先に絡めて、触れるどこからも、熱が注がれてゆく。ふたりは、無我夢中で抱き合っていた。
 花京院。
 こんな時に名前を呼ぶのは、いつも承太郎の方が先だ。昼間には想像もできないような、ひどく切羽詰った声で、まるで喉の奥から絞り出すように、花京院の名前を呼ぶ。声が耳に届いて、ふと我に返って、目を開ける。承太郎の、熱っぽい色の深い緑の瞳が、花京院を焼き殺しそうに、見下ろしている。それも、声と同じに、昼間の静けさとは似ても似つかない、炎の色が見えそうな、そんな熱さをたたえている。
 承太郎。
 応えて、けれど、承太郎のそれよりは幾分醒めた声音で、すぐに承太郎の首に腕を回すと、その声を封じるために、花京院はまた口づけを誘う。そんな声で名前を呼ばれたら、もう何もかもを、この場で投げ出してしまいたくなってしまうので。
 ふたりにあるのは、未来のことなど考えなくてもすむ無分別さと、稚なさゆえの無鉄砲さだ。だから、命のやり取りばかりの旅の途中で、こんなことに、こんなふうに夢中になれる。
 これを、恋だとはまだ見極めないだけの聡明さを持ち合わせながら、ブレーキをかけるだけの思慮はなく、若さゆえの暴走なのだと思い込むことで罪悪感をしまい込むずるさだけは、もう大人並みだと、もちろん当の本人たちが気づいているはずもない。
 互いに夢中で、何もかもが目に入らないという、恋の盲目をまだ自分たちに許しはせずに、けれどその機会さえあるなら、それを拒むことはしないふたりだった。
 見た目だけなら、きっと承太郎の方が、このことに、首までどっぷりひたり込んでいるように見えるのだろう。花京院は、思う。承太郎が、長い腕の中に、抱き込んだ躯の位置を整えさせようとするのに、やや霧のかかったようなぼんやりとした視線をさまよわせて、それでも精一杯に応えようとしながら、花京院は、短く声を上げた。その声を、承太郎がすばやく、紅い唇で吸い取ってしまった。
 それは多分、そう見えるだけなのだと、花京院は、承太郎に躯を起こされながら、考えている。
 背中に、承太郎の唇が当たる。そこからうなじを舌先でなぞって、そうしながら、承太郎の腕が、花京院をしっかりと胸に抱え込む。
 腿の内側に、ぬるりと、承太郎の熱の先端が当たった。
 そうされると、いつも無意識に躯がすくんだ。それが押し込まれる時の形と、それが内側を満たす時の質量と、承太郎という人間の一部の、どれも同じものでありながら、それが在る場所によって、まるで違うもののように感じることがある。そうされれば、花京院は息を飲んで受け入れるしかなく、痛みと圧迫感にも関わらず、それを拒もうと思ったことはなかった。
 躯が繋がれば、それが生む錯覚によって、生まれる場所と時を違えた双子のように、承太郎と、皮膚の境い目も接ぎ目もない、まるでひとつの体のように誤解できるから、花京院は、この瞬間を、いつも心待ちにしている。
 恋という感情が、必要というわけでは決してないのが現実にせよ、こうすることに、それなりの気持ちというものがなければと、そう思うふたりの、稚なさゆえの潔癖さだった。そうでなければ、どうしてこんな時に、こんなふうに、互いに腕を伸ばせるだろう。絵空事としてばかり目にして来た恋という想いを、ふたりは、まだ自分のものにはできずに、持て余してばかりいる。好きだと、そう口にしてしまえば、何もかもが嘘になるような気がして、躯が慣れれば慣れるほど、こんな時には無口になってしまうふたりだった。
 後ろから、承太郎が腕を回してくる。大きな掌を滑らせて、花京院の脚を割り、その間に、正座のように揃えた膝を、やや開き気味に割り込ませて、けれど浮いた踵は爪先に支えさせて、ぶ厚く重なった腿と膝の上に、承太郎は無言で花京院を引き寄せた。
 花京院は、ようやくシーツの上についた膝で全身を支えて、開き切った腿の痛みに、形の良い眉を、そうとは知らずに寄せていた。前から回った承太郎の両の手指が、硬く張りつめたそれを、奇妙な優しさで扱い始め、そうしながら、先へ進むために、もう少し奥へ、ふとそうなってしまったとでも言いたげに、指先をさまよわせる。
 腹の辺りを横切る承太郎の腕を、自分の方へもっと引き寄せるように、花京院は手を掛け、抱きしめる。承太郎の指が、触れている。知らずに、合わせて、腰が揺れる。
 互いに反応し合う躯が、溶け合いたくて、重なったままこすれ合っている。承太郎の左腕が、一瞬花京院から離れ、そうして、繋がれるように腰をわずかに浮かさせると、やや強引に入り込んで来る。鎖骨の近くで、花京院の声が尖った。
 そうなってしまえば、下から揺すぶられるのに、花京院は承太郎にしがみついて耐えるしかなく、自分の胸や腰を抱く承太郎の腕に、知らずにすがりつく形になっていた。
 承太郎が動くのに合わせて、花京院の声がもれた。その声を、承太郎はしばらく自分の唇で吸い取っていたけれど、動く躯が深くなるにつれ、自制が利かなくなり、花京院を抱きしめているだけで精一杯になる。花京院の声は、次第に大きくなるばかりで、こればかりは止めようもない。
 誰に聞かれて困るということもないけれど、できれば、慎ましやかに進めたい、ふたりの間柄だった。
 だから承太郎は、花京院を抱いていた腕を上へ滑らせ、大きな手で、花京院の口を覆った。濡れて湿った唇が、掌に当たった。呼吸を求めて喘ぐように喉を反らした花京院に、誘われたように、止めることができずに、承太郎は、花京院の耳に噛みついていた。
 揺すぶり上げる動きは、激しくなるばかりで、掌の中で、花京院が封じ込められた声を、それでも必死にもらし続けている。伸びた喉のとがりが、何度も何度も上下した。
 承太郎の手の中に、花京院の濡れた唇が、半開きに触れている。もう一方の手の中にも、違う湿りと熱がある。熱ばかりの粘膜と、あふれるほど湿った粘膜と、どちらも、皮膚の1枚下を震わせるような音を立てている。
 もう、長くは耐えられそうになかったから、承太郎は、膝の上で揺れている花京院を、また強く抱き寄せると、その唇を塞いでいる手の指をやや開き、そこに覗いた動く舌先へ向かって、自分の舌を差し出した。
 唇は重ならない、舌だけが絡み合う。唾液が混じって、承太郎の指を濡らす。躯中から、濡れた音が響いていた。
 こんなに熱い躯だ。こんなに濡れた、躯の内側だ。欲情と恋の、見極めのつかない、まだ稚ないふたりだった。それでも、だからこそ純粋に、愛という形もない曖昧模糊とした概念を、心の底から信じることのできるふたりだった。
 躯を結ぶことが、つまりはそういうことだと素直に自覚できるくせに、それを口にするには、もう少し時間が足らない。その不足分を、そうやって補っているのだとでも言うように、承太郎は花京院を満たし、花京院は承太郎を受け入れている。
 躯が満ちるということは、時には心を満たすのだと、初めて知った。心が満ちるということは、現実の、腹の飢えも心の飢えも忘れさせてくれる。花京院は、生まれて初めて、満ち足りていた。どこかで、生まれる前にすでに削り取られていた自分の一部が、承太郎によって繋がれ、埋められ、補われ、自分というひとりの人間を完全にしていると、何の疑いもなく自覚できた。
 そう考えることの危険さには気づけないふたりの若さが、けれどこの恋を、この世でただひとつのように、深遠な、意味深いものにしているのだと、今はまだ誰も知らない。知る必要もないことだ。今は、まだ。
 承太郎の熱と形が、花京院をいっぱいに満たしている。それが永遠に続くことではなく、躯を外せば、またひとり、冷たい空気に包まれることになるのだと、思い知ってはいても、満たされる感覚が深ければ深いほど、もうひとりに耐えられなくなっている自分の弱さが、あらわになるだけだとわかっていて、ひとりでなければ、承太郎がいれば、どんなことも切り抜けられると、そんなことも同時に思う。
 弱い人間がふたり、その弱さを補い合うことは、きっとそう悪いことではないのだろう。
 恋が、弱々しい己れをさらけ出して、世界に向かって自分勝手な幸福を願うことだというのなら、これはまさしく恋だ。
 みっともない自分を、承太郎はそれでも抱きしめてくれるだろうかと、それだけを心配しながら、花京院は承太郎の舌先を噛んだ。
 熱い胸が、いっそう近く、汗に濡れた背中に重なってくる。そこにまた、冷たい空気が入ってくることを恐れるように、ふたりは呼吸も忘れて、躯を絡めて抱き合っている。


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