律動

 「ちょっと動かないでいてくれるか・・・。」
 肩の位置が揃って、承太郎の耳元で花京院がつぶやいた。胸を合わせて、花京院は承太郎の膝の上に乗る形で、そうして、躯が繋がっていた。
 「ちょっと君は、おとなしくしててくれ。」
 立てた膝で、花京院が承太郎の脇腹をつついた。
 少し前、正面から抱き合った時に、少しばかり手加減を忘れたせいかと、承太郎は花京院の肩口に素直に顔を埋めて、躯の動きを止める。
 花京院の腹の傷跡を下目に見て、いつもは無理をさせないようにと思うのに、今日はなぜか、それがブレーキにならなかった。血の色が上がって、引き攣れた皮膚がまだらに赤く染まり、薄く引き伸ばされた皮膚の下の腹筋の形が、承太郎が動くたびにくっきりと浮いて見えた。もう少しその先が見たくなって、少しばかり動きが乱暴になった。
 滅多と聞かない花京院の声が高くなる。痛めつけている気はなかったけれど、結果的にはそうなったらしい。
 花京院といると、時々自分のことを忘れる。体の大きさや力の強さや、花京院とでさえ差があることを、承太郎はふと忘れる。てめーのせいだと、承太郎の中で声がするけれど、それを口にするわけには行かなかった。
 抱き合った分だけ、もっと欲しくなる。次はもっと深く繋がれるかもと思って、そうして、心と躯が一緒に気持ちがはやる。先走る承太郎の内側の、誰にも触れさせない激情のようなものを、花京院の中に注ぎ込んでしまいたいと思っても、それを強いるのは正しいことではないと、さすがに承太郎も理解している。
 強いているわけではないと、そう思うのが精一杯だ。いやなら応えないはずだと、互いの躯の素直さを言い訳にして、承太郎はいつだって花京院に触れ続けていたいと思っている。許されるなら、それが可能なら、いっそ骨も筋肉も粉々にして、ひとつに繋ぎ直してしまえばいい。
 吸血鬼の始まりは、案外そんな、いとおしい誰かと同化したいと言う気持ちの表れだったのかもしれないと、承太郎はふと思う。
 おれもあいつの仲間か。不愉快にもならないのを、花京院を抱いていて不思議と思わず、こうしていれば、どんなことも許されると感じる、奇妙な力のようなものを、花京院はいつも承太郎に与えてくれる。
 ひとりとひとりがふたりでしかなく、ひとりにはなれないそのもどかしさを、時々止められなくなる。花京院にぶつけることが間違っていると分かっているから、いつもはきちんと自制できるのに、ごくまれに、ほとんど暴力的な衝動に襲われる。あいつと同じか、承太郎はまた思う。自己嫌悪も湧かない。ただそうだと言う事実を目の前に、そこからするりと視線を外すだけだ。
 花京院を抱きしめようとして、承太郎は掛けたままの腕からそっと力を抜いた。今思うまま抱きしめたら、きっと花京院を壊すと、そう思った。
 代わりのように、あるいは、こんなに近く躯を寄せて、もう承太郎の心がいつの間にか読めるようになっているのか、花京院の腕が承太郎の背に回り、力いっぱいしがみついた後で、あやすように首筋を撫でた。もう片方の掌で、二の腕を撫で上げ、それはまるで、気の荒い獣をなだめる仕草のようで、そこからあふれた熱を吸い取られたように、承太郎はおとなしく花京院の手の動きに従って、そのまま動かずにいる。
 花京院の両掌が、承太郎のあごを包む。耳朶をそっと食んで、歯先に挟んだピアスと金具が、かちかちと鼓膜のすぐそばで音を立てる。濡れた唇が滑り、頬の線とあごまでの線を、ゆっくりと、焦らすようにたどってゆく。
 下唇を噛まれて、承太郎は思わず舌先を差し出した。
 少しでも、躯が触れていないと不安だった。ただ繋がっただけでは足りずに、もっと、全部、と承太郎の気が急く。それをあしらうように、花京院の掌が承太郎の顔を撫でて、そうして、ふた呼吸分目隠しされた後で視界が開けると、目の前に、血の色を濃くした花京院の顔があった。
 目を伏せ、承太郎の首に両腕を掛ける。膝の位置を決めて、そうして、ゆっくりと花京院が動き出す。
 自分のしていることがきちんとわかっていてそうしているのではなくて、ただそうしたいと思って体が動くに任せている。承太郎に伝わるのは、つたなさばかりだった。そうではないと、お互いの位置からずれて、躯は焦れるばかりだった。
 それでも、花京院はそうやって動くのをやめず、承太郎も、じっと花京院を支えたまま、花京院の必死さを受け止めていた。
 承太郎ならそうするだろう速さよりも、もっとゆっくりと、花京院が欲しいだろう場所よりはるかにずれて、それでも構わなかった。花京院が動く。承太郎が受け止めている。いつもと少し違う形で、少なくとも一方的ではないやり方で、承太郎はおとなしく──静かに、ではなく──花京院を待っている。
 花京院を見上げて、承太郎は時々、上向くあごに唇を押し当てた。
 ゆっくりと、行き果てるためよりも、ただ触れ合わせるためだけに、こすり上げられて、注ぎ込みたいといつも自分の中で荒れ狂っている激情が、今は端の方から溶け始めて、不思議なことに、花京院の熱と融け合っているような、そんな気がした。
 熱さはもっとしんとしていて、どこかに深く染み込むように、ふたりの間で、呼吸以外はすべてが無音に近くなると、その沈黙が、ふたりの足元から床へ落ちて届いた。広がる沈黙が、ふたりの熱を包んで、そうして、激しさだけではないのだと、承太郎の中で声がした。
 花京院の腰辺りを押さえて、動きをもっとゆるやかにさせると、承太郎はやっと自分と位置の揃った花京院の唇に、触れるだけの口づけを押し当てた。
 できるだけ優しく。できる精一杯で、優しく。唇を外して、抱きしめる。力をこめて、けれど絶対に花京院を壊さない強さで。胸が重なる。花京院はさらにゆっくり、けれど動き続けている。
 花京院の腹の傷跡の上に、承太郎は掌を広げた。まだらな艶を帯びた皮膚は、承太郎の手よりも大きく、そこから熱を送り込みたくて、承太郎は指先にわずかに力を込めた。
 注ぎ込むだけではなくて、ほとんど動きも音も見えない流れのゆるやかさを、こうして重ねることの方が大事なのかもしれないと、承太郎は思う。思いながら、そっと腕に力を込めて、できるだけ静かに、花京院をまた自分の下に敷き込みに掛かった。

☆ 絵チャにて即興。
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