ひそかごと



 ただトレッドミルへ歩いて行くだけで、全身に視線が絡みつくのがわかる。主には嫉妬の視線だ。承太郎の身長と、高過ぎるそれと完璧にバランスの取れた長い手足と、どれだけもっさりと服を着ようと隠しようもない筋肉の線と、そして明らかに混血の、東と西が心地良く混ぜ合わされた顔立ちと、女たちの視線はよりあからさまだけれど、男たちの視線も、いくつかは似たような熱を帯びている。
 それがわかる自分を隠して、承太郎はことさら無表情に、マシンに乗ってスピードを上げる。
 20分ほど走ったら今日は終わりだ。
 ジムで汗を流すのは好きだけれど、周囲に他人の視線があるのが鬱陶しい。筋肉の質や形を検分されるのはかまわなかったけれど、汗に濡れた体の、わざと隠した部分を想像しようとする目つきが、承太郎は嫌いだ。
 隠せば隠すほど想像される羽目になると、わかっていても、体の線をここで晒す気にはなれず、その理由を思い出すたびに、承太郎は忌々しさに奥歯を噛む。
 そうして、忌々しいと思うくせに、その理由を拒むこともできない自分が、誰にも言わずにいちばん嫌だった。
 汗に濡れた髪を撫でながら、首から垂れたタオルがきちんと胸の前を覆っているように注意して、また自分にまとわりついて来る視線をなぎ払うように、ロッカールームへ向かう。
 誰にも見られないように、着替えを手に、一応は体は隠せるようにささやかに区切られた、シャワールームのコンパートメントの前に来ると、もう一度辺りを見回して、人の気配がないことを確かめる。
 それからやっと、汗に濡れたシャツを脱いだ。
 裾からシャツを持ち上げる。そうしないと、布がすれて痛いからだ。それでも、体をそらしただけで、皮膚が伸びたせいか、裂かれるような痛みがそこに走る。
 「あの野郎・・・ッ。」
 湯や石鹸が染みることも間違いない。そこは、まだ赤く腫れている。ごく自然にそこに掌をかぶせてから、承太郎は、怖いもの見たさで、そこに視線を下ろして、それから、そっと指先で触れた。
 左胸の突起だ。わずかに押しただけで、尋常ではない弾力を返して来る。ちくしょう、とまた口の中でつぶやいた。


 重ねた手首をゆるく巻いているのは、承太郎のネクタイだった。学会に行く時くらいにしか使わない、ほんの数本持っているうちの1本だ。
 「ほどいちゃだめだ。」
 ろくに縛りもせず、ちょっと動けば全部外れてしまいそうなそれに、花京院が言う。
 そうやって、縛めらしい何もない状態で好き勝手にされるのは、ぎちぎちに縛られている──滅多とそんなことはさせないけれど、もちろん──よりも、むしろ不自由な感覚だった。
 承太郎の全身に、唾液を塗りたくるような、そんなやり方で全部に触れてゆく。追いつめて果てさせるためではなくて、ただ皮膚の表面をなぶるだけのように、時折皮膚の薄いところを選んで歯を立てる。それだけがはっきりとした感覚だった。
 そうして、承太郎が油断したところで、一箇所にだけ狙いを定めていたのだと悟らせる。
 胸の、片側だけに顔を伏せて、腕の縛めのことを何度も思い出させながら、そこだけ執拗に舐める。滑らかとも言い難い濡れた感触が、ひたすらなまあたたかく、その小さな場所にまとわりつく。
 背骨の付け根までは届くのに、そこから先へはたどり着かない刺激に、承太郎は焦れた。
 いい加減にしやがれと、肩を揺すった拍子に、ネクタイがするりと滑って外れた。それを待っていた花京院は、ほどけたネクタイを口枷にして、ハイエロファントの触手に手伝わせながら、今度は承太郎の手足をきっちりと縛った。
 それからまた、指と舌が触れる。指の間に挟み込み、尖らせるようにそこで押し潰し、噛まされたネクタイの隙間から、うめく声と一緒にたれる唾液を、花京院は面白そうに見ている。
 舌で舐める。尖らせた舌先でつついて、それがもっと硬くなるのを楽しむ。なぜか片方だけだ。右側には見向きもせずに、それでも時折、脇腹の辺りを掌で撫でて、承太郎の皮膚が泡立つ反応を、花京院は自由自在に引き出していた。
 そうして、それが硬く尖り切った頃を見極めると、またハイエロファントを音もなく呼び出す。
 スタープラチナを使わないのは、そうすれば花京院が怪我をするからだという理由だったし、承太郎の矜持でもあった。けれどどちらもただの言い訳だと、ふたりとも気づいている。
 ひどく優しく微笑んで、花京院は糸にすら見えないほど細くしたハイエロファントの触手の先を、ついさっきまで舐め嬲っていたそこに、そっと添わせて巻きつけて行った。
 小さな場所だ。時間は掛からない。それでも、皮膚の色の変わる辺りからきっちりと、かすかに光る緑の細い細い糸が、ぎりぎりとその尖りを先端まで締め上げる。
 変形したそこを見下ろして、承太郎はまたうめいた。
 平たく盛り上がった胸の先端に、そそり立つ小さな塔だ。まだハイエロファントに繋がっているその糸の途中を、花京院が軽く弾いた。引きちぎられる痛みに、承太郎の背中が反り返る。
 「もっと、啼けばいい。」
 唾液にひたったネクタイを挟んだ唇を、花京院が舌全部で舐めてゆく。
 この野郎、と声は喉の奥でくぐもっただけだ。
 それからまた、花京院が承太郎の左側へ視線を移した。締め上げられて存在感を増したその尖りを、また唇の間に含む。舌先を当てて、痛むのを承知で歯を立てる。ぎりぎりと、根元近くを、そこから噛みちぎるように、少しずつ上へ向かって、その小さな突起を、花京院はひたすら噛み続けた。
 時折糸が引かれる。承太郎の体が揺れる。その上で花京院が笑う。
 何度目か手繰った糸が、突然切れた。そのせいでどこかが傷ついた花京院が痛みに声を上げ、同時に承太郎も、自分の腹の上に果てていた。そこは触れられないままだったのに、いつの間に勃ち上がっていたのか、ちくしょうと、噛んだネクタイの奥でつぶやく。
 心臓の音さえ響く左胸の痛みが途切れてしまったことを、残念に思ったことだけは、必死で隠した。


 熱いシャワーを直接当てないように気をつけながら、けれど石鹸で滑る指が、偶然のように触れる。痛いけれど、触れずにはいられない。
 花京院の手つきを思い出しながら、シャワーのせいではなくて熱くなる躯を止められない。
 ここで、そんな羽目に陥るわけには行かなかったから、承太郎はなるべく自分の体に触れずに石鹸を洗い流すと、乱暴な手つきでシャワーを止めた。
 タオルを体に巻き、胸元は絶対に見えないように気をつけながらコンパートメントを出る。
 触れないようにと思えば思うほど、そこから心を引き剥がせなくなる。
 花京院の思う壺だ。そう思って、また舌を打った。
 またどうせ、ろくでもない遊びを仕掛けられるのだ。
 それにただ付き合ってやっているだけだというポーズなど、いつ崩れてもおかしくはないとわかっているくせに、その承太郎の強情さこそ、花京院を欲情させるのだとはまだ思いつけずに、そのろくでもない遊びを心待ちにしている自分から必死で心をそらして、胸の辺りをかばいながら、承太郎は濡れたタオルを手にロッカールームの方へ戻って行った。 


* ブンタロスさま宅絵チャにて即興。

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