また明日

 空条家には、ひと足早く春が来ていた。
 半年の長いツアーを終えて、やっと貞夫が帰って来て、おかげで家の中ではのべつまくなし、場所を問わず、ホリィと貞夫が手を繋いでいたり肩を抱き寄せ合っていたり、高校生のひとり息子にもその友人にも、極めて目に毒な状況だった。
 「ウチは単なる同居人みたいな感じだから、ちょっと羨ましいな。」
 花京院が正直にそう言うと、承太郎は忌々しげに帽子のつばを引き下げて、
 「じゃあてめーがここん家の息子になるか。」
 「・・・それはごめんこうむる。」
 愛情あふれるホリィと博愛主義の貞夫は、ふたりの愛のお裾分けを、高校生ふたりにも向けてくれるのが、ありがたくもあり迷惑でもあった。
 男同士だろうと、挨拶で抱きしめ合うくらいはごく普通と言われても、ここは恋人同士が並んで歩くのさえはばかられる日本だから、花京院はできるだけ礼儀正しく貞夫流の挨拶を拒み、確かジョセフにも同じようなことを言われたなと、旅の間のことを思い出したりもした。
 「貞夫さんとジョースターさんは仲が悪いそうだが、似た者同士だからじゃないのか。」
 承太郎の背後に、ゴゴゴゴゴと擬音が浮かんだのを見た時には少しばかり遅かった。
 「・・・花京院、命が惜しかったら、ジジイやクソ親父の前で絶対にそのことは言うんじゃねえ。」
 眉間に指先を突きつけられて、世界を救ったスタンド使いにも、触れられたくない弱点はあるのだなと花京院は思う。
 今日はホリィがチョコレートケーキを焼いて、もうほとんど家族同然の扱いの花京院も含めて、気さくに全員で台所でテーブルにつき、大皿に載って出されたケーキは、それは見事なハート型だった。
 見た途端に、承太郎がやれやれだぜと小さくぼやく。
 花京院のためには、さくらんぼが別の皿に盛られ、貞夫が適当に切って差し出すケーキは、酒が入っているわけでもないのに、すでに酔っ払いそうに甘く匂う。
 花京院は行儀良くケーキをつつき、甘いものは決して嫌いではない承太郎は、感謝も敬意もわざと置き忘れたように乱暴にケーキを切り崩し、味わう間もないようにがつがつ口に運んでいる。
 ふたりの向かいに座ったホリィと貞夫は、互いのフォークに刺した小さな塊まりを互いに差し出し合って、あーんだのおいしいだの、語尾に、ケーキよりも甘そうなハートマークを飛ばし合っている。
 花京院はさりげなくふたりからは視線を外して、せっせとケーキを片付けながら、その合間にさくらんぼに集中していた。
 愛し合っている夫婦とか恋人と言うのは、こういう振る舞いをするものなのかと、映画や小説の中でさえ、こんな風に幸せそうな組み合わせは見たことがないなあと、そんなことを考えている。
 最後のさくらんぼを口の中に放り込み、名残り惜しげにタネを舌の上にころころと転がして、空腹が砂糖でなだめられると、世界に対して寛大になれるのが人と言うもので、花京院も例に漏れず、やっと少しばかり余裕を持ってホリィと貞夫を眺め始めたところだった。
 そう言えば、ウチの両親は並んでるところさえ滅多に見ないなあ。
 ホリィと貞夫が普通ではないのだと重々承知で、それでも、こんなに仲の良い両親を眺めていられると言うのは息子としては幸せではないかと、ちらりと承太郎の方を見やる。
 砂糖は、承太郎の苛立ちを促進するだけらしく、今では皿を割りそうな勢いで、フォークをきーきーと表面に滑らせていた。
 そうして、花京院が承太郎から、またホリィたちに視線を戻そうとした瞬間、花京院の視線が外れていることに油断した──多分、そんなことを気にする貞夫ではない──のか、貞夫がホリィを抱き寄せて、頬の、ほとんど唇の端へ、短くはあったけれど情熱的な接吻を素早く落とした。
 さすがにホリィが頬を赤らめ、けれどそれよりもっと早く、承太郎が手にしていたフォークをがしゃんと皿の上に落とす。
 ホリィより少し遅れて、視界の端にその光景を見てしまった花京院は首筋まで真っ赤に染めて、承太郎とホリィを交互に見ながら、どこへ視線を収めればいいのか延々と迷っていた。
 「このクソ親父、いい加減にしやがれ! イチャつくんならふたりの時にやりやがれ!」
 「おまえがいるとふたりになれないじゃないか。」
 貞夫が平然と言い返す。
 「あ、典明くんはずっといてくれてもいいんだよ。」
 ホリィの肩はその間ずっと抱き寄せたまま、にっこりと貞夫が付け加えた。
 元がハートの形だったと今はまったく分からない、切り取られてしまったケーキのように、空条家もこのまま跡形もなく崩壊してしまうのだろうかと、少しの間本気で花京院は考えていた。
 「焼きもちはみっともねえぞ承太郎。悔しかったら、おまえも早く自分のBetter halfにこうしてもらえ。」
 承太郎と同じような、年頃には似合わない砕けた口調になると、貞夫はまたホリィの頬にキスをして、今度は長々と唇を外さずに、ホリィも頬を赤らめながらも、貞夫の腕を抱き寄せるようにして、今ケーキに塗りたくられた湯煎したチョコレートのように、とろけそうに幸せに見えた。
 「明日があるかわかんねえのに、今日伝え損ねて後悔するのは自分だろうが。愛してるなら愛してるって、今日のうちに充分伝えとけ。オレの言ってることがわかんねえなら指くわえて黙ってろこのクソガキ。」
 言葉の調子だけ聞いていれば、充分深刻な親子ゲンカだったけれど、貞夫のこれは、承太郎のレベルへきちんと視線を落とした、親として正当な態度だった。
 それを知っているホリィは、相変わらずとろけそうに幸せな表情のままだったし、花京院は仲裁には入らずに、事の成り行きを黙って見守っている。承太郎は、口は悪くても内容は真っ当な貞夫の言い分に、結局は言い返せないまま、テーブルの上で握り締めていた手をゆるめ、残っていたケーキを、大皿ごと自分の前に引き寄せ、無言で花京院の前にも差し出した。
 愛の語らいを再開した夫婦の前で、承太郎と花京院は、ケーキの残りをふたりでつつき続けた。


 ホリィのケーキですっかり満腹になってしまった花京院は、夕食の誘いを丁重に辞退して、承太郎が近くまで送ると言うのに、ふたりで一緒に空条宅を出た。
 花京院が去る時もまた、ホリィと貞夫は玄関まで肩を寄せ合って見送りに出て来て、ふたりが門を出るまでそこに立ったままでいた。
 花京院の家の方へ向かう角へ来ても承太郎は足を止めず、
 「もうここまででいい。」
 花京院が言っても、
 「念願のふたりきりだ、堪能しやがれ。」
 忌々しげに歯を剥き出すだけで、一向に足を止めようとしない。
 「ウチについたら上がって行くかい? お茶くらいなら出せるが。」
 承太郎は肩を揺すっただけで特には答えなかった。
 この承太郎とまともに親子をやろうと思ったら、貞夫のようになるしかないのだろう。そもそも、あのホリィと貞夫の息子だからこそ、承太郎がこうなったのだと思えば、このふたりは確かに似た者親子だ。
 ジョセフと一緒の時はジョースターの血を濃く感じて、貞夫と並べて見れば、確かに空条の人間だと思う。血の繋がりと言うのは不思議なものだと、あまり両親に似ていると思ったことのない自分のことを、花京院はふと考えた。
 特に仲睦まじい──ホリィと貞夫は大いなる例外としても──と思ったこともない花京院の両親も、家族で旅行にでも出掛ければ、並んで歩くふたりの後ろを、花京院がひとりでついてゆくという図になる。数多く言葉を交わすわけでもなく、ただ寄り添っているだけでも、何となく間には入れないような空気があって、これが結婚した夫婦と言うものかと、まだ恋愛の機微など、字面で読んで理解するだけで、実感として自分の中に存在などしたこともない花京院は、そういう時にはいつも、遅れてついてゆく2歩分よりももっと遠く、両親への距離を感じた。
 家族とは言っても、一心同体であるわけではなく、スタンドのせいであれ花京院自身の性格のせいであれ、どこか心の深いところに根ざした孤独を花京院自身はどうすることもできず、あの旅を経て、ようやくその孤独を敵ではなく何か友のようなものと受け入れられるようになって初めて、幸せそうな自分以外の人たちの姿を、妬みなく眺められるようになった。そうして、ひとりきりだと思い込んでいた自分が、どれほどその人たちから大事にされ、常に気に掛けられているのか、自分が死んでも何も変わらないだろうと思っていたのに、半死半生で旅から帰った花京院を、両親は半狂乱で迎えて、生きてさえいてくれればいいと、ベッドから起き上がることさえできなかった間、花京院の耳元でつぶやき続けていた。
 優等生であるとか、勉強ができるとか、手が掛からない子だからとか、そういう理由ではなく、自分は両親にきちんと愛されていたのだと、生まれて初めて花京院は気づいた。スタンドの存在の理解できない彼らではあっても、スタンドの存在が花京院のせいではない──厳密には、花京院自身が原因ではあるけれど──のと同じほど、それも彼らのせいではなかった。
 ああなんだ、そうだったのか。傷の痛みで微笑むことさえできなかったけれど、花京院は大声で笑い出したい気分だった。
 痛み止めで常にうつらうつらしながら、両親が代わる代わる自分の手を握っているのに、できる時には握り返し、そして時々、その手は承太郎のそれに代わる。大きな、指の長い手。両親の握り方とは少し違う、すべての指を絡めるようなそのやり方に、何よりも励まされたのだと、承太郎に伝えたことはない。
 明日があるとは限らないから、大事なことは今日伝えておくべきだ。大事な人に、大事なことは、きちんとその場で伝えるべきだ。貞夫が言ったのはそういうことだと、自分なりに解釈しながら、いつの間にかついてしまった自分の家の前で足を止め、花京院は隣りの承太郎へ体を向ける。
 「どうする、上がって行くかい?」
 明かりは点いていない玄関の方へあごを向けながら、ちょっと茶化すように花京院はまた訊いた。
 承太郎は、ふっくらと形のいい唇をとがらせて、両手をズボンのポケットに入れて肩をいからせ、たっぷり10秒ほど黙り込んだ後で、やっぱりゆっくりと首を振った。
 そうか、と言って、けれどまだ家の中へは入らず、よくある住宅街の真ん中、まばらな街灯が点くには、まだもう少し間がある。それでももう、充分薄暗かった。
 家には上がらないと言うくせに、承太郎も何となく立ち去り難いように、そこへ立ったままの花京院へ付き合って、煙草でも喫いたそうに唇に指先を押し当てる。
 「承太郎。」
 辺りをはばかるように、知らずに声が低まった。応えて、承太郎が下目に花京院を見た。
 「じゃあ、また明日。」
 別れの挨拶とちぐはぐに、花京院は承太郎を見上げたまま一向に動かず、何か別れを惜しんでいるような気になって、承太郎もまたここから去れずにいた。
 家に帰りたくないのか、花京院と別れがたいのか、どちらか自分でもわからないまま、それでも貞夫が言った、明日が来るかどうかわからないという言葉が、胸のどこかにちくりと刺さったままであることだけは確かだった。
 花京院が、あれをそれなりに深刻に受け取ったと同じに、承太郎にも思うところはあって、そして貞夫があんなことをわざわざ言ったのにはきちんと訳があるとわかっているからこそ、承太郎は今花京院の目の前から去り難く、明日があるとは限らないと、17で思い知る羽目になってしまったふたりは、まだ幼い心のまま純粋に、貞夫の言葉を自分なりに受け止めていた。
 「ああ、また明日な。」
 花京院が、承太郎の肩越しに、向こうをちらりと見て、それから、自分の後ろを振り返った。どの家も夕食時のこの時間、人通りはない。家々からもれる明かりはあっても、ふたりのいる道は人の形が分かるだけに薄暗かった。
 花京院は、爪先をきっかり15cmほど承太郎の方へ滑らせ、それから、かかとを上げて伸び上がった。
 承太郎の帽子のつばを、自分の頭を押し上げるようにしながら、やっと届いたのは頬の半ばだったけれど、それでも、きちんと唇が触れた。
 「お休み承太郎。また明日。」
 承太郎の頬が真っ赤になったのは、暗さのせいで見えない振りができた。
 ただの挨拶だ。貞夫によれば、男同士でだって、この程度は普通だ。それでも、大事な人にだけする、特別な挨拶のはずだった。
 背を向けて、手を振る。承太郎はまだそこに立って、玄関へ入ろうとする花京院の背中を見ている。花京院の唇の触れた頬に指先を当てて、やっと普通の表情を取り戻すと、
 「おう。また明日な。」
 いつもの声が追って来た。
 鍵を取り出してドアを開ける間に、ゆっくりと承太郎の足音が立ち去ってゆく。
 明日また、いつものように学校で会えるだろう。今日と同じようで、少し違う明日。明日は、病院で手を握っていてくれたのがうれしかったと、きちんと言ってみようかと、花京院は思う。
 ホリィのケーキの甘さを思い出しながら、滑り込んだ玄関で、後ろ向きにドアを閉めようとした時、外の街灯がひとつずつ灯り始めた。承太郎の足音は聞こえなくなっていたけれど、その穏やかな明かりに照らされながら家へ帰る承太郎の背中は鮮やかに目の前に浮かんで、花京院はその背に向かって、もう一度、また明日、と小さく呟いた。

☆ KISS×JOJO企画@PXV参加。
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