Sleepless



 眠るのがこわいんだと、花京院が暗い声で言う。
 二度と目覚めないような気がする。そう思ったら、もう眠れないんだ。
 承太郎の首にしがみついて来ながら、近頃不眠気味だと、そんな話の流れから、花京院が秘密を打ち明けるように、承太郎に言った。
 乾いた頬の辺りがそそけ立って、目つきがきついのはそのせいだったのかと、あまり深刻には受け取らないようにしながら、花京院を抱き返して、承太郎はあやすようにその髪を撫でてやる。
 珍しく、今すぐ抱いてくれという仕草で、承太郎のシャツの下に、手を這わせてくる。止めもせずに、花京院が自分の上にのしかかってくるのを受け止めて、普段の花京院を見習うように、ゆっくりと制服のボタンを外し始めた。
 襟のホックが、ぱちんと音を立てて開くと、もう血の色の上がった首筋が見えて、けれど乾いて感じられる皮膚に、あまり健康的ではないものを感じながら、承太郎はそこから指先を差し込んで行った。
 眠れないんだ。
 花京院が、承太郎に顔を近づけて、浮かされたようにまた言った。
 上着を脱がしている承太郎の手の動きを手伝うために、肩を揺すりながら唇を重ねてくる。肩から手を滑らせて、制服の襟を背中の方へ落とす。そうして、盛り上がった肩甲骨が、いつもよりも尖っているような気がして、承太郎はそこで一度手を止めた。
 先を急ぐように、むやみに舌を差し入れてくる。承太郎は、開いた唇の中で、花京院の好きにさせながら、少し落ち着けと、腰の辺りを穏やかな手つきで撫でた。
 承太郎の腹をまたいでいる花京院は、承太郎が自分と同じほど急には切羽詰らないのに、焦れたように腰を揺する。何かに追われているような、どこか怯えているように見える花京院の表情に、承太郎は、今は不安を面には出さずに、ただ花京院を抱きしめてやる。
 胸や腹をすりつけるように、何だか動物めいた仕草で、唇をこすり合わせて呼吸を交わす。唇が外れるたびに、まるで確かめるように、花京院が承太郎の名を呼んだ。
 めくれ上がった白いシャツの下に、指先を差し入れて、そこから背中を撫でてやる。ここにちゃんといると、そう伝えるために、花京院に触れる。
 花京院は、自分でシャツのボタンを外し始めた。
 承太郎の手を取って、みぞおちの辺りに導こうとする。全部はまだ外しきらないボタンで、かろうじて体に引っ掛かったシャツが、乱れて、赤くまだらにそまった膚を覆って、見せる。
 承太郎は、取られた手で、花京院の腹の辺りにさわった。
 不自然に引き伸ばされたそこだけ薄い皮膚が、少し光って見える。承太郎の広げた掌よりも大きなその痕は、傷のむごさを表しているくせに、奇妙に艶 (あで)やかだ。
 その傷跡を見るたびに、その薄い皮膚を押し破って、指先を埋めてしまいたい気分になる。肉と血の温かさをじかに感じて、いっそそこに繋ぎ止められたいと、承太郎はけれど口にしたことはない。
 花京院が、あえぎ続けている。濡れた唇を押しつけてきて、そうして、承太郎の首筋や胸元に、熱い舌を滑らせている。
 花京院を抱いたまま、ようやく体を起こして、承太郎は裸になろうとした。
 もっと近く、体を寄せるためにそうしようとしているのに、承太郎がそうする間に、少しでも膚のぬくもりが遠のくのをいやがって、花京院はかえって承太郎の邪魔をするように、首や肩にしがみついてくる。
 もたもたとシャツを首から抜いて、ズボンのベルトを片手で外した。それから、体の位置を入れ替えて、押さえつけるように花京院を自分の下に敷き込むと、今度は花京院を裸にしようと、ズボンの前に手を伸ばす。
 不様に、手足をあちこちに曲げたり伸ばしたりしながら、ようやくふたりとも下肢を剥き出しにして、やっと親密に触れ合えたことに安堵したように、ほんの一瞬、穏やかに抱き合った。
 ひとりで眠るのがこわいんだ。ひとりはいやなんだ。
 承太郎を抱き寄せた耳元で、花京院がつぶやく。屈託だらけの声音に、承太郎はちょっと背中をぞくっと震わせて、花京院をなだめるために、額と頬に唇を押し当てた。
 ようやくボタンを全部外した花京院のシャツは、けれど袖の小さなボタンを、承太郎が外せず、花京院はそんなことには気づきもしないふうで、全部脱がせようとした手を、承太郎はあきらめてそこで止めた。
 腕や腹の辺りに絡んだシャツの白さのせいで、花京院の血の色がやけに目立つ胸の辺りに、承太郎はゆっくりと唇を落とす。
 下腹から腿に向かって手を這わせると、目の前で花京院の喉が反った。
 何度も何度も接吻を繰り返して、互いの手を導いて、触れて、花京院がむやみに先を急ごうとするのを、承太郎は穏やかに押しとどめる。
 眠れないと繰り返す花京院が、今求めているものが何なのか、ようやく合点が行きながら、けれど承太郎は、花京院を傷つけないために、いつもの手順を省くことはしない。
 眠れない。眠りたい。けれどひとりでは眠りたくない。眠るのがこわい。二度と目覚めないかもしれないから。
 だから、そばにいてほしい。ひとりではないと、きちんと感じたい。ひとりではないと思える、いちばん手っ取り早い方法で。そして、果ててしまった後の、真空のような感覚を満たす、全身が溶けるような疲労感、それが確実に眠りを誘うから、そのために、触れ合いたい。触れてほしい。
 思わずぞっとするほど淫蕩な表情が、眼下にあった。
 泣きそうなほど潤んだ瞳に、一体自分が映っているのかどうか、承太郎はわからずに、ひとりで傷つく。仕返しに、花京院を少し手荒に扱いたくなって、埋め込んでいた指の数を、何の前触れもなく増やす。
 痛みの勝った感覚に、花京院がうめいて、けれど大きく開いた脚はそのままで、むしろ誘うように、承太郎を下から見上げる。
 承太郎と、また呼ばれて、中で開いていた指をいきなり外すと、そのまま無言で押し入った。
 悲鳴が、花京院の反った喉で尖る。
 むやみに揺すり上げて、痛めつけるように、抱いた。
 承太郎の腕に指先を食い込ませて、花京院が上がる声を耐えるように、歯を食い縛っている。
 開いた両脚の間で触れる熱を写したように、乾いた唇を、濡れた舌先が舐めたのが見えた。
 承太郎は、花京院の腹の傷跡に、また触れた。
 皮膚と肉を破って、拳が突き抜けた痕を見下ろして、今ひたっている花京院の熱と、その傷から流れた血の温かさはきっと同じだろうと、もっともっと深く花京院の内側に入り込みたくて、限界まで開いた花京院の膝を、もっと力を込めて押さえつける。
 苦痛を示す表情を浮かべているくせに、躯は承太郎を際限なく誘っていて、短い呼吸に合わせて、承太郎の暴走を煽っていた。
 肩や腕に引っ掛かっているシャツが、そこだけひどく普通に見えて、そのせいで、今は花京院が、際立って淫らに、承太郎の目には映る。
 承太郎の動きに合わせて、ふらふらと揺れている花京院の爪先には、さっき脱がせそこねた靴下が、だらりと半分足首からずれて、垂れ下がっていた。
 こんなふうに、みっともなく抱き合っているのがひどく淫猥で、醜悪に絡み合って抱き合うのが親密ということなのかと、承太郎は少しばかり感嘆する。
 自分が一体今どんな姿でいるのか、気づきもしない様子で、花京院は触れた承太郎の掌の中に、短く叫んで白く吐き出した。
 花京院を最後まで追い立てながら、もう耐えることも忘れて放つ声をそそのかすと、濡れて汚れた掌を、花京院の腹の傷跡で拭う。穢しているのだと意地悪く思いながら、そんな幼稚な行為にひどく欲情して、承太郎は、花京院の最奥に果てていた。
 重なった熱を塗り広げるように、まだ躯は繋げたまま、花京院が承太郎を抱き寄せる。胸を反らすようにしながら、湿った接吻を交わして、余韻を長引かせるために、まだ荒い呼吸をおさめもせずに、続きをねだるように、絡めた舌をうごめかす。
 べたつく膚が、うまく滑らずに、そこで引き攣れた。
 眠い。花京院がつぶやいた。
 鼻先をこすり合わせながら、ゆっくりと躯を引く。外れた熱が、けれどまだ充分に熱い。
 寝ろ。承太郎が、唇に触れかけながら言った。
 起こしてくれ。すぐに起きる。少しすがるような声で、花京院が言った。
 起こしてやるから寝ろ。子どもに言い聞かせるように、承太郎が言った。
 承太郎から腕を外して、目を閉じる花京院の膚から、次第に赤みが消えてゆく。つくろいもしない、汚れたまま眠りに落ちる花京院の体を、承太郎は自分の制服の上着で軽く覆ってやった。
 ほんとうに、死んだように眠ってしまった花京院のかたわらで、その寝顔を見守る以外にすることもなく、拭ったように不安の色の消えた、少しやわらいだ花京院の頬の線を視線でたどって、承太郎は煙草を喫いたい時に必ずそうする癖で、自分の唇に触れている。
 済んでしまえば、正気に返って、自分の姿のみっともなさが目についてくる。承太郎は、花京院の上着を取り上げると、肩に羽織って自分の膝を抱き寄せた。
 首の太さも、肩の広さも、腕の長さも合わない上着は、肩に掛けるより他なく、そうして、花京院に抱きしめられているような気分になって、承太郎は目を細める。
 ふと視線を流した床の上で、広げた承太郎の上着の長い裾に、花京院の爪先から脱げかけた靴下がくたりとたるんで、それを死体のようだと思った。思って、それを後悔した。
 切れそうに硬い花京院の上着の襟にあごを乗せ、それから、肩の方へ鼻先を埋めた。煙草の煙の代わりに、そこに染みついているように思える花京院の匂いを、承太郎は胸いっぱいに吸い込んだ。


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