自然発生

 慣れた手つきで互いを扱う。舐め合って触り合って、そうして散々お互いを味わった後で、抱き合う腕を一度ほどいて、いつもそうするように姿勢を変える。
 承太郎がそうしやすいように、足を開いて、その間に承太郎が這い寄って来る。
 ふと、正気に引き戻される瞬間、躯を繋げるために、わずかの間、触れ合ってはいない躯の間に、冷たい空気が滑り込んで来る。
 承太郎は、そうする時に、いつもことさら怒ったように唇を引き結んで、その間をごまかすように、花京院をにらみつけるような表情をする。花京院が、じっと承太郎を見つめているからだ。
 抱き合えば、躯がひどく近寄って、ゆっくり眺めることなどできないから、こんな時には、承太郎をずっと、観察するように見つめていたい。肩や腕が動いて、それが胸や腹の筋肉を動かす様を、よく憶えておくために、花京院はじっと見つめている。
 自分に触れる、承太郎の躯だ。自分が抱きしめる、承太郎の体だ。
 正座から少し立ち上がりかけたような姿勢で、承太郎がそこにいる。自分の体の大きさに合わせて、花京院の体を整えるように、花京院の膝に手を掛けて、これからすることのために、敏感に張りつめた皮膚を、奥深く親密に重ね合わせる。
 躯を繋げようとする時のこの姿勢を、正直なところ不様で滑稽だと思いながら、ひっくり返された蛙のように手足を開いて全身を平たくし、少しでも承太郎がそうしやすいように、少しでも自分が楽なように、花京院は下目に、承太郎の大きな手に整えられる自分の体を眺めている。
 開いた膝の内側が、承太郎の脇腹の辺りをこする。肋骨の下から、急に削げたように腰の骨へ向かって落ちる体の線。その皮膚の線の下に感じるのは筋肉ばかりで、いくら花京院が膝の間に締めつけようとしても、軽々と跳ね返されるだけだ。
 いくらこすり合わせても重ね合わせても、絶対に混ざり合うことのない体だけれど、親密な触れ合い方はできる。これ以上ないほどに躯を寄せて、文字通り躯を繋げて、傷つきやすさを触れ合わせて、そうして、自分の一部を互いに受け渡し合う。
 できることなら、皮膚を溶かして、細胞のレベルで繋がり合いたかった。ふたりは、口に出さずに同じことを思いながら、そうやって抱き合っている。
 重なる胸、こすれる肩口、背中を反らせて、花京院は内側でも承太郎に応えながら、シーツに落としかけた踵で、承太郎のくるぶしの辺りを探る。身長と姿勢のせいで足の位置が違い、それは案外と面倒な作業だった。それでも、そこを探り当ててから、爪先で承太郎の足裏に触れ、自分たちの躯が重なっているのと同じように、足裏もぴったりと重ねようとした。
 決して小さくはない花京院の足も、承太郎の大きさには敵わない。脱いだ靴を並べれば一目瞭然だ。ふたりの靴は今、花京院のそれは確かバスルーム近くの床の壁際にきちんと揃えられ、承太郎のはさっき蹴り飛ばすように脱ぎ捨てたのが、ごろんとどこかに転がっているはずだ。
 ふたりが脱いで放った服も、同じように床に散乱している。
 靴や服の乱れ様以上に、ふたりの裸の手足がより複雑に絡まり、毛布の下にもぐれば、きっと傍目にはひと塊まりの、何かうごめくものに見えるだろう。
 胸や肩や脚の間が汗で湿る。花京院は承太郎の背中を両腕で抱いて、泳ぐようななめらかさで、腰の方へ片腕だけを滑らせた。
 背中から落ちてゆく線の終わり頃は、明らかに日本人ではない様子に窪み、どこも肉厚に見える承太郎の体で唯一、服の上からでも薄くほっそりと見える腰回りは、添えれば花京院の両腕がぴたりと収まった。
 花京院のそこには、承太郎の片腕がきれいに収まる。
 抱き合う間、たいていはふたりとも無言のまま、息の深さや湿り具合にだけ耳をすませて、後は躯同士が勝手に語り合うのに、背骨の奥のどこかが聞き耳を立てて、何もかもを聞き逃すまいとする反応に、自分の手際をこっそり評価している。
 自分のやり方にうぬぼれるのは簡単だったけれど、正確なところは一体どうなのかと、それは触れている躯の反応に尋ねるしかない。
 だから、夢中になりながら、聞き耳を立てるのを忘れない。
 好きだと言うのは簡単だった。それを認める方が、ずっと時間が掛かった。好きだと言った先で、互いに腕を伸ばし合うのに、またふたり一緒にためらった。どうしたらいいかと、互いの瞳に表情が浮かんで、それでも、触れ合うことを止められなかったのは、ひととしての本能だったのかもと、ちらりと花京院は思う。
 好きだと思う気持ちをほんものと信じるなら、その対象が誰であれ何であれ、恥じる必要はない。人目を憚る必要はあっても、恥じ入る必要はない。
 そうだろう、承太郎。
 抱き寄せながら、花京院は、胸の内でだけひとりごちる。
 少しばかり無理矢理、躯を繋げる。そういう風にできているわけではない躯を開いて、花京院は承太郎を受け入れて、承太郎は、花京院と躯を繋げながら、一体何を考えているのか一向に表情には出さず、誰が見てもいとおしさばかりのあふれる濃い深緑の視線を、花京院に向かって注ぐだけだ。
 脚が絡む。汗が混じる。体温と呼吸が重なって、そうして、躯の内側で熱を混ぜて、花京院は躯の内側の、不可侵の場所を明け渡し、承太郎は、そこへ入り込んでひと時仮死の状態に陥ることを、一瞬も迷わない。
 呼吸が激しさを増す頃、承太郎は、不意に花京院から体を持ち上げた。合わせていた胸が遠ざかり、けれど下肢は相変わらず絡め合ったまま、承太郎は、腕の長さ分の距離で、花京院を見下ろす。
 どこかへ連れ去られそうになっている花京院は、承太郎の肩や二の腕に手を掛けて、けれど自分をじっと見下ろしている承太郎に気づきもしない様子で、喉を小刻みに反らしては、息継ぎのためか、苦しそうに何度も唇を開いていた。
 首を振り、肩が揺れ、みぞおちの辺りがねじれる。浅く速い呼吸のせいで波打つ腹筋──それだけのせいではない──に視線を当て、承太郎は、まるで体を突き通しそうな熱心さで、花京院を見下ろしている。
 承太郎が動くたび、花京院の背が反る。そのたび、皮膚が伸び、骨と筋肉の形をあらわにし、それが、花京院の躯の内側を想像させる。筋肉の下に走る、無数の血管、骨に巻かれ、守られている内臓、血の流れに合わせて力強く動く、花京院の内側のすべて。それを眼下に眺めながら同時に、承太郎は自分の皮膚の上にも感じている。
 花京院の体が、本人の意思に関わらず動いて生み出すその陰影を、承太郎はいとおしいと思う。できることなら、ずっと眺め続けていたいと、いつも思う。
 決して美しいとも思えないひとの体が、こんな絡み方をしていて、なのに滑稽さすら含めて、今はいとおしさしか湧かない。
 何もかも全部、おれのだ。そう思うよりも先に、誰のものとも見極めがつきがたいほど、ひとつに混じり合ってしまいたかった。皮膚を繋ぐだけでも、血管を繋ぐだけでも足りずに、ほんとうに、ふたりで一緒に、何か以前ひとだったらしいもの、ただ肌色にうごめくひと塊まり、そんなものになってしまいたかった。
 1枚になった皮膚の中で、ひとつになってしまった心臓が動いている。そこへ入り出てゆく血管も1本ずつだ。それは、元は花京院のものであり、承太郎のものだった、そんなものだ。
 誰でもない、承太郎でも花京院でもない、元はふたりだった、何かひとつのもの。
 そこへ行き果てることはないと知っているから、承太郎はこうして、花京院の熱の内側へひたり込む。ひたり込みながら、自分ではない花京院を、じっと見下ろしている。
 自分ではない皮膚が伸び縮み、骨が動き、内臓が揺さぶられている。それがすべて、花京院だ。
 承太郎は、観念したようにまた体を倒し、花京院にしがみついた。自分がこれから連れ去られるところへ、ひとりで行かずにすむように、花京院の首に片腕を回し、絞め殺しそうな強さで、その輪を縮めた。
 汗の浮いた頬が重なり、頬骨の当たる固い音が、ふたりの耳の奥へ、同時に響く。
 そうして、ふたりは気づかないけれど、前髪が混ざり合い、かすかに色の違うそれが、まるでひと房の髪の束のように、揺れるふたりの躯になぞ知らん振りをして、きれいにまとまっている。
 一緒に吐く息よりも、一緒に上がる体温よりも、もっとわかりやすく、そこでふたりが交じり合っている。絡み合い、離れようにもしっかりと結びついて、そんな風に、ふたりの髪が混じり合っている。
 知らぬ間に生まれた親密さには気づかないまま、ふたりは、互いの呼吸を盗むために、最後に一度唇を重ねようとした。
 絡んで小さな結び目になった髪が、引っ張られて小さな痛みを生む。その痛みに、思わず顔をしかめた承太郎に、花京院が下から微笑みかける。微笑むその唇は、承太郎の呼吸に湿って、かすかに光っている。

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