陽だまり



 寒い日は、ココアに限る。
 花京院は、大きなマグに満たした、湯気の立つココアをすすりながら、窓際の陽だまりを楽しんでいる。
 ココアを、少量の湯で溶いて、ひたすら練る。腕が痛くなるまで、練る。それから、温めたミルクを注いで、よくかきまぜて、砂糖を少し、甘くなりすぎないように気をつけながら入れて、何度も味を確かめて、今日のココアは会心の出来だった。
 花京院は、そのココアをひとりで、心ゆくまで楽しんでいる。
 窓際の陽だまりは、この時間にはちょうどひとり分の大きさで、薄い雲のかかった、青い空を見上げて、たまに鳥が数羽一緒に、ぴちぴちとさえずりながら飛んでゆく。
 のどかで平和で、ぽかぽかと暖かくて、花京院は、ひとり分の陽だまりに、膝を抱えて、ココアのマグを抱いて、うっとりと目を細めている。
 いっそ、ウォークマンで、お気に入りのアルバムでも丸々1枚分、自分で選んだ孤独にひたりきるという手もある。雑音を遮断して、何の気配も感じることなく、陽だまりの中にぬくぬくと、手足を縮めて、うまくできたココアを飲みながら、子どもっぽい気分に還ってみる。
 窓の外は寒いのかもしれなかったけれど、ここはとても暖かい。この暖かさをひとり占めしていることに、とても満足しながら、花京院は微笑みを浮かべている。
 ああいいなあと、思わず声に出していた。
 ずずっとわざと音を立てて、少しばかり行儀悪く、ココアをすする。そうすると、ココアがもっと美味しい気がして、茶色く染まった唇を、これもまた行儀悪く、ぺろりと舌先で舐める。
 カカオの苦味と、砂糖の甘味と、どうやったらこんなに完璧になるんだろうという、絶妙のバランスを自画自賛しながら、注いだミルクの温度もパーフェクトだったと、Fの発音で唇を軽く噛む。まったく、ご機嫌な午後だ。
 ご機嫌な陽だまりに、ご機嫌なココアに、ご機嫌な青い空に、ご機嫌な鳥の声に、ご機嫌な孤独、そして、ご機嫌な自分。
 今の自分はきっと、とても直視できないような、だらしなくゆるんだ顔をしているに違いないと、目の前に鏡のないことをありがたく思いながら、少しぬるくなったココアを、また音を立ててすする。
 最高、とひとりつぶやいたところで、後ろで騒々しい足音がした。
 大きな歩幅の、大きな人間が動く、大きな足音。花京院は、振り返らずに、肩を縮めた。
 何も入れないコーヒーの匂いが近づいてきて、背中のすぐ後ろに、誰かが立った気配がした。
 花京院はまだ振り返らずに、ひとりの陽だまりを守るように、背中を丸めて、肩に力を入れる。
 陽だまりの端っこに、裸足の爪先が滑り込んできた。
 「寄れ。」
 まるで犬でも追い払うような口調と態度で、その爪先が、花京院の腰を軽く蹴る。
 とても失礼だなあと思って、いっそう小さく肩を縮めた。
 僕の陽だまりだよ。僕が先だよ。僕だけでいっぱいだよ。
 ひとり分の小さな陽だまりを、必死に守るために、自分をつつく爪先を精一杯無視して、聞こえないふりをして、またずずっとココアを飲んだ。
 コーヒーの匂いが、また強くなる。
 不機嫌に、厚い唇を結んだ承太郎が、どしどし花京院の隣りに腰を下ろして、そして、陽だまりの中に、無理矢理入り込んでくる。
 承太郎の大きな体に押されて、花京院は、ほんの少し、陽だまりからはみ出した。
 僕の陽だまりなのに。僕が先なのに。僕だけでいっぱいなのに。
 花京院は、前方に視線を据えて、むっと、広くて薄い唇をへの字に曲げる。
 承太郎の方は、わざと見ない。
 承太郎は、ちらりと花京院を見た。
 高さの違う肩が、触れている。腕も触れている。肘も、爪先も、脚も、膝も、触れて、陽だまりからはみ出した分の、欠けたぬくもりを補うように、触れた皮膚が、暖かい。
 けれど花京院は、それとこれは別だと、まだ承太郎を無視する。
 そのうち、承太郎の右手がコーヒーのカップから離れ、花京院の左手がココアのマグから離れて、手の甲がまず重なって、それから、小指が絡んで、掌が重なった。
 承太郎が、完全に顔を花京院の方へ向けた。それでも花京院は、承太郎を見ない。
 花京院のココアのマグは、空になっている。
 この陽だまりに、ふたりは無理だ。誰かが入ってきたら、誰かが去らなければならない。
 ちぇっと、花京院は、珍しく音を立てて舌打ちをする。
 僕の番は終わりだ。君の番だ。僕は去る。君は入る。
 ご機嫌なぬくぬくは終わって、ひとり分の暖かな孤独を終えて、君にそれを譲って、陽だまりに丸くなる、君の大きな背中を眺めることを楽しもう。それが、ひとり分の陽だまりの孤独を楽しむほどには、楽しめないのだとしても。
 花京院は、空になったマグの中を眺めて、空をまた見上げて、別れをたっぷりと惜しんでから、陽だまりから去るために、腰を上げようとした。
 承太郎が、重なっていた花京院の左手を引いて、それを止めた。
 手が離れて、立ち上がったのは承太郎で、ちらりと見えたコーヒーのマグは、まだ半分ほど中身が入っていたから、お代わりのために立ち上がったわけではないのだと、わかる。
 どうするのだろう、陽だまりをあきらめたのかと、そう思っていたら、花京院のすぐ後ろに、承太郎が坐り込んだ。
 いつも持て余しているような、長い脚を開いて、その間に花京院を抱き込んで、大きな胸に、花京院の背中を抱いて、承太郎の長い脚の先は、陽だまりからはみ出していたけれど、花京院の体は、まだ陽だまりの中にあった。
 触れ合った部分が大きくなって、ぬくもりが増えて、陽だまりはまだ花京院のもので、けれど承太郎もその中にいて、花京院は、また膝を立てて、胸の前の承太郎の腕を、しっかりと抱え込む。
 ひとり分の陽だまりは、ふたりには窮屈だったけれど、こんな窮屈なら悪くないと、承太郎の腕に、ごしごしあごをすりつける。
 陽だまりにぬくもった花京院を抱いて、承太郎もぬくぬくと、コーヒーを楽しんでいる。
 花京院の会心の出来のココアは、もうとっくに空だ。けれど承太郎の体温が、2杯目の代わりだった。
 ひとり分の陽だまりに、ふたりはくっつけた体を押し込んで、足りない分は、互いの体温で埋め合わせて、何も言わない代わりに、くつくつ幼稚な笑いを分け合って、承太郎のコーヒーも、じきに空になった。
 ゆっくりと、位置と形を変えてゆく陽だまりに、自分たちの体を添わせて、いつのまにか、ふたりは床に頭を並べて、くすくす笑いを互いの唇の中に響かせながら、陽だまりからあふれるぬくもりよりも、もっともっと熱く、手足を絡め合っていた。
 陽だまりの中に溶けて、どちらがどちらともわからないふたりは、中途半端に脱いだ服が手足にまといつくのをもどかしがりながら、薄暗くなる部屋の中で、陽だまりがなくなってしまっていることにすら、気づかない。


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