Sweets



 屋上に行かないかと、誘ったのは花京院だった。
 あまり人の気配のないところへ行きたくて、教室のある校舎の最上階、そのさらに上へ、揃って授業をさぼった午後遅くだった。
 花京院は体育、承太郎は英語の時間で、幸いに屋上へ出ても、ここからは中庭までしか見えず、恐らくグラウンドで授業中の花京院のクラスメートに、ここにいる姿を見咎められる心配はない。
 風のあまり当たらない辺りを選んで、ふたり肩を並べて坐り込む。屋上のコンクリートの床は、1日中陽に照らされて、充分に暖かかった。
 膝を伸ばして足を投げ出し、そうして、腕を振り上げて、思い切り体を伸ばした。承太郎は少し眠そうな様子で、曲げた首をごきごきと鳴らしている。
 「このまま早退しちゃいたいなあ。」
 願望を口にすると、すかさず承太郎が賛成の意を唱えた。
 「するか? 風邪気味とでも何とでも言って---」
 「君と僕が揃って消えたら、すぐにサボりだってばれると思うよ。」
 一緒に消える相手が承太郎なら、教師どもは口をつぐんでしまうだろうにせよ。
 じきに卒業の時期がやって来る承太郎と違って、花京院には残念ながらもう1年残されている。承太郎が卒業した後で同じことをして、同じように見逃してもらえるとはとても思えず、今から、3年生になって進路を決める時に、あれこれ教師から嫌味を言われるだろうと、花京院が実は少しばかり心配しているのは、承太郎には内緒だ。
 そうなっても、よそゆきの笑顔と口調で、いくらでも言いくるめる自信はあるけれど、そんな教師の相手をひとりでしなければならない1年は、少しばかり憂鬱に思える。
 あまりにも長くて、短いこの1年だったから、承太郎が春には卒業してしまうのだという実感が、いまだに持てない。
 ここで残された時間は少ないのだと不意に実感すると、少々後でまずいことになっても、承太郎と一緒にできることは、なるべくやり残したくないなと、花京院は思った。
 「早退はまずいけど・・・こっそり抜け出して、何か買ってくるかい。」
 見た目通り、うたた寝しかけていたのか、話しかけた途端に承太郎のあごがぴくりと上がって、花京院の方に振り向いた。
 「腹が減ったか。」
 「そうでもないけど・・・でも、もう3時だからな。」
 花京院は、自分の腹を撫でて、その手を見下ろした。
 その仕草を見ていた承太郎が、いきなりごそごそと上着のポケットを探り始め、体をねじって腰を軽く持ち上げると、ズボンのポケットにまで手を突っ込み始める。
 「何探してるんだい。煙草かい?」
 「違う。煙草じゃねえ。」
 何だか、とても不貞腐れた声音で、承太郎が煙草という単語を発音したので、花京院はちょっと驚いて、落ち着きのない承太郎を眺めていた。
 「ほれ。」
 承太郎が握った拳を差し出して、何のことかわからずに花京院がきょろきょろすると、また承太郎がほれ、ともっと低い声で言う。
 「なんだい。」
 両手を揃えて出すと、その上で、承太郎が大きな握り拳を開いた。
 ばらばらと飛び出してくるのは、駄菓子みたいに見える、色鮮やかに包まれた、キャンディやラムネの類い。意外なことに驚いて、そして花京院は、自分ではあまり口にすることのない人工的な甘味の山に、ちょっと嬉しげに目を見開く。
 「やる。」
 両手からこぼれないように、胸元に引きつけながら、花京院は承太郎の方を見た。
 「どうしたんだいこれ、女の子にでももらったのかい。」
 女の子と言った途端に、承太郎が、帽子のつばの下から、刺すように睨んできた。
 花京院の掌から、ラムネの包みをひとつ取り上げると、包装を取ってぽいと口に放り込んで、いきなりかりかりと噛み砕く。そうしながら、包みはちゃんとポケットに収めて、そこらに投げ捨ててしまうようなことはしない。
 承太郎のそういうところがとても好きなのだと、花京院は掌のキャンディたちの出処のことを一瞬忘れて、思わず微笑んだ。
 「ウチに帰りゃ山ほどある。」
 きちんと答えているような答えていないような、また妙に不機嫌そうな口調でそう言うと、承太郎は帽子のつばを引き下げて、胸の前で腕を組んだ。
 承太郎の、妙に眠そうな様子と、やけに不機嫌な態度と、このキャンディたちの山と、花京院は考えた。そして、ここまで---屋上まで---来たのに、承太郎はライターすら取り出さない。結論は、簡単に出た。
 「・・・承太郎、君、もしかして、禁煙してるのかい。」
 つばの下で、またぎらりと承太郎の眼が光った。
 図星だ。
 そう言えば、昨日から、煙草の匂いが弱くなっていたような気がすると、今さら思い出して、いつまで続くか見ものだと思いながら、けれど承太郎なら案外すんなりとやり遂げてしまうかもしれないと、花京院は、承太郎の突然の決意に敬意を表するつもりで、ようやく掌からキャンディをひとつつまみ上げる。
 「どうしたんだいいきなり。まさか大学受験に不利だとか、君がそんなこと考えてるわけはないだろう。」
 掌いっぱいのキャンディたちを、すぐそばのコンクリートの上にそっと置いて、花京院は口の中で、甘い味をコロコロと転がしながら訊いた。
 「・・・大学で、わざわざ煙草喫う場所見つけるのも、めんどくせえからな。」
 学校という場所で煙草を喫うたびに、花京院が別の場所にいるのだと言うことを思い知るだろうことが、案外と心に引っ掛かっているのだと、素直に白状するつもりもなく、承太郎はあくびをするふりで、花京院から顔を背けた。
 「じゃあ、僕が代わりに吸い始めようかな。」
 キャンディが歯に当たって、口の中で可愛らしい音を立てる。煙草の匂いがあれば、いつでも承太郎を思い出せると思ったのは、花京院のささやかな愚かさだった。
 「やめとけ。ライター忘れて街中でイラつくなんざ、みっともねえだけだ。」
 「ああ、あったな、ジッポのライターがオイル切れで、吠えてたな承太郎。」
 あのオイルの匂いも、意外と好きだったのだと、思いながら花京院は微笑んだ。
 舐めているキャンディの形に、片頬をふくらませて、煙草の匂いとは似ても似つかないその甘い匂いに目を細めて、春が来る頃には、承太郎---と花京院にも---に染みついた煙草の匂いは、すっかり消えてなくなってしまうのだろうかと、そうなって現れるだろう、承太郎のそのままの匂いが想像できなくて、花京院は、それをとても淋しいと感じた。
 承太郎は、眠気に耐えられなくなったのか、くるりと体の向きを変えると、投げ出されている花京院の膝に、いきなり頭を乗せてくる。
 「授業終わったら起こせ。」
 仰向けに、長々と長身を伸ばして、日差しを避けるために、いっそう帽子を深く引き下げると、花京院の反論など聞かない様子で、承太郎はとっとと眠る体勢に入る。
 花京院は、小さくなったキャンディをがりがりと噛み砕くと、まったくと、承太郎を見下ろして、わざと億劫げに言った。
 それから、さっき承太郎が食べたと同じラムネを取り上げて、口の中に放り込むと、噛まずに、ゆっくりと舌の上で溶かして、そのざらざらした感触を楽しもうとした。
 「・・・1年なんざ、あっという間だ。」
 下から、ぼそりとそう言った承太郎の唇から、舐めているラムネと同じ匂いが、かすかに鼻先に立つ。
 唇を重ねた時に口の中に流れ込んでくる、承太郎の煙草の匂いを思い出して、今は離れている唇を、花京院は溶けたラムネでざらつく甘い舌で、ちろりと舐めた。
 「そうだね、あっという間だな。」
 同じことを考えているのだと、そう思って、花京院は承太郎の頬に掌を添えて、その掌に承太郎がわずかに顔を傾けてくるのを、微笑んで見下ろしていた。


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