下らない話



 サッカー部の試合があるから、応援のためにと、全校生徒---になるべく近い人数---が対戦校までぞろぞろと出掛けた日曜の午後、生徒の義務だと信じて参加している花京院に、くっついて来ただけの承太郎は、煙草が喫いてえとやたらに言って、前半戦の半ばで、すでに退屈という態度もあらわだった。
 「君、サッカー嫌いかい。」
 「チームスポーツは好きじゃねえし、しょうもねえアマチュアの試合なんざ、見てて面白いわけもねえだろう。」
 さすがにスタンドで、堂々と煙草を喫うわけに行かず、初めて来た他校で、ただでさえ改造学生服で目立つ承太郎---と花京院---がうろちょろと喫煙場所を探すわけにも行かず、結局、他の生徒と少し離れた場所へ、ふたりで移動するということで話は落ち着いた。
 「本物はすごいだろうなあ。僕はまだ、ヨーロッパとか南米のチームの試合は見たことがないけど。」
 「・・・ボールは友達か・・・?」
 煙草をくわえたそうに、唇をいじっていた承太郎が、ぼそりと花京院に返す。花京院は少し驚いて承太郎を見やって、義理できちんと眺めていたサッカーの試合の成り行きから、一瞬で心をそらす。
 「・・・君、誰が好きだ。」
 「源三。」
 「アディダス? プーマ?」
 「プーマだな。てめーは誰がいいんだ。」
 なるほど、若林源三でプーマというなら、それなりに読み込んでいるなと、ちょっと姿勢を正して、花京院は、誰を見ても同じにしか見えない、そのひどいデッサンも魅力と言えなくもない、サッカーマンガのキャラクターたちの名前を思い浮かべて、けれど実は、作品のファンではないので、名前と顔がなかなか一致しない。
 結局、3回首をひねってから、あきらめることにした。
 「誰だろうなあ。あんまり翼、翼って騒ぐから、他のキャラクター、あんまり覚えてないんだよな。」
 「中学生編の対東邦の決勝戦、読んでたか。」
 「読んだ読んだ! 後で調べたらあの試合だけで1年連載やってたんだよな! 終わった時はほっとしたよ。」
 「あれだけケガして、やっと東邦が引き分けかよ。胸クソわりぃ。」
 「あー、仕方ないよ、あの作者、翼が好きで好きで仕方ないんだから。」
 けっと、承太郎が、固いプラスティックの椅子の上で、腰をずらして足を投げ出した。こんな場所では、承太郎には何もかもが小さく見える。花京院は、ちらりと試合の方へ視線を移して、必死に走り回っている選手たちの間で転げ回っているボールの位置を確かめる。
 「ジャンプだと、他に何読んでたんだ。」
 熱心に見入っているふりをするために、体を前に出して、膝の上に肘を乗せる。そうして、承太郎の方は見ずに、会話を続けた。
 「Dr. スランプと奇面組。」
 「僕は極道高校とリングにかけろだったなあ。」
 「生き死に賭けた闘いかよ。」
 「・・・シャレにならないって言うんだろ?」
 花京院は、自分のみぞおちの辺りを見てから、承太郎に向かってくすくすと笑う。
 観戦席のあちらの方で、少しばかり歓声が上がったけれど、すぐにしぼんでしまったのは、決まったかと思われたゴールが、ゴールキーパーにキャッチされてしまったからだ。両チームともまだ無得点のままだ。相手校チームの方が、少しばかり優勢に見える。
 「タイトル覚えてないけど、土佐弁のすごくかっこいいのがあったんだ。主人公に、元ヤクザか何かの知り合いができて、その元ヤクザが、ほんものの雪駄を履かせてくれるんだけど、彼が履くと、元ヤクザの時にみたいに、ちゃんとチャリッチャリッって鳴らないんだ。雪駄と土佐弁に、何だかすごく憧れたな。」
 「アストロ球団描いてた作者だろ。」
 「なんだ、君も知ってるんじゃないか。」
 「同じ作者がプレイボーイに連載してたヤツなら読んだ。」
 え、と花京院が顔を赤くして承太郎の方へ振り向く。
 またフィールドで歓声が上がったけれど、そちらのことは無視してしまった。
 「あれは・・・あれは、大人向けだったろ。ませてたんだなあ、君。」
 「こそこそエロ本買うよりマシだろうが。」
 「え、そんなすごい内容だったのかアレ。僕はあんまり好みじゃなかったから読んでなかったけど。」
 「探しゃどっかにある。読むか?」
 承太郎が、帽子のつばの下に目元を隠したままで、さらりと言う。一瞬、その申し出に心が動きかけて、けれど花京院は、目の前で繰り広げられている健全なスポーツの試合の雑音を耳にして、よく晴れた頭上の青空をちらりと見やって、正しい方向へ決心を導いた。
 「・・・いや、いい。」
 くっと、言った途端に承太郎が笑う。ばかにしたような、そんな笑いではなかったけれど、花京院は正しく唇をとがらせて、承太郎のことは無視して、試合に集中するふりをした。
 前半戦はそろそろ終わりだ。まだ無得点のまま、ディフェンスが、健気に相手チームに食らいついている。
 必死さの伝わってくる試合を見ながら、こんな能天気な会話をしていて悪いなと、フィールドをうじゃうじゃと走り回る選手たちを見て、花京院は少しばかり罪悪感にかられていた。
 ちらりと見ると、承太郎は相変わらずだらけた格好で、どこを見ているのかもわからない。居眠りのつもりかもしれないなと、そう思いながら、聞こえないように小さな声で言った。
 「どうせ僕はガキだよ、君に比べたら。」
 ほんとうに眠ってしまったのか、承太郎は花京院の言葉に反応はせず、花京院はつまらなそうに、ため息をひとつこぼしてから、正面を向いて頬杖をついた。
 だらだらと進行する試合は、承太郎がそう言った通り、見ていて楽しいものでもなく、前半戦が終わった休憩時に、こっそり帰らないかと、承太郎に言ってみようと思い始めた時だった。
 「花京院、うる星やつら、知ってるか。」
 あまりに承太郎には似つかわしくないタイトルが、後ろから、間違いなく承太郎の声で聞こえた。
 うわあと思いながらも、声にも表情にも出さず、いつも以上の無表情で振り返って、花京院は、ああ知ってるよと、承太郎に負けない無愛想な声で答える。
 「原作はあんまり読んでないけど、アニメの方が欠かさず見てたよ。まさか君、ラムちゃんが好みだとか言うんじゃないだろうな。」
 「てめーと一緒にするな。おれはうっとうしい女は嫌いだ。」
 「あれは鬱陶しいって言うんじゃなくて、健気って言うんだよ。」
 石を投げればラムちゃんファンに当たるだろう、そんな具合のファンのひとりとして、花京院は一応擁護の意見を差し挟む。もっとも、実のところ花京院が好きなのは、美貌の保健医、サクラなのだけれど。
 「あれに、テンとかいう、ちっこい鬼がいただろう。」
 「・・・ラムちゃんの、いとこのテンちゃん?」
 うっかりアニメでそう呼ばれる通りに、恥ずかしいちゃん付けをしていることに、花京院は気づかない。花京院の答えに、承太郎が、一瞬黙って、唇の端をほんのちょっとだけ下げた。
 「あたるにジャリテンとか呼ばれてたな。」
 「・・・呼ばれてたね。」
 そんなことに興味もなさそうなのに、案外とよく知ってるなと、感心しながら、話の方向が見えずに、花京院は慎重に答えと言葉を選ぶ。少なくとも、承太郎の口から、しのぶがいいだの、ランがいいだの、いややっぱり弁天だろうだの、そんな話が飛び出す心配はなさそうだったけれど、承太郎の好みが自分のそれと違っていても、逆上しない程度に自分は大人だからと、花京院はさっき自分で口にしたひとり言---になってしまった---と真逆のことを思う。
 でもサクラさんがいちばん素敵だってのは、譲れないけどなあ。恥ずかしいことと、自覚がない程度に恥ずかしいことを考えながら、花京院は承太郎が、そのテンというチビ鬼のことを何か言うのを待っていた。
 相手チームがゴールを決めて、失望の小さなさざなみが、ざあっとこちらの方の席へ伝わってくる。
 ひどい試合だなあと、花京院はちらりと義務的にフィールドへ視線を流してから、また承太郎の方へ向き直った。
 「エンヤ婆の宿帳に、てめーがTenmeiって書いてたのを思い出してただけだ。」
 言ってから、承太郎がくつくつ、おかしそうに笑い出す。
 エンヤ婆を引っ掛けるために、承太郎が宿帳に本名を書かないと言ったのに乗って、花京院も、典明---のりあき---を音読みに、テンメイと書き込んだ時の話だ。
 なるほど、生意気さと性格の悪さゆえに、ガキどころか、ジャリ呼ばわりされるチビ鬼テンを、そんなところから連想していたわけかと、そこまで悟るのに、十秒かかった。
 ふわふわの緑色の髪に、小さな角が1本、腹を立てるとところかまわず火を吹く。女の子にはべたべたとなつくくせに、男の前では手のひらを返したような態度で、見かけは可愛いけれど、とてもしたたかなガキだ。
 おまけに、間の悪いことに、チビ鬼テンのことを思い浮かべて、錯乱坊---通称チェリー、花京院の大好物だ---と呼ばれる、よりによってサクラの叔父だとかいう怪僧とチビ鬼テンが、仲良くサンマを焼いて、付け合せの大根おろしを作っているエピソードを、丸ごと思い出してしまった。
 大根はしっぽからおろすと苦くなるという錯乱坊の話に、へえっと思ったことまで、鮮やかに思い出せる。
 よりによって、人をそのジャリテン呼ばわりかと、腹を立てたいのに、くつくつ笑っている承太郎を見ていたら、そんな気がどうしてか起こらず、まさか承太郎が、そんなことを覚えている程度には、熱心にあのアニメ---それともマンガの方か---を見ていたということの方がおかしくて、いつかきっと、どの女の子がいちばん好きだったのか、うまく聞き出してやろうと、花京院は今は気づかれないように、承太郎が笑うのに合わせて、軽く声を立てた。
 「僕がジャリテンだったら、君は何だよ。」
 「・・・知るか。」
 まだ笑いながら、けれど花京院の問いに、少しばかり照れたように、承太郎が一瞬笑うのを止めて、そしてまた吹き出した。
 女の子にかまわれている限りは、おとなしくて良い子のチビ鬼テンを、実はそれなりに可愛らしいと承太郎が思っていたことを、花京院は知らない。
 いつか絶対、同じようなことで承太郎をからかってやろうと、やっと前半戦が終わりそうな退屈な試合を、いかにも熱心なふりで眺めながら、花京院はあれこれと、知っている作品---承太郎が知っている程度にはメジャーで、けれどこちらのマニアぶりを主張できる程度にはマイナーな---をひとつびとつ思い出して、承太郎に似たキャラクターがいないかと、ちょっとだけ必死に探してみる。
 承太郎は、まだひとりで、おかしそうに笑い続けていた。


戻る