非現実的な5つの風景@空想残骸


遠く聞こえる笑い声


 何も珍しいことではなかった。
 土曜の午後、学校の後、共働きの両親はどちらもいないから、昼食は自分で作って食べるという花京院を引きずるようにして自分の家に連れてゆき、図々しく思われることを、蛇蝎の如く嫌う花京院を、ホリィの手製のチェリーパイで懐柔する。そもそもそれは、ホリィのアイデアだ。
 花京院をもてなすことを、面倒だと思うどころか、むしろ大歓迎しているホリィは、芸術品のように美しいパイを焼き、その分の空間は残る程度に育ち盛りの高校生男子ふたりの胃を満たし、うきうきとコーヒーをいれ、そうする間、キッチンは楽しげな歌声で満たされている。
 ほとんど最初から家族扱いの花京院は、居間へわざわざ場所を移すこともなく、本来なら家族だけの団欒のためのはずのキッチンテーブルへ、承太郎と肩を並べて坐る。
 まめに立ち上がって、ホリィへ手伝いの手を貸そうとし、
 「あらいいのよノリアキちゃん坐ってて。」
 語尾にハートマークのはっきり見える満面の笑顔で、ホリィがくるくるとひとり動き回る。
 直径30cm強のパイを、正確に6等分、ふた切れはそれぞれ花京院と承太郎の前へ、ひと切れを半分に切った小さなひと切れは、やっと椅子に腰を下ろしたホリィの前へ。
 美味しいと、ひと口食べて最初に花京院が言う。世辞ではない。ふた口めへ急ぐ手つきに、はっきりとほんとうのことだと現れている。自分の分にフォークの先を突き入れながら、そんな花京院を眺めて、ホリィがうれしそうに微笑む。
 ひと口で4分の1の嵩が減ってしまった自分のパイを、続けて黙々と食べながら、承太郎はふたりのやり取りには、まったく興味がないという振りをしている。
 土曜の午後にはよくある、空条家の風景だ。
 さっさと自分の分を済ませ、皿はそこに残したまま、承太郎はうっそりと立ち上がる。そんな承太郎に、礼儀正しくふたりは視線を一瞬走らせて、一応は引き止める素振りを見せる。
 「先に部屋に行ってるぜ。」
 コーヒーのお代わりにも、パイもうひと切れにも断りを入れて、ああわかったとうなずいては見せる花京院の、すぐにホリィの方へ向き直ってしまう横顔へ、1秒足らずの間視線を当て、承太郎はくるりとふたりに背を向ける。
 暗い廊下をひとり歩いてゆく承太郎の背中に、ふたりが一緒に立てる、楽しそうな笑い声が聞こえる。
 まあいい、と思う。自分の友人が、自分の母親に気に入られていて、友人も母親を気に入っているというのが、悪いことのはずがない。
 それなのに、この疎外感はどうだろう。
 まあいい、と承太郎はまた思う。
 明日は、どこかへ出掛けよう。図書館でもいい、レコード屋でもいい。どこか、ふたりでいられるところへ、花京院と一緒に行こう。そう心に決めた。
 Stingのレコードを持って来たら、大きなスピーカーで聞けるぜと、そういう魔法の呪文もあった。
 どっちにしようかと悩みながら、無意識に閉めた部屋のドアが、キッチンからの声を隔ててしまうと気づいて、承太郎は、数瞬の逡巡の後で、ドアを大きく開いた。楽しげなホリィの声が聞こえる。花京院の笑う声がかぶさる。その声をこうして聞けることは、ひとりぼっちの淋しさに勝るのだということには、気づかない振りをすることにした。
 やれやれだぜとつぶやいて、口の中にまだ残るチェリーパイの甘さを、もう一度舌の上に呼び戻す。


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