非現実的な5つの風景@空想残骸


信号待ち


 自分でレコードを買い始めたのは早かったくせに、ウォークマンは高校卒業まで持っていなかった花京院が、先月買ったばかりのソニーのウォークマンを手の中にいじりながら、承太郎の隣りを歩いている。
 承太郎は、校則違反も気にせずに、そんなものはよく学校に持ち込んでいたから、昼休みには屋上で、ふたりでイヤフォンを分け合って、主には承太郎の好きな音楽ばかり一緒に聞いていた。
 やっと自分ひとりのウォークマンを手に入れた花京院は、けれどテープで持っているのはStingばかりだから、レンタルで借りて来てテープに落としたり、承太郎のコレクションに手を出したり、歩きながらひとりで聞く音楽というのが物珍しく、これならラジオ付きのにすればよかったかななどと、ひとり言かそれとも承太郎への語り掛けかわからないことを、小さな声で言っている。
 今聞いているのは、承太郎から借りた──承太郎が、無言でほぼ無理矢理押し付けた──ヨーロッパのバンドの曲ばかり適当に入れたというテープだ。
 ごく普通にポップスとして聞けるバラードはともかく、ギターもドラムも金切り声も全部まとめて疾走する、脳みそをシェイクされるような類いの曲を、花京院はウォークマンの物珍しさゆえに、顔もしかめずにちゃんと聞いていた。
 気をつけないと、イヤフォンから音がもれてしまうから、なるべくいつも音量には気をつけて、けれどばらばらのCDやレコードやテープから落として来たらしいそのテープの中身は、曲によってやや音の大きさがいつも変わり、その時は、やかましい類いの曲で、音もうっかり大きかった。
 「おい、危ねえ。」
 承太郎の腕が、胸の前に伸びる。慌てて足を止めると、目の前の信号が、ちょうど赤に変わったところだった。
 「ああ、ほんとうだ。」
 少し慌てて音量を落として、ありがとうと、小さく承太郎に言う。
 「外歩きよりも、家の中で使った方がいいかもしれないな。」
 手の中のウォークマンを、相変わらず見下ろしたまま、花京院がぼそりと言う。
 「家ん中でそんなもん聞いてどうする。ステレオ使えステレオ。」
 「だって危ないじゃないか。君と一緒の時ならともかく。」
 「てめー、これからずっとおれと一緒にいる時にウォークマン聞いてるつもりか。」
 「そんなつもりはない。」
 語尾が、少し弱く消えた。それを聞き逃さずに、やれやれだぜと、帽子のつばを引き下ろす。
 前を行き交う車を、ふたり並んで眺めながら、不意に花京院が、あ、と言って、イヤフォンに指を添える。
 「・・・承太郎、これ・・・。」
 なんだと視線を振り向けると、花京院がイヤフォンを片方、承太郎の方へ差し出している。
 受け取って耳に入れると、やけにドスの効いた声が聞こえて、それに明らかに眉を寄せている花京院の前で、リズムに乗って肩を揺らして見せた。
 「Zeppelinのカバーじゃねえか。」
 原曲の面影をかすかに残して、それは確かに、かの"移民の歌"だったけれど、ファンがそう言われたら卒倒しそうなアレンジだった。
 勢いのまま、曲はあっけなく終わり、けれど花京院はまだ顔をしかめたまま、
 「・・・これは、カバーって言っても、いいのか。」
 ごく真っ当な音楽ファンならきっとそう言うだろうことを、口にする。
 「楽しそうでいいじゃねえか。」
 真っ当とは少々言いかねる音楽ファンの承太郎は、わざとにいっと笑って見せる。
 わざとそうしたわけではなかったけれど、次の曲は、数年前に売れたバラードだったから、泣きたくなるほど美しいイントロのピアノの音に、一瞬で花京院の目元がなごんだ。
 信号は青になっていて、けれどいつの間にか向かい合って、高校の頃と同じようにイヤフォンを分け合っているふたりは、歩き出すこともせずに、同じ曲を一緒に聞いている。
 点滅し始めた青信号を横目に見ながら、花京院が、ウォークマンの音量を少し上げる。
 優しくて切ない曲はまだ続いていて、次の青信号にも気づかない振りをするのだと、ふたりとも口に出さずに決めていた。


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