僕たちの好きなもの
「クラプトンのギターは、正直スティングの声とは合わないと思うんだよな。」
その時承太郎のステレオから流れていたのは、ヨーロッパのセカンドアルバムだった。
「僕は、アルバムにクラプトンが参加してるからって、いちいち喜ばないしな。」
花京院の肩を抱いていた手を、そこからふっと浮かして、承太郎がうつむいたまま、ひどく低い声で言った。
「花京院、てめーはたった今、世界中のクラプトンファンを、敵に回した。」
素晴らしくタイミング良く、今流れているのは"Scream Of Anger"(怒りの叫び)だ。女性的な印象のあるボーカルが、歪ませた声を張り上げて、タイトル通りの歌い方をしている。
それに指先でリズムを合わせながら、花京院は別に承太郎の言ったことに、わざわざ驚く様子もない。
「別にいいよ、僕はスティングファンとして、素直な感想を言ってるだけだ。そう思ってるのは多分、世界中で僕ひとりってわけじゃないと思うぞ。」
ヨーロッパのアルバムジャケットを膝の上に乗せて、承太郎の方を見もせずに言う。承太郎は、まだ脱いでいない帽子のつばを軽く引き下げて、やれやれだぜと、聞こえないようにつぶやいた。
「承太郎、君だってスティングが好きでアルバム聞いてるわけじゃないだろ? クラプトン目当てでスティング聞いてるなんて、ファンに失礼だと思わないか。」
隣りにいる承太郎を、ちょっとにらんでから、花京院はまたステレオから流れてくる音の方へ顔の位置を戻す。今度はバラードに変わっていた。歌詞カードを確かめると、"Open Your Heart"(心を開いて)と書いてある。今度は花京院が、やれやれと心の中でぼやく番だ。
「スティングの声には、ロックとかブルーズ系のギターは合わないと思うんだ。どっちかって言うと、ジャズプレイヤーくらいの方がいいんじゃないかな。」
「じゃあ、デヴィッド・ボウイみたいに、エイドリアン・ブリューでも連れて来るか。」
「・・・ブリューって、誰だっけ?」
「フランク・ザッパんところにいて、後でキング・クリムゾンに入ったな。」
花京院が顔をしかめる。何だっけそれは、という表情だ。明らかに花京院の好みではないミュージシャンでバンドなので、承太郎はもう説明すらしない。考え込むように、眉の間にしわを刻んでいた花京院が、突然ちょっと目を見開いた。
「トーキング・へッズとトム・トム・クラブにもいなかったか?」
1拍置いて、承太郎が、帽子のつばの下で目を細めて、どこか遠くを眺めるような目つきをする。それから、不承不承というように、ふっくらした唇を動かした。
「・・・ああ、そんなこともあったな。」
なるほど、自分が好みではない辺りで、大好きなギタリストが活動していた、というのが素直に許せないらしい。承太郎らしい子どもっぽさだと、花京院はちょっと笑う。
「ザッパとボウイは共通点があるような気がするけど、ボウイとスティングに共通点があるとは、とても思えないなあ。それならいっそプリンスと一緒に演ってくれた方がいい。」
奇才で変人という噂の高いフランク・ザッパのことをようやく思い出しながら、花京院は、ちょっと挑発気味に、心にもないことを言ってみた。プリンスは好き---承太郎もだ---だけれど、ジャズよりも真っ当にファンクなプリンスのギターで歌うスティングは、ある意味、ブルーズを歌うスティングよりもホラーだ。
でも、クラプトンが眉間にしわを寄せて、ギターで絶叫している---というのは、花京院の偏見だ---よりも、プリンスが、スティングの後ろで自分だけの世界を構築して、陶酔しながら気恥ずかしいほど艶っぽいギターを弾いているというのは、案外と悪くないかもしれないと、ふと思う。
淡白に色気のある---と、花京院は思っている---スティングの声には、ああいう色気過剰の音が割りと合うかもしれない。
クラプトンの、あの男くさい色気は、スティングの植物のような風情をぶち壊すだけじゃないかと、花京院は常日頃ひとり危惧している。
そんなことを考えていて、ボウイとプリンスという、冗談にすらならない組み合わせが浮かんで、慌てて目の前で手を振って、花京院はその思いつきを打ち消した。
「どうした。」
A面の終わったアルバムを引っくり返して、ちょうどまた針を落として振り返ったところで、花京院が、ひとりで妙は仕草をしているところを、たまたま目撃した承太郎は、ちょっとあごを引いて花京院を見る。
「何でもないよ。」
そうは言っても、ボウイとプリンスが一緒に並んでいるところを、どうしても思い浮かべずにはいられずに、ステレオから新たに流れ始めた音に集中できない。
ボウイの、案外と低い声と、プリンスの細い引っかくような声は、合うのか合わないのか、実際に一緒に歌いでもしないとわからないと、どんどん頭の中でその考えに取り憑かれてゆく。
ボウイの、もうすべてやり尽くしたと言わんばかりの、すっかり垢抜けて聖人めいてしまっているあの雰囲気と、極彩色の極みのような、あふれるものをおもちゃ箱のようにすべて詰め込んだ、やり過ぎぎりぎりのところで昇華しているプリンスのセンスと、周囲の空気を一瞬で凍らせかねない社交辞令のやり取りを想像して、そんなことは絶対に起こらないから安心しろと、花京院は自分に言い聞かせた。
そうして、ようやく今流れているヨーロッパの、素直で真摯なハードロックの音に耳を傾けて、花京院は自分を現実に引き戻す。
怖ろしいことを考えていたせいか、ヨーロッパの、ひずんではいても真っ直ぐな音がひどく心地好く感じられて、花京院は思わず承太郎の肩に頭をもたせかけた。
ちょっと戸惑ったように、承太郎の肩が揺れて、それから、大きな掌が花京院の肩を包んだ。
B面の2曲目が終わった、わずかな音のすき間に、聞き入っているらしい花京院を邪魔しない低めた声で、承太郎が訊く。
「で、てめーは、スティングの後ろでギター弾かせるなら、誰がいいんだ。」
誰と言われても、そもそも花京院は、バンドの個々のパートにあまり興味がない。承太郎のように、しょっちゅうメンバーの入れ替わっている、しかもバンド間でメンバーの取替えっこをしているとしか思えないようなジャンルを好きでもない限り、そのどこかへ去ってしまったメンバーを追いかけて、また別のバンドに入れ込んで、さらにそこで、新たにお気に入りのミュージシャンを見つけるという、まるで永遠に終わらない冒険をしているような状況よりも、深く長く、ひとりだけを追いかけている方が性に合っている。
花京院が、スティング以外の音を、それなりに名前も一致させて聴くようになったのは、承太郎の熱心な啓蒙のせいだ。
とりあえず考え込んでから、花京院は気もなさそうに答えた。
「・・・フーのベースみたいなギタリスト、かな。」
一拍置いて、承太郎がため息を吐くように言った。
「・・・なんでてめーは、そうひねくれたことを言う。」
ヨーロッパのギターが、一生懸命ソロを弾いている。ちなみにこのギターも、承太郎のお気に入りのひとりだ。
「目立たなくて、ちゃんと上手いって言ってるだけじゃないか。ひねくれてるかい。」
「・・・ベースって言うなら、ビリー・シーンかスティーヴ・ハリスくらい言いやがれ。」
「ビリー・シーンって、元ヴァン・ヘイレンのボーカルのバンドで弾いてるベースだろう。スティーヴ・ヴァイと同じくらい目立つベーシストじゃ意味がないじゃないかッ!」
「ビリー・シーンって言うなら、タラスって言いやがれ。」
「君の好みなんか知るもんかッ! 大体スティングの後ろで、アイアン・メイデンなんて物騒な名前のバンドの長髪男にベース弾かせろっていうのか! 共通点なんかイギリス人だけってじゃないかッ!」
ヴァン・ヘイレンを脱退したデイヴ・リー・ロスが、スティーヴ・ヴァイとビリー・シーンという、これ以上きらきらしい派手な組み合わせはないだろうというメンバーで売れているのが、ビリーのそれ以前の、彼自身のバンドであるタラス時代からのファンである承太郎には、我慢がならないらしい。ちなみに花京院は、金髪の方がビリーで、黒髪の方がスティーヴという程度の認識しかない。技術に裏打ちされた彼らの演奏の派手さと凄さには圧倒されるけれど、スティングの後ろにどうかと言われたら、花京院は土下座してでもやめてくれと言うだろうなと思っている。
スティーブ・ハリスの方は、ステレオが壊れそうな大音量の、正統派ヘヴィーメタルバンド、アイアン・メイデンにいる。そこのリーダーで、実質リードベーシストなどと言われてしまうスティーブを、スティングの後ろにと言われたら、承太郎を人質にとって、ジョセフを脅迫してもいいくらいの勢いだ。
とりあえずそんなわけで、ふたりはヨーロッパのセカンドB面が全部終わってしまうまで、噛み合わない会話を続けていた。
花京院は基本的に、承太郎の好きなハードロックだヘヴィーメタルだのを、非常にうるさい子どもっぽい音楽だと思っている。ただ、承太郎の好む音は、その中でもうるささはともかくも、比較的知性の感じられるものが多いから、友情---ということにしておく---という名の妥協の元に、一応は見聞を広げているつもりだった。承太郎は、スティングを退屈だと思っていて、それでも、彼のアルバムに参加するミュージシャンが豪華であることと、スティングの前身トリオバンドであるポリスの、飢えた獣の風情の、深遠な魅力のようなものを嗅ぎ取っていて、そしてもちろん、花京院を理解するための大事な要素として、しぶしぶというふりで聞いている。
ふたりとも、口で言うほど、互いの好みを悪趣味だと思っているわけではないのだ。
承太郎が、レコードを取り替えた。今度はアルカトラスの3枚目だ。
「なんだ、スティーヴ・ヴァイが弾いてる2枚目じゃないのか。」
1曲目のイントロを聞いて、花京院が、ちょっと残念だというふりを見せる。
「3枚目がいちばん好きだって、てめー言ったじゃねえか。」
よく覚えているなと、花京院はあごをわずかに胸元に引き寄せた。
「最初の2枚は、声がギターに負けてるように聞こえて、あんまり好きじゃないんだ。」
「仕方ねえな、イングヴェイとヴァイじゃな。」
元レインボーのグラハム・ボネットのアルカトラスは、ファーストが当時まだ10代だった天才ギタリスト、イングヴェイ・J・マルムスティーン、セカンドは件のスティーヴ・ヴァイという、名前を聞いただけで、好きな人間ならめまいのしそうなメンバーでリリースされ---というのも、もちろん承太郎の受け売りだ---、けれどその2枚とも、花京院はあまり好きではない。
ファンでも何でもないから、承太郎に遠慮もせずに、初見で聞いて感じたままを口にして、承太郎を10分ほど不機嫌にした。
クラシックをアレンジしたイングヴェイの演奏だけなら、おそらく気に入ったと思えたけれど、早い話が、リーダーのグラハムの声が邪魔だと、そう感じてしまう出来だった。
セカンドも同じく、スティーヴ・ヴァイの才能には感嘆できるけれど、このボーカルじゃあ足りないと、ファンでないがゆえの率直さで言った。
ま、仕方ねえな、あのリッチー・ブラックモアと一緒に演ってたボーカルだ、ついすげえギタリストを選んじまうんだろうな。
言い訳するように言った承太郎のそばで、ふーんと3枚目を聞いて、とても身の丈にあったその音が気に入り、それを言うと承太郎が、
「・・・そいつは禁句にしとけ、花京院。」
と、とても低い声で、ぼそりと言った。
そのアルカトラスの3枚目が、今流れている。
ポップでキャッチーで、過剰なところがなくて、とても自然体で、何となく泥臭いところは気になるけれど、やっぱりいい音だなと、花京院はまた思う。
花京院は、承太郎の隣りから動いて、承太郎の膝の間に這い入った。
広い胸に背中を預けて、ごつごつした鎖骨の辺りに、後ろ頭を当てる。
ちょっと驚いていた承太郎が、けれど花京院がそこに落ち着いてしまうと、そろそろと腹の前に両手を回してくる。
「・・・君があんまりタラスタラスってうるさいから、この間、電車の中でデイヴ・リー・ロスのコンサートの話をしてる人たちがいて、"Shy Boyって新曲かな"なんて言ってるのを聞いてたら、"いやそれは、ベースのビリー・シーンの前のバンドのタラスの曲だ"って、思わず言いそうになったじゃないか。」
いきなり花京院を抱きしめて、承太郎が大声で笑い出した。
自分の胸を締めつける承太郎の腕を、よしよしとなだめるように撫でて、花京院も一緒に声を立てて笑う。
「君のせいだぞ、承太郎。」
「いやなのか?」
からかうように承太郎が、上から花京院を覗き込んでくる。花京院はちょっと唇をとがらせて、承太郎を上目に見て、それから、
「・・・いやじゃない。」
とても小さな声で言った。
可愛くてたまらないと言いたそうに、承太郎が花京院の髪の毛を、片手でくしゃくしゃにする。
「おい! やめろよ!」
そうして、ちょっと暴れてじゃれ合って、もつれ合ううちに、わざとそちらに導かれたように、床の上に重なって倒れると、承太郎が、自分の下に素早く花京院を敷き込んだ。
A面の終わったレコードから、ぷつっと音を立てて、針が離れてゆく。
それを、ちょっと承太郎の肩の下からあごを抜き出して、花京院はじっと眺めた。
「・・・承太郎、A面が終わったぞ。」
背中を叩いても、承太郎は花京院に覆いかぶさったまま、身じろぎもしない。
「B面に変えないのか・・・?」
もっと近く花京院に重なって来て、首筋に顔を埋め込んでくる。
仕方ないなあと苦笑して、花京院は、思い切って両腕を、承太郎の背中に回した。
20ほど、ゆっくりと数を数えて、それから、花京院は少し甘えた声で言った。
「・・・承太郎、アイアン・メイデンの、"Stranger In A Starnge Land"が入ってるアルバムが聞きたいなあ。」
それまで、ぴくりとも花京院の上から動こうとしなかった承太郎が、突然がばっと体を起こして、ステレオの前へ這ってゆく。
花京院が指定したアルバムをばさばさと探って、見つけて、いつもの慎重さはどこへ置き忘れたのか、ひどく慌てた仕草でレコードを取り替えている承太郎の広い背中に、花京院は抱きつくために腕を伸ばしてゆく。
笑い声は、その背中に吸い込まれて行った。
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