When We Dance



 熱が引くのを、一緒に待っていた。
 ぬるく交じった汗が、まだあちこちに残っていて、それが惜しくて、手足を絡めたままでいる。
 ふたり別々の時に、何度か、少し前のことを反芻しながら、深いくせに軽い息を、大きく吐く。
 承太郎の鎖骨のくぼみに頬を埋めるように、花京院は、湿った前髪をそこで揺らして、承太郎は、そのくたりと波打つ髪に、あごの辺りをこすりつける。もう一度という気はどちらも起きずに、ただ、素直に離れがたくて、互いを抱いたままでいた。
 あと10分、あともう5分、もうちょっとだけ、そう考えているのは、ふたり一緒だった。何が特別というわけではなくて、このまま寝てしまうのが惜しい気がして、まだ腕をほどく気にならない。
 今というこの瞬間を切り取って、どこかに隠しておければいいのにと、花京院は思った。そうすれば、時々取り出して、眺めることができる。どこがどうと指摘できるわけではなかったけれど、何となく、覚えておきたい今の気分だった。
 肩に巻かれた承太郎の腕の中で、少しだけ体の向きを変える。半分だけあらわになった背中に、承太郎が胸を重ねてくる一瞬前に、また体の向きを元に戻す。
 「承太郎、コーヒー飲みたくないか。」
 まるで、ずっとそのことを考えていたのだというような口調で、花京院は言ってみた。正確には、口が動いていたので、それに合わせて声を出してみただけだったのだけれど。口にすると、喉の奥に、承太郎がいつもいれる濃いめのコーヒーの味が甦って、ほんとうにコーヒーが飲みたい気分になる。
 「コーヒーか。」
 あまり気乗りしていない声で、承太郎が応える。
 承太郎の反応にひるみもせずに、花京院は、ちょっと上を見上げてうなずいた。
 今が一体何時かと、時計を見るためか、承太郎がちょっと首をひねり、それから、花京院を抱き寄せたまま体を起こす。
 まだしっかりと上掛けの中にくるまって、自分の隣りに花京院を引き寄せて、コーヒーかと、承太郎がもう一度つぶやいた。
 今度の声は、それもいい考えだと言っているように聞こえて、花京院は思わず微笑んだ。
 花京院を抱いたまま、承太郎は動かない。また花京院の肩や腕を撫でながら、今度は眠そうに、何度かまばたきをする。
 「・・・眠いなら、僕が自分でいれる・・・。」
 本心ではなかった。花京院が飲みたいのは、承太郎がいれたコーヒーだった。
 承太郎は、引き止めるように、しっかりと花京院を抱き込んで、
 「まあ待て。もうちょっと---」
 そこから先は言葉にもせずに、花京院の首筋に顔を埋め込む。
 くすぐったくて肩をすくめて、けれど悪い気分ではなかったから、承太郎を抱き返して、花京院は声を立てて笑った。
 ベッドの上に抱き合って坐って、上掛けにくるまれた体は、少しずつ冷え始めていた。そろそろほんとうに、熱いコーヒーが飲みたいなと、花京院は思った。
 この状態を、とても楽しんでいるらしい承太郎を急かすのも悪い気がして、花京院は、ゆっくりと100まで数えてから、もう一度50まで数えて、それから、まだ動く様子のない承太郎の額辺りをつつくために、肩をちょっと揺すった。
 「承太郎、コーヒーが飲みたい。」
 今度は、遠慮がちにではなく、昼間使う声ではっきりと言う。承太郎は、まだ花京院の肩に頭を乗せたままで、ああ、と言うだけだった。
 なるほど、相槌は打つけれど、その気はないらしい。悟れば行動の早い花京院は、胸の前の上掛けを跳ね上げると、ベッドから降りようと、曲げていた足を伸ばす。承太郎の腕に、力がこもった。
 「離せよ、僕はコーヒーが飲みたいんだ。」
 「コーヒーならおれがいれる。ちょっと待て。」
 「さっきもそう言ったじゃないか。僕は、今、コーヒーが飲みたいんだ。」
 そう言ってしまうと、まるで今日1日中、承太郎のコーヒーのことばかり考えていたような気分になって、よけいにコーヒーが飲みたくなる。マグに注げば、掌に温かい、いれ立てのコーヒーの香りを嗅ぎたくて、花京院はやけに必死の形相を作った。
 本気にならない限り、承太郎の腕には勝てない。少しばかりもがいても、ベッドの中でじゃれ合うことにしかならず、待てとまた言った承太郎と一緒に、また上掛けにすっぽりとくるまれて、花京院は少し上がった息を、とがらせた唇の中におさめた。
 自分でコーヒーをいれる気にはならない。飲みたいのは、承太郎のコーヒーだ。いれたばかりの、湯気のたっぷりと立つコーヒーだ。カフェインのせいで眠れなくなるかもとは思わずに、躯を繋げた後のけだるさと、甘ったるい馴れ合いの気分には、濃くて苦いコーヒーがよく合う気がした。
 ようするに、承太郎のいれたコーヒーも、こんなことの一部なのだと、そう気がついて、腹立たしさは一瞬で消えた後には、また重なるだけの口づけがやって来る。それでも、花京院が言い出したことなら、承太郎はじきに聞き入れてくれるはずだったから、まだ未練がましく、香り高いコーヒーのことを考えていた。
 けれど承太郎は、一向に動かない。これ以上の心地好さはないという表情を変えもせず、花京院を抱きしめたままだ。
 たとえどんな些細なことでも、期待を裏切られるというのは、機嫌を損ねる理由に充分になり得る。花京院は、精一杯腹を立てているという素振りで、また上掛けを、今度はさっきよりも数段激しく跳ね上げた。
 「もういい、紅茶にする。自分でいれるよ。」
 舌を焼くような熱さの気分ではなかった。けれど、自分のいれたコーヒーよりは、紅茶の方が良かったので、花京院は今度こそ、承太郎の腕を振り払う勢いでベッドの下へ足を伸ばした。
 「君を待ってたら、朝になる。」
 上掛けから完全に飛び出してしまった花京院の、腕だけはしっかりとつかんだまま、承太郎もベッドの端へずれて来る。
 「離れるのが、もったいねえ。」
 やるせない声で、花京院の背に、承太郎がそう言った。
 そう思っていたのは、花京院も同じだ。けれど今は、そう思うのと同じほどの強さで、コーヒー---か紅茶---が飲みたかった。
 ベッドの端から振り返って、まだ承太郎がくるまっている上掛けを、花京院はそっと引っ張った。
 「・・・だったら、君も一緒に来ればいい。」
 離れれば寒い。けれどわざわざ、キッチンへ行くために、床に脱ぎ捨てられているあれこれを、改めて身に着ける気にもならない。花京院がそう思ったのを、承太郎は正確に読み取って、先にベッドを下りた花京院の隣りに、上掛けを羽織ったまま立ち上がった。
 ふたり用の大きな上掛けは、承太郎が体に巻いても、床に引きずる。肩を並べて、上掛けにくるまって、とてもだらしのない、だからこそとても楽しい格好で、ふたりはずるずるとベッドルームを出て、キッチンへ向かった。
 板張りのキッチンの床に、汗で湿った素足がぺたぺたと音を立てる。
 「君も飲むかい。」
 片手で上掛けを押さえて、薬缶を取り上げながら、花京院はすぐ隣りの承太郎を見上げた。
 「おう。」
 花京院が動き出すと、承太郎は、自分も上掛けの一部になったように、花京院を後ろから抱いて、とことこと、ばね仕掛けの人形のように、ふたり歩調を合わせて歩き回る。
 上掛けは、そのたびにひらひらと揺れて、何度も床を滑った。
 何か、わくわくするようないたずらを、ふたり一緒にしているような気分だった。花京院は、ひとりでくすりと小さく笑う。
 水を満たした薬缶を火にかけて、その間に、承太郎の手も借りながら、マグをふたつとティーポットを並べる。紅茶の葉はまだ開けない。ポットもマグも、湧いた湯でまず温めるからだ。
 こんな時には誰もがそうするように、薬缶の底を舐める赤い火を見つめている。その花京院のこめかみの辺りに、ごりごりとあごの先をこすりつけて、承太郎も、赤い火を見ている。
 深夜もこんな時間になると、春先とは言えいっそう寒さが増す。上掛けの中は暖かかったけれど、素足は少し冷たい。花京院は、何度か、足裏を交互に承太郎のふくらはぎの辺りに当てて、あたためようとした。
 「承太郎・・・。」
 上掛けごと自分を抱く承太郎の腕を抱き返して、花京院は、火を見つめたまま声を掛けた。
 「なんだ。」
 「・・・今さら何だが・・・何も僕らが起き出すことはなかったな。」
 「なんだ?」
 承太郎の、怪訝そうな声が、耳に当たる。それにちょっと首を縮めて、花京院は、ふうっと息を吐く。
 「ハイエロファントにやらせればよかったんだ。」
 そう言った途端に、承太郎のあごが浮いて、花京院の言った通りを想像しようとしているのだとわかったから、花京院も一緒に、ハイエロファントグリーンが、ふたりのために紅茶をいれているところを想像してみた。
 きらきら光る翠のスタンドが、キッチンで薬缶を眺めているところは、何だかひどく痛ましげな冗談のようで、自分で言ったことだったのに、花京院はあまりの眺めの坐りの悪さに、唇をへの字に曲げて眉を軽くしかめた。
 「やめとけ、こういうのはてめーでいれるからうまいんだ。」
 どうやら、承太郎も同じことを考えたらしく、半ば本気で諭しているような声が頭上から降ってくる。
 こんなところは、確実に繋がり合っていることをありがたく思いながら、花京院は、くるりと体の向きを変えた。
 「そうだな、こんなことだって、自分でやるから愉しいんだろうな。」
 そう言って、承太郎を見上げて、腰の辺りに腕を回す。そうして、長さの少々違う脚をぴったりと押しつけて、まるで挑発するように、ちょっとの間胸と胸をこすり合わせた。
 にらむような目つきで、承太郎が、花京院に向かって目を細めた。
 「自分でやらずに、スタンド同士なんて---」
 途中で言葉を切った花京院の前髪を、承太郎が噛む。
 背中が、火にあぶられて少し暖かい。薄く湯気を拭き出し始めた薬缶を肩越しに振り返って、花京院は、それでも、ぴったりと承太郎に抱きついたままでいる。
 花京院を抱いたまま、承太郎が、ほんの少し右にずれた。そうして、片手を伸ばして薬缶を取り上げると、マグとポットに湯を注いで、残りの湯をまた火に戻す。
 承太郎の動きにつれてずれた上掛けから剥き出しになったふたりの肩を、冷たい空気が撫でてゆく。
 紅茶の準備をするために、花京院はまた承太郎に背中を向けるように、体の向きを変えた。
 承太郎の腕が、胸の近くまで上がってくる。みぞおちの、そこははっきりと手触りの違う大きな傷跡を撫でて、いとしくてたまらないと言いたげに、花京院の肩口に軽く噛みつく。
 「スタープラチナとやりたいか。」
 さっきの、スタンド同士と花京院が言ったことを、ひとりで考えていたらしい。上掛けを、しっかりと体に巻きつけて、承太郎のために、花京院は首を伸ばした。
 「君は、ハイエロファントとしたいかい。」
 薬缶の細い注ぎ口から、勢いよく湯気が吹き出し始めた。
 「どうやって?」
 声の調子までそっくりに、ふたりは同時に訊いていた。そう言った後で、これも同時に薬缶に向かって腕を伸ばして、多すぎる腕の数に、ふたり同時に笑い出す。
 くすくす、深夜の冷えた空気を揺らしながら、そこだけはあたたかい、湧いた湯のぬくもりを分け合って、少し慌てて、ポットの湯を捨て、紅茶の葉を入れ、承太郎が火を切って取り上げた薬缶を受け取って、花京院は、その時だけは気を抜かずに、慎重に、ポットに新しい湧いたばかりの湯を注ぐ。
 また少し、葉が開くまで待つ時間がある。
 体の向きはもう変えずに、花京院は、首だけを、承太郎に向かってねじり上げた。
 「さっきの続きだ。スタンド同士で、どうやるんだ。」
 「おれが知るか。」
 「今度、訊いてみればいい。」
 「てめーが訊け。」
 「ハイエロファントはしゃべらないんだ。訊いても答えてくれないよ。」
 「だったらスタンド同士で喋らせろ。」
 「僕と君が話したって同じじゃないか。」
 「やかましい。」
 そこで花京院を遮って、承太郎はやや乱暴にあごをすくい取ると、まだ続けようと動きかけた花京院の唇をふさぐ。
 喋らせまいと絡め取られた舌が、熱く溶けるような気がした。目を細めて、それからゆっくりとまばたきをして、唇はほどかずに、承太郎に正面から抱きついてゆく。腕や肩が動くうちに、ずれた上掛けが、今は半分以上、床に落ちてしまっている。
 寒さは感じないまま、今は花京院の方が、承太郎と離れたくないと思っている。
 何も着けない全裸が、半分以上あらわになって、けれどふたりの腕は、互いを抱き合うのに忙しい。
 花京院は、気配もさせずにハイエロファントグリーンを呼び出した。承太郎の頭をしっかりと抱き込んで、ハイエロファントには、ちゃんとあちらを向かせて、紅茶が苦くなってしまわないうちに、湯を空けたマグに、いれたばかりの紅茶を注がせる。
 こぽこぽとあたたかな音に耳を澄ませて、漂う香りにちょっとだけ心を引かれて、それでも、承太郎と重ねた唇の熱さには何もかなわず、手持ち無沙汰に、紅茶から立つ湯気を眺めているハイエロファントを、けれど花京院は呼び返さない。
 ハイエロファントだけが承太郎に触れたら、自分はきっとひどく嫉妬---どちらに?---するだろうと思って、いっそう深く、承太郎の舌を喉の奥へ引き込んだ。
 上掛けが全部、ばさりと落ちて、ふたりに見向きもされずに、床の上に広がった。
 ハイエロファントが、翠の掌をティーポットに乗せている。そのせいで温まった自分の掌を、花京院は、冷え始めた承太郎の背中に押しつけた。


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