残骸



 承太郎がようやくそこへたどり着いた時、花京院は、叩き込まれていた給水タンクの中から引きずり出されて、びしょ濡れの体を、地面の上に横たえていた。
 腹に空いた穴が、まだ少し離れた承太郎の位置からも見て取れて、横たわった花京院の周りにしゃがみ込んでいるSPWのメンバーたちが、一様に厳しい表情をしているのに、承太郎は、考える前に吠えかかっていた。
 「てめぇら、花京院に何してやがるッ!」
 正確には、彼らは花京院に何もしておらず、取り上げた両手をきちんと重ねて、腹に空いた穴のそばに、そっと置こうとしているところだった。
 SPWのメンバーたちは、まだ血を流している満身創痍の承太郎に驚いて、ひとりが、様子を見ようと承太郎の方へ駆け寄った。
 「ケガの状態を説明して下さい、手当てをしなければ---」
 丁寧な口調で、けれどきっぱりと言うその男を、承太郎は下目に睨みつけて、うるせえと、腕を振って追い払おうとする。
 「おれのことはどうでもいいッ! それより花京院を何とかしやがれッ!」
 まだ花京院のそばにいたうちのふたりから、さらにもうひとりが、承太郎の剣幕をなだめようと、承太郎の傍へやって来る。
 「落ち着いて下さい。遺体はこれからヘリコプターで財団支部まで運ばれます。それよりもそちらの傷の手当てを先に---」
 「うるせえッ!」
 自分の腕を押さえつけようとする男ふたりを、殴りかねない勢いで、承太郎は長い腕を振り回した。
 花京院の傍に残ったひとりに、承太郎の傍にいるふたりが、必死で目配せをする。早く、早く運べと、承太郎にはわからないようにこっそりと、必死で、花京院の無残な姿を、早く承太郎の目のから消し去れと、承太郎を押しとどめながら、一生懸命に無言で指示する。
 自分を止めようとする男ふたりを、承太郎は怒りを込めて押し返す。どけと、そう怒鳴りながら、横たわる花京院の傍へ行くために、承太郎は傷ついた体でひたすら前へ進もうとする。
 花京院の傍に残った男が、慌てた仕草で、けれど礼を失しはしない注意深さで、花京院の体の下に敷いていたゴムのシートの端を合わせて、そこに走るファスナーを、素早く引き上げてゆく。
 「てめえ、何しやがるッ、花京院に触るんじゃねえッ!」
 何を言っているのか、もう自分でもわからなかった。
 花京院を包み込むのが、戦争映画で見たことのある、ゴム引きの死体運搬袋だということがわかって、あれは多分、崩れてしまった死体を、完全に人目から隠してしまうためなのだろうし、流れ出る体液や血液で、床が汚れたりしないためのものなのだろうと、絵空事をもっともらしく映したフィルムを眺めて理解していたのは、そんなに前のことではなかったはずだと、承太郎は、自分をまだ押さえつけようとする腕を振り払いながら、頭の中が真っ白になってゆくのに、ひどい吐き気を覚えていた。
 承太郎の剣幕に怯えたように、花京院の傍の男は、まだ完全にファスナーを閉め切らずに、そうしたら殺されてしまうとでも思っているのか---実際に、そうしてしまうつもりで、承太郎はいたような気がする---、承太郎の方を見て、ぽかんと口を開けたままでいた。
 あれに、完全に包み込まれてしまったら花京院は終わりだと、そんなことを考えた。
 連れて行かせてはいけない、花京院を取り戻さなければいけない、あんな中に、花京院を閉じ込めていいわけがない。
 承太郎は、自分を止めようとする腕が、懲りもせずに自分を押さえつけ続けているのに、ひどい怒りを覚えながら、花京院の名前を何度もわめいた。
 ミスター空条と、男たちが承太郎をなだめにかかる。この男たちの誰も、承太郎を、承太郎とは呼ばない。旅の間中、こんなふうに我を忘れた承太郎をいつも止めていたのは、そう言えば花京院だった。花京院は今、承太郎を止めもせずに、あそこに黙って横たわっている。
 いつもなら、大人ふたりを振り切るのに、こんなに苦労するはずがない。手足がうまく動かないのは、大量の血を失って、骨もあちこち折れているせいだ。今は感じないけれど、明日になれば、歩けないほど体が痛むことは間違いない。
 花京院だってそうだ。明日はきっと、どこかの病院のベッドで、ふたり並んで目覚めることになる。
 やあ承太郎、おはよう、昨日は散々だったね。
 なあ、そうだろう、花京院。
 ゴム引きのシートにくるまれて、花京院は身じろぎもせず、形の良い眉が、承太郎の怒号に歪むこともない。相手を揶揄する皮肉笑いのとても上手い、広くて薄い唇が、承太郎を呼んで開かれることもなかった。
 「花京院ッ! 花京院ッ!」
 近くで、運搬を待っているヘリコプターから、さらに数人が、ばらばらとこちらへ走ってやって来る。花京院の傍へいた男は、それを見てようやく安心したように、手にしていたファスナーを、最後まで引き上げた。
 花京院の血まみれの、けれど穏やかな顔が、ぬらぬらと黒いシートの中に隠れ、もう一体何なのかわからなくなってしまった塊に、やって来た見知らぬ男たちの腕が伸びる。
 「てめえらッ! 花京院をどこに連れて行くつもりだーッ!」
 もう少しで、花京院に届く。手を伸ばせば、さっきまで花京院だった黒い塊に、指先が届く。そこまで近づいている承太郎を押さえるために、花京院をシートで包み込んだ男までやって来て、そして、男が去った後を、別の数人の男たちが引き取った。
 3人がかりで押さえ込まれ、承太郎はさらに激昂した。
 「花京院をッ、花京院を死体扱いするんじゃねえッ!」
 数人で、素早く、けれどうやうやしく持ち上げられた黒いゴムシートの塊は、驚くほどの滑らかさで承太郎の目の前から遠ざかる。
 押さえられた肩や腕や、自分が引きずる3人分の重さに、承太郎は手足を取られて、それ以上は前へ進めない。
 「てめえら、花京院を返せッ! 花京院はおれのもんだッ! 勝手に連れて行くんじゃねえッ、おれに返せッ!!」
 路上で待機していたヘリコプターの中に、黒い塊が飲み込まれてゆく。それに続いて、運んでいた男たちも、中へ乗り込んでゆく。
 花京院と、もう一度怒鳴る。返せ、連れて行くなと、また繰り返す。
 承太郎の背中にずっと張りついていた男が、承太郎の耳元で初めて怒鳴った。
 「心停止は確認しました。もう無理です。」
 無理なんですと、男は、子どもに言い聞かせるようにゆっくりと、承太郎のために繰り返した。
 ヘリコプターが、空へ向かって飛び立ってゆく。
 それを見上げて、承太郎は、不意に体の力を抜いた。
 がっくりと、地面に向かって崩れる承太郎の体を支えて、男たちが、見つからない慰めの言葉に無言のままでいるのを、心からありがたく思いながら、承太郎は、大きく空を振り仰いだまま、花京院と、もう一度だけ小さくその名を呼んだ。
 血を失って、いつもより体温の低い承太郎の体に、触れている男たちの手が暖かい。けれどその暖かさすら、ひどく遠くて、承太郎は、花京院が横たわっていた地面と、ヘリコプターの飛び去ってゆく空とを交互に眺めて、乾いてゆく心の中で、涙すらも干上がってゆくのを感じていた。
 「傷の、手当てを・・・。」
 低く、丁寧に言った男の声は、けれど承太郎には届かない。


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