青春10のお題@胡蝶の夢

放課後の待ち合わせ


 1年生の教室は1階、2年生は2階、3年生は3階、だから、放課後になると、承太郎が、花京院の教室までやって来る。
 一緒に肩を並べて、2階から、屋根のついた渡り廊下で向かいの校舎に移る。そこで図書室へ寄って、花京院が本を返して借りるのに付き合って、ようやく帰るために外へ出る。
 「レコード買いに行くけど、付き合うかい。」
 正門を出たところで、返事を聞くまでもないことを、けれど花京院がきちんと質問してくるのに、承太郎は不精にあごを振って答えた。
 「何買うんだ。」
 いつもとは逆の方向へ、ふたりで足並みを揃えて、承太郎は、至極まともな質問をした。
 「スティング。新譜が出てるんだ。」
 旅の間に、そう言えば、何度もその名が出たなと今さら思い出す。
 ふたりで日本をこっそり恋しがった理由が、日本産ではない音楽ばかりだったことが、今では懐かしく思い出されて、承太郎は目元だけでうっすらと笑った。
 日本に残してきたカセットテープやレコードのコレクションに心を馳せても、音楽を聞く機材と言えば、承太郎の祖父のジョセフが後生大事に携えていたウォークマンだけだったから、ふたりは、少々傾向は異なっていても、同じようにアメリカ産やヨーロッパ産の音楽が好きだという点で意気投合して、お互いを慰め合うことにした。
 花京院の口から出てくるバンドやミュージシャンの名前を、承太郎は知ってはいても音は聞いたことはなかったし、花京院も、承太郎の好みの音については、識っていると言えるほどの知識もなく、それでもとにかくも、記憶にある名前を並べ合っては、知ってる知ってると言い合って、ホームシック---家族や日本それ自体が恋しかったわけではなかったにせよ---を癒し合っていた。
 旅の目的を考えれば、そんな内容の会話は不謹慎とも思えたけれど、そんなことでもなければ、緊張で常に張り切っている神経が、焼き切れそうな状況でもあったから、他愛もない楽しいだけの会話は、案外と他の仲間たちにも歓迎されていた。
 懐かしいと言えるほど時間も経っていないのに、ずいぶん昔のことのように思えることを不思議がりながら、承太郎は、花京院といる時はいつもそうするように、彼の方へ少し肩を傾けて、ゆっくりと長い足を持て余すように歩いた。


 無事にお目当て手に入れて、花京院が、胸の前にそのレコードを抱え込んで店から出てくる。
 わざとだるそうに、薄い学生鞄を背中の方へ持ち上げて、顔のすぐ傍に上がった肘にこめかみを軽くぶつけながら、承太郎は、
 「ウチで聞いてくか。」
と、訊いた。
 「いいのかい?」
 花京院の目が、大きく輝く。
 答える代わりにまた、承太郎はめんどくさそうにあごを振って見せた。


 承太郎の部屋には、大きなステレオがある。
 花京院なら、膝を折って中に入れそうな大きなスピーカーと、ガラスのケースに入った、アンプもチューナーもテープデッキもレコードプレイヤーもそれぞれに揃えた、どう見ても子ども用などではないステレオがある。
 プロのミュージシャンである、承太郎の父親のお下がりだというそれを初めて見た時、花京院はうっかり嬌声を上げた。
 ガラスケースの中にきちんと納められたレコードは、旅の間に、承太郎から散々名前を聞いたものだったけれど、相変わらずそれには興味は湧かないまま、花京院は壊れ物にでも触れるような仕草で、アンプやデッキのボタンを触り続けていた。
 承太郎の話では、承太郎もホリィも出入りを禁じられている、音楽機材をまとめて置いてある部屋があって、そこにはドイツ製の、聞いたこともないような値段のスピーカーが置かれているらしいと、まだステレオに心を奪われている花京院に、商売道具だからなと付け加えて、承太郎が淡々と語った。
 承太郎が中学に入った時に、父親は自分で揃えたこのステレオ一式を、惜しげもなく息子に与えて、けれどそれは、新しい、もっと凄まじい値段のものに買い替える口実だったのだと、後でホリィが笑っていたと言う。
 花京院は、自分ではこのステレオには触らない。自分のものではないから操作がよくわからなかったし、下手なことをして壊してしまうのが、もっと怖かった。
 買ってきたばかりのレコードを、ジャケットごと承太郎に渡して、承太郎は、大きな手に似合わない、とても丁寧な仕草でレコードを、中のビニール袋から取り出して、決して表面に触ったりしないように注意深く、ターンテーブルに乗せる。
 「テープに録るか。」
 ステレオの方から振り返って、承太郎が訊いた。
 少しの間迷ってから、歯切れ悪く花京院は答えた。
 「いや・・・いい。帰ってから自分で録るよ。TDKのテープがあるから。」
 花京院が、使うカセットテープのメーカーを同じものにしているのを知っているから、承太郎もそれ以上は押さずに、レコードの針が下りるのを見守ってから、ケースのガラスの静かに閉める。
 スピーカーのすぐそばに坐り込んでいる花京院を促して、承太郎は、ベッドの傍へ移った。
 ベッドにもたれて、坐って開いた膝の間に花京院を引きずり込んで、流れ出す音に、花京院が前のめりになるのを、承太郎は黙って腰を抱き寄せた。
 花京院はジャケットを手に、表と裏を検分するように近々と眺めて、それから、中から歌詞カードを取り出した。
 「君、こんなすごいステレオで、ハードロック聴いてるんだなあ。」
 「ヘヴィーメタルだ。」
 「僕にはどっちも同じだよ。なんだっけ、えーと、何とかメイデン。」
 「アイアン・メイデン。後で聞くか?」
 ステレオから流れてくる、あまり好みではない音に、煙草を喫いたくなって、唇の辺りを触りながら、承太郎は本気などではなく、言った。
 「いいよ、いいいい。レッド・ツェッペリンなら聞きたいけど。」
 「ツェッペリンは全部オヤジの部屋だ。」
 ひらひらと手を振って見せる花京院が、こちらを振り向きもしないのに、ただ会話を続けるためだけに、無愛想に返す。
 それでも、花京院を抱く腕にはしっかりと力を込めたまま、爪先や指先でリズムを取っている花京院の、わずかに揺れる前髪の先に、視線を奪われたままでいた。
 「今度オヤジが帰って来たら、全部出せって言っといてやる。」
 ああ、と上の空で返事を返す花京院は、承太郎のことなど忘れたように、首を斜めに折って、目を閉じて音楽に聞き入っている。
 間奏に入るベースの音が耳に引っ掛かって、承太郎も、ふと背中を浮かせた。
 「なんて曲だ? 歌詞カード見せろ。」
 花京院が、手にしていたそれを承太郎の方へ差し出して、
 「3曲目だよ、"Englishman in New York"。」
と、わざわざ教えてくれる。
 「そう言えば、ジョースターさんもアメリカのイギリス人だったね。」
 何となく物悲しい内容の歌詞に、自分が、半分は日本人ではないことを思い出して、承太郎は少しだけ眉を寄せた。
 主には、花京院が好きだからという理由で、少しばかり興味が湧いてくる。さして重要ではないけれど、一応歌詞を読んでみようかと、承太郎は歌詞カードを裏返してまずクレジットに目を通そうとした。
 次の瞬間、目の前に花京院がいることも忘れて、家が揺れるかと思うほどの大声を出す。
 「なんだとッ! クラプトンがゲストで弾いてんじゃねぇかッ!!」
 レコードから針が浮きそうな勢いで飛び上がった花京院が、承太郎の音量に驚いて、両手で耳をふさいだ。
 「なんだいきなりッ! 耳元で怒鳴るなよッ!」
 そういう花京院の声も、承太郎の鼓膜を破りそうに大きい。
 「花京院てめーッ! レコード止めろッ! テープに録らせろッ!」
 「ちょっと待てよ承太郎、せめてA面が終わるまで待ってくれよ! 初見で邪魔が入るなんて、ファンとして許せないッ!」
 「やかましいッ!」
 ここは承太郎の家で、承太郎の部屋で、承太郎のステレオだった。花京院に文句を言う権利は、今はないと言わんばかりに、承太郎はスタープラチナを出すと、さっさとレコードプレイヤーを止めさせた。
 あ、と花京院が、心底がっかりした声を出して、音の止まったステレオの方へ、思わず腕を伸ばす。
 「・・・君がエリック・クラプトン好きだなんて知らなかったよ。」
 承太郎を振り返って、恨めしそうに花京院が言う。
 「ヤードバーズだぞ、好きじゃねえわけがねえだろうがッ。」
 「・・・ヤードバーズって、君一体いくつだよ・・・。」
 「てめーと同い年だ、やかましい。」
 「やれやれ・・・。」
 承太郎の口癖をわざとつぶやいて、花京院は、承太郎がまだ持っていたスティングの歌詞カードを大きな仕草で取り上げると、これ見よがしにため息をつきながら、アルバムのジャケットの中に戻した。
 「てめーの持ってるポリスとスティング、全部貸せ。聞いてやる。」
 「テープしか貸さないよ。レコードは誰にも触らせないことにしてるんだ。」
 ケチくせえ、とうっかり言った承太郎を、花京院が凄まじい目つきで睨みつけた。
 前髪が揺れて、髪が逆立ちかけた辺りに、ゆらりと翠の影が揺れる。ハイエロファントが出そうになっているのを見て、承太郎は慌ててあごを引いた。
 「・・・君のお父さんはきっと、僕の気持ちをわかってくれると思うな・・・。」
 低めた声は、妙にかすれていて、完全に怒らせたと、気づいた時には遅かった。
 「やかましい。」
 言い返しはしたものの、声は小さくなって、承太郎はさっきの勢いもどこかへ、大きな肩を縮めた。
 花京院は唇をとがらせて、ぷいと前を向くと、承太郎を無視するように、またレコードジャケットを眺め始める。
 このまま体を離すと、花京院が部屋を出て行ってしまうような気がして、承太郎は坐ったままでスタープラチナを出すと、机のそばまで空のカセットテープを取りに行かせた。
 「・・・そんなことスタンドにやらせるなんて、不精だな承太郎。」
 怒っているのは間違いなかったけれど、口を聞きたくないほどではないらしいと、妙な安心の仕方をして、承太郎は突っかかる口調の花京院に返事はせずに、そのままスタープラチナにカセットテープをセットさせる。
 「僕がやるよ、君のスタンドにやらせると壊しそうだ。」
 レコードをまたかけようと、スタープラチナを動かしかけたところで、花京院が、ハイエロファントを出しながら言った。
 ハイエロファントの翠の触手が、レコード針の辺りへ伸びて、それをレコード盤の方へ持ち上げるスイッチをそっと押す。同時に、カセットの録音ボタンを押して、また、同じ曲が、さっきの騒ぎなど忘れたように、ゆったりと流れ出す。
 そうしなければ音楽を乱すとでも言うように、花京院が、いつもよりももっと静かに、ハイエロファントを消した。
 承太郎もスタープラチナを戻して、どうしようかと、1分近く迷ってから、また花京院の腰に腕を回した。
 3曲目の、あの曲が始まってから、花京院が承太郎の鎖骨の辺りに後ろ頭をすりつけて、小さな声で訊いた。
 「・・・明日の朝、君の靴箱に、テープ全部入れておこうか。」
 鼻先で、柔らかい髪をかき分けるようにしながら、承太郎は花京院のこめかみの辺りにあごを寄せる。偶然そうなったように、形の良い眉の端に唇を当てて、腰に回した両腕に力を込めた。
 「放課後でいい。どうせ、またてめーと一緒に帰る。」
 「いつそんなことに決まったんだよ。」
 そう言った花京院の腹筋が、小さな笑いで揺れるのが、承太郎の腕に伝わる。
 何か言い返そうかと思ったけれど、また花京院を怒らせるわけにはいかなくて、承太郎は黙ってしまうことにした。
 無言の承太郎に焦れたように、花京院の腕が、うなじに向かって伸びてくる。ねじれて伸びた腕が、あごの傍を通って、指先の細い手が、首筋を撫でて行った。
 それから、花京院はあごを突き上げて、胸を反らして承太郎に唇を寄せて、どこへするつもりだったのかしかとはわからない小さなキスを、ため息のようにかすめせた。
 「君が気に入ったアルバムがあったら、レコードを貸すよ。」
 承太郎の腕の中で体を反転させて、真正面から抱き合う形になると、今度はしっかりと唇をとらえる。
 鼻先が触れ合う近さのまま、ついばむような口づけを何度も繰り返して、後ろで流れている音のことは、ふたり揃って忘れているふりをする。
 「オヤジが帰って来たら、ツェッペリン、全部聴かせてやる・・・。」
 唇の中に、直に注ぎ込むようにささやくと、
 「・・・全部テープに録ってくれよ。」
 少しばかり脅迫じみた口調で、花京院がねだるように、微笑んだ。
 レコード針がA面を演奏し終わって、音もなく元の位置へ戻る。残りのカセットテープは、けれどまだ、取り残されたように回り続けている。
 ふたりの口づけの音だけが、いつまでも再生中だった。


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