青春10のお題@胡蝶の夢

曲がったネクタイ


 そう言い合わせたわけでもなく、けれどいつものように肩を並べて、放課後の正門をくぐる。
 図書室へ少し寄った後で、下校する生徒の姿はもうあまりなく、広いグラウンドの方が、部活に励んでいる生徒の数が多かった。
 正門を抜けて、左へ曲がる。
 その道をまっすぐ歩きながら、花京院が訊いた。
 「君は、たまには襟をホックをちゃんとかけることがあるのかい。」
 裾をひきずるほど長い、承太郎の改造学生服の前の辺りを、まるでなぞるように、首元に向かって指差した。
 「・・・ねえな。」
 ちょっと考えるような視線を、その指先に当てて、また前へ向いて、承太郎が無愛想に答えた。
 「そうだろうね、君の上着のボタンが、本来の目的に使われてるのを、まだ見たことがないしね。でも、ひとつも取れてないところを見ると、君に殴り合いのケンカをふっかけるヤツもいないみたいだ。」
 花京院は、また、金色の鈍く光る上着のボタンの列を、指先ですうっと撫でるように指し示した。
 「おれとサシで殴り合いができるのは、てめーだけだろーが。」
 じろりと、けれど目つきほどは尖ってもいない声で、承太郎が言う。
 「僕がじゃないよ、僕のハイエロファントがだよ。」
 答える口調は、とても物静かだったけれど、確かな自信の色がうかがえて、承太郎は、ふんとかすかに鼻を鳴らした。
 それから、てめーこそと、花京院の胸元辺りを指差す。
 「窒息しそうにならねーのか、外してたところを見たことがねーぜ。」
 上着の前は常に全開の承太郎とは対照的に、花京院の上着の前は、常にきっちりと閉じられていて、まるで堅牢な鎧のようだ。
 花京院が、承太郎の切り返しに、ちょっと驚いたような顔をして、たった今その事実に気がついたというように、首を覆う高くて固い襟の中に、人差し指を差し入れる。
 「だって、学生服は本来こういうふうに着るもんだろう。校則にもそうやって━━━」
 「やかましい、校則なんざ持ち出すんじゃねえ。」
 ほんとうに鬱陶しそうに、承太郎が顔のそばで手を振った仕草を見て、花京院は声を立てて笑った。
 胸の前の、ボタンの列を撫でながら、そこに視線を落として、ひどくいとしげな表情を浮かべると、花京院は、その横顔を承太郎に盗み見られていることも気づかずに、横に広い唇を、そのままゆっくり動かし始める。
 「僕は元々、学生服が好きだからね。きちんと着ていれば、それだけで品行方正な学生のふりができるし、スタンド使いという個性もきれいに隠してくれる。」
 「ふりじゃなくて、品行方正だろうがてめーは。」
 「さあ、どうだか。」
 承太郎の、挑発のふりの誉め言葉にも、花京院は爽やかな笑みを浮かべるだけで、格別うれしそうな様子も見せずに、まだ学生服の胸元に、指の長い掌を当てたままでいた。
 「僕の中学はブレザーだったから、この学校で学生服を着れるのが、とてもうれしかったんだ。」
 「・・・おれは、中学も学ランだったな・・・。」
 珍しく、承太郎が、花京院の語尾をまともに引き取った。
 「そうか、いいな・・・もっとも、君がネクタイを締めてるところなんて、全然想像もつかないが。」
 まるで、承太郎が冗談を言ったように、花京院は自分でそう言ったくせに、想像した承太郎の姿があまりにおかしくて、ひとりで吹き出した。
 「・・・君はきっと、ネクタイだって、ちゃんと締めたりせずに、ゆるめたままで学校に行くんだろうな・・・ホリィさんが、毎朝君のゆるんで曲がってるネクタイを、わざわざ直してるところを想像すると━━━」
 そこで本格的に笑い出した花京院に、承太郎は憮然として、やかましいと、少し本気の声を出す。
 そんなことで引っ込む笑いではないらしく、天下の往来だと言うのに、花京院は承太郎の背中を叩き出しかねない勢いで、大きく肩を揺すっていた。
 「君、ネクタイ、ひとりで結べるのかい。」
 笑う合間に、花京院が訊いた。
 学生帽のつばの下で、承太郎のこめかみに、血管が細く浮いて、すぐに消えた。
 「・・・結べねえ・・・」
 ははっと、花京院が、承太郎の素直な答えに、また笑いを重ねる。
 ここから行き先が違う道へ出て、ふたりはいつものように、承太郎はそのまま真っ直ぐ、花京院は右へ曲がるために、揃って足を止める。
 花京院は、まだ笑い終われずに、自分でも呆れた様子で、額を軽く拳で叩きながら、それでもまだ笑っている。
 「じゃあ、また、明日。」
 軽く手を振って道を曲がってゆく花京院の背中に、承太郎が不意に声を掛ける。
 「花京院!」
 「なんだい?」
 足は止めずに振り返って、後ろに向かって歩きながら、花京院が、ようやくばか笑いの去った、少し意外そうな表情を見せていた。
 「今度、てめーの中学の時の制服、見せやがれ。」
 承太郎の、冗談なのか本気なのかわからない申し入れに、ひどく明るい笑顔で、花京院が応えた。
 「もう小さくて入らないよ!」
 軽く声を張り上げて、楽しそうに言う。承太郎も、唇の端に、笑みを浮かべて見せた。
 「じゃあそのまま持って来い!」
 少しずつ遠去かる花京院に向かって腕を振ると、花京院は、もう声が届かないと思ったのか、口のそばへ掌を添えて、承太郎に軽く怒鳴り返した。
 「見つけたら、君に、ネクタイの結び方を見せるよ! 一緒に練習しよう!」
 それから、花京院はまた、じゃあ明日と言って、こちらにくるりと背中を向けた。
 今度こそ振り返らない背中を、いつもより長く見送って、承太郎も長い足を前に出す。
 いくら花京院が一生懸命教えてくれても、ネクタイの結び方を覚えることはないだろう。必要なら、花京院に結んでもらえればいいと、衣ずれの音を立てて喉元を軽く締め上げる、奇妙な形のひも状の布のことを思った。それは、花京院のハイエロファントグリーンを思い出させて、それを結んでくれる花京院の、なめらかに動くだろう指先と、幻のように絡み合う。
 きっちりと結ばれたネクタイを、直してほしくて、わざわざゆるめて曲げてしまうだろう、そんな自分の無邪気さに気がついて、承太郎は、歩きながらひとり笑った。


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