青春10のお題@胡蝶の夢

寄り道


 教室の外で花京院を待っていた。
 授業が終われば図書室へ行って---放課後だけではなく、始業前も昼休みも---、それから帰る花京院に付き合うのは、そうと約束したわけでもないのに、承太郎の習慣になっている。
 タチの悪いスタンド使いにでも襲われたら、ひとりよりふたりの方がいいに決まってる。
 それが、承太郎がそうする理由だけれど、もちろんそれが言い訳にすぎないことを、承太郎自身がいちばんよく知っている。
 クラスの大半が廊下へ流れ出た後に、ゆっくりとした足取りで花京院が、教室の後ろから出て来た。
 「承太郎。」
 おう、と口の中でつぶやいてそちらへ寄ると、花京院が、少し申し訳なさそうな声を出す。
 「今日は一緒に帰れないよ。駅の向こうまで、画材を買いに行くんだ。」
 花京院の言っているのが、もっと大きな街にでもなさそうな、大型書店の、その中にある画材の店だと、わざわざ説明されなくてもわかるのは、承太郎もたびたび、手に入りにくい本を探しに、そこの書店の方へ行っているからだ。
 あそこまでは、学校からなら、歩いて20分はかかる。
 ちょっとだけ肩をすくめて、かまわねえ、一緒に行くと、少し上げた眉尻に言わせて、承太郎はさっさと花京院の前を歩き出した。
 「行くぜ。」
 まるで、用があるのは承太郎のように、花京院が、慌ててその後を追う。


 画材に馴染みのない承太郎は、店の奥までは入らずに、入り口辺りで花京院を待つことにした。
 細々と、色や形ごとに分けられた絵の具やパステルや、その他名前すら知らない、整然と並べられた画材のその中に、大きな体で分け入って行く気にならず、それでも物珍しさで、承太郎は花京院の姿を目で追いながら、店の中を見回している。
 花京院は、棚へは目をやるだけで、手を伸ばすことはせずに、すぐに用を済ませて承太郎のところへ戻って来た。
 手にしているのは、辞書くらいの大きさの紙袋。重くはなさそうで、一体何だと、訊かずに承太郎はそれに目を凝らす。
 カバンの中へ入れてしまうのかと思ったら、花京院は、ひどくうきうきした様子で、歩き出しながら承太郎に、自分のカバンを差し出した。
 「ちょっと持っててくれ。」
 ガラス細工でも扱うような丁寧さで、紙袋から中身を取り出す。
 「色鉛筆なんだ、変わった色ばっかり30色集めて、10色ずつケースに収まってるんだ。」
 承太郎の方を見ながら、けれど上の空なのがよくわかる。花京院は、承太郎に持たせた自分のカバンなど、最初から持っていなかったような様子で、取り出した中身に、ぱっと顔を輝かせた。
 外側からの印象通り、それは色鉛筆には見えず、きちんとケースに収まった辞書にしか見えず、承太郎は、ちょっと眉を寄せた。
 「ほら、きれいだろう。」
 辞書にしか見えないその中身は、さらに色分けされたケースが入っていて、ほんとうにちょっと見には、少し凝った装丁の詩集か何かにしか見えない。
 花京院は、また慎重な手つきで、そのケースのひとつを、そっと外側のケースから引き出した。
 開いた中から、ようやく、その色鉛筆とやらが顔を出す。
 「珊瑚色に、薄紅に、忘れな草色・・・」
 きれいに並べられた、真っ白な地に、金で、色の名前が記してある。それをひとつひとつ読む花京院の声が、好きな歌でも唄っているように、わずかに湿る。
 承太郎は、うっかり、その横顔に強い視線を当てていた。
 どれほど実用的なものかはともかく、眺めている分には、好きな人間にはたまらないものなのだろう。自分が、エレキギターのピックアップにあれこれうるさいのと、多分同じだと思ってから、花京院がこんな目で自分を見ることはないなと、そう思い当たる。
 ほんの少しだけ、舌打ちしたくなった。
 花京院のカバンを持たされたままであることには文句を言わずに、承太郎は、まだ新しい色鉛筆に陶然としている花京院を、いい眺めだと思いながら見つめて、けれど同時に、その視線が自分の方へ向かないことに、少し腹を立て始めていた。
 「これで、花の写生でもしたら楽しいだろうな・・・。」
 「すりゃいいじゃねえか。」
 ひとり言だろうつぶやきの語尾を、不粋にすくい取ってみる。
 「もったいなくて使えないよ、しばらくは。」
 「眺めるだけにする気かてめえ。」
 ようやく、色の世界へ飛び去っていた意識を現実に戻して、けれどまだ、少し夢うつつの表情で、花京院が、色鉛筆のケースを、元に戻して紙袋の中へ入れた。
 「眺めてるだけでも楽しいよ。」
 声がまだ、あちらへ飛んでいる。
 花京院がカバンを受け取るのに、承太郎は、わざと指先を絡ませるように動かして、少しだけ、下らない焼きもちの憂さを晴らしてみる。
 そんな承太郎の態度に、気づいたのか気づかないのか、花京院が、とてもいい表情のまま、承太郎の肩辺りを指差した。
 「ああそうか、君のスタープラチナの色も、ちゃんと塗れるかもしれない。」
 そう言われて、柄にもなく、承太郎はうっかり頬を染めた。
 それを隠すために、目深に帽子のつばを引き下げて、いつも怒ったように結ばれている口元だけ、花京院の方へ向ける。
 スタープラチナをよりよく見るためになら、花京院は、さっきと同じ目を自分に向けるのだろうかと、らしくもない期待が湧いた。
 「塗れたら、見せろ。」
 そう低く言う承太郎に、花京院は、声を立てて笑っただけで答えなかった。
 肩を並べてふたりは、来た道をまた歩き始める。


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