青春10のお題@胡蝶の夢

木漏れ日


 土曜の放課後、そのまますぐに下校してもよかったのに、あまりに天気が良かったので、外で煙草を喫うという承太郎に、花京院は苦笑しながら付き合った。
 屋上ではこそこそしすぎていると、そんなことをぶつぶつ言いながら、承太郎が花京院を連れて行ったのは、校舎の裏手にある木々が背高く生い繁った辺りで、植え込みの中に入ってしまえば、周りからはあまり姿が見えない。
 馴れた仕草でその中へ踏み込んでゆくのは、ここが承太郎の喫煙場所のひとつだからなのだろうけれど、感心なことに、煙草の吸殻が地面に散乱しているということもなく、花京院は、腰を下ろした承太郎の隣に、自分もゆっくりと坐り込んだ。
 「週末の宿題、何だい?」
 「数学と英語。古文の予習。」
 「けっこうな量だなあ。英語は、君なら問題にならないんだろうけど。」
 「会話程度の英語が授業で使いもんになるかよ。古文やってりゃ日本語話せると思ってるようなもんだ。」
 「・・・ものすごい的確な例えだな。」
 他愛もない会話を交わしながら、承太郎がゆっくりと煙を吐き出し続ける。まるでため息をつくように、大きく胸を上下させて、これが人生最後の1本だとでも言うように、うまそうに、というよりは、少しばかり悲壮な表情を横顔に浮かべている。
 承太郎が煙草を1本吸い終わるのに6分弱、花京院は、今ではそんなことまで知っている。
 どうせ、1本だけではなく、2、3本は喫って行くのだろうから、ここにまだ、20分くらいは居坐ることになる。
 だらだらと無駄に時間を過ごせる土曜の午後は、とても貴重に思えて、花京院は承太郎を急かすつもりはなく、ゆったりと木の幹に背中を持たせかけた。
 「いい天気だな。」
 同意を求めたわけではなく、花京院は、上を向いて小さくつぶやいた。
 まだ日は高い。このまままっすぐ、承太郎の家に寄って行きたいと言えば、承太郎はいやとは言わないだろうし、夕食までに家に帰れば、花京院の母親の機嫌を損ねることもない。あるいは、一度家に戻ってから、宿題分の教科書とノートを抱えて承太郎の家に行ってもいい。その時は、夕食はいらないからと、母親に言っておいた方がいい。明日が日曜となれば、ホリィも承太郎も、そのまま泊まっていけと、花京院を引き止めかねないからだ。
 承太郎は思った通り、2本目に火をつけて、吹き出した最初の一服は、揺れる輪になって宙に浮かび上がる。
 あ、と思わず子どものように声を上げて、その輪が崩れてゆくまで目で追うと、次はと、期待で唇の端が上がったのに、花京院は気づかない。
 声に気づいた承太郎は、花京院の方へ顔を向けると、ゆっくりと唇をすぼめて、続けて輪を吐き出した。
 ふたりで一緒に、少しあごを突き上げるように、ゆらゆらと上へ向かう煙の輪を見上げて、木漏れ日できらきらと光る空気の中へ、その白い輪が、はかなく消えてゆくのを、飽かずに眺めていた。
 それきり、輪の曲芸は終わり、承太郎はまた正面を向いて、花京院に横顔を見せて、ゆったりと煙草を喫い始める。
 「これで終わりだ。」
 煙を吐き出しながらそう言うのが、煙の輪のことなのか、喫煙そのもののことなのか、どちらとも確かめずに、花京院はああとうなずいて、少し顔を近づけて、承太郎の唇からこぼれる煙を、ずっと見守っている。
 例えば今、ふたりで別々の本を読んでいるとか、別々の音楽を、それぞれ自分のウォークマンで聴いているのだとしても、それはふたりが別々に在るということではないのだと、花京院は考えていた。
 同じ場所にいることが、一緒にいることではない。けれど、別のことをしているから一緒にいないというわけでもないのだと、消えてゆく煙を眺めて、思う。
 花京院は、静かにハイエロファントを出した。それから、それが空気を揺らしてしまわないように、そろそろと足元を崩して空に向かって放つと、翠に光るその両手で、薄れてゆく煙を、つかもうとしてみる。
 「何してやがる。」
 承太郎がスタープラチナを背後に出すと、自分は花京院を見つめたまま、スタープラチナの視線を、頭上のハイエロファントへ向けさせた。
 「別に。つかまえられないかなって、そう思っただけさ。」
 承太郎の真似をして、喫煙の習慣を始めるつもりはなく、けれどその煙が、承太郎の肺へ収まって、それからその唇から吐き出されたものだと思うと、奇妙な愛しさが湧いて、ハイエロファントならつかめるのではないかと、そんなふうに思っただけだ。
 ハイエロファントは、花京院の命令を待って、頭上からふたり---とスタープラチナ---に緑の影を投げかけて、ゆらゆらと幻のように揺れている。
 承太郎が、煙草に付き合わせて、ほんの30分程度だったけれど花京院を退屈させたのだろうかと、少しばかり罪悪感にさいなまれ始めた頃、不意に、ハイエロファントが、顔の前へ落ちてきた。
 ぎょっとして体を後ろに引いた承太郎を、幹と背の間にいたスタープラチナが、いつものように受け止める。
 「なんだてめえ。」
 ハイエロファントと重なる花京院の顔に、何かをたくらんでいる笑顔が浮かぶ。
 ひどくにこやかなその表情を嫌いではないのが始末に悪いと、承太郎は慌てて地面で煙草を揉み消した。
 「承太郎、ちょっと帽子、脱いでくれよ。」
 制服姿の時には、触れることさえ滅多とないと知っているその帽子を、脱げと承太郎に言うのは、よほどのことだ。
 少々、似合わない恐怖すら覚えつつ、承太郎は花京院の爽やかな笑みに嚇されたように、ゆっくりと学生帽を取った。
 「ちょっと、上を向いてくれ。」
 視線は動かさずに、軽くあごを上げると、花京院の手が、ハイエロファントと重なってこちらに伸びてくる。
 害意はないだろうとはわかっていても、一体何事かと、承太郎は頬の辺りを硬張らせた。
 「きれいだな、君の目は。」
 息のかかる近さに、花京院が顔を寄せた。
 ハイエロファントは消え、花京院だけが、承太郎の、濃い深緑の瞳を、近々と覗き込んでいる。
 「明るいと、よく見える。」
 降りかかる木漏れ日を遮って、花京院が、どこか惚けたような声で言った。
 「いつも、帽子で隠れてるから。」
 言い訳なのかひとり言なのか、見つめてくる花京院の、深い青が一刷け走るやや薄い茶色の瞳を、真っ直ぐに見返して、承太郎は、そこに映る自分の姿を見ていた。
 「上の、きらきら光る木の葉と、よく似てるよ・・・。」
 そう言われて、花京院の肩越しに、まぶしさに目を細めながら、承太郎は白く光を集めている、鮮やかな緑を見上げた。
 光に透ければ、それは花京院のスタンドの色によく似ていて、太陽に貫かれた葉の重なる緑は、ひとつきりの色のように見えてそうではなく、瞳の色が違えば、目に映る色も変わるのだろうかと、承太郎はばかげたことを考える。
 いとおしそうに自分の瞳を眺めている花京院に、承太郎は、小さくささやいた。
 「・・・欲しいか・・・?」
 片側だけ長い前髪の陰で、花京院の瞳が細まる。
 「そう言ったら、くれるのかい。」
 声に少し、自嘲がこもっているような気がして、自分を甘やかす承太郎に、際限なく甘えてしまいそうになることを嫌悪している花京院の心の動きが、瞳の色に揺れたのが、見えたような気がした。
 「・・・てめーに、やってもいいと思ってた、あの時。」
 水のスタンドに襲われた、あの砂漠で。盲目の男と対峙した、あの時に。
 花京院の唇が、くっと皮肉笑いめいて歪んで、その瞬間、白い掌が承太郎の目元を覆う。そうして、唇に、生暖かく、花京院の薄い唇が触れた。
 「いいよ、いらないよ。君の目だから、きれいなんだ。」
 けほんと、煙草の強い匂いに、唇を離した花京院が、小さくむせた。
 木漏れ日を浴びて、ふたり、何もかもが不思議な緑の色に染まっている。もう一度引き寄せようと、承太郎は、花京院の方に向かって、長い腕を伸ばす。


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