Waiting For 22 花京院は、焼かれた骨になって教会に帰って来た。 普通なら、遺体はそのまま棺に納めて埋められるのだけれど、殺人の被害者であり、生前、とても口に出せないような方面と関わりがあったとされ、おまけに 身寄りもなかったから、身元引受人であるプッチの独断で、検死の場から、そのまま焼却場へ運ばれた。 実のところ、骨を引き取っても、埋める場所を探す気にもならず、プッチは花京院の忌まわしい過去を言い訳にして、どこかの無縁墓地にでも埋めてはもらえ ないかと、役所へ話をしに行くつもりでいた。 死んでしまえば、人はただの死体でしかなく、反応のない死体は、ただ腐る汚物でしかない。焼かれて骨になったそれは、すくなくとも腐った匂いをまき散ら す心配のない、乾燥した清潔なものだけれど、それでも手元にずっと置いておく気など、プッチにはさらさらない。 一応、建前で行方不明の届けは出しておいたから、死体が発見されてじきに、教会に連絡が来た。 わざわざ警察の遺体安置所になど出向かなければならない億劫さを、いつもの鷹揚な微笑みに下に隠して、聖職者ゆえに取り乱したりはしないけれど、深い悲 しみにちゃんとくれているという印象を与え、殺人犯への怒りを、付き添ってくれた刑事にぶつけることさえして見せた。 何があったのかわからない、姿を消す前に、おかしなことなどなかった、元々浮浪者だから、不意に何か思い立ったのかと思っていた、戻りたくないと言うな ら、無理に連れ戻す気はなかった、見つかれば、きちんと話をしたいと思っていたが、まさかこんなことになっているとは、と両手で覆った顔を伏せ、感情をな るべく交えずに、淡々と刑事に語った。 思った通り、ふたりの刑事は両方とも敬虔なクリスチャンで、右手で十字架を握って唇を震わせている---という振りだ---プッチを、ただ痛ましそうに 見つめていた。 中年の、顔も体も丸い刑事が主に話をし、何か言うごとに、お気の毒です神父さまと、必ず差し入れた。 もうひとりは少し若く、派手なネクタイが似合っているのかどうか微妙な、やや疑り深そうな口調でいくつか質問をしたけれど、今にも泣き出しそうな表情の プッチを、けれどそれ以上押すようなことはしない。 何も知らない、とプッチはひたすらに言い張った。 花京院の顔に残る傷については、礼拝堂の掃除をしていて、転んでしまったと言っていたと、これは花京院がプッチにそう告げた通り---もちろん、嘘だと 知っていた---を話し、花京院の体に残っていた歯型や、殺されていた部屋で見つかった鎖や銀の輪、そして3箇所に開けられていたピアスの穴については、 素肌を見るような機会があるわけもなし、まったく知らないと、これも言い通した。 ピアスからは、スポーツ・マックスと花京院の指紋が見つかり、歯型の大半は、スポーツ・マックスのものと一致した。ただ、他の誰かの指紋、そして歯型と 精液が花京院の体から見つかり、これについて心当たりはないかと訊かれ、プッチは途方に暮れたように、ゆっくりと首を振る。 当然です、と中年の刑事は言い、ネクタイの方は、どうやら花京院とプッチの間に、何か人には言えない関係があったのではと、そう疑っているような目つき をしたけれど、さすがにそれを口にはしない。 汚らわしいと、プッチは思った。そんなことを、ちらりと疑われるだけで、顔や手に泥をなすりつけられたような不快感が湧く。 あれのことは、他の連中との関わりだけで、わたしには何の関係もないことだ。あれに触れようなどと、思ったことはおろか、その姿を眺めていたいと思った ことすらない。 胸の中で、唾を吐きたい気分で、ちらりとネクタイの刑事を見る。 スポーツ・マックスが教会に出入りしていたことを、刑事はちゃんと知っていた。 わたしたちは、教会へやって来る誰も拒むことはしません。そう言うと、中年の刑事の方が深くうなずいた。 こういうことは、口にすべきとは思いませんが、献金も、比較的大きな額を定期的に・・・ですから、熱心な方だと思うと同時に、何か、罪の意識にとらわれ ているのかと、思ったことはありました。 けれど、その罪の意識とやらについて、話をしたことはない。花京院とスポーツ・マックスが、何か話をしていたのを見かけたことは何度かある、だがそれ を、不埒な関係だと想像したことなどない、そんな風には見えなかった。 そう言ってから、自分が、少年の頃から教会へ入り、俗世のことなどほとんど知らないせいかもしれないと、付け加えるのは忘れない。言葉の外に、さり気な く、自分は他人とそういう風に触れ合ったことはないのだと言うことを、匂わせておく。中年の刑事が、当然だという風に小さくうなずき、ネクタイの刑事は、 ほんとかよと、あからさまに顔を斜めにする仕草をした。プッチはそれを、気づかない振りで無視し、残念だと、肺ごと吐き出すような、深いため息をついた。 結局、刑事たちは、元浮浪者---その頃、いわゆる売春をしていたらしいということは、プッチが話した。故人の秘密を、他人に喋るのは非常に心苦しいと いう態度は、もちろん忘れずに---の花京院が、教会へ引き取られた後も、特殊な性癖を抑えることができずに、教会へ来ていたスポーツ・マックスを誘っ た、あるいは、誘われて断わることができなかった、ばれれば大事(おおごと)になるため、ふたりは非常に注意深く、この関係を誰からも隠していたと、そん な風に結論づけたらしかった。 これは別に容疑がどうのではなくて、関係者すべてに頼むことだとそう前置きしてから、中年の刑事が、プッチの指紋や歯形を取らせてはくれないだろうか と、控え目に訊く。 ええ、もちろん。犯人を捕まえるためなら、何でもしましょう。プッチは、信者に説教をする時に使う力強い声で、そう答えた。 だが申し訳ないが、今日はやめて欲しい、大事な友人とも言える人間の死体を見た後で、そんな作業をする気にはなれない、日を改めて、検査にでも何にでも 伺うから、そう言って、プッチは刑事たちが何か言い募ろうとするのをぴしゃりと止め、するりと立ち上がった。 死体はまだ引き取れないと言われたから、空手で教会へ戻り、そうして、あるところへ電話を掛けた。 先方は、プッチのことを知らない。自分のことを説明して、それから、花京院のことを告げた。 数年前に、あなたが捨てた少年だ。わたしが引き取って、神父になる勉強をさせた。あなたのことは、何もかも、あれから聞いた。何もかも、洗いざらいだ。 最後の辺りには、少し誇張が含まれていたけれど、DIOの助けを借りて、その男のことを調べさせたから、男が、世間に絶対に隠しておきたい弱みを、山ほ ど抱えていることは知っていた。 男が今、10かそこらの少年と暮らしていることも、その前の少年が、最近姿を消したことも、その少年たちの身元をきちんと調査すれば、男は問答無用に刑 務所行きだろうことを、プッチはすべて知っている。そして、自分がそれを知っていることで、男がどんな危険に晒される可能性があるか、たっぷりと時間を掛 けて思い知らせた。 あなたがもし来てくれるなら、きちんと葬式を出してやろうと思っているが、どうだろう。あなたはいわば、あれの父親だ。 プッチがその言葉に含んだ、特殊な響きをきちんと聞き取って、男が息を飲む。父親、というのは、誰も知るはずのない、男と花京院---と、他の少年たち ---の間でだけ通じるキーワードだ。プッチはそれを知っている。プッチは、男のことを、そう言った通り、何もかも知っている。 それは、できない。困る。 ついに、男が震える声で言った。 受話器の向こうへは伝わらない、してやったと言わんばかりの笑みを、プッチはうっかり口元に浮かべた。目の前の獲物が諦め、目を伏せた瞬間を見た時の、 肉食獣の、あの目つきだ。 穏やかな声に戻して、プッチは、自分が脅迫者なのではなく、男とは、むしろ同じ被害者---共犯者---の立場だと言うことを理解させるために、親身な 口調を作る。 あれが妙な死に方をして、わたしもとても困っている。あなたの親しい友人たちに、助けてもらいたい。 知っているのは、男のことだけではない。男の、大事な友人たちのことも、プッチはちゃんと知っている。あらゆる方面に融通の利く人物がその中にいること を、プッチはちゃんと掴んでいた。 ほんの髪の毛ひと筋でも、同じような趣味の人間だと思われるのは耐えがたかったので、教会の人間として、自分の弟子にも当たる人物が、売春の過去や同性 愛愛好者であったことや、さらに被虐の趣味まであったことが公けになってしまいそうで、これ以上事を大きくしたくはない、その前に食い止めたいだけなのだ ということを、プッチは丁寧に男に伝えた。 花京院という人間の、生前の評判が地に落ちることなど、プッチには痛くも痒くもない。ただ、それを知らなかったと言い通す面倒さを、ひたすらに逃れたい だけだった。それにきっと、刑事やこの男と同様、世間も、花京院の性癖を知れば、真っ先に教会内でのいかがわしい行いを疑うだろう。それが、プッチには耐 え難いのだ。 わたしがあんなものに、心動かされたかもしれないなどと、思われることすら汚らわしい。吐き捨てるように、プッチは思う。 この殺人については、被害者である花京院に非があるので、犯人が捕まった時には、きちんとした弁護士をつけてやりたい。死刑だけは回避したい。その他多 々矛盾が見つかろうと、その犯人がすべてひとりでやったことで、プッチ及び教会は、一切何も知らない、花京院以外の部分では関わりすらない、ということ を、警察と検察に、重々念を押しておきたい。犯人には、弁護士を雇った先のことなど、一切何も知らせないこと、そう言って言葉を切ると、男は、力が抜けた 声で、わかった、とだけ応えた。 プッチが、死体安置所で花京院と対面した時に、承太郎はすでに身柄を拘束され、花京院だけは殺していないと、言い張っていた。警察は、それを信じている とも信じていないとも、どちらでもない曖昧な態度で、何もかもを疑うのが仕事の彼らは、もしかしてプッチが何か知っているのでは、あるいは、直接に関わり があるのではと、探りを入れたかったらしかった。 知っていることなど、ひとつも彼らに伝える気のなかったプッチは、承太郎のことも口に出さず、何もかも知らないで押し通した。最初から、そのつもりだっ た。 承太郎は信者ではなかったし、あれはきっと、東洋人同士で気が合って、花京院に会いに来ていたのかもしれない、その程度の認識だったと、訊かれればそう 答えるつもりでいた。 空条承太郎というあの人物が、スポーツ・マックスと、薬の売買で知り合っていて、しかも花京院を取り合っていたなど、プッチが知っていたはずもない。ス ポーツ・マックスと花京院を争い、殺し、誘拐同然に花京院を連れ去った。そして、1週間近い監禁の後で、薬による錯乱か、あるいは、自分の思い通りになら ない花京院に腹を立てたのか、花京院を撃ち殺し、死後、それを強姦した。起こったことすべて、プッチの想像の外の世界の話だ。 さらに恐ろしいことに、どこかの宗教団体のリーダーや、実業家や、政治家の秘書や、そんな人物が続けて殺されていたのは、すべて承太郎の手によるものだ と言う。薬の中毒による幻覚で、世の中に害を及ぼす人間たちを消さなければという、そんな使命を帯びているのだと、思い込んだらしい。自分は神で、救世主 なのだと、そう言い張ったと言う。 憐れな花京院は、承太郎がそんな恐ろしい連続殺人鬼とも知らず、愚かにも関わりを持ち、そして挙句、その手に掛かって殺された。 あわれなことだ。プッチは、片頬に笑みを浮かべて、思った。 もうせめて数人、クズのような人間たちを消し去ってから捕まってしまえばよかったのにと、承太郎のことを思う。 花京院は、つまりはクズどもを引き寄せる餌のようなものだったけれど、まさか自分の意志で、承太郎と逃げ出すとは思ってもみなかった。あれに、まだそん な部分が残っていたなどと、長い間花京院を、ひととしてすら知覚していなかったプッチは、少しばかり鼻白んで考える。 人というものは、どこまで行っても、思い通りにならないものだ。 どんな最低の人間にも、意思や意志という厄介なものがある。花京院のそれは、プッチに出会う以前に、ほぼ完全に砕き壊されていたと思っていたけれど、そ うではなかったらしい。自分の見込み違いを、口には出さずに忌々しく思って、人というのは、存外脆いくせに、思いがけないところで強く、したたかなものだ と、思い知ったこの機会と、それを思い知らせた花京院---と承太郎---のことを、憎む強さで不愉快に思いながら、同時に、敬意にも似た感情を抱いてす らいることに、プッチは気づかない振りをする。 認めてしまったら、自分が負けてしまうからだ。クズ以下の人間たちに、敬う気持ちを抱いてしまうなど、それは神への反逆にも等しい。プッチの敬意は、何 もかもすべて、神にだけ捧げられるはずのものだ。 神、と思ってから、神を愛するように愛している、大事な友人のことを思い出す。 さて、この遊びもそろそろ終わりだ。承太郎を死刑にはしたくないと、そう言った大事な友人の意図を、きちんと確かめておこうと、プッチは椅子から立ち上 がる。 机の上にただ置かれている花京院の骨の入った、銀色の丸い骨壷を、何の感情もない目で見やる。 このまま、海にでも放り込んでやるかと、ふと思いついて、今頃、ひとりきり地獄の業火に炙られているだろう花京院の、焼け溶けた皮膚を震わせるだけの、 声のない絶叫を聞いた気がした。それに心動かされることは一向になく、花京院のために葬式などやる気はないプッチは、心正しいものなら当然そうするよう に、形だけ祈りでも捧げてやろうと、礼拝堂へ向かうために、部屋を出て行った。 |