ポメラニアンにPomeraで20のお題 > Pomeraを使う / 1題400字程度 / ブラウザバックで戻って下さい

 2秒 ■ (承花)

 いち、に、とゆっくりと数える。2秒と言うのは案外と長いものだ。
 2秒が連なって1分になる。1分が連なって1時間になり、1時間が連なって1日になる。1週間、ひと月、1年、1世紀、今は何秒の辺りだろう。もう1分経ったろうか。
 永遠のような2秒の後では、1分は久遠の彼方だ。血を失って体温が下がると、手足は重くなるのに体の大部分からは重さが失せる。そして視界はぼんやりとした後でゆっくりと狭まり、目を閉じた覚えもないのに、目の前が真っ暗になる。
 唇の端が、おかしくて少し上がった。そんな気がした。
 目が閉じれば、上下から視界が狭まるはずなのに、今は左右から視界が閉じられつつある。目が閉じかけているわけではないのだ。視力を失いつつある、それだけだ。
 失いつつあるのは視力だけではない。ああ、そうだろう。そうだろうとも。
 それでも、呼吸を完全に失う前に、言っておこうと思った。呼吸があるうちに、言葉にしておこうと思った。必死に、力のない肺から、酸素をしぼり出した。喉を通る、最後の息。
 ありがとう。さようなら。
 少しだけ早口に、言い終わるのに、2秒。

top ▲

 移動中 (Maia×Nate)

 なぜだか、手書きの文字を見られるのに照れがあった。何もかもキーボードで事足りる今日この頃、大事な誰かに葉書を送るのも、珍しいことになりつつあるのかもしれない。気まぐれに、ジョギングの途中で買った葉書を前に、Nateはまず何を書き出そうかと、さっきからずっと悩んでいる。
 住所も、自宅の電話番号も、個人的な携帯の番号も知っている。知り合って──とても遠回しな言い方──すぐに、メモを渡され、さらに念を押すように、後からメールでも送られて来たからだ。
 殴り合うよりも、引き倒して締め上げて試合を終わらせるタイプは、こんな風に皆まめなのかもしれない。自分とは大違いだと、Nateはキッチンのテーブルに座ったまま思う。
 自分が怪我をせず、相手にも怪我をさせずに勝つためだと、Maiaが自分のことを説明する。Nateは逆だ。殴られて殴り返して、どちらの方が翌朝の自分の顔を心配せずにいられるかだ。
 自分のそんな選手としての性格が、書き文字に表れるような気がして、だからこうして、何となく葉書を買ってしまった自分と、特に用もないのに、何かそれらしい文面を考えつこうと頭を絞っている自分を、Nateは少し忌々しく感じている。
 明後日から、また練習のために他の街へゆく自分とは、逆の方向へ送られるこの葉書が、Maiaの手元に届く頃には減量の真っ最中で、試合以外のことは何も考えられなくなっているだろう。
 だから、彼のことを考えられる間に。ただ元気かと記して、自分の住むこの街の風景を一緒に送って、それでも、会いたいと、言葉の間ににじんでしまうだろうか。
 書き出しの彼の名をつづる指先が、少し震えた。

top ▲

 新幹線 ■ (承花)

 「どこかに行きたいな。」
 「今度はアフリカか。」
 「いやそうじゃなくて、どこか国内でいい。飛行機に乗らずにすむ距離で。」
 「駅前のレコード屋に──」
 「いやそれよりもうちょっと遠い方がいい。」
 「バスにでも乗りたいのか。」
 「君がバスでどこかに行きたいなら付き合ってもいいが。」
 「いや別に。」
 「君はレコード屋か楽器屋以外に行きたいところはないのか。」
 「レンタル屋めぐりもいいな。」
 「どうせなら本屋もリストに入れてくれ。」
 「本屋ならついでに古本屋めぐりも面白いぞ。」
 「じゃあ僕は秋葉原に行くから、君は神田で降りろ。」
 「古書街がどこかわからねえ。」
 「ガイドブックで調べればすぐだろう。ぴあでも買ってくればいいじゃないか。」
 「あの小せぇ字を見るだけで頭痛が始まるな。」
 「ああ悪かったな、どうせ僕はぴあを毎号週遅れで買って、行けもしない映画の上映スケジュールを眺めて楽しんでるさ。」
 「欄外の冗談は面白いがな。」
 「・・・君が読んでるのはそこなのか。」
 「で、てめーが見たい映画はどれだ。」
 「・・・存在の耐えられない軽さ。池袋でやってるらしい。ついでに言うと、エゴン・シーレとクリムト展もやってる。」
 「週末に行きゃいいじゃねえか。」
 「通学圏外に出るのは父兄同伴と制服着用だぞ、僕ひとりじゃ行けないって何度言ったら──」
 「だからおれに、一緒に校則破れって話か。」
 「・・・君は、校則の存在すら無視してるじゃないか。」
 「・・・神田に付き合うか。」
 「時間があるならどこにでも行く。ただし上野で迷彩服をひと揃い買うって話はなしだ!」
 「美術展に行って、映画見て、古書街回って、そのままどっかに行っちまってもいいな。てめーの言う通り、どこかにな。」
 「飛行機に乗らずにすむ距離限定だ! それから日帰り!」
 「・・・ちっ。」

top ▲

 片手 ■ (54)

 触れると、思いがけずあたたかいと思ったのは、自分の体温──ことに、鉛色の右手──を基準に考えていたからだろう。
 色のせいもあるかもしれない。自分の、奇妙に白い膚と、相手の、浅黒い膚。日に焼けた煉瓦を思わせるその色は、手を乗せればきっとあたたかいと容易に想像できるのに、実際に触れるまで、なぜかその体温を、冬の最中に触れる金属のようだと思いこんでいた。
 あたたかい膚の下に流れる血は、きちんと赤くてあたたかいのだと、そう思った。実際には、ふたりとも白い循環液が体をめぐり、その温度は、体内のどこかからの指令によって、常に一定の温度に保たれている。必要なら、爬虫類と同じ温度にもできた。
 大きな、ぶ厚い手が、自分の腕に触れた。その鉛色の腕に触れた手は、冷たさに驚いたろうか。人のぬくもりのない腕に触れて、けれど驚いた様子はなく、手を引く仕草もなく、触れたままでいた手が下へ下がり、掌が重なる。
 マシンガンでもかまわないのだろうかと、思った時に、指──と呼べるなら──の間に、するりと指が滑り込んで、握手よりももっと親密な形に、重なって握り合う手と指先。
 そのまま離れない、右手と左手。

top ▲

 ポケットの中から ■ (54)

 先にとジェロニモにシャワーを譲って、手持ち無沙汰の間に、ふと床の上に脱ぎ捨てたままの服が目に入る。一体どこで調達しているのかと不思議に思う、見た目も巨大なジーンズ。何度も何度も洗われて色褪せ、そろそろポケットの角がすりきれ始めている。馬の面倒を見て、力仕事ばかりしていれば、普段着は作業服と変わらない。いかにも着古した風でも、染みが見当たらないのはさすがだ。
 ベルトのないそれへ、ベッドの端に腰掛けたまま手を伸ばした。右手の指先に引っ掛けて引き寄せると、サイズのせいか存外重い。ハインリヒは左手も追加して、それを自分の膝の上に取り上げる。
 まるで皮膚のように、体に馴染んでいるのがよくわかるしわやかすかなほころびや、ハインリヒは、膝の形に添って変わってしまっているジーンズの前面の輪郭を、視線でなぞって、それからひとりで笑った。
 そうして、何と特に思いついたわけではなく、意識もせずに前の左ポケットに指先を差し入れていた。
 何が入っているかとか、見てやろうとか、そんな風に思ったつもりはなかった。ただ、寒い夜に時々、その位置へ自分の手ごとハインリヒの右手を差し入れさせてくれるジェロニモの、掌の形を思い出していただけだった。
 空のポケットの底から、ハインリヒの指先にくっついて出て来たのは、何かの種のついた綿毛、たんぽぽのそれよりもずっと大きい、花ではなく木のそれだろうとハインリヒは思った。
 どこでここへ紛れ込んで来たのだろう。ここまでの道筋、もしかしてジェロニモの家の近くのどこかだろうか。
 それに微笑みかけてから、そっとポケットの中に戻す。ジェロニモが見つければ、きっとどこかへ飛ばすだろう。
 シャワーの音に耳を傾けて、膝の上に乗せたジーンズの膝辺りを、ハインリヒは右手でそっと撫でた。

top ▲

 やわらかいもの ■ (男塾/伊達+飛燕)

 体術の稽古中、放たれた鶴嘴千本を避けようと、ひらりと右へ動いた足元へ向かって体を折る。前にではなく、もちろん後ろにだ。
 地面に両手を着いて、軽々と立ち上がるはずの足元が、不意に崩れる。わずかなすきはけれど伊達らしからぬと思ったのか、飛燕は次の千本を指の間に挟んで構えたまま、
 「なにか?」
とまずは訊いた。
 伊達は足元から目を離さずに体勢を整え、何でもない、と短く言い捨てる。
 稽古の続きへ戻る数瞬前、伊達はさり気なく立っている位置を右寄りに変え、両手を胸の前に上げ、受ける姿勢を取る。飛燕は伊達の構えに自分も身構えながら、ふと彼の足元へ視線を流してそして、拳の人ではない、ごく普通の表情を刷いた。
 「場所を変えましょう。その花を、踏んでしまっては可哀想だ。後で、木の根元にでも移し変えておきましょう。」
 千本を手の中に握り直し、腕を下げ、もう伊達に背を向ける。
 伊達がかばって、さっきよろけてしまった小さな花だ。薄紅の、小さな花弁の寄り集まった形に咲く、どうということもない花だ。
 容赦のない冷酷な人間だと言う評判の伊達──そしてそれは確かに、評判だけではない──が、歩く先へ咲く花を踏まずに進む人間だと言うことを知っている飛燕は、伊達の返事を待たずに、庭の逆の端へ歩いてゆく。
 飛燕の5歩後を追いながら、こいつはそういう男だと、伊達は飛燕のことを思う。
 そよ風が、難を逃れた小さな花の葉を、小さく揺らしていた。

top ▲

 目の前にある ■ (Lupo花)

 アパートメントから3、4ブロック歩いたところにある、深夜過ぎでも開いている食料品店へ行く。犬のOttoの散歩代わりだ。その店は韓国人の親子がやっていて、夜遅くに行くと、息子らしい青年がレジの中で教科書を広げているのをよく見かけた。
 果物を少し。ハムやチーズは、残念ながらここへ来る途中の、さらに小さな食料品店の方がうまい。中近東系の兄弟がやっているその店も、Lupoのお気に入りだった。
 牛乳も忘れずにカゴの中へ放り込んで、チョコレートバーもふたつ、マフィンを買おうかどうか迷ってから、次回にしようと棚に戻す。
 それから、ふらりと歩く棚に並んだ砂糖やインスタントコーヒーのビンを眺めて、帰ってからコーヒーを淹れようと思いついてから、また、さっき買わすにおこうと思ったマフィンのことを考える。
 並んだ紅茶の小ぶりな箱が目に入って、Lupoは足を止めた。
 ごく普通のティーバッグだ。オレンジペコ、きれいな青の箱、Lupoが自分で買った記憶はほとんどない。手に取ってしげしげと眺めて、流した視線の先に、今度はグリーン・ティーと書かれた箱が目に入る。
 数瞬迷ってから、そのまま青い方の箱を、カゴに入れた。
 自分では飲まない。教会では紅茶しか飲まないらしいのに、Lupoのところへ来るとコーヒーを飲む──紅茶は置いていない──花京院のためだ。
 次会える時は、27分署近くにある食堂で、パイでも買って帰ろうかと思う。そうして、Lupoも一緒に紅茶を飲む。
 知らずに、唇の端が上がっていた。自分の微笑みに気づかないまま、Lupoはレジの方へ爪先を向けた。

top ▲

 それだけ ■ (RamSan)

 「おれが勝ったらキスしてくれる?」
 笑ったまま言うと、Juniorが戸惑った表情を浮かべた。けれどそれはほんの数秒で、困惑交じりの笑顔で、OKとうなずいてくれる。
 Ramseyの父親の国では、大事な約束を交わす時には、破るなよと誓いの仕草をするらしいのだけれど、今はそれが何だったか思い出せない。
 「今してくれてもいいけどね。」
 そう付け加えると、Juniorは今度こそ、一体何を言ってるのかよく理解できない、という表情を浮かべた。
 ありがたいのは、自分が理解できないのは英語のせいだとJuniorは思っているだろうし、Ramseyも、同じ理由で自分の真意をごまかしてしまえることだ。
 欲しいのはキスだけではなかったし、ほんとうに欲しいのはキスではなかったけれど、何もないよりはずっとましだと、Ramseyは思った。
 「おれが勝ったらね。約束だよ。」
 Juniorがまた、厳かにうなずく。
 この人を喜ばせたいと、Ramseyは思った。あの、こちらが幸せになりそうな笑顔を、リングの中で見たいと思った。
 今はそれだけで充分だと、立ち上がりながらマウスピースを口の中に放り込む。

top ▲

 乾電池 (24)

 自分たちが、いわゆる乾電池で動くように造られていなくてよかったと、ハインリヒは時々思う。
 今も、嵐が来るという予報に備えて、ラジオや懐中電灯の乾電池を調べているところだけれど、サイズ規格の表現が各国バラバラなものだから、一体何のことを言っているのかと混乱するばかりだ。
 グレートは、一番でかい奴、普通の奴、ちょっと小さい奴、とわかりやすくて最も混乱を避けられそうで、そして後で困ったことになる言い方をする。
 ハインリヒは自分が覚えている限りで、LR20とかLR14とか言うのだけれど、これはまったく他の誰にも通じない。
 それなら、Aの数で示すアメリカ式なら理解できるかと言うと、ドイツ式が、Aの数で示すならすべてそうなのに対して、アメリカ式は、D、C、AA、となぜわざわざそうするのかわからないアルファベットの並びになっている。
 日本語では単1、単2、と数字が変わってゆくらしいけれど、ではAAAはどれ?となると、即座に切り替えて言えるほど、誰もその単位に慣れていない。
 そんなわけで、ありがたくもピュンマと張大人が、仲間の間だけで通じる単位を考えてくれた。
 単1/LR20/A/Dをジェロニモの親指、単2/LR14/AA/Cをハインリヒの右手の親指──けっ、と初めて聞いた時は思った──、単3/LR06/AAA/AAはピュンマの人差し指、単4/LR03/AAAA/AAAはイワンの指。
 今ハインリヒとジェットが探しているのは、ピュンマの人差し指サイズだ。
 「これはアンタの親指だし・・・イワンの指なら山ほどあるんだけどな。」
 聞いているだけだと、一体物置の小さな引き出しを引っかき回して、何を探しているのだろうと思う。
 「ったく、指とかじゃなくて、アレの大きさって言やいいのに。ピュンマのアレとかアンタのアレとかさ。」
 嵐が近づいて、風が強くなっているとは言え、この会話がフランに筒抜けになっていることを、ハインリヒは何よりも恐れた。
 「ってことは、いちばん小さいのはやっぱりイワンか。」
と言ってから、ジェットが少し下品におかしそうに笑う。
 「あ、でもフランでもいいのか。」
 ほんとうに余計なことをつ付け足しながら、あったぜ、とピュンマの人差し指をいくつか手に、ジェットがこちらを振り向いたので、それを全部受け取ってから、ハインリヒはジェットにさるぐつわを噛ませて、ひとり物置を出た。きちんと外から鍵を閉めて。
 嵐の騒ぎで、きっと明日の朝になるまで、暴れる音は聞こえないだろう。

top ▲

 目印 ■ (承花)

 承太郎が鎖骨を噛む。いくつも小さな傷が残り、骨折の痕が内側に残るそこを、承太郎が噛む。
 痛いよ承太郎。
 言うほど体は抗わず、したいようにさせながら、花京院はその承太郎の肩を抱く。
 できるなら、そこにもっと強く歯を立てて、皮膚を剥いで、血をすすりながら骨も噛み砕いてしまいたいと思っているのだろうと、花京院は思う。
 ひとつになりたいと、承太郎がそうあらわにすればするほど、それがかなわない現実が明らかになる。互いを食べて、互いの血肉になって、そういうやり方しか残されていないと思いつめるほど、ふたりはまだ若くて幼い。
 情熱だけで、どこまで行けるものか、見定めてみたい気がするから、花京院は承太郎がそうやって自分に跡を残すのを許している。受け入れているのは、つまりそうしたいと自分も思っていて、けれどできない気持ちの裏返しだ。
 承太郎が、そうして自分のしるしを花京院の上に残す──それが、許される精一杯だから──のを、花京院は下目に眺めて、躯を繋げるのは錯覚の手段に過ぎないのだと気づいてしまった自分の淋しさを、その痛みでごまかそうとする。
 好きだと言う気持ちが通じれば、それで終わりだと思っていた。通じて、互いを思い合えれば、それで終わりだと思っていた。思い合って躯が繋がれば、それがすべてだと思っていた。
 その先のことなど想像すらできなかった。求めれば求めるだけ飢えが深まる。どれだけ打ち込んでも打ち込まれても、心まで届かせるのは容易ではなく、混じった汗も乾けば、何の痕跡も残さない。
 だから、承太郎が花京院を噛む。もどかしさをそうやって表すしかなくて、それしか思いつけない自分の幼さに自覚はなくて、ひとつになりたいと思うことはただ可愛らしく、けれどほんとうにひとつになろうとすれば、皮膚に阻まれて、錯覚に助けられなければ、永遠にふたりはふたつのままだ。
 承太郎が、花京院の鎖骨を噛む。自分がつけた傷跡をそこへ増やすために、承太郎が花京院を噛む。
 花京院は承太郎を抱いて、背骨を下から撫で上げた。撫でる指先で、全部きれいに揃っている承太郎の背骨の数を、声に出さずに数えている。

top ▲

 目印 ■ (RamSan)

 黒や濃い赤を塗っているのを見たことはあるけれど、ラメ入りの薄紫や、とてもきれいな淡いグリーン──これもきらきら光っている──のマニキュアを使う男は初めて見た。ちょっと面食らって、けれどそれは何だかとても彼──愛すべき、Ramsey Nijem──らしく思えたから、Juniorはそう思った通りの笑みを彼の爪先に向かって浮かべた。
 折った膝を胸元に引き寄せ、うつむき込んで、楽しそうに、けれど丁寧に足の爪を染める彼は、練習中と同じように真摯に見える。ただ肌色一色の足の、そこだけ可愛らしく色鮮やかなのが、筋肉質の男の足には不似合いにも思えて、けれどそれはそれで、何だか妙に魅きつけられる眺めだ。
 塗りたての爪に、ふーふーと息を吹きかけて、その位置から斜めにJuniorを見上げて、Ramseyが言った。
 「あんたも塗る?」
 困ったように笑って、かすかに首を振りかけてから、自分に向けられたRamseyの笑顔から目が離せず、Juniorは結局断らないまま、Ramseyの隣りに腰を下ろす。
 ふたりでLの字を作る形に、RamseyがJuniorの爪先を自分の膝に乗せる。激しい運動で、ざらついた足の皮膚を、Ramseyの掌が包む。不揃いに切られた爪に、まずは親指から色が乗る。
 Ramseyの爪と同じ色になる。手指ほど自由には動かせない短い指の間に、Ramseyが指先を差し込んで、そうして、丁寧に色を塗ってゆく。Ramseyよりも大きくていっそう無骨なJuniorの足の爪が、きれいなグリーンに染められてゆく。
 なぜかそれを、Ramseyという目印だと思った。自分が、Ramseyに結びつけられているというあかしのような気がして、自分の足に触れるRamseyの指先から目をそらし、Juniorは赤くなった顔を隠そうと、退屈な振りをして天井を振り仰いだ。

top ▲

 ここまで ■ (承花)

 「見るかい?」
 軽い口調で花京院が言う。もう、制服の襟のホックを外している。おう、と答えた時には、白いシャツのボタンに指先が掛かっていた。
 ためらいもなく裸になって、回復した花京院の体を見るのは初めてだ。ただの裸に過ぎないと、そんな風に自分の前に立つ花京院の腹には、掌よりも大きな穴を懸命に塞いだ、引き攣れた痕が残っている。
 承太郎は、驚きを隠して、そこから目を離さなかった。
 「背中も似たようなものだ。」
 感情のない声が言う。軽薄に言おうとして、失敗したせいだと承太郎は思う。
 「見たのか。」
 「ああ。」
 鏡を使ったのかハイエロファント・グリーンにやらせたのか、何となく訊くのを憚られて、承太郎は黙って花京院の腰に両手を添える。
 そうだ、あの時は、向こうの景色が血まみれになって見えた。まるで、血と肉片を偶然浴びてしまった写真みたいに。ぎざぎざの、歪んだ丸に切り取られた風景。今もここで目を凝らせば、その風景が見える気がした。
 目を閉じて、承太郎は花京院の裸の腰に両腕を巻いた。頬を寄せると、帽子のつばが当たって床に落ちた。
 薄く引き伸ばされて、不自然に艶を帯びた皮膚。そこだけ体温が高いような気がした。血の流れる音が、鼓動よりもはっきり聞こえる。
 深呼吸しながら、承太郎は花京院と呼吸を合わせた。
 「・・・よく、生き延びたな。」
 声の震えは抑えたつもりだったけれど、きっと腹の皮膚に流れた涙が伝わって、承太郎が泣いているのに花京院は気づいたろう。喉の奥にひそめた笑いが、腹の辺りをかすかに揺らした。
 「お互いにね。」
 あやすように、優しい声が、小さくそう言った。花京院の両手が、承太郎の髪を撫でていた。

top ▲

 掌の上 ■ (あらし54)

 おまえは一緒に座れと、車の後部座席を示されて、ジェロニモは一瞬戸惑った表情を浮かべた。
 いつの間に雇われたのか、もう浅黒い肌の、小柄な男が運転席にいる。ベトナム人かタイ人かと、きれいに刈り上げられてあらわになっている華奢なうなじを見て、それから、その運転手の後ろに座っているアルベルの横顔に視線を移した。
 それ以上の説明はない。今日だけの気まぐれなのか、それともこれからは、この男が常にアルベルトの運転手なのか。尋ねることもしなかった。ジェロニモはただ黙って、アルベルトの隣りに腰を下ろしている。
 アルベルトは窓の方へ体を傾け、ずっと外を見ている。くつろいだ様子だけれど、ぴりぴりと空気が張っているのが、ジェロニモにはわかる。ジェロニモは背中を軽く立てて、いつもそうするように車の中と外の両方に注意を向けて、軽く開いた膝の間に両手を投げ出していた。
 運転手の男は、この大きな車の座席に埋もれて、けれど運転は慎重で丁寧だった。迷いもなく、好奇心が主らしい視線が、ミラー越しに後ろへやって来ることもない。
 グレート仕込みかどうか、アルベルトの人を見る目も、大抵は確かだ。
 アルベルトが足を組み替え、座席の革が、こすれてぎゅっと音を立てる。それに紛れたように、ジェロニモとの間を越えて、右手がジェロニモの腿の端に触れて来た。
 そちらに顔を向けないように注意して、瞳だけそっと動かした。アルベルトの指先はそこから離れず、まるで這い上(のぼ)るように、ジェロニモの膝に、静かに滑り上がって来た。
 いつの間に外したのか、人前では絶対に外さない革手袋がない。剥き出しの鉛色の義手の感触が、イギリス出身の仕立て屋──グレートの父親くらいの年齢の──が作ってくれた手触りのいいズボンの、鋭くつけられた折り目の上を滑っている。
 正面から視線を外し、ジェロニモはアルベルトの右手を見下ろした。それから、軽く開いた指の間に自分の指を差し込むようにして、その手に自分の掌を重ねる。アルベルトの動きが止まってから、その手を、自分の方へ軽く引き寄せた。
 グレートがいた頃は、もっと遠慮のない振る舞いをしていたアルベルトだった。今は違う車の中で、違う男を相手に、少し違う触れ方をしているアルベルトを、不意にジェロニモは憐れに思った。
 それは、アルベルトへのいとおしさから出たものだったから、ジェロニモは黙ったまま引き寄せたアルベルトの手を、自分の両掌の間に挟み込み、そっと指の付け根の辺りを撫でる。
 冷たい手。形はほんものそっくりの、まれに拳の形になって、自分の殴ることもある手だった。この手を持つアルベルトを、今は自分が護っているのだと、突然降って湧いたように思い知る。
 ジェロニモに、他の誰の目にも触れさせない右手を預けて、アルベルトは黙ったままでいる。
 後ろで何が起こっているのか、関心を持たないことも仕事のひとつと弁えているのか、運転手はただ前だけを見て車を走らせている。

top ▲

 ひたすら ■ (あらし54)

 待つ人もなく、本を読む気もならず、椅子を回して、天井近くにある小さな窓を見上げていた。
 寄りかかればきしんだ音を立てる椅子の背に、体を全部もたせかけて、腹の辺りに両手を組み、両足は軽く組んで、ぼんやりと、窓から見える道路の切れ端を眺めていた。
 足音がして、ドアが開く。そちらを見ないままでいると、机の方へ近づいて来て、カップを取り上げる音がした。やっと椅子の向きを少し変えて、そちらを見た。
 「まだ飲んでる途中だ。」
 鋭く言うと、カップに掛けた手はそのまま、
 「淹れ直す。」
 感情の読めない声が答える。1時間ほど前にジェロニモが持って来た紅茶は、確かに手も着けられず冷めてしまっている。アルベルトはいいとも悪いとも言わず、また椅子を元の方向へ戻した。
 大きな体だと言うのに、ほとんど風も立てずに動く。足音も静かなまま、部屋を出て行った。足音に、アルベルトは耳をすませた。
 自分に従順な男。白と言えば白と言うし、黒と言えば黒と応える。殺せと言えば、あの男は自分の親兄弟も手に掛けるだろうか。
 そんなことは、多分グレートがさせなかったろうと、アルベルトは思う。
 自分に対してはひたすら従順な、グレートに対しては恭順だった男。誰が見ても明らかだった、グレートに対する敬愛。それは、自分たちの間にはない。アルベルトは考える。
 ひとつだけ、ジェロニモが絶対にアルベルトには従わないことがある。俺を殺すことだ。アルベルト・ハインリヒと言う男を守ること、それはグレートから与えられた、とても大事な命令だったからだ。
 殺してくれと、いくら懇願しても、ジェロニモは絶対にそれをしない。自分が死ぬ代わりにアルベルトを殺せと言われても、そのまま黙って死ぬだろう。
 そろそろ、ジェロニモが、アルベルトの死なない理由(わけ)になりつつある。ただの言い訳だ。けれど、それで充分だった。
 銃の入った引き出しを、右手を伸ばして撫でた。
 紅茶をこぼさないように用心した、さっきよりもゆっくりとした足音が近づいて来る。引き出しから手を離して、アルベルトは、ドアの方へ行くために椅子から立ち上がった。

top ▲

 思いつき ■ (Maia×Nate)

 先に拳で語り合ってしまうと、言葉が億劫になる。
 ほんの数分、金網の中で闘った後、まるで何万語も費やしたように、互いの頭の中が丸見えになる。そんな風に感じる。
 個人的なことは何も知らない。けれど考えていることは手に取るように理解できる。
 そうして、躯で語り合うと、今度は何十年も前から互いを知っているような気分になる。たかが何十分、声をひそめてささやき合い、言葉の数よりも多く、汗に濡れた皮膚をこすり合わせただけだと言うのに、今度は考えていることはおろか、これから考えるだろうことまで、予想がつくようになる。
 文字通り、躯の内側に触れて、心の裏側を覗く。重ねた言葉の量のあまりの少なさに、後になって驚く羽目になる。それなのに、相手を知っているという気持ちは、1日毎に深くなる。
 だから、今度は、実際の言葉を知る番だ。
 英語で滅多とTweetしないMaiaに、いつかポルトガル語で話しかけてやると、Nateは彼のTLを追いながら思う。
 ああ、嫉妬だとも。もちろん。認めるのに、ずいぶんと時間が掛かった。ポルトガル語を習おうと思いついたのもそのせいだ。
 彼が楽しげに話しかけるブラジル人のフォロワーたち。その中に混じれないのを、今は苦笑混じりに悔しがりながら、Nateはブラウザを閉じた。

top ▲

 その瞬間 ■ (Lupo花)

 抱き寄せられた時に、思わず肩を硬張らせた。何が起こるのかと身構えるために両腕が胸の前に伸び掛けて、それを止めたのは、Lupoが自分を傷つけるはずはないと、そう咄嗟に考えたからだった。
 誰かに触れられた記憶は、すべて傷つけられることに繋がる。ありとあらゆる形で踏みにじられた、惨めな記憶に繋がる。
 誰かが自分に触れたいと欲することは、誰かが自分を傷つけたいと思うことだ。例外はなかった。だから、記憶に従って体が反応する。痛みを予測して、避けることはできなくても、それに少しでもうまく耐えられるように、歯を食い縛って待つ。筋肉を緊張させて、衝撃を減らそうと、目を閉じてそれを待つ。
 Lupoの腕の中で、それは永遠にやって来なかった。来るはずがない。花京院はそれを知っている。
 Lupoが花京院を欲しがるのは、傷つけるためではない。いとおしさを表すためだ。そのいとおしさを、花京院はまだうまく理解できないまま、それでも、Lupoの腕の優しさを信じることはできた。
 だから、やっと恐る恐る、両腕の力を抜いてから、Lupoの背中の方へ両手を伸ばした。
 死体とばかり向き合っている彼は、少し埃くさくて、それから、太陽の匂いの交じった、外の匂いがする。
 この腕から、逃げようとしなくていいのだと思って、花京院は静かに深呼吸した後、突然泣き出したいと思ったのに、口元は薄く微笑んだままだった。

top ▲

 仲間 ■ (54)

 皆で一緒に囲むテーブルの、さり気なく隣りに坐る。フランソワーズを助けて、キッチンへ出入りしやすい端の方へ坐るのに、まるでそれを手伝う気があるのだとでも言うように、隣りへ体を滑り込ませる。
 この振る舞いのパトロンである張大人を、労いのためにキッチンから遠い席へ坐らせて、いわゆる末席へ、ジェロニモと一緒に肩を並べるのがハインリヒの常だ。
 いろんな神や精霊に、それぞれが好きに祈りを捧げ、祈る先がないなら、祈りが終わるのを黙って待って、食事を始めるのは皆が一斉にだ。
 他の皆を待たせるのが悪いからと、精霊への感謝の言葉の量を少々端折っているのだと、ジェロニモに秘密を打ち明けられたのはいつだったろうか。代わりに、食事の後でひとりで祈るのだそうだ。デザートを断って、それに付き合うこともまれにないでもないハインリヒだった。
 騒がしい食卓で、あちこちから手が伸び、料理の大皿が交換され、調味料の小さなビンが行き交う。ジェロニモはいつも、いちばん最後に皿を受け取る。受け取って必ず、ハインリヒにいるかと目配せしてから、他のみんなに、まだいるかと訊く。
 グレートが差し出す、2杯目のワインを、ハインリヒは今夜は断った。
 皆が口々にあれこれ好きにしゃべる間、ジェロニモとハインリヒはいつも静かだ。
 途中でナイフとフォークを置き、ワインを飲む仕草の合間に、テーブルの下で爪先を滑らせた。家の中でも革靴のハインリヒの爪先が、柔らかな皮の室内履きの、ジェロニモの爪先に触れる。
 左肩に戸惑いが浮いてから、視線は動かさないまま、爪先がハインリヒの方へ寄って来る。
 食事の後に、ジェロニモの祈りの残りに付き合ってから、皿洗いにも付き合うと言う約束ができた。その後で、多分紅茶でも淹れてゆっくりできるだろう。
 皆の食事はまだ続いている。

top ▲

 膝に乗せて ■ (RamSan)

 いつだって何だって冗談のつもりだ。飛びつくのも、抱きつくのも、首に腕を巻くのも、見上げて、意味深長な角度に首を傾けるのも、そうして、目をそらされないなら、視線に意味を込める。伝わらないのを承知で、むしろ、伝わらないように──伝わって欲しい気持ちとは逆に──必死で祈りながら、最後にはいつだって冗談めかした笑みで終わらせる。
 今日は膝の上だった。
 軽く開いた腿の間に滑り込んで、小さな子どもがそうするように、ちょこんとその膝に腰を下ろして、体重を掛けないように気をつけながら、片腕だけ、バランスを取るために首に回した。
 そうして、腰に回って来る両腕。
 重量級の選手には、ウェルターなんか子どもと同じだろう。そうだろうきっと。だからだ。だからこんな冗談に乗ってくれて、抱き寄せてすらくれる。
 だから、調子に乗って、もう一方の腕も首に回した。体重を全部預けて、でも全部冗談だって振りはちゃんとして。
 わかってる。この人は誰にでも優しい。こうやって膝に乗せて見つめ合って額を合わせて、全部疑似の兄弟愛だ。期待しちゃいけない。どれほど好きでも、絶対に伝えちゃいけない。
 このままキスしたってきっと、笑いながら受け入れてくれるだろう。そう想像するだけで胸が痛くなる。
 はやし立てる声が聞こえる。でも、もう少しだけこのまま。もう少しだけ。

top ▲

 包む ■ (スタハイ)

 スタープラチナを見かけなかったかと、承太郎が訊く。いいや、と花京院は首を振る。
 「君から離れてもせいぜい5mだろう? すぐそこにいるんじゃないのか。」
 後ろ辺りを指差すと、今度は承太郎が首を振る。
 「姿も見えねえ、気配もねえ、戻っても来ねえ。」
 口調がどこか心配そうなのは、どこかのスタンド使いの攻撃かもしれないからだ。
 「君がピンピンしてるならきっと大丈夫だろう。実は僕もハイエロファントを探してるんだ。」
 今度は花京院が言う。ふたりで同時に辺りを見回しながら、どこかに自分たちのスタンドの姿はないかと一緒に探す。
 おかしいな、とふたりで首をひねる。
 その本体ふたりの傍に、スタープラチナとハイエロファント・グリーンは一緒にいた。まるで繭のように、細くほどいたハイエロファントの触脚に完全に包まれて、スタープラチナの気配は、ハイエロファントのそれと一緒に、完璧に隠されていた。
 本体なしでは在ることのできないスタンド2体は、それでも時々完全にふたり──おかしな言い方だ──きりになりたくて、だからハイエロファントは、花京院がそうして自分の気配を消すように、同じ方法でスタープラチナの気配も包み込んで消して、ふたり一緒にいる。
 本体には聞こえないスタンド同士にだけ伝わるやり方で言葉──のようなもの──を交わして、なぜ自分たちがそんな風にしたがるのか、スタープラチナはまだ完全には理解していないようだった。
 スタープラチナを抱きしめるように、ハイエロファントは全身で大きな彼を包み込んで、自分の内側に完全に取り込んで、そうして彼らは、本体にさえ悟らせずに、世界のどこからも隔てられてただふたりきりだ。
 もうすぐ、本体たちの前に姿を現すことになるけれど、どこへいたともどうしていたとも、言うつもりはなかった。
 いずれ本体たちも、自分たちのスタンドがしていることの意味を悟るだろう。
 触脚の一部を伸ばして、ハイエロファントはスタープラチナの青い髪を撫でた。その触脚に、まだ意味はわからないまま、スタープラチナが唇を寄せる。
 ただの切れ目に見えるだけのハイエロファントの唇の端が、プロテクターの下でほんのわずか上がった。

top ▲

 開く ■ (承花)

 ざっくりと切られたのは、幸いに白目の部分だったそうだ。いわゆる瞳に傷はなく、だから治ればちゃんと見えるようになるそうだ。説明されたことをそのまま口移しに、けれど伝えても、承太郎の表情は今は花京院には見えない。
 心配そうにしている、空気は不思議と伝わる。大丈夫だと言っても、承太郎は何も言わない。
 痛むかと訊くから、少し、と言葉少なに答えた。血の跡は、制服の襟や胸元に残っている。触ると、ごわごわしているのがわかる。傷を負った本人である花京院よりも、恐らく直にそれを見た承太郎の方が、ショックを受けているようだった。
 体の機能を失うかもしれない怪我は、確かに普通の傷よりも心配や不安が増すのだろう。承太郎の態度を、どう和らげるべきかと思いながら、花京院は見えない自分自身の不安から、目をそらすために承太郎を心配しているのだと自覚していて、そのことを、胸の内だけで苦笑した。
 空気が揺れる。承太郎が動いたのかと思っていたら、もっと大きい、体温のない掌が、恐る恐ると言う風に、まずは指先から頬へ触れて来た。スタープラチナの手だ。
 「承太郎?」
 「痛かったら言え。」
 自分で触れる気にならないのだろうかと、ちょっとあごを引いたら、スタープラチナの指先がこめかみに伸び、そして、どうやったものか、巻かれた包帯の下に滑り込んで来る。確かに、目元の皮膚に直に触れる感触。傷を避けて、眉とまぶたをなぞり、頬骨近く、そこは包帯のないところへも指先が触れた。
 「痛かったら言え。」
 いや、大丈夫だ。答える口元が、思わずゆるんでいた。
 傷が塞がったら、包帯が取れたら、目が開いたら、真っ先に君を見たい。君の、無事な姿を見たい。
 そう思ったのが、ハイエロファントからスタープラチナへ伝わったらしかった。
 スタープラチナの指先が、包帯の下から去った。そうして今度は、あごの辺りへ触れる、承太郎の指先。それへ顔を傾けて、どちらへか正確な方向はわからないまま、花京院はなるべくにっこり微笑んで見せた。

top ▲

 電源オフ ■ (54)

 覆いかぶさるように、こちらを見下ろして来る。陽射しが遮られ、逆光で見えなくなった表情は、けれど痛ましそうにやや歪んでいるのがわかる。それに向かって、ハインリヒはにやっと笑った。
 無口なこの大男は、大丈夫かとは訊かず、ハインリヒの笑み──ある種の、冷笑──をそのサインと正しく受け取って、手足の吹き飛んだ重い──武器を山ほど抱えて、とても重い──体を、ここから運ぶために、どうやって抱き上げるかと思案しているようだった。
 「腕の1本でも残ってればな。」
 そうすれば、抱き上げられた自分の体を、せめて支えるくらいはできた。
 憎まれ口すら、そろそろ叩くのがつらくなって来る。体を巡る循環液が足りない。死なないくせに、その手前までは軽々と行けてしまう。だから、修理が必要だ。ちぎれて失くなった手足の分、軽くなって楽だろうと、思ったのを口にするのも、考えただけでやめてしまった。
 寝てた方が都合がいいだろう。通信装置で話し掛けると、目の前の茶色の瞳がわずかに動く。首のつけ根の、少し下にある小さなスイッチを押して自分を仮死状態にしろと、そういう意味だ。それをするのは、メンテナンスの時だけだ。ハインリヒがそれをひどく嫌っているのを、この大男はもちろん知っていた。
 考えている時間はなかったから、ハインリヒがもう一度同じことを言う前に、無骨な指先が、防護服の襟の後ろから、そっと差し込まれる感触があった。喉を反らして、スイッチを探しやすいように、横たわった地面と少しだけ隙間を空けて、左の肩甲骨の形に添って、指先がそっと動いた。
 「後で。」
 ハインリヒの、そろそろ焦点のぼやけ始めた瞳を真っ直ぐに見下ろして、声が低く言う。
 「ああ、後で。」
 その時だけははっきりと、ハインリヒは応えた。人工骨に紛れるようにあるスイッチを見つけて、軽く押す感触の直前に、唇がもう一度だけ笑みに曲がった。  

top ▲

ブラウザバックで戻って下さい